The KLF: ハウス・ミュージック伝説のユニットはなぜ100万ポンドを燃やすにいたったのか

The KLF: ハウス・ミュージック伝説のユニットはなぜ100万ポンドを燃やすにいたったのか
 

 ビル・ドラモンド

[78年、ビル・ドラモンド25歳] 

すでにビッグ・イン・ジャパンというバンドで活動し、地元では少しばかり有名になっていた。このバンドには、のちに人気スターになるホリー・ジョンソン、ピート・「バッジー」・クラーク、イアン・ブロウディ、ピート・バーンズもメンバーや取り巻きとしてかかわっていた

(略)

[解散後残った借金をビッグ・イン・ジャパンのEPリリースの儲けで返済しようと考えた]

 ドラモンドは七インチシングルをなによりも愛していた。独善的でキャリア志向のアルバムにはない魅力が、シングルにはあった。シングルは気軽で、安価で、民主的だった。

(略)

彼は、自分のレーベルからはシングルのみをリリースするつもりだった。また、浮世離れしたところのあるバンド、彼をぞくぞくさせるバンドのみと契約しようと考えていた。(略)

重要なのはそのバンドが持つ「アイデア」だった。だからこそ、彼はジュリアン・コープと契約したがったのである。(略)

[まだ自信がなかったコープはかつて同じバンドにいた]イアン・マッカロクの新しいバンドに声をかけてはどうかと提案した。

エコー&ザ・バニーメン

[友人が考えた候補から選んだ名前だったが、メディア向けに]

エコーは彼らが使っているドラムマシンで、バニーメンは彼ら自身のことだと語るようになった。(略)
ビル・ドラモンドはそれを喜ばなかった。彼自身が考えた筋書きのほうがずっといいと思っていたからだ。それを思いついたきっかけは彼らのファーストシングル「ピクチャーズ・オン・マイ・ウォール」のジャケットだった。迫力のある正体不明のけだもののシルエットが粗いタッチで描かれていた。その頭部には二本の突起があって(略)ウサギの耳と見なすこともできた。(略)邪悪で力強いこのけだものの正体がなんてあれ、ドラモンドはこれこそエコーだと直感した。そして、バニーメンはこのけだものの従者たちだった。
 このころ、ドラモンドはよくリヴァプール市の中心部にある中央図書館に出かけ、宗教、神話、民族のコーナーにある本をあれこれ物色して何時間も過ごしていた。

(略)

バニーメンは極北地方のさまざまな場所に暮らしている民族だ。神話に登場する生き物、神聖な精霊、ウサギの姿を借りて地上にあらわれる第一動者[アリストテレスが唱えた、世界の運動の根本原囚]を崇拝している

(略)

 一九八〇年、エコー・アンド・ザ・バニーメンはファーストアルバム『クロコダイルズ』をリリースした。ドラモンドは、ズー・レコーズとしてアルバムのような自己満足的なプロジェクトに関与したくなかったので、アルバム販売のライセンス契約をワーナー社と締結していた。だが、それも妥協のように感じられた。マッカロク率いるバンドのほうでは、ドラモンドの理想とはまったく異なる夢を思い描いていた。アルバムをつくり、世界をツアーし、成功して大金持ちになりたかったのだ。彼らのマネジャーであるドラモンドは、そういう希望を受け入れざるをえなかった。

(略)

[アルバムジャケットのトネリコの]木の幹は二本あって、優美に湾曲し、交差していた。

 そのとき、とつぜんその写真が変化した。

 赤い、禍々しい大ウサギの顔が、瞬きもせずドラモンドをひたと見つめていた。彼はその正体を悟った。エコーである。 

Crocodiles

Crocodiles

 

ティアドロップ・エクスプローズ

ジュリアン・コープとの関係がぎくしゃく(略)

少しの名声と大量のLSDを手に入れたコープは、いまや得意の絶頂にあった。

(略)

