「大人計画」ができるまで・その2

前回の続き。

「大人計画」ができるまで

「大人計画」ができるまで

 

自主公演

たしかに自主公演より本公演のほうが儲かるんだけど、そうやって色々やってたのは、結局、本公演はそうそう打ち続けられないってのもあるんですよ。1本の戯曲を書いて、それなりの成果を期待されるわけ。で、それなりのキャパの劇場も押さえるから失敗はできない、となると連発はできないんだ。でも、単独やユニットのライブだと(略)失敗も味のうちみたいな雰囲気があったんだよね。

(略)

 自主公演の最大の収穫は、やっぱり宮藤だろうね。実践を重ねてウケるっていう方法論をつかんだし、なにより、ハンパない量のコントを作れるようになったから。

(略)

当時はよく一緒に映画を観たりとか、飲みながらお笑いの話とかしてたんだよな。それぞれに、お笑いのライブとか行って、「○○って芸人が面白いよ」みたいな情報交換したり。

(略)

象さんのポット」とか「へらちょんぺ」とか「元気いいぞう」とか

(略)

[WAHAHA]の若手集団に「オホホ商会」っていうのがあって、彼らと宮藤たちは、もはや同期みたいなもんだったから、お互い意識しあってる感じだったね。

(略)

[青山の「246CLUB」]

20代後半のオレと温水もそこでコントをやって、鍛えられた。オレら以外だと[「平成モンド兄弟」、「ビシバシステム」、梅垣義明](略)

ハコの大きさは……300~400人は入ってたから、そこそこのサイズで、客層もとにかくお洒落な匂いがしたね。
 でもほんと、当時はコントばっかりやってたから、「このままお笑いでやっていくのかな」って頭の隅で思ってたなあ。ただ、オレがTVでのお笑いに進まなかった一番大きな理由は、フリートークができないことなんだよ。お笑いってそこに壁があるんだよね。(略)

今も「かもめんたる」とか見てると、がんばれーって気分になる。昔の自分を見るような、コントは面白いのに、立ちまわれてないなーっていう感じが、オレ的にはぐっとくる。

 とにかく自主公演はロールプレイングゲームですよ。少しずつレベルを上げていく感じとかね。

阿部サダヲ

 阿部はまぁ、勘でできちゃうタイプなんです。(略)

無駄に質問してこない感じがいいんだよね。(略)

社会に染まれなかった経験で萎縮しちゃった部分が、舞台に出ると逆にハジけたのかもしれない。最初は全然しゃべらなかったし、いつ辞めてもおかしくないぐらいのダメな感じだったよ。遅刻も含めて、ダメ人間のオーラを全身から醸し出してた。(略)

コミュニケーションが取れない。一緒に飲みに行ったりもしたんだけど、やっぱしゃべらないし。多分、オレのことをすごい怖がっていたんだと思う。ちょうどオレの演出も怖い頃だったし、舞台でやっている役も怖い人の役が多かったからね。

(略)

 あと阿部は、身体能力がずば抜けてすごいんです。普通に1メートルぐらいの高さのところから、「頭から舞台の床に飛び込んで」って言ったら、「はい」ってやるし。(略)そのまま舞台の上を泳いで去ったりね。

(略)

 いずれにしても「何もない」んですよ、あいつには。奥底には何かはあるんだろうけど、それを出すような人じゃないから。言ってみれば、ザ・俳優ですよ。藤山寛美さんとか、ああいう昔の喜劇人ですよ。

海に飛び込むって芝居で、絶対に痛いはずなんだけど、なんか上手いことやってた。

リーダーの悲哀

 宮藤たちが入ってきた頃は、だいぶ楽しくてやってたけど、この頃はもう違ったね。なんていうか、自分の中にないリーダー感を無理やり引き出して、ムチをふるう感じ。まあ、そういうのはやっぱり向いてないし、怒るのって疲れるし、面倒臭い感じはあったよね。だから、その無理やり感ゆえに、みんなとギクシャクしちゃったり、新しく入ってきた役者たちと仲良くなれないっていう時代。いや、もちろんオレだって仲良くしたかったんだよ。いくらオレがSキャラだとしても、自分も中に入って演じなきゃいけないから、やりにくくしたくないじゃない。ま、いまだに、オレがボケてもツッコんでくれるのは宮藤ぐらいしかいないし、寂しいっちゃ寂しいよね。ま、みんなボケたい人たちだから仕方ないんだろうけど。

上京以前 

[足立区を語るビートたけしのような故郷話が展開。憧れの職業は個人タクシー、中学の友達は覚醒剤を運ばされてた]

 街は、とにかく淀んでたし、どっか暴力的で危険なムードがあったね。だからATG映画の『祭りの準備』とか『さらば愛しき大地』とか、ああいうザラついた雰囲気はすごくよく分かる。殺人事件とか自殺とかも、なんとなく身近だったしね。

(略)

