ブライアン・ウイルソン自叙伝・その2

前回の続き。 

ブライアン・ウイルソン自叙伝―ビーチボーイズ光と影

ブライアン・ウイルソン自叙伝―ビーチボーイズ光と影

 

ローベル姉妹

ダイアンとマリリンのローベル姉妹(略)

僕は2人とも好きだった。どちらかを選ぶことはできなかった。ダイアンに傾いた次の日にはマリリンのことを考えていた。2~3日して彼女たちが家にきた時、僕はダイアンは本当はデニスが好きで、マリリンの気持ちはカールにあるということがわかった。

(略)

1963年の夏、僕はまだスーパー・スターではなかったが、専門家筋には最も期待される存在になっていた。ビーチ・ボーイズのたった2枚のアルバムが評価され、僕は惜しみない賞賛を受けた。(略)

[一方で]すぐに消えてなくなるだろうと思われていた。僕は息抜きができず、いつもプレッシャーを感じていた。

 15歳のマリリン・ローベルによく心の痛みを打ち明けた。彼女は深い思いやりをもって話を聞いてくれた。(略)

毎日僕がローベル家に行かずにはいられなかった理由(略)

僕は自分の感情を抑えることができず、3人に恋をしていた。まず好きになったのが17歳の長女ダイアンだった。彼女は姉妹の中で一番自分の感情に正直だったし、音楽の趣味も僕と共通していた。末っ子のバーバラは、僕の心の奥の微妙な部分をくすぐったが、まだベイビーで、僕が恋愛感情をもってはいけない相手だった。それでも僕には、人形を抱きしめたいと思うようなやさしいうきうきする感情があった。しかし、結局マリリンになった。僕の無力感を母親のようなやさしさで受け止めてくれたからだ。僕は、母親のようなやさしい心配りが欲しかった。僕はハリウッドの小さなアパートに引っ越したが、相変わらず恐怖と不安を感じる毎日だった。深夜マリリンに電話をかけ、せっぱつまった声でアパートに来て欲しいと訴えた。頼む、お願いだ、頼むよ、と泣き叫び、請い、言いくるめた。君なしではやっていけないんだ、と僕は言った。15歳の彼女は、僕の言葉をすべて信じた。急いで身仕度し、帽子をかぶり、手袋をして、ホンダのスクーターでやってきた。僕は思いやりと理解が欲しかっただけで、セックスに対しては、それほどの執着はなかった。朝まで僕は自分の話をし、マリリンは耳を傾けていた。

フィル・スペクター

 僕は、同じコーラス・グループのフォー・シーズンズの成功が気になっていた。モータウン・レコードも好調だった。そしてフィル・スペクターがいた。

(略)

エゴをくすぐってくれるスタジオねずみもいたが、1人になると無力感におそわれた。(略)

僕は、天に近づいたと思えば思うほど、スペクターに怯えを感じるようになっていた。(略)

彼はヒット曲を作るコツを知っていた。僕は彼の革命的なウォール・オブ・サウンドを畏怖して、彼のシングルはすべて買い、溝がすり切れるまで聴いた。スペクターの非凡な才能に怯え、不安を感じはしたが、同時に僕は、スペクターから影響もされた。そして彼のレコードを聴いた後は、きっと僕もやってみせるぞと思えた。だが、そのためにはまず、スペクターが意のままにできるのと同様のクリエイティブな特権を手に入れなければならなかった。彼は1人でレコード制作のルールを変えた。テクニックに関して言えば、すべての楽器をオーバー・ダビングした。それはサウンドを多彩にし、ふくらみをもたせたが、そうするとプロデューサーの役割が大きくなり、制作過程でのプロデューサーのビジョンが歌唱力よりもはるかに問われるということになるのだった。僕も同じ権限が欲しかった。