 そろそろ潮時だった。(略)彼はズー・レコーズの経営に打ちこんでいた。ツアーとレコーディングの費用を捻出するため、二度にわたって自宅を抵当に入れるほどだったが、その結果は思い描いた理想には届いていなかった。彼は自らつくったレコードを誇りに思えず、いつのまにか、自分のした決断によって友人や仕事仲間を嫌な気分にさせていた。もっと重要なことに、二つのバンドのキャリアをだしに使って自分の空想の世界にどっぷり浸るのはよくないように思われた。(略)
 やがてティアドロップは解散し、バニーメンはもっと本格的なマネジメント事務所を見つけ、ドラモンドは[WEAのA&Rに]

ソロ・アルバム 

 [86年33歳のドラモンドはWEAを辞め、音楽業界からの引退を記念してソロアルバムリリース]

ジュリアン・コープ・イズ・デッド」がコープの「ビル・ドラモンド・セッド」に対するアンサーソングだと考える人びとは多かった。(略)

[冒頭の歌詞は]「ジュリアン・コープは死んだ/俺があいつの頭を撃った」(略)

[業界を去り『アンディ・ウォホールがクソ野郎である理由』の執筆を始めたが捗らず、その理由は、一つはスクーリーDの曲、もう一つは『イルミナティ』の再読]

[87年1月1日]散歩から戻ったドラモンドはジミー・コーティに電話をかけた。そして、一緒にヒップホップ・ユニットを結成しようと伝えた。ユニット名はジャスティファイド・エンシャンツ・オヴ・ムームー(JAMs) 

ピラミッドからのぞく目 (上) イルミナティ 1 (イルミナティ) (集英社文庫)

ピラミッドからのぞく目 (上) イルミナティ 1 (イルミナティ) (集英社文庫)

 

 サンプリングではない 

 いまでいうサンプリングは、既存の音源の一部――たいていドラムビートやメロディライン――をとりだし、それらを用いて新しい楽曲をつくる技法のことである。(略)一方、JAMsの場合、他人の音源のひとまとまりをとりだし、そのまま使った。音源を選ぶときには、サウンドではなく、それが意味するところを重視した。ABBAやビートルズの楽曲を用いたときにも、サウンドがいいからではなく、ABBAやビートルズの作品だからそうしたのだ。
 JAMsは臆面もなく楽曲を盗んでいたわけだが(略)

[サンプリングの原初段階と見なすより]

もっと有用な考え方がある。彼らの行為を、シチュアシオニストのいう「転用(デトゥルヌマン)」と見なすのだ。

 シチュアシオニストというのは、五〇年代から六〇年代に、おもにフランスで活動した思想家および批評家の集団である。彼らの思想の核心には「スペクタクル」があった。

(略)

われわれは毎日、広告、イメージ、楽曲、映像をひっきりなしに浴びせられる。それらは体制のスペクタクルの一部であって、われわれを無感覚にし、孤立させる。重要なことにわれわれは、求めると求めざるとにかかわらずそれらの襲撃にさらされる。現代人が生きていく上でそれを避けることは不可能なのだ。それらは資本主義がわれわれに押しつける一種の精神汚染物質である。シチュアシオニストの主張によれば、その襲撃からは逃れられず、称賛に値する反撃といえば、それらをうまく利用することのみだ。
 つまり、「転用」の意味するところには、外から押しつけられるイメージを自分自身の目的に流用することも含まれている。あるイメージの文章や背景に手を加え、そこに込められた意味を逆転させることもその一つである。

(略)

 この背景に照らし、JAMsのファーストシングル「オール・ユー・ニード・イズ・ラヴ」について考察しよう。題名の示すとおり、その冒頭にはビートルズの「愛こそはすべて」がそのまま使用されている。(略)

それはたんなるサンプリングとは異なった。そのサンプル部分の終盤のリフレイン「love,love,love」は限界までスローダウンされていて、どう考えても拒否反応を意味している。これは趣意書だった。つまり、ビートルズ、引いてはポピュラー音楽全体が絶頂期にあることを主張する――そして、一蹴する――行為だった。(略)

[MC5の「やってやろうぜ、野郎ども!」に続き]

「性交渉――既知の治療法なし」という話し声によってこの楽曲のテーマが示された。これは(略)エイズについての曲である。このエイズの流行によって、一九六〇年代から一九七〇年代にかけての性の解放の時代に終止符が打たれた。一九六七年のサマー・オブ・ラブを表現したビートルズの歴史的な一曲は「転用」され、そのメッセージは、もっと時代に即した、まったく逆の意味を持つものに改変されたのだ。

