1913 20世紀の夏の季節

 

1913: 20世紀の夏の季節

1913: 20世紀の夏の季節

 

 各章の扉文からして「こりゃ、読むでしょ!」って感じ。

1月扉文

 この月、ヒトラースターリンシェーンブルン宮殿の公園で散歩しているときに出会う。トーマス・マンはカミングアウトしかかっている。フランツ・カフカは恋にとりつかれ、おかしくなりかけている。ジークムント・フロイトの寝椅子に1匹の猫がそっと忍び寄る。とても寒く、雪が足の下でキシッと音を立てる。(略)

飛行機での最初の宙返りが行われる。とはいえ、そんなことは何の役にも立たない。オスヴァルト・シュペングラーはすでに『西洋の没落』の執筆に取りかかっている。 

 1月

[1913年盗んだ拳銃で新年を祝った12歳のルイ・アームストロングは黒人浮浪少年院に送致される。粗暴な振る舞いを持て余した施設長はトランペットを与える。少年は]

トランペットからはじめてのあたたかくワイルドな音を引き出した。

  ***

「ちょうどいま真夜中の砲弾の音。通りや橋の上で喚声が上がる。鐘が鳴り響き、時計の打つ音が聞こえる」プラハの様子を伝えているのは(略)フランツ・カフカである。(略)読者といっても、たった一人しかいない。しかし、彼にとってその人は全世界に等しい。フェリス・バウアーである。二五歳、少しブロンド、多少骨ばっていて、少しのっぽでのろま。(略)

あるときフェリスが何日か手紙をよこさないことがあった。するとカフカは、不安な夢から覚めたとき、絶望に駆られて『変身』を書きはじめた。彼はフェリスにこの物語を話して聞かせた。(略)

遠くにいる愛するフランツが、突然、謎の姿に変貌してしまうということを、彼女はこの大晦日の手紙ではじめて知ることになる。カフカはやぶからぼうにこう尋ねる。ぼくたちがもしフランクフルトで会う約束をして、展覧会を見たあと映画に行こうということになっていたのに、もしぼくが自分のベッドで寝ていたままだとしたら、きみはぼくを傘でひっぱたくかい?こんなふうにカフカは、三回も接続法を使って非現実の想定を重ねながら問いかける。そしてカフカは、一見あたりさわりなく、二人の愛は確かなものだといい、フェリスと彼の手は分かたれることなく結びついていると夢見る。そして、次のように続ける。「そのように結びついているにしても、愛する二人が断頭台へと連れて行かれるということは、まあありうることですけれど。」結婚を申し込む手紙にしては、なんと魅惑的な思考であることか。まだキスさえしていないというのに

(略)

「ぼくはいったいどうしてこんなことを考えつくのでしょうね!」と彼は書いている。それに対する説明は簡単だ。「新しい年のなかに含まれている〈十三〉という数がそうさせているのです。」こういった具合に世界文学のなかで、一九一三年という年がはじまる。暴力的な想像とともに。
(略)

[34歳のスターリンが偽造パスポートでウィーンに到着]

(略)

 一九一三年が不吉な年となるのではないかという不安が、同時代人たちの心の中につきまとっている。(略)

ガブリエーレ・ダヌンツィオは(略)[自作の献辞で]「一九一二+一」と記している。そして、アルノルト・シェーンベルクはこの不吉な数字を前にして息をひそめている。彼が「十二音音楽」を案出したのはいわれのないことではない。

(略)

シェーンベルクの作品には「十三」という数は現れない。拍子にも存在しないし、またページ数でさえほとんどない。モーゼとアーロン(Moses und Aaron)を題材とする彼のオペラにはアルファベットが十三文字あるということに気づいてぎょっとしたシェーンベルクは、Aaronの二つ目のaを取り、それ以来このオペラはMoses und Aronと呼ばれることになった。(略)

シェーンベルクは九月一三日に生まれた。それで彼は、一三日の金曜日に死ぬのではないかという不安につきまとわれていた。しかし心配してもどうしようもないことだ。アルノルト・シェーンベルクは一三日の金曜日に亡くなった(とはいえ、一九一三+三八の一九五一年になってからだ)。だが一九一三年もまた、彼にとってすてきなサプライズを用意している。シェーンベルクは公衆の面前で平手打ちを食わされることになるのだ。だが、順番に話を進めていこう。

  ***
 さてここで、トーマス・マンの登場だ。一月三日の早朝、マンはミュンヘンで列車に乗り込む。(略)

[妻カティ]はまたもや山の中にある療養所へと出発していた。(略)

[そこである大きな小説のアイディアを思いついたが]

彼にとっては無意味なものと思える。あまりにも世の中から隔絶しすぎている、このサナトリウムの物語は。まあいい、あと二、三週間すれば『ヴェニスに死す』がまずは出版されることになるのだから。

(略)

  ***

 午後になるとエルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナーは毎日、新しくできた地下鉄に乗って「ポツダム広場」駅まで出かける。(略)

人物は非常に細長く描かれ、スケッチのスタイルはベルリンの街そのものと同じく性急で攻撃的(略)

腰をすえると、人々を観察してはスケッチし、スケッチしては観察する。冬の日差しはもう夕暮れのきざしを見せている。

(略)

