丸山眞男話文集 1

  1936年頃に書かれたメモなのだけど、切迫感があまりないことにビックリ。

丸山眞男話文集 1

丸山眞男話文集 1

 

現状維持と現状打破(1936年頃)

A 一九三六年もどうやら無事に終るね。
B 「危機」もとうとうものにならなかった訳だね。
A だが何だか拍子抜けの感があるなあ。
B よせやい。拍子抜けで結構ぢやないか。
A だけど、満州事変を契機とする連盟脱退、ワシントン条約廃棄、軍縮会議脱退に我々人民がしよつちう聞かされたことは、これら「壮挙」の反動は一九三五、六年にいちどきに襲つて来るぞよ。この危機を突破するためには「国民粥をすゝつても」国防の完成に努めにやいかんといふ御託宣ぢやなかつたかしら。だから我々人民はもうあと三、四年の辛抱といふので、日本の御台所の半分を軍事費にまわした挙句が、粥をすゝるどころか東北の方ぢや木の芽やわらまでかじる始末。だのにイギリスもアメリカも一向攻めて来さうもないし、今年の春ごろからは露満国境でポンポン銃声がしたが、これも「もの」にならず、昨今の日支紛争だって、一時は駆逐艦まで急行してあはやと思つたけれど、その後は日本よりもかへつて支那の方がはり切つてる位で(略)
B それも軍部に言はせれば、軍備を充実したからこそ危機を回避しえたといふことになるぜ。

(略)

いままでの軍備は「応急的、彌縫的」なもので、これからいよいよ「本格的」軍拡が始まるってわけだ。

(略)

B 「両者〔軍備の充実と庶政一新〕のため必要とする経費は国民臥薪嘗胆するともこれを捻出するのが絶対に必要であり云々」とある。
A (略)庶政一新のためには莫大な経費を必要とする。その経費は国民の臥薪嘗胆によって捻出される――これぢや国民生活を安定させるために国民生活を不安定にするってことになるぜ、いつまでたってもどうどうめぐりだ。(略)
庶政一新といふと威勢がいゝけれど、結局軍備充実の別名にすぎなくなるね。それが果たして軍部・新官僚あたりの「革新勢力」の意図なのかしら。

(略)
B (略)いま日本の資本主義がもともとあまり強固でない自由主義との結びつきを清算して、名実ともに統制主義への転換を遂げようとしてゐる。さうしていはゆる革新勢力はこの資本の自由主義脱皮のプロモーターとして登場したわけだ。
A ぢや彼等はちつとも「革新」の名に値しないぢやないか。
B 社会的・経済的に見ればまさにその通りだ。にも拘らず彼等は政治的には革新的風貌を帯びる。こゝが面白いしかし複雑なところだ。

(略)

B (略)今迄の日本のファシストを見渡したところ、大衆にアピールし、大衆を利用する政治的手腕をもつて居そうなのはどうも一人もないね。なくて幸だが。だがもし適当な指導者を得れば、さうした勢力は、一般に楽観している程無力なものぢやない。

(略)

さういふ点で社会大衆党の指導幹部ともあらうものが、現状維持と現状打破といふ愚にもつかない非科学的な観念に捉はれて、「革新勢力」と提携しようとしてゐるのは全くどうかと思ふ。いまは骨抜きになつた既成政党なんかを相手にわめいてゐるときぢやない。(略)

無産政党はむしろ既成政党の自由主義的分子を糾合して、危機にある政治的自由を擁護すべきだ。総選挙景気に有頂天になつてゐるけれども、上述した様な大衆的なファッショ政党が出来れば、忽ちお株をとられちまふことは火を見るよりも明かだ。いまから、かうした現状打破派とはつきりけじめをつけるために社大党は「デモクラシー」の旗を真先にかゝげなければならない。

(略) 

二十四年目に語る被爆体験(69年)

参謀は、塔を背にして海の方を見ていたのですね。
 私たちは、塔の方を向いてコの字型に整列しています。私は、ちょうど塔に向いていました。
 訓話を聞いていたところ、突然目の前が、目がくらむほどの閃光がしました。閃光がしたと同時に、私がおぼえているのは、二間ぐらい先に立っている参謀の軍帽がプーッと飛びました、上へ。ピューと飛びましたね。それで、ハッと思った途端に、もう整列していた兵隊は、算を乱して走り出していたのです。(略)

 私が、おぼえているのは、要するに、ピカピカッと目がくらむような、文字通りピカピカですね。(略)[雷の電光の]猛烈な奴ですね。横に、こうピカピカッと来たんです。

(略)