(略)
 いうまでもなく、完成したレコードはクソだった。今日、これを聴いて「レコードとして」価値があると心からいえる者はほとんどいない。時代を超えた名曲であるビートルズの「愛こそはすべて」のあとに聴けば、そのことがいっそう明確になる。

(略)

[アルバム『1987』でABBA「ダンシング・クイーン」をかなり長く引用、当然クレーム]

当初ドラモンドは、会って事情を説明すれば、ABBA側もアーティストとして許諾してくれると思っていた。ところが、面会に応じてもらえないことが明らかになった。(略)

[スウェーデンに着くと]ABBAの楽曲を管理する音楽出版会社の真ん前で例の著作権違反の楽曲を演奏し、ABBAの女性メンバーの一人に少し似ていると見なした売春婦に、作り物のゴールドディスク(「販売価格ゼロ以上」と刻印されていた)を授与した。その後、残っていたアルバムの大半を廃棄した。草地に持っていって燃やしたのだ。ところが、すぐに農場経営者に咎められ、中止せざるをえなかった。帰国の途上、残りのアルバムをフェリーから北海に投棄した彼らは、船上で即興演奏を披露し、その報酬に大きなトブラローネのチョコレートを受けとった。知られているかぎりでは、JAMsが生で演奏したのはこの一回きりである。
 それ以来、ドラモンドとコーティは売名行為をすることで有名になった。念のためにいえば、そういう世間の評判は実態とはかけ離れていた。

(略)

[セックス・ピストルズを操ったマルコム・マクラーレンとは]

対照的に、JAMsはスウェーデン訪問を始めとするさまざまな冒険を、まったくの思いつきで実行している。このときに原動力になったのは、アルバムの在庫を処分する必要に迫られていたことと、その処分という行為そのものを、何かを象徴する、面白味のあるものにしたいと考えたことだった。それにも増して、彼らはつねにアイデアを探しまわり、「何か」を起こそうとしていた。

(略)

[セカンドシングル「ホイットニー・ジョインズ・ザ・ジャムズ」冒頭の]

スパイ大作戦」のテーマ曲は、ホイットニー・ヒューストンを説得してバンドに加入させるという不可能なミッションを表現している。この曲の前半、ドラモンドはありふれたダンスのリズムに乗せてヒューストンに懇願する(「ホイットニー、お願いだ!どうか、どうかJAMsに加入してくれ。俺たちのレビューを見ただろう?お願いだ、ホイットニー、お願いだ!」)。そのあとで、ヒューストンの最高のポップシングル「すてきなSomebody」が挿入される。ここでも、通常のサンプリングとは異なって、楽曲の一部がそっくりそのまま盗用されている。だが、そこにこの曲のロジックが表現されているわけではない。JAMsにいわせれば、ホイットニー・ヒューストンはこのバンドに加入することを決意しているのであって、ドラモンドはそのことを世間に納得させるため、感極まったように「ホイットニー・ヒューストンがJAMsに加入した!」と叫ぶ。

(略)

[このシングルが]親音楽的なダンスバンド、ザ・KLFに向かうきっかけになったというわけだ。もちろん、もはやヒューストンのサンプルをアルバム『1987』流の「転用」として考えることは不可能である。ビートルズやABBAのサンプルの場合とは異なって、これはスペクタクルの意味合いを逆転させようとする作品ではない。むしろ、盗用している楽曲の素晴らしさを称賛しているのである。

(略)

 この作品は、「黒いジャガーのテーマ」をサンプリングした、売れそうな楽曲をつくろうとしたことから生まれた。(略)

[アイザック・ヘイズを買うためレコード店に向かったドラモンドの目にホイットニー・ヒューストンの大型パネルが入り]

『ワオ』といってそのアルバムを買った……。俺たちはその曲をくりかえし聴き、『こんなにすてきなレコードがもうあるんだから、俺たちがレコードをつくったって無意味だ』と思った。そんなわけで、この曲は(略)ホイットニー・ヒューストン賛歌になった」

(略)

[三枚目「ダウンタウン」はペトゥラ・クラークをサンプリング]

ペトゥラ・クラークの歌詞はロンドンをロマンