丸山眞男話文集 4

丸山眞男話文集 4

丸山眞男話文集 4

 

 戦争観の変化と東アジアの近代化(1988.8)

 今度の奥野長官なんて、シベリア出兵のことは何も言わない。盧溝橋のことしか言わないでしょ。

 国の接した地域について非常に敏感になるのは心理的には当然なんですよ。ソ連としては。

(略)

[第一次世界大戦後には]ポーランドとかルーマニアとか、全部西欧側の基地になっちゃった。みんなすごい反共政権です。西欧諸国はコミュニズムファシズムかどっちかと言われたら、ファシズムのほうを選ぶ。(略)ファシズムというのは資本主義の保険なんだ。

(略)

ハワイをとり、フィリピンをとったところまでは明らかにアメリカは帝国主義です。それから先のアメリカは帝国主義じゃない。中国が昔から関係のよかったのはアメリカとソ連なんです。というのは、ソ連は一切の特殊権益、つまり、ツァール時代に持っていた特別の権益を革命で全部放棄したのです。それがあったから孫文は「連ソ容共」(略)中ソ関係は非常によかった。(略)

アメリカは一九世紀の終わりにやっと帝国主義に乗り出した。だからアメリカがフィリピンをとったときに、幸徳秋水が『廿世紀之怪物帝国主義』という有名な本を出して「アメリカでさえも」と言っているんですよ。それぐらい自由民権以来、日本の進歩派というのは全部親米、つまり自由・平等のシンボルだった、アメリカは。

(略)

国連というのはそもそも米ソの提携の上にのっている。冷戦というものを夢にも思ってなかった。悪いのはファシズムだ、と。だからファシスト諸国は国連に入れない。

(略)
国際連盟規約の第一六条ではじめて国際的制裁という観念が登場してくる。あれは警察なんです。警察が国内秩序で犯人を捕まえるのと同じです。(略)

戦争は今までは関係当事国だけの話。ところが国際連盟規約に違反して侵略戦争をやった国は、全国際連盟国家に対して戦争をしたものと見なす、と。どうしてそういう規定ができたかというと、つまり強盗をやった犯人は全市民の敵だという、そういう国内秩序を国際秩序 に適用した。

(略)

二〇世紀になっていかに主権国家をめぐる観念の革命的な変化が行われたのか。奥野長官のまずいのはその変化が全然わからない。つまり一九世紀までの戦争観。そうするとアヘン戦争は何だ。清仏戦争は何だ。みんな中国を侵略しているじゃないか。どうして日本だけが責められるのか、と。

(略)

もっとリアルに言えば日本は損をしている。ただ日本は不戦条約を結び、国際連合にも加入しているから、後から来た帝国主義にもかかわらずその変化を承認しているわけですよ、戦争観の変化を。承認して侵略戦争をやっているからこれはいけない。それがわからないで、奥野長官はじめ大部分の……。

――そういう意識がなかったんですか。

 そういう教育をしていないですよ。僕らは戦前受けてないです。国際社会という観念がどういうふうにしてでてきたか。主権国家はどういうふうに変わってきたか。戦争観がそれによってどのように変わったか。

(略)

極端に言えば、近代法の観念がない、大日本帝国の国民には。

(略)

法というのは平等社会の紛争解決の道具なんです。英米法では、はじめからそうです。法は自由の保障のためにある、というのは英米では常識です。

(略)

儒教というのは武はいけない(略)王は徳でもって治める。だから文官優位ですよね。(略)アヘン戦争で香港を割譲した。中国にとってはこれはたいした国辱じゃないんですね。夷狄なんです。野蛮人なんだから武力が強いのは当たり前、野蛮人に端のほうをやっちゃえ、と。(略)

 日本は正反対で、サムライが天下をとっているでしょ。そうするとアヘン戦争ぐらいの衝撃はない。極端に言えば、アヘン戦争で清国が負けなければ、明治維新はあったかどうか。

(略)

まず第一に福沢諭吉は朝鮮[問題]で転向する。絶対に朝鮮の近代化を支持する。朝鮮の留学生はほとんど三田に来たんです。そしてみんな福沢を学んで「ようし、われわれの国もこれで旧体制を打破して新しい国をつくろう」と。金玉均という人物を福沢はものすごく可愛がって援助する。上海で殺されちゃう。彼とその一派の開明派は無惨に殺されちゃう。そして反動派が勝つ。(略)

