ブライアン・ウイルソン自叙伝・その4

前回の続き。 

ブライアン・ウイルソン自叙伝―ビーチボーイズ光と影

ブライアン・ウイルソン自叙伝―ビーチボーイズ光と影

 

 被害妄想

最も気味が悪かったのは、最後に楽器がすさまじい音を立て、パチパチという音がくすぶる部分だった。プレイ・バックを聴きながら、僕は異様で気味の悪いその音楽に狼狽しはじめていた。

(略)

 次の日、レコーディング・セッションの夜、スタジオの隣のビルが全焼したことを告げられた。数日後、セッション以来、ロサンゼルスで火災が異常に多発していたということも知った。それこそ僕が恐れていたことだった。僕はプラス(陽)のスピリチュアルな音楽のかわりに、マイナス(陰)の源、不吉なバイブレーションを放つ、非常に強力な火事の音楽を作ってしまったのだ。公表するには危険すぎると僕は判断した。およそ2分の〈ファイア〉のテープは、いまもキャピトルの地下室に眠っている。

(略)

当時、僕は自分の作ったものに異常に脅え、ほとんどのテープを抹殺した。

(略)

僕が、マリリンと僕の寝室の隣にあるダイアンの寝室に忍びこんだ時、彼女は抵抗しなかった。(略)そのことで誰かが苦しむということは、僕の頭にはなかった。僕は「スマイル」が完成していないということだけを懸念していた。

(略)

僕は映画『セカンズ』を見て、身震いしながら家に帰った。

(略)

スクリーンから、“ハロー、ミスター・ウイルソン”という声がしたんだ(略)フィル・スペクターなんだ。本当に僕を追いかけているんだ」

(略)

「何もかもが映画の中に出てきたんだ」(略)「僕の全人生がだ。誕生と死と復活だ。全部だ。ビーチさえ出てきたんだ。ビーチの何もかもが。スクリーンに僕の人生のすべてが映しだされたんだ。

(略)

ただ僕を動揺させるためだけに、スペクターがコロンビア・ピクチャーズにこの映画を作らせたんだ。君たちにはどうしてわからないんだ?

(略)

 1966年12月初旬、キャピトルは『スマイル』のアルバム・カバーを印刷し、ビルボード誌に『ペット・サウンズ』の待望の続編として広告を出した。 

 崩壊 

バン・ダイクの反応はもっと冷ややかなものだった。大きな砂場の真ん中に置かれたグランド・ピアノに僕が座っているのを一瞥した瞬間、嫌悪をむき出しにした。彼にとっては、それは幼稚で責任感のない、吐き気を催す光景にすぎなかった。

(略)

1967年、新年を迎えた。僕はキャピトルに、前に言ったように15日以前にはアルバムは渡せないと繰り返した。実際、ほとんど進んでいなかった。覚醒剤を使いすぎて、以前のような集中力がなくなっていた。曲をまとめることができなくなっていた。(略)

僕はフラストレーションから、バン・ダイクに問題の責めを負わせようとした。「やめてほしいな」、彼がきっぱり言った。「僕は君と曲を作ることに没頭している。だが部屋に腰を据えることができないんだったら、この作業は進められない」

(略)

2月初旬、すでに何度も具現化していた〈ヒーローズ・アンド・ビレインズ〉を、僕は最優先した。(略)だが、もはや僕を信頼していないビーチ・ボーイズとのセッションはとても辛く、僕は毎週、占星術師のジェネベリンにメンバーの運勢を見てもらい、助言を求めはじめた。もし僕が性格的にもっと強かったら、辞めると言って、彼らにアルバムを作らせていただろう。実際アンダールは、ソロ・アルバムとして「スマイル」を作るよう勧めていた。しかし、僕はそれほど強くはなかった。メンバーは、チャンスがあれば、その音楽と歌詞を引き裂こうとした。

 サポートが欲しかった僕は、〈ヒーローズ・アンド・ビレインズ〉のセッションの前にバン・ダイクに助けを求めた。〈ファイア〉の一件以来、彼はスタジオにくることを拒否していた。しかし、今回僕は、彼に特別に来て欲しいと嘆願した。(略)

メンバーはそっけない態度で彼を迎えた。彼らはバン・ダイクをかく乱者の1人と見ていた。

(略)

マイクは、その曲が西部へのタイム・トリップに関する曲だとは承知していた。「だが、“Over and over the crow cries, uncover the corn field"ってのは、どういう意味なんだ?」、彼が言った。バン・ダイクは、一瞬考えた。彼は侮辱だと感じたが、顔に出さないようこらえた。「崇高な詩はそういうものだと思うよ」、彼が答えた。(略)