 小学校低学年くらいまで、ほんっとに人見知りで、見かねた姉ちゃんが「このコと遊んでやって」って、近所の子どもの前に引きずりだしてくれてたくらい。ほんと姉ちゃんには頼り切ってたし、あの経験があったからか、いまだに「女の人っていうのは自分を守ってくれるもんだ」って思いこんでる節がある。

(略)

とにかく、学校のときはオレの描くマンガにみんなが感心してたから、いじめられずに済んでたっていうのはあったね。

(略)

 中1の頃は、女子に「可愛い、可愛い」って言われてたんだよ、実は。まだちょっと小学校のときの栄光を引きずっていて自信もあったし、とにかく可愛かったらしいよ。松尾少年、「きょとん」としてたから、女子に「かわいいー」とかって言われてたもん、マジで。

(略)

 暗黒の中学時代を決定づけたのは中3のときの病気。血尿が止まらなくなって病院行ったら「腎臓が悪いからとにかく運動をするな!」って宣告されてさ。

(略)

もちろん高校時代も病気は引きずってて、「体育もできない終わってるヤツ」だったから、完全に自分のカプセルの中に閉じこもってた。(略)

「オカマと思われてやれ」って、1年間くらい女言葉を喋ったりしてたし

(略)

精神的にはギリギリな状態ですね(略)

その頃に夢中でやってたラジオへの投稿が、結果的に、すごい修行になった気がする。(略)

自慢じゃないけど、すごい読まれてたよ、オレの文章。 

祭りの準備

祭りの準備

 

 

『マシーン日記』

片桐さんと有薗芳記さんを主人公に何かを書くっていうんだから、断る理由がなかったわけですよ。(略)

同世代の人間と一緒にやれるのは、本当にラクというか楽しかったんだよ。(略)

一瞬、ハマったんだ。で、そのハマったところから脱出するきっかけになったのが、夜中に暴漢に襲われたことなんだから、怖かったけど面白い。(略)夜道でタバコ買ってたら急に「おまえか!」って怒鳴りながら追いかけられたのよ。で、逃げて帰ってきたときの動悸とか恐怖感とか不条理な想いとか、そういうのがパーッと台本に反映されていって、ハマってる状態からまた前に進み出したんだ。(略)
 あと、ああやって外部に書いたモノって、何回も再演できたことからもわかるように、汎用性があるんだよね。

(略)

 はいりさんとは、とにかく俳優としての生理が合うんだよね。彼女は、自分の役者としての位置付けを、いちいち「女優」とか「俳優」とかって「枠」にハメない感じがいいんだ。(略)

とにかく「ワケわかんなくてもやるんだ」っていうところに、なんていうか「潔さ」がある。(略)

とにかく信頼できる人。演出家に対しても、すごく委ねてくれるし、無茶ブリも面白がってくれる。ほんと度量がすごいの。

中村勘三郎 

 『業音』といえば、あの頃、中村勘三郎さんがよく観に来てくれてたんだよね。で、楽屋なんかで、ただひたすら「面白いねえ」っていうことを言い続けてくれてた。それからオレも勘三郎さんの舞台とかを観に行って、「生の歌舞伎って半端ねえな」って感動したり。そんな経験をしてから、オレも意識して芝居の中に歌舞伎的な外連を入れるようになっていったの。昔は無意識のうちに入れてたんだけど、「日本人の演劇のルーツは歌舞伎にある」って実感がしてからは、さらにね。歌舞伎ってさ、リアリズムを追求した動きもあるんだけど、突然シュールな動きをするでしょ。あと、声の出し方の独特な様式。そういう歌舞伎の中にあるテクニックというかルールの意味をすごく考えてて、わかったのは、大きな声を出して客を振り向かせるタイミングとかが、映像のカット割りやアップの効果になるっていう表現なり仕掛けを演技でやってる、ってことだったんだよね。例えば、完全なリアリズムでやると、ある程度の長さが必要なことでも、ポーンってシュールな演技に切り替えることで感情の切り替わりの時間を短縮することもできる。つまり、編集作業を役者の肉体でやるっていう面白さなんだよね。
そうやっていろんな事を考えて、試行錯誤を経て、勘三郎さんと一緒にやったらどうだろうっていうアイデアが沸々と湧きあがってきたんだ。そう、『ニンゲン御破産』ね。

(略)

 まぁ、例によって賛否両論あったよ。舞台の世界ではまだ評価が高かったけど、歌舞伎の世界では、まぁ伝え聞いたことだけど、「勘三郎さんが浮いてた」っていうようなネガティブな評価が多かったみたい。オレ自身の感想としては、とにかく面白かったですけどね。ただ、勘三郎さんの身体の中にある「文体」までは見抜けなかったという後悔みたいなものはあったかも。なんていうか、舞台の居かたというか、まあ生理的な感覚だからなあ……。緊張は、それはありましたよ。やっぱり大物ですから。向こうはもちろん、ああいう性格だから「なんでもやるから、どんどん提案してくれ」って言ってたし、口だけでなく本当にすごく貪欲な人なんで、「もっと言うことないの?」みたいな感じだったね。とにかくパワーが半端なくて……。