そこで福沢の言葉を用いれば「開化を強制しなければいけない」。つまり日本の力で文明開化を強制する。何のために強制するかというと、西洋列強に対抗するために。だから動機はあくまで西洋帝国主義に対する対抗だけれど、内側からそういう力が興ってくるのは間に合わない。(略)

満州と朝鮮はどんどんロシアの勢力下におかれる。(略)

[また中国は属国の朝鮮の]改革を抑えようとする。そうすると朝鮮問題をめぐって清国と日本との軋轢が始まる。もし中国ないし朝鮮の側で進歩派の力がもっと強かったら、福沢の考え方はまるで違った。不幸なことに反動派の力が圧倒的に強かった。そうすると非常に不幸な二者択一をする。
 日本が自由を含む文明開化を強制してヨーロッパの帝国主義を防ぐか、それとも帝国主義の蹂躙に任せるか。(略)

朝鮮がロシアの勢力範囲に入ったら、日本の独立は非常に危うくなる。そこでどうしたって今度は日露戦争になる。(略)[そこでの選択肢として]

伊藤博文が日露協商派、山県有朋日英同盟派で二人が争うわけです。

 「権力の偏重」をめぐって(1988.8)

(略)

 ナチに抵抗した、僕の好きなラートブルフという法哲学者は相対主義者なんです。(略)[新カント派だったが戦後カトリックに]

自然法みたいな、歴史を超越した、ある依拠する規範がないといけないんじゃないか、と。つまりドイツ人がみんなナチにイカレちゃったというのは、やっぱり法実証主義の弱さです。

(略)

 だから戦後、自然法というのは復活するんです、西ドイツで。 (略)

官憲国家に対する抵抗権はどこから生ずるか。自然法を認めないと、実定法だけだと、国家の実定法に対してどうして個人が抵抗できるのか。自分の理性の中にある自然法というものを確信しないと抵抗できないんじゃないか、というのが、ナチの反省から出てきたのですね。

(略)

近代国家では自然法がなくなるわけ。貴族の抵抗権は否定されるわけ。

(略)
一つの統一された秩序というのは中世にはないわけです。要するに諸身分の合体にすぎない。だから一つの身分が他の身分に対して抵抗権を持つのは当たり前です。近代国家はそれじゃだめなんだ、一つの秩序だからね。
一つの主権があってすべての国民が平等であるというのが近代国家なんです。したがって貴族の抵抗権は否定される、どうしても。

(略)

だから有名なカール・シュミットの『ホッブス研究』には、ダジャレを使っているんですね。「近代国家ではシュタンデス・レヒトもなければヴィダーシュタンデス・レヒトもない」と。シュタンデス・レヒトは身分権、ヴィダーシュタンデス・レヒトは抵抗権ですね。(略)

身分権のないところには抵抗権もないんですよ。日本みたいに、国家からの自立的な身分というものの伝統が弱いところでは、やっぱり抵抗権は弱いですよ。だから早く近代国家はできる。できるけれども……。

(略)
藩がすでに国家だったでしょ。だから要するに、それを[廃藩置県で]ネーションワイドに拡大すればいいわけなんですね。そこがちょっと朝鮮、中国と違うところです。(略)

ということはしかし、身分権が弱かった、逆に言うと。(略)

中国で言うと、たとえば宗族とかは一種の身分権なんです。宗族とか村落共同体というのが日本よりはるかに強い。つまり国家から独立した一つの社会なんだな。それで、それが抵抗権の基礎になるわけです。それをモデルにして色川〔大吉〕君なんかが百姓一揆などを美化するのだけれども、僕に言わせれば、日本の村落共同体というのは名主によって抑えられているんですよ、だいたい。だから百姓一揆はあったけれども、身分的抵抗権というのは非常に弱い。

(略)

中国の伝統的な帝国というのは徴税国家なんだな(略)上のほうに国家の壮大なる官僚機構というのがあって、下にそれと、極端に言えば――無関係に、村落共同体というのがあって(略)

だから村落共同体の農民暴動に対してはまったく無力ですよ。ぱーっと農民暴動が拡がっちゃって、そして王朝が倒れちゃう(略)だけど農民暴動だから、切れているから上の機構を変える力がないわけです。するとまた新しい王朝ができちゃう。だけど古い王朝が倒れるときは必ず農民暴動で倒れる。その農民暴動は日本みたいに村に限られるなんていうことはないんですよ。わーっと拡がっちゃうんだ、中国の農民暴動というのは。

