前回の続き。
金原弘光
「Uインターって、本当に強くなるために凄い練習をしていたからさ、俺は新人時代からUインターのプロレスラーであることが誇りだったんだけど、UWFって“真剣勝負だ”ってことを打ち出していたでしょ?そこが心苦しい部分でもあったんだよ。
(略)
UWF第1世代の人たちっていぅのは、自分がトップの地位になったときに、『真剣勝負になったらどうなるんだ』っていう怖さがあったんじゃないかなあ。負けたらすべて失うんじゃないか、とかね。(略)
[メインの人のようなリスクがないから]せめて俺ら若手だけでも、やらせてほしかったんだよ」
とはいえ、金原がデビューしたUインターでは、シュートはご法度だったという。
「現場を仕切っていた宮戸さんが、絶対に許さなかったんだよね。『お前らがそれをやって、お客を満足させられるのかよ!』ってね。だから、俺らも納得してプロレスの範囲内で、いい試合をしようと心がけてたんだけどさ。先輩なんかを見ると、高田さんはリングで毎回お客さんを満足させる試合をして、道場でも誰よりも練習してる人だったからみんな尊敬していたけど、なかにはあんまり練習もせずに、試合だけ出るような先輩もいて[ガチなら勝てるのにとイライラ]
(略)
「パンクラスが出てきたとき、俺ら若い選手の間で、凄い話題になったんだよ。全試合シュートでやりだして、リング上では先輩後輩の上下関係もなくなって、すべて実力の世界になったわけじゃない。正直、うらやましかったよね。Uインターはまだ、先輩後輩の“格”がしっかりできていたからさ。
それで『よし、俺たちもパンクラスみたいにしていこう』っていう話を若い選手の間ではしてたんだけど、そしたら宮戸さんが『格闘技通信』を持ってきて、『これ見てみろよ、こんなヤツらに評価されてる団体だぜ。こんなの気にするんじゃねえよ』って言って、俺らの気持ちを抑えようとしたんだよね」
“こんなヤツら”とは、平直行らをはじめとした、当時U系以外で総合格闘技を志し、闘いの場を模索していた、いわゆる“さまよえる格闘家”たちのこと。まだ総合格闘技が確立していない時代、彼らはまだ“セミプロ”のような状態だった。
「宮戸さんは、『プロとして飯も食えてないような連中に評価されるようになりたいのか?』って言うわけよ。『お前ら、プロなんだろ?プロとして飯を食わなきゃいけねえんだろ。客が理解できないようなことやってもしょうがねえんだよ。プロだったら、蹴られて痛かったら、痛い顔してその痛みを観客に伝えるんだよ!』ってね。(略)[そこで真剣勝負を求めタイへ]
ムエタイとはいえ、真剣勝負の試合をやったことで、自分のなかで凄い変化が起こったんだよ。(略)
[それまでは]UWFの試合でも緊張してたんだけど、真剣勝負を知ったあとは、凄く落ち着いてできるようになったんだよね。
だから、実際にやるのとやらないのとでは、全然違う。よく、やってもいないプロレスラーが、真剣勝負や、総合格闘技の試合をああだこうだ言ったりするけどさ、やっぱりやらなきゃわからないよ。
(略)
「Uインターって、通常の試合はプロレスなんだけど、他流試合になると、シュートをやってたんだよね。だから、高田さんのバービック戦をはじめとして、異種格闘技戦はシュートが多かったんだよ。
(略)
[1億円]トーナメントが発表されたとき、宮戸さんか安生さんに、『これって、他団体が参戦してきたら、どうやって闘うんですか?』って聞いたら、『全部シュートでやる』って言ってたんだよ。(略)
パンクラスかリングスが出てきた場合は全部、安生さんがシュートで受ける手はずだったらしい。それぐらい、安生さんには絶対的な信頼度があったんだよ。
安生さんの強さは、俺たちみんな道場でスパーリングをして知ってたしさ。パンクラスが旗揚げして、船木さんや鈴木さんが『強い』って騒がれたときも、宮戸さんが『新生UWFの頃から、安生さんのほうがずっと強かったんだぞ』って、俺らによく言ってたもんね。『ウチには、その安生さんより強い高田さんもいるんだから、ウチがいちばん強いんだよ』って。それは、宮戸さん以外でも、新生UWFを知ってる人なら誰に聞いてもそう言うから[そう信じていた](略)
[グレイシーへの道場破り]
UWFルールの真剣勝負でやっていたら、また違ったとは思うんだけど
(略)
いまになって、改めてヒクソンの凄さっていうのを感じるよ。(略)
[自分の有利なルールを主張するのは、自分の弱点もわかってるからだし]
その場で対戦要求を受けるヒクソンも凄いよ。(略)
Uインターに道場破りが来て、いきなり高田さんが受けて立つなんてありえないでしょ?まずは、俺ら若手が受けて立つわけじゃん。
(略)