オレに言わせたらたわごとだ。ちんぷんかんぷんもいいとこだ」、「マイク、君が文字どおりの解釈を求めているのなら」、バン・ダイクが穏やかに言った。「まったく率直に言って、意味は説明できないということだ」、「説明できない!」、マイクは驚いて、ため息まじりに言った。そして他のメンバーを見た、「(略)奴はこの詩の意味が説明できないんだ。それでも、オレたちはこの曲を歌うってわけか? ブライアン、どういうことだ?つまり、わざとビーチ・ボーイズを破滅させようとしているのか?」。僕は打ちひしがれてスタジオを出た。

  セッションは終わった。(略)

僕は外交的手腕を期待して彼を呼び出したが、彼は自分の殻に閉じこもった。干渉することが自分の本分ではないと彼は考えた。僕はまったく1人で防備のすべがなく、自分とメンバーのビジョンを融合させることができなかった。(略)

「僕たちは切腹したんじゃないかな」、帰途、バン・ダイクが言った。「後は屍を引きずり出すだけだな」。1967年2月下旬に、バン・ダイクと僕は別れた。3月に彼は戻ってきたが、1か月後、ワーナー・ブラザーズが彼にソロ・アーティストとしての契約を申し出た時、再び去っていった。

(略)

4月に〈ベジタブルズ〉に取りかかった。(略)

ポール・マッカートニーはガールフレンド、ジェーン・アッシャーに会うためにフランク・シナトラのリアー・ジェットに乗ってロサンゼルスに来ていた。(略)

ポールがスタジオに姿を見せた時、マリリンは緊張していた。白いスーツと赤い革靴を身につけたポールは、絵に描いたように格好よかった。

(略)

[スタジオには]さまざまな野菜があふれていた。(略)

ポールはその野菜を見て驚いた。「インスピレーションなんだ」、僕が説明した。「いま〈ベジタブルズ〉っていう曲を作っているんだ。だから雰囲気を出すために野菜の山を置いてるんだ」。(略)

[ポールとは]とても気が合った。そこにライバル意識はなかった。「ペット・サウンズ」がどれだけ好きかということを彼は言った。

 コカイン

その男は僕をバスルームに連れていき、ポケットから小さな小瓶を取り出した。その中にはコカインがぎっしり詰まっていた。それをスプーンで少量すくいあげると、僕に吸うよう指示した。僕は吸い、もう一方の鼻孔でも同じことをくり返した。瞬時に二度吸引した。パウダーのロケットが、鼻から鼻腔を通って脳を直撃するのを感じた。僕はダニーにほほえんだ。数秒の間に鬱な気分は吹き飛び、陶酔感にひたっていた。頭の中にはたったひとつのことしかなかった。もっと吸いたい、もっとコカインが吸いたい。その男がもう一度スプーンですくっている時、ダニーはそっと立ち去り、スリー・ドッグ・ナイトと共にステージに上がった。二度目の快感に酔った僕は、ショーのことを忘れ、「ウイスキー」を出て町をドライブした。翌日の午後、コカインの入手先をダニーに聞いて初めて買った。その晩、また買った。次の夜もまた買った。その高揚感で、僕は苦痛から解放され、現実から逃避し、安らぎを感じた。傑作を書き終えた時に似た自信と、無敵だという気持ちが湧き上がってきた。ピアノに座り、失敗作になるかもしれないと気をもむ時だけは例外だったが。僕は仕事に関わらなくても創作したような気分になれ、かつて曲を書いていた時のような一途さでコカインにのめりこんだ。その後5年間、そんなふうだった。

 売却

父はシー・オブ・チューンズを70万ドルで売るつもりだった。70万ドル? 曲をただで渡すようなものだ。現在そのカタログは、2000万ドル以上の評価を受けている。しかし僕にとっては、それは金で買える類いのものではなかった。それは僕の赤ん坊だった。僕の肉体だった。魂だった。そしていま、それはもう僕のものではなかった。

(略)

父は最後の一撃を試みた。(略)「オレの代償を見ろ」、僕の顔に義眼を押しつけてわめいた。「これを見ろ、ブライアン、見ろ!」。(略)

「オレが背負ってきたこのいまいましい目の穴を見ろ」、父が叫んだ。「おまえのためにこういうことになったんだ、ブライアン。おまえのためにだ」。父はさらに僕の顔に義眼を押しつけた。頬につるつるした感触を感じて、吐き気がした。(略)

僕は幼児のように床をこぶしで叩き、蹴飛ばし、大声で泣き叫んだ、「なんでこんなことをするんだ? どうして、どうして、なんでなんだ?」

「やあ、ブライアン・ウイルソンだ」 

[1984年夏]社会復帰と再順応に取り組んで1年以上が経っていた。
 僕は地元公演のためにビーチ・ボーイズに合流(略)

僕は、数日間で、いままでになかった社交術を身につけていた。ランディが、要点を絞って僕を指導した。僕はそれまで、人の目を見て話をすることは決してなかった。いま僕は、「やあ、こんにちは。ブライアン・ウイルソンです」という練習をしていた。ランディが教えた会話の糸口を暗記した。お名前は? どこにお住まいです? 何をなさってるんです?