(略)

 日本は国が小さいせいもあって、[官僚性が]末端まで届いちゃうわけ。(略)行政村的なんです。だから、名主、庄屋というのはちょっと板挟みになるんです、百姓一揆が起こると。末端の村役人の機構であると同時に、しかし、村民の代表という意味も持っているわけ。(略)

山県〔有朋〕の地方自治制というヤツで徹底的に行政村が末端まで浸透する。

(略)

――福沢はそのあらゆるところの「権力の偏重」を全部否定する態度を持っているんですか、それとも……。

 持っているんです。そうじゃないと、非政治的な社会の領域で権力の偏重があると争わない。だって強者と弱者になっちゃう。同じくらいだから争うんです。権力の偏重というのは天秤がこう傾いている伏態なんです。どうしても弱いほうが強いほうと争っても負けちゃうんです。

(略)

[権力の偏重があると]社会の領域でも争いがなくなっちゃう。すると停滞する。「多事争論」になるためには権力の偏重が社会にあってもいけない。(略)

権力は多元的でなきゃいけない、同時にその権力は偏重してちゃいけない――二つあるわけです。

(略)

議論を許さなくなっちゃうんです、あまり違っちゃうと。「無礼なこと言うな」ってことになってしまう。そうすると多事争論ができなくなる。社会に多事争論がなくなると停滞してしまいます。

(略)

今のポスト・モダンなんかの危ないのは、みんなデカルト批判なんですよね。つまり、主観と客観とを分離したのはケシカランというのが今の日本の流行。今、西欧と日本で流行っている構造主義がそうなんで、二元論がまちがっている、と。(略)

レヴィ=ストロースが僕に手紙を寄こしました。「お前の言っている公私の分離というのが、そもそも近代の病である」と。彼は原始社会を研究してそこに救いを求めた。そう言うレヴィ=ストロースは分かる。つまり、ヨーロッパの自己批判なんです。そのヨーロッパの自己批判を輸入してきて、全然文化的伝統の違う日本に持ってきてかつぐのがおかしい。

「手段の近代化」

ベンジャミン・シュウォルツ(略)が、近代化というのは目的では定義できない。たとえば個人の独立とか個人の自立とか民主主義の達成とかいうような目的では定義できない、手段だけで定義する。どんな非合理的な目的も近代的手段をもって達成できると言って、ナチを例に挙げているわけです。(略)ユダヤ人の絶滅という驚くべき非合理的な目的を達成するために手段を徹底的に合理化したというのです。

ヴェーバーが言う目的合理性(略)と同じなんです。(略)目的が何であるとを問わず、ある目的のために最も適合的な手段は何かというのが目的合理性の問題なんです。したがってナチは最も目的合理的に行動した。非合理的な目的を追求するために手段を合理化した。そのかぎりでやはりナチドイツは近代化した。これは「手段の近代化」です。
 戦時中の日本でもそういうことが言えるわけです。日本の「総力戦」というものもいろいろな意味で、否応なく日本を近代化した面があるんですね。これは軍備の機械化だけではなくて、たとえば戦争中、寄生地主制というものが根本的に打破された。なぜかというと、戦争で労働力が非常に不足しましたから。そうすると寄生地主制ではどうにもならない。占領軍の命令によらないで、農地改革というのがすでに日本で進行していた、変革の珍しい例の一つです。だから農林省の関係者はあの治安維持法の適用を受けですいぶん検挙されましたよ。社会党の和田博雄氏やなんか、みんな農林省の官僚だったわけです。「企画院事件」[統制経済をめざす企画院の経済新体制確立要綱をきらった財界・観念右翼などが「赤化」事件として攻撃した]と言いましてね、治安維持法でみな社会主義だと言われて引っ張られた。

(略)
日本では「近代」という言葉が価値を含んでいた。大杉栄の『近代思想』というのを例に挙げてもいい。価値を含んでいたからこそ、戦争中の日本の生き方を肯定する人たちが「近代の超克」と言う。われわれは今、近代を超えなければいけない立場に立っている、近代を超えることは日本の「世界史的立場」である、ということを言った。これは大東亜共栄圏の主張になっちゃうんです。(略)近代というのはヨーロッパが作り出した悪しきものであった、これを超えるのが日本の使命なんだと言って、大東亜戦争を合理化しようとした。
 だからプラスの意味でもマイナスの意味でも「近代」という言葉は日本語の用語としては価値を含んでいると思うんですね。