〈ビー・マイ・ベイビー〉 

2~3か月ソファーで寝た後、メイが僕に奥の寝室の2台のベッドのひとつを使うよう言ってくれた。マリリンとバーバラがもう1台のベッドで寝ていた。寝室の共有は奇妙な感じだったが、アービングもメイも、僕が一番好きなのはダイアンだと決めてかかっていた。彼女と話しこむことが一番多かったからだろう。心の奥では、かわいくて小さなバーバラに対する気持ちが依然として強くあったが、彼女は幼すぎると絶えず自分に言いきかせていた。そして僕は姉妹の中で一番僕のことを気づかい、嬉々として僕の世話をしてくれるマリリンを選んだ。マリリンには、他の姉妹にはないあたたかさがあった。僕は心を楽にしたくなると彼女を探し求めた。「気にしないで、ベイビー (Don't worry, baby)」、彼女は甘くささやいた。「なにもかもうまくいくんだから」。僕はベッドに寄り添っている2人の女の子を見ると、自制心がなくなって混乱し、とりとめのないことを考えてしまうことが何度となくあった。何を考え、何をすればいいのかが僕にはわからなかった。それでも僕たちの関係はゆっくり進行していった。初めて寝室で2人きりになった時、僕は彼女にもたれ、頬を彼女の頬に寄せた。彼女の頬が紅潮するのを感じた。しばらくして僕とマリリンはキスをしていた。彼女は、僕がそれまで出会った中で一番美しい女の子ではなかったかもしれないが、そういうことはどうでもよかった。マリリンは翼を探し求めているエンジェルだった。その翼は僕なのだ。僕たちは一緒にいる運命なのだ、人より高く飛ぶ運命なのだと自分に言いきかせた。僕にはまだマリリンに対する感情がノーマルな大人の愛なのか、やさしく気づかってほしいという切迫した気持ちなのかわからなかったが、ロマンティックなストーリーを信じるほうが楽だった。ダイアンとバーバラに対する感情を抑えて、僕はわずかな時間もマリリンと過ごすようになり、心の奥にある恐怖感や夢の話を聞かせていた。

 ある午後[ドライヴ中に〈ビー・マイ・ベイビー〉を聴き](略)

僕は「たいへんだ!」と叫んで車を路肩に寄せた。「これはすごいぞ!いままでの最高傑作だ!」。マリリンは僕が何に興奮しているのかわからなかった。歌を聴いている間、僕はすべてを忘れていた。熱心に聴き入り、ただただ驚嘆していた。メロディー・ラインは一定で、しかも3コードが微妙に変化している。僕はハンドルを手で叩きはじめた。とにかく驚異的だった。どうして僕はこういうものをいままで考えつかなかったんだ?

 「何考えてるの?」、曲が終わるとマリリンが尋ねた。「メチャクチャ興奮したんだ。つまり、くそすごい! 僕にはあれはできないよ、あんなすごいことは、絶対できない」。「気にしないで、ベイビー」、彼女は僕の首を撫でて言った、「できるわ。あなただってあれぐらいすごいことできるわよ」。どれくらい勇気づけられたら、僕にもできるという確信に辿りつくことができるのか、僕にはわからなかった。

 だが、それは僕が作曲する前にいつも突破するサイクルの第一段階だった。極端な落ち込み、挑戦を受けなければならないという気持ち、その後その挑戦に打ち勝つことができないかもしれないという恐怖、そして最後にやっと僕を救ってくれるインスピレーションが湧いてくるというのが僕のパターンだった。そして、僕が最高のものと競合できるということを、僕自身も含めたすべての人間に証明したいという願望と完全主義が加わる。

 僕はすぐに〈ビー・マイ・ベイビー〉を10枚買った。そして聴き続けた。すべての音符、サウンドを聴き取り、強烈なビートを吸収した。そしてロジャー・クリスチャンに電話をして、アイデアがあると言った。ある午後、僕の両親の家で僕たちはみずみずしいバラードを合作した。タイトルとコーラスには、マリリンが僕を慰めてくれる時に言う〈ドント・ウォーリー・ベイビー〉をそのまま使った。僕は書き終える前から大成功だと思っていた。

フィル・スペクター

 1963年の秋、僕はフィル・スペクターからゴールド・スターでのあの有名なクリスマス・アルバムのセッションを見にくるよう誘われた。(略)

初めて会ったのはルー・アドラーのオフィスだった。(略)彼は小柄でやせていて、あの無限の広がりを感じさせるウォール・オブ・サウンドから連想していたイメージよりも貧弱だった。びくびくしながら、「あなたは天才だと思います」と僕が言うと、「ありがとう」という返事が返ってきた。僕たちはお互いに相手の目を見なかった。その次に会ったのは[ゴールド・スターのスタジオ](略)