(略)

僕がステージ裏につながる階段に近づくと、若い太り過ぎの女の子が頬を輝かせながら、晴れやかに微笑んで僕のほうにやってきた。僕は練習どおり手を差し出して、「やあ、ブライアン・ウイルソンだ」と言った。すると、その女の子は、突然その場で立ちすくんだ。微笑みは消えて、ショックが表情に表れていた。僕は、何かまずいことをしたのだろうか。「お父さん!(略)私がわからないの? カーニーよ!」。カーニーが言い終える前に、僕は自分の失態がわかった。あわてふためいて、汗びっしょりになった。娘だった。そして、僕は気づきさえしなかった!

(略)

「ブライアン」、ランディが沈黙を破って言った、「カーニーとウェンディに父親として感じていることを伝えてほしい」。

(略)

 僕は、16歳のカーニーと14歳のウェンディに目を向けた。彼女たちの泉のように深い大きな瞳は、何か大きなことを期待して僕を見ていた。その瞬間、激情が走った。僕は父のことを考えた。父が、この混乱の根源だった。父が僕を台なしにしたのだ。 僕は、娘たちは父のことを知っているのだろうかと思った。

(略)

僕は、和解したいと思った。だが、何を言えばいいのか、まったくわからなかった。(略)

おそらく彼女たちは、僕に腕を広げて、心を開き、抱きしめてほしいと思っていただろう。僕には、それができなかった。

(略)

「きっと、おまえたち2人はもうわかっていると思うが(略)父さんは、あまりいい父親じゃない。(略)おまえたちを愛しているよ、父さんなりに。そして、おまえたちをサポートする。金銭的にも気持ちの上でも。

(略)

「というのは、僕の父さんが決していい父親ではなかったからだ。だから、いい父親のあるべき姿というものが、今後、僕にわかるかどうかわからないんだ。おまえたちに対しては、僕の父親みたいな父さんにはなりたくないんだ。すまない。いい父親でなくて、すまないと思う。(略)

もし、ありようというものがわかっていたら、いい父親になっていただろう。なりたくてこんな父親になったわけじゃないんだ。だけど、 いい父親にはなれない。言いたいことは、本当にそれだけだ。おまえたちを愛しているよ、そして、それをおまえたちに証明する。そのうち、おまえたちに曲を書こう」、僕は、消耗した。

 娘たちは、2人とも黙って立っていた。ショックを受けて、じっとしていた。

セカンド・アルバム

ランディと僕が、ワーナーの上層部にセカンド・アルバムのミックス前のバージョンを聴かせた時、セイモア・ステインとレニー・ワロンカーの反応は、例の調子だった。音楽を聴く前から、彼らは気乗りしていない様子だった。(略)

「曲は、いいんだ」、ワロンカーが言った。「歌詞が実に不快だ。耐えられんよ」、「だけど、僕は気に入ってるんだ。すばらしいと思っている。僕のありのままの気持ちを語ってるんだ」、「やり直してもらいたいんだ。歌詞を全部やり直す必要があると思うがね。特に、この曲が嫌いだ」。彼は、歌詞シートを引っかき回した、「君たちが言うところの〈ブライアン〉という曲だ。これは、痛ましい」。

(略)

怯えるようになっていた、ずっと僕は

疎外感を味わいながら、誰も気づかってはくれなかった

母も弟も

父から受けた大きな痛手を

音楽が僕の恩寵

すばらしい明日への切符

(略)

「これは、こたえる。聴くに耐えん」、ワロンカーが吐き捨てるように言った。「現実は、もっとひどかった」、僕が答えた。「それにこの〈スマート・ガールズ〉をアルバムに入れようなんてことは考えてもほしくないな」、ワロンカーが続けた。彼が、僕のラップ・ソングを気に入らないだろうとは思っていた。(略)

〈スマート・ガールズ〉は、頭の弱い金髪美人という固定観念を守った昔のビーチ・ボーイズの曲すべての、ユーモラスなパロディとして書いた女性支持のラップ・ソングで、僕にとっては大きな冒険だった。

(略)

僕たちは、ただラップ・ソングの文脈で、ひとつの主張をして、同時に僕の過去を笑い飛ばそうとしただけだった。