俺らを縛っていた宮戸さんが現場から離れたこともあって、若手の試合からどんどんシュートになっていく流れになるかと思ったんだけど、その前にUインター自体の経営が傾いちゃって、新日本との対抗戦が始まることで、その流れは途切れてしまったんだよね」
(略)
[しかし対抗戦の最中、道場でのエンセン井上との交流で、若手の技術が一気に向上]
ガードポジションという概念を知ってさ、柔術の技術を学んでいった。(略)
それでエンセンはエンセンで、修斗の道場をはじめ、いろんなところで練習するなかで、『Uインターがいちばん強いよ』って言ってたから。
(略)
[キングダムとして再出発。オープンフィンガー、パウンド解禁で]
よりバーリ・トゥードに近いものとなった。
「だからキングダムの頃、UWF3派のなかで、俺らがいちばん進んでたと思うんだよ。(略)安達さんがコーチになってレスリングの技術も向上して、試合もバーリ・トゥードに近いルールで(略)シュートの試合もかなり増えたからね
(略)
[リングスへ。日本人同士でのシュートもあるせいか、手の内を見せないよう個人練習が主体で、全体の底上げがなく細かいテクニックを知らない感じ](略)
前田さんに『シュートでやらせてください』って言うと、『おう、やれや』みたいな感じ言われることが多くて、その辺は選手の気持ちがわかってて、いいなと思ったね。
でも、シュートをやる人と、ワークをやる人が混在するっていうのは、どう考えても不公平だからさ。もうそこまできたら、すべてシュートにするしかなかったんだよね」
鈴木健、木下雄一
鈴木健 [高田の給与は名目、月250万、実際は80万]
高田さんは文句も言わず「会社のためなら大丈夫だよ」と言ってくれて。(略)[結局、高田への未払いが4千万を超えたが会社のための我慢してくれた]
(略)
[田村にはリングスから月200万で引き抜きが来ていた]
以前に俺に、「鈴木さん、ギャラ100万円ください。そしたら僕はどこにも行きませんから」と言ってて。
(略)
[田村移籍の]1週間くらい前、高田さんは前田さんと六本木で飲んでたのよ。そのときに前田さんから、「なあ高田、もう選手の引き抜きとか、そういうことはやめような」って言われてたらしいの。それがあっての田村移籍だもの、高田さんの怒りも尋常じゃなかったんだよね。
安生洋二、高阪剛
高阪 (略)[金原入団後、桜庭も道場に来るようになって]
二人の口からはいつも「TK、安生さんと一緒に練習したほうがいいよ」って言われてたんですよ。(略)
「押さえ込みが異常に強いから」って。当時、デカい外国人と試合することがあったんで、強い押さえ込みに対する練習が必要だったんですね。そしたらサクが安生さんのこと、「あんなに押さえ込みが強い人、いままで見たことない」って言ってたんですよ。
(略)
安生 [グレイシー道場破りは]流れだよ(笑)。俺は競技者じゃなくて、会社人間だから。競技者だったら、あんなことしないでしょ?ちゃんと競技としてしか試合はしない。でも俺は会社人間だからさ、ヒクソン側との交渉の過程でそういう流れになってしまって
(略)
高阪 試合後、モーリス・スミスがバックステージで足をひきずりなが自分のところに来たんですよ。てっきり俺をボコボコにするために乗り込んできたのかと思ったら、「一緒に練習やらないか?」って言われて。そっからの繋がりで、自分がアメリカに拠点を移して、フランク・シャムロックも加わって、UFCに行くっていう形になったんです。
(略)
安生 俺が前田さんに一発いれたとき、なんでリングス勢はいなかったんだろう?(略)
[実は、高阪が病院送りになってそっちに付き添っていた]
「なんで、あんなところで一人でいるのかな?」って思ってたんだよ。
(略)
病院に行ったあとの空白の何分間かだったんだな。俺も不思議だったんだ。絶対に止められると思ってたのに、簡単に近づけちゃったから。(略)誰も止めないから。じゃあ、とりあえず……となっちゃったんだよな。
(略)
[格の違いがあるから既成事実を作ろうとした]
殴りかかって、そのまま乱闘になったら、「文句があるなら、オクタゴンでケリをつけようじゃありませんか」って言うつもりだったんだよ。
(略)
高阪 いまは安生さんとこうして話せる関係ですけど、自分がもしその場にいたら、安生さんを殴りに行ってたと思います。
(略)
それで殴り合いになって、結局、自分と安生さんが試合していたかもしれない。
石井和義
[新生UWFは]オシャレな新しい感覚を持ってやってるな、というのは感じました。でもまぁプロレスだな、と。異種格闘技みたいな売り方だったので、どんなもんかと思いましたけど(略)
真剣勝負っぽく見せた、新しいプロレスをやってるんだなと。あの頃の正道会館は他流試合やほかの流派のトーナメントに出て、真剣勝負をやってましたから、それとは違うものだとは思いました。