無我夢中で、大きな音が聞こえたような気もするし、何か背中に圧力を感じたような記憶があるのですが、熱いという感じはおぼえていないんです。
 今でも不思議なんですけど、壕からはい出したら、短剣の革がぼろぼろで、半分以上切れているんです。革というのは、丈夫なもんですからね。

(略)

 ピカドンとは、本当によく言ったものですね。誰が言い始めたのかな。(略)

もう。八日にはピカドンピカドンと言ってました。
(略)

後から考えて、僕たち、よく助かったという気がして……。
 長崎はちょっと外れたんですよね、あれの予定地点と。ここだって予定地点から、ちょっと外れりゃ

(略)

[65年の八月一五日記念国民集会で話したのが]ほとんど初めてです。原爆体験を公に話したのは。

(略)

 何か、あまり語りたくない。それが、いっぺん話してしまうと、こういう風にね。おかしなもんでね。割合気軽に。(略)

 アメリカへ行って、原爆に遭った話をすると、途端にみんな真剣になりますよね。寄って来ますよ。(略)相当右翼的な人でも、原爆の話をすると、イチコロですね。(略)

 原爆について、日本がどんな強い主張をしても(略)反駁しませんね。かなりやってみましたけれども。日本人が、そう発言するのは、もっともだということは共通の認識ですね。だから、その点については、まだ自己主張が足りないのでしょうね。

(略)

[被爆のことを『現代政治の思想と行動』英語版の]カバーにまで書かれると、思わなかった。

(略)

[ピカっと来た後]

壕から、ぞろぞろ顔中泥だらけになって、はい上がってみたのです。(略)
 そこで、初めて、きのこ雲を見たわけですね。ちょうど司令塔の真後ろから上がっているような。(略)

「何だ、何だ、あの辺にガスタンクがあったかな」と、そういう感じなのですね。(略)

話にならないほど巨大な、それがゆっくりゆっくり、ちょうど立ちのぼっているわけですね。
 そして、上へ行っては、スゥーッと横に開いていくのです。横に開く、きのこ雲のつけ根のところが、プラチナの白銀色に輝いていましたね。悪魔の光という感じですね。雲は、ほとんど黒っぽい。
 それと同時に驚いたのは、司令部の建物の窓という窓が(略)ピーンと全部開いちゃって、そして、ガラスは、もう一つもない。

(略)

食堂の炊事のおばさんが、顔を血だらけにして、担架で運ばれていました。

(略)

 僕が部屋に入ったときには、目だけ出して顔中包帯をしていました。「F中佐、どうされましたか」と聞くと「うーん、日本も、早くいい爆弾をつくるんだなあ」と、それだけ言いました。

(略)

そのころから、もう市民が流れ込んできました。一五分後ぐらいじゃあないですか。(略)その市民の姿を見て、またまた仰天したわけです。
 着物はぼろぼろ。女の人はパーマがめちゃくちゃになって、頭にガラスの破片がささっているものですから、血が垂れているのですね、顔にね。お岩ですよ。
 夏ですし、着物がやぶれていますから、女の人は毛布に体を隠して、放心したような格好で(略)あとからあとから入って来て(略)海辺までずっと広場なんですけれども、ここがいっぱいになったのです、見る間に。

 それで、真夏でしょう。背中の皮が剥けているのに、上から太陽がさんさんと照りつける。うーんうーんと唸っているのは、セミのね、セミの声といっちゃ悪いのですけれども、異様な声ですよ。
 それで、薬とか何とか言って大騒ぎしたのはおぼえています。何しろ火傷の薬なんていうのは、何人分もないのですからね。呉の海軍の飛行機で薬を落としてもらったり。

(略)
六日一日何をしていたのかというのは、全くおぼえてないのです。悲惨な、広場がいっぱい埋まった光景を見たというのが、最後の記憶です。記憶喪失になっちゃったんですね。
(略)

夜になって、広島市内中の火で真っ赤に。ちょうど東京の大空襲のように、あるいは関東大震災のを思い出しましたけれどもね。その日は、そのまま過ぎたのです。(略)

[翌日は]兵隊に総動員がかかって、死体片付け、市内の清掃。(略)

[留守番で残れと言われたので]

 その日一日、兵隊が、生々しい死体を片付け、破壊の後片付けをやったところは全く知らないのです。僕が出たときには、少なくとも通り、大通り、つまり電車通りはきれいに清掃されていました。

(略)
帰ってきた兵隊の話を……あの兵隊の中からも、相当放射能に当たって発病した人いるんじゃないでしょうか。直後ですから。(略)

兵隊は、もう絶対の被爆者、実にみじめだったでしょう。ほとんど放置されていた。(略)