 スターリンは公園を歩きながら考え事をしている。(略)向こうから散歩をしている別の男がやってくる。二三歳の、画家になるのに失敗した男だ。(略)彼は、スターリンと同じように、大きなチャンスを待っている。彼の名はアドルフ・ヒトラーという。

(略)

 麻薬「エクスタシー」がはじめて合成された。一九一三年を通して、特許出願に明け暮れる。しかしその後、この薬は何十年かのあいだ、忘れ去られる。

(略)

ミュンヘンではオスヴァルト・シュペングラーが仕事に励んでいる。三三歳になる人間嫌いの社会的不適合者。彼の記念碑的著作『西洋の没落』の第一巻の中心部分を書いていたときには、退職した数学教師でもあった。没落ということでは、彼自身がそのよい先例となっていたといえるだろう。一九一三年に書かれた自伝の覚書には次のようにある。「私は、自分のような種類の人間の最後の一人だ。」あらゆることが終焉を迎え、彼の内部に、そして彼の身体に、西洋の苦しみが目に見えるものとなって現れるという。誇大妄想の陰画とでもいうべきか。枯れゆく花。シュペングラーの根本にある感情は〈不安〉である。店に足を踏み入れる不安。身内に対する不安。誰かが方言を話しているときに感じる不安。そしていうまでもなく、「女たちに対する不安。女が服を脱ぐとたちどころに不安を感じてしまう。」恐れを知らない豪胆さは、ただ思考のなかにしか存在しない。一九一二年にタイタニック号が沈没したとき、シュペングラーはそこに一つの深い象徴性を見出した。同じとき並行して書いていた覚書のなかで、彼は苦しみ、嘆き、そして重苦しかった子ども時代について、そしてまたそれ以上に重苦しい現在について不平をこぼしている。日ごと新たに彼は書きつける。一つの偉大な時代が終焉を迎えようとしている、誰もそれに気づかないのだろうか、と。

(略)

 ところで、フランツ・カフカだが、彼もまた女が服を脱ぐと大きな不安を抱える人間の一人だった。あるとき彼にまったく別の心配が生まれた。

(略)

[恋人に]次のように尋ねている。「きみはぼくの字を読むことができるかい?」

  ***
 きみは世界を読むことができるかい? パブロ・ピカソジョルジュ・ブラックはそう考え、絵を見る人に自分で解読してもらう新たな暗号を次々と考えだす。彼らはちょうどこのとき、視点の変化を絵で表現できるということを世の中に示したのだ。つまり、それがキュビスムと呼ばれているものだが、この一九一三年一月、彼らはさらに新たな一歩を踏み出す。これは後に総合的キュビスムと呼ばれることになるが、それは絵の上に木質繊維の薄い膜やその他様々な素材を貼付け、キャンバスはまるでアドベンチャー広場のようになるからだ。ブラックは(略)

突然自分の櫛を手に取ると、自分の絵画作品『果物の皿、クラブのエース』をそれで引っ掻いた。すると、それによってできた複数の線は木目のようになった。ピカソはその手法を同じ日にはもう取り入れた。そうして、いつものことなのだが、彼は発明者自身よりうまくやってのけることになる。このように、芸術の革命家たちは、市民に完全に理解されてしまうのではないかというパニックのような不安に駆られて、先を急いで進んでいったのだ。アルトゥール・シュニッツラーが二月八日の日記に次のように記していると知ったとしたら、ピカソはほっと一安心したことだろう。「ピカソ。彼の初期の絵は途方もない。彼が現在やっているキュビスムよりも激しい抵抗運動だ。」

(略)

フロイトはこの一月のあいだ、仕事部屋で『トーテムとタブー』の論文の終わりの部分に取りかかっていた。(略)

ユングが、フロイトに挑発的な論争をもちかけ、激しい批判を行っているまさにそのとき、フロイトは「父親殺し」の理論を展開しているのだ。

(略)

ユングは一月六日にこう返信している。「個人的な関係を終わりにしたいというあなたのご要望に私も従うことにいたします。ちなみに、この瞬間があなたにとって何を意味するかを、身をもって知るのが一番よろしいのではないかと存じます。」ユングはこれをインクで書いている。そしてそのあとに続けて、タイプライターで書き加えている。「あとは沈黙。」

(略)

 マルセル・プルーストはパリのオスマン通り一〇二番地にある彼の仕事部屋で机に向かい、自分のまわりに柵をはりめぐらしている。日光もほこりも物音も彼の仕事のじゃまをしてはならない。(略)

カーテンを三重に掛け、壁にコルク板を張っている。プルースト

(略)

この精神の防音室のなかで机に向かい、失われた時を求めることと記憶についての長編小説に取りかかっている。

(略)

「私がかつて知っていた現実はもはや存在しない。あるイメージの記憶とは、ある瞬間を憂いに満ちて想い起こすことなのだ。家々も、街路も、大通りもつかの間のものにすぎない。ああ、これらの年月とおなじように!」

(略)

ガートルード・スタインは、プルーストから二つ三つ離れた通りで凍えている。彼女は兄レオとひどく仲たがいをし、十年以上にわたる共同生活が破綻の危機に瀕していた。すべてはつかの間のものにすぎないのだろうか。彼女は春を夢見ていた。(略)壁にかかっている何枚ものピカソマティスセザンヌを見る。(略)

「一つのバラは一つのバラは一つのバラ。」(略)彼女もまた、過ぎ去ろうとするものをとどめておこうとしている。

次回に続く。