セッションの途中で、スタジオAのドアが突然開いた。僕はびっくりした。最初誰の姿も見えなかったが、頭が少しだけ見えた。黒い髪、サングラス、頬がこけた顔、そして真剣な表情、スペクターだった。「全部聴かせてもらったよ」、彼は含み笑いをしながら言った。そして僕の視界からさっと消え、ドアがバタンとしまった。彼が僕に心理ゲームをしかけていたのなら、彼の勝ちだった。僕は狼狽して、その言葉の意味を考え続けた。

 2~3日して、僕は彼がレコーディングしているスタジオAをそっと覗いた。そこには僕が見たこともないほど大勢のミュージシャンが一堂に会していた。(略)

[彼は]僕を見て急に立ち止まった。「ブライアンか?」(略)

「〈ビー・マイ・ベイビー〉は最高傑作だと思います」、僕は出し抜けに言った。彼はちらっと笑って、何も言わずドアに向かって歩いて行った。そしてまるで考え直したかのように通路で立ち止まり、ふり返って僕を見た。そして「〈ゼン・ヒー・キスト・ミー〉のほうがいいと思うよ」と言って立ち去った。

 そのスペクターが、名高いクリスマス・アルバムのセッションを見にくるよう僕を誘った。この不思議な招待をどう受け止めればいいのかわからなかったが、とにかく行くことにした。(略)

スペクターの両横にシンガーのダーレン・ラブとロニー・スペクターがいた。

(略)

その曲のファースト・テイクは彼も気に入らなかった。そして僕のほうに近づいてきて、わかるだろうというふうに僕を見た。「ブライアン」、彼は組んだ手を顎にあてがって言った、「そこのピアノに行かないか?」、「いいえ、見てるだけでいいんです」。スペクターの表情がこわ張った。彼の言葉に従わない者はいないんだと僕は感じた。ピアノを弾いていたレオン・ラッセルが、コーヒーをひと口飲んでじっと僕を見た。僕は注目されたくなかった。「私が言ったように」、スペクターがくり返した。「ピアノに行って、この曲のコードが読めるかどうか確かめないか?」、僕は従った。だが、楽譜は苦手だった。

 すぐに僕の弱点は暴露されてしまった。4度目のテイクの後、スペクターは僕にやめさせた。まあ、またこの次だと彼は言った。いやな気がするというよりもほっとした。僕は演奏せずに、ただ見ていたかった。だから夜遅くまでスペクターの仕事ぶりを見ていた。そして彼が僕同様、完璧なサウンドに100%こだわっているということに気づいた。その時は気づかず、何年もたってわかったことだが、もうひとつ僕たちには類似点があった。それは、彼の一風変わった個性が、レコードを制作する上では最高の手段となり、だからこそ彼が思いのままに人をあやつることができるという事実だった。彼は世間に追従しなかった。世間が彼になびいてきた。僕のように、スペクターも自分の力に限界を感じた時、音楽界から身を引いたのだ。

 1963年秋になって、ビーチ・ボーイズを支えるために、僕はクリエイティブな崖っぷちにたった1人で立っているような気がしていた。

(略)

僕は最高の栄誉を得るチャンスを思い描いていた。だが、それを得るためには有刺鉄線と地雷が埋まった暗い道をくぐり抜けていかなければならなかった。僕の頭には突き進むことしかなかった。(略)

僕は人と競合するために、自分の精神状態を安定させるために、できる限りのことをした。厳しいことだった。
 僕は恐怖と、渦を巻いた期待と戦った。キャピトルからの要求は絶え間なく続き、息抜きができなかった。夜眠っている時、頭の中に声が聞こえはじめた。理解できない悲鳴のような気がした。大きなぞっとする悲鳴が幽霊屋敷の悪霊みたいに僕の前を通りすぎた。(略)

僕の精神状態を安定させるただひとつの手段は、仕事をすることだった。

(略)