(略)

あの頃、勘三郎さんに聞いた歌舞伎の話とかが、その後のオレの糧になってるんだよね。今は感謝しかない、ほんと。例えば、「歌舞伎には演出家がいないけど、どんな感じでやってるんですか?」って聞いたら、「答えられない」って真面目に言うわけよ。「答えたくない」じゃないよ。ただただ、「なんかそうなっちゃう」ってこと。それは当たり前というか、伝統の中でやってるから、そうとしか答えられないんだよね。だからルールではなく、感覚だけが伝統として脈々と伝えられてる。

大竹しのぶ

 大竹さんはね、最初のほうの打合せで、「これはこういうお話で……」って説明すると、すでにその登場人物の目になって聞いてるんですよ。説明を聞いていくうちに、どんどんその役の顔になっていくから、マジでゾクゾクしますよ。あの人のそういうところは、言葉では説明できないよね。なんていうか才能としか言えない。1つ感じるのは、演出家によって変わる人だなっていうことかな。例えば、野田さんが書いた大竹さんの1人芝居を観たときに、もう野田さんみたいなの。もちろん野田さんがやれって言ってるわけじゃないんだけど、気づけば野田さんの演技になってる。なんか、演出家の身体性が乗り移るんだよね。

(略)

もう、天性のものだと思うよ。本人も野田さんに似せようと思ってるわけではないし、事前に役のこととか演出家のこととか猛勉強してる様子もないし。あと特徴的なのは、とにかく早くセリフを入れて台本を手離したいっていうタイプの人。立ち稽古なんかでも、台本をもってウロウロするのが嫌だって言ってたし。だから、彼女が出る舞台では、ほかのキャストが慌てるんですよ。「大竹さん、もうセリフ入れてるよ、ヤバイ」って。

ふせえり

[三木聡ドラマの待ち時間に]「昔はいろんなこと一緒にやったねえ」って話をしてたんだよね。ふせさんとは大人計画の初期の頃、劇団員より長い時間を一緒に過ごしてたんだ。(略)

[週一のラジオ収録、『ギグギャグゲリラ』]にも出て、温水とふせさんがコントやったりもした。(略)

ふせさんとそうやって話してても、「じゃあ、次こんなのやりたいね」みたいなことにはならないのが、また面白いんだよね。やっぱり、あくまでオレとふせさんっていうのは、宮沢さんの元の2人だっていうのが大きくてさ。

(略)

ものすごく久しぶりに会ったけど関係が変わらないってのが、いいんです。

(略)

[大人計画とは]客演も一度もないし。理由?だって宮沢さんを訪ねて出してもらった芝居で、ふせさんは主役はってた人だから。なんか見透かされちゃうような気がして、怖いんだよね。だから逆に、監督が別にいて、お互いがイチ役者同士っていう並列の関係がいいんだ。こんな白髪の爺ちゃんになって、現場で「松尾くん!」ってなかなか呼ばれないですよ。三木さんはオレを「松尾さん!」って呼んでんのに(笑)。

大人計画フェスティバル」

『まとまったお金の唄』の仕込みとも並行しながらの作業だったから、もう、物理的な時間がなさすぎたね。とにかく滅茶苦茶忙しくて、オレも長坂も気が狂う寸前だったわ。(略)

やろうとしていることの規模と、会場自体のバランスがちょっと悪かった気もするんだけどね。場所は味もあって良かったんだけど、教室が細かく区切られてる分、どうしても使い勝手という意味では、ねえ……。またやりたい、とは……思わ……ないかなあ。なんつーか、演者の疲弊が尋常でなかったんで。

(略)

一人一人が小さな出し物に対して責任を取ったわけだから、やった意味は大きかったと思う。(略)

オレ自身は、あれをやってるとき、一気に10歳ぐらい老けたと思う。その頃、家庭もうまくいってなくて、あーあ……。

(略)

 そんなこんなで心身ともにパンクして、『ドブの輝き』で降板しちゃった。(略)本当にきつかった。(略)それが大きな話になったのも、辛かったなあ……。(略)

一番キツかったのが、少し時期が戻るけど、宮藤とやった『ウーマンリブ』のときじゃないかな。主役を頂いてたので、現場ではゲラゲラ笑うようなことを作ってるのに、家帰ると一人ぼっちみたいな状況でさ。あのときは本当に毎日、死にたいくらい辛かった。あの頃、『世界ウルルン滞在記』のナレーション仕事をやってたんだけど、あれの収入がメインだったっていうくらい、本当にほとんど何も仕事はしなかった。あの頃の状況を言葉にすると……混沌?いまだに当時の時系列は、記憶の中でふわふわしてるし。

(略)

覚えているのは、『セックス・アンド・ザ・シティ』を全話観たことくらい。そう、まったく興味もないのにアレね。まあ、考えることを放棄してたから……。