[留守番の間、偶然]短波をいじったら、トルーマンの放送が入ってきたんです。(略)プレジデント・トルーマンの放送がある、と。トルーマンの声が入ってきて「歴史上最初の原子爆弾を投下した」(略)
 その後、(トルーマンは)原子爆弾の製造・実験の由来を話しました。

(略)

とりあえず、爆弾は原子爆弾だという放送があったことをメモにすぐ書いて、参謀室に持っていったのをおぼえています。

(略)

参謀にあげたら、「そうかな」って言っていましたけれども、知らなかったですね。ピンとこないのですね。

(略)

仁科さんは、すぐ飛んで来たようにおぼえているのですがね。(略)

私は廊下で会ってパッと敬礼したのをおぼえています。そして、仁科さんは、現地を視察して、原子爆弾だということを、さらに確認して(略)

中心部の一定の範囲に(略)縄をはって、立入禁止だったのですね。今から思えば、さすがに仁科さんですけれども、本当に縄をはったのです。放射能のことを意識されたのだと思います。

(略)

[九日、報道班長の中尉と一緒に外出]

二五万というのは、兵隊入れたら、確実になるんですよね。(略)[七万五千というのは]兵隊を入れていないんですね。

(略)

「宇品橋」[本当は御幸橋]の上に立っていた人は、即死したそうです。爆風というのは、川をパーッと一瞬に伝わってくるのですよ。何も障害物がないですからね。(略)

やられるのは三つですね。熱風、放射能、光線です。

(略)

[終戦の喜びは15日の母の訃報で吹っ飛び]

 そういうショックでもって、原爆それ自身のことを、私に考えさせなかったということがあるんじゃないかと、今から(すれば)思うのです。

 それと、人間というものは、悲惨とか、むごたらしい光景というのに無限に深い不感症になる。本当に怖いという気がします。すぐ慣れてしまう。

(略)

背中がペロッとはげたような人は案外生きていて、そして、腕に小さなダンゴぐらいの火傷を負った人が三週間ぐらいで死んだりした。そうすると、全く予測つかない。

(略)

 最後といえば、敗戦の八月一五日の詔勅の後の動向ね。僕は、司令部にいたから、いろんな将校の動向を知っているでしょう。すごかったです。えらい勢いで、絶対降伏しない、と言っていました。もう血走っていましたよ。将校にはみんな拳銃が配られましてね。地下に潜って抗戦する。非常に不穏な空気。
 呉からも飛行機が飛んで来て、ビラをまいてね。「共に断固、最後までアメリカと戦おう」というビラをまいておるんです。だから、宮様が専属機で飛んで来ました。
 こっちは、非常にうれしくてしようがないんですけどね、戦争が終わってね。うっかりうれしそうな顔を見せようものなら、ぶった切られちゃう。ドスを提げて歩いているようなもんで、みんな。
 酒井中尉はインテリだけに、動向を聞かせてくれるんです。「丸山、形勢不穏だぞ。おれたちにはピストルが配られた。兵隊には、何も聞かせない。どうも不穏で、やるらしい。こんなとこで死んじゃばかばかしい」「どうしたらいいですか」「じゃあ、ポツダム言言を、みんなに宣伝して聞かせよう。それじゃあ、お前、兵隊の方をやれ。おれは将校のほうをやる」と。

(略)
強硬なグループには、「韓信の股潜り」ということでいこう。(略)国力を蓄えてからアメリカに復讐する。ここのところは隠忍自重する、という風にいこう」と。
 こっちの一番軟弱な兵隊の方には、ポツダム宣言の「兵隊は、みんな家へ帰って平和な産業を営ませる」という、これも読んで聞かせる、というような手筈も決めて。それ二日ばかりやりましたよ。

(略)

[その効果があり]将校なんかは「おい、戦争犯罪なんていうのは、どの程度なんだ。まぁ、少佐は大丈夫だろうな」なんて動揺し始めていました。

(略)

[参謀に呼ばれ恐る恐る行くと]

「ご承知のようなことになったので、ご苦労だけど、満州事変以後の日本の政治史を、おれに講義してくれないか」と言うんですよ。「その講義については、かなり言論の自由を許す。軍閥という言葉もいい」と。「一週間講義をしてもらう。

(略)

一番やっぱり天皇を心配していましたよ。(略)

民主制というのは独裁制に対する反論で、君主制に対する反論ではない。(略)

共和制で独裁制のところもあれば、君主制で民主的な国もある。

 だから「ポツダム宣言は「日本は民主主義の国になれ」と言っているので、君主制は廃止しろ、とは言っていないんだ」と、そういう説明をしたら、「安心したよ」って。

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