「だけど、気が狂ったらどうしよう?」、僕はマリリンに尋ねた。彼女は笑って僕を寝室に連れていき、仮眠するよう言った。「気なんて狂わないわよ」、彼女が言った。バーバラが入ってきて、マリリンの横からベッド・カバーをかけた。僕は彼女にほほえんだ。彼女はとてもキュートだった。僕は彼女に、頬にキスしてほしいと頼んだ。彼女はキスし、くすくす笑った。これで気分がよくなるよとバーバラには言ったが、彼女のキスで僕の頭はさらに混乱していた。僕はマリリンを愛していた。しかし、バーバラも、ダイアンも愛していた。どれだけ自問しても答は出てこなかった。

(略)

オーストラリアへ初めての海外ツアーに出た。(略)

[ニュージーランドビートルズ旋風を知り]その曲を聴かせてくれるラジオ局を見つけて、駆けつけた。(略)

デニスが言った。「一時的な現象だと思うよ」、アルが曲を聴いた後、付け加えた。「軽い感じだ」、「そうだ、曲はほんとにシンプルだ」、僕が言った。ほんとにシンプルだ。だけど、おもしろい。何かがあるんだ、ビートルズには……。

僕の頭の中には、いつもファイナル・バージョンのサウンドが鳴っていた

 それは、22歳の男の行動ではなかった。僕が考えることには脈絡がなかった。会話の途中で、よくぼんやりした。物の数を数えた。床のタイル、天井のしみや皿の豆の数といった、どうでもいいことの細部が気になった。たいした理由もなく泣いた。そして大笑いをした。人との自然な接しかたがわからなくなっていた。だから、相手がこう期待していると僕なりに感じるままに反応し、つくろおうとした。そして自分自身を安易に正当化した。

(略)

 5月初旬、スペクターがウエスタン・スタジオにいる僕に電話をかけてきた。僕は 〈ドント・ハート・マイ・リトル・シスター〉のデモ・テープを彼に渡していた。その曲は、僕が特にスペクターとダーレン・ラブのために作ったものだった。(略)

その夜、彼を訪ねた。僕を迎えたスペクターはパンツ1枚だけで、シャツは着ていなかった。僕たちの会話は友人同士という雰囲気だったが、どこか不自然な感じもあった。

 僕たちはエゴが強すぎた。(略)スペクターは僕と同様、彼なりに屈折していた。僕の精神状態をおびやかしているプレッシャーを彼に言った場合、どう反応するかは見当がつかなかった。(略)

だから僕はスペクターと、僕が理解し、気楽に話せるおそらくたったひとつのこと、音楽の話をした。(略)

最新シングル、〈アイ・ゲット・アラウンド〉[の感想を聞くと](略)

「口では言えないぐらいいいんじゃないか」、彼が言った。

 「ちょっとピアノを弾かないか?」、スペクターはスイート・ルームの中央にある小型のグランド・ピアノを身振りで示した。僕はピアノの前に座った。スペクターは僕のそばに椅子を引き寄せ、〈ドント・ハート・マイ・リトル・シスター〉を弾くよう指示した。そして彼は数か所の修正を示唆した。僕は言われたとおりに弾き続けた。そして15分後、彼は椅子から立ち上がり、僕の後ろにきて、「それだ。そのリフを弾き続けるんだ。やめるな」と言って歌いはじめた。15分ぐらい彼が歌い、僕は弾きつづけた。「それでいいんだ。その曲のアレンジをしよう。ではスタジオで会おう」。そうしてスペクターはドアをばたんと閉めて寝室に消えた。さよなら、ありがとうという言葉さえなかった。僕はいったい何だったんだろうと思いながら外に出た。

 数日後、僕はセッションの通知を受け、ゴールド・スターに出向いた。スペクターが全テイクにこだわっている半日の間、僕はボーカル・ブースに立っているダーレン・ラブを見ていた。彼に言われて、僕はワン・テイクだけピアノを弾いた。だが、彼は気に入らなかった。どのテイクも彼は気に入らなかった。そして突然、電話をかけるために出ていった。相手はニューヨークの精神科医だった。彼はジェスチャーをまじえて、わめいていた。10分ぐらいして電話を切り、スタジオから出ていった。すぐに彼のアシスタントが、セッションは終わりだと告げた。それで終わりだった!

(略)

 1964年7月初旬、アルバム『オール・サマーロング』がリリースされた。僕はついにビーチ・ボーイズが、スペクターやビートルズに負けないLPを出したと感じた。

次回に続く。