(略)
ニールセンに勝ったときより、ウィリーとやったときのほうが佐竹の知名度が上がったような気がしますね。(略)
[新日からも声がかかったが]最終的にはやっぱり前田さんがいいってことで
(略)
[石井は佐竹の就職先を世話してあったが、佐竹ら選手側がリングス参戦を提案。トーナメントの中での対長井戦]
佐竹だけが真剣勝負って言われたんですよ。(略)
[佐竹も怪我をしていたので、受けられないというと、谷川貞治が「正道会館が逃げたと言われる」と痛いところをついてきた]
それであいつは肋骨にヒビ入ったまま(略)長井とやって、佐竹はちゃんと掌底で倒したのに、リングスのセコンドから『グーで入れた!』って抗議されたんです。ほかのヤツらが全部フェイクなのに、僕らだけ真剣勝負でやらされて、それで勝ったら今度は『グーだ!』ってイチャモンつけられて、それでふざけんな!って怒ったんですよ
(略)
[最初のKー1は10分でソールドアウト、それでもフジはフグがカカト落としを決めるCMをバンバン流し、チケットはどんどんプレミア化]
フジのそういう話題のつくり方、盛り上げ方は勉強になりましたね。
(略)
リングスと正道会館が提携してる頃、前田さんと車の中で会話したことを僕はいまだに覚えてますよ。僕はそこで『真剣勝負やったらどう?』って言ったんです。リアルファイトのほうが絶対面白いし、もうそういう時期がきてるよって。そしたら『田中(正悟)先生にも相談しなくちゃけないですし、自分一人では決められませんから』みたいな感じでね。あのときにリングスがリアルファイトに踏み込んでたら、たぶん前田さんの一人勝ちだったと思いますよ。選手は揃ってたし、中継もあるし、なんぼでもできるやんって。僕は立ち技の最高峰やるから、総合は前田さんがやったらええやんかって思ったんですけどね」
ターザン山本、谷川貞治
[『週プロ』との関係作りのため田中正悟はリングス解説をターザンに依頼し、お車代3万円]
山本 田中社長は『週プロ』との闘いになったとき、勝てると思って金をつぎ込んでくるわけじゃない。それでも『週プロ』は黙らないから、最後にはベースボール・マガジン社ごと買収にかかってきたんだよね。(略)
それも難しいってなったら、最後はターザン山本を一本釣りしろと。ターザン山本に5000万円くらいやって引き抜けば『週プロ』を潰せると。でも、当時の俺は意地張って受けなかったんだよ。いま思うと墓穴を掘ったよな。でも最終的にSWSが潰れて、藤原組も終わらせなきゃならないっていう状況になったときに、田中社長に呼ばれて「藤原組長に5000万円の手切れ金で引いてくれと伝えてほしい」って頼まれたわけですよ。(略)
パンクラスになってからは、社長の尾崎さんに連れてかれて焼き肉屋に行ったらそこに船木と鈴木がいて、和解の食事会をしたんだよね。俺は接待されると応援するから、すぐに『週プロ』の増刊で『極論!パンクラス』という6000円くらいするビデオをつくって、これが5000本売れたんよ。その食事会から帰るときに、尾崎社長が車代と言って3万円くれたんよ。俺は3万円で2回買収されてる!安い男ですよ~(笑)。
谷川 Uインターからはそういう接待はなかったんですか?
山本 Uインターはなかった。彼らはやっぱりカッコつけてるから、そういうことをいっさいしない。(略)
山本 安西は前田のことを怖がってたでしょ?前田ってなにかあるとバーンって脅すじゃない。(略)気が弱いヤツばっかりだから、みんなビビっちゃうんだよ。次長なんかはそれで前田のことを嫌いになったから、完璧にパンクラス派ですよ。パンクラス絶対主義で、パンクラスが前田と絶縁してほしいということを願望として彼は記事をつくるわけですよ。それが対立構造を生んで、パンクラスと前田との絶縁の引き金になっていくわけです。
(略)
谷川 [リングスはプロレスと書いたこと]で安西さんと僕とで謝りに行った覚えがありますね。これは僕の個人的な憶測ですけど、前田さんは僕らに「わかってよ」とか「共犯になってよ」という気持ちが大きかったと思うんです。
山本 そうそう。前田日明はそういう人なんです。
谷川 なんで谷川くんが裏切るの?っていう。安西はアホなの?みたいな気持ちだったんだと思いますね。(略)
谷川 (略)あの時代は格闘技界の人たちが、プロレス対グレイシーって構図にして、プロレスラーを負けさせて喜んでいる傾向があったんですよ。僕はそれは絶対商売にならないと思ってました。PRIDEを手伝ったときに、とにかくプロレスラーを輝かせないと日本の総合格闘技の成功はないって思ったし、桜庭とか藤田の存在が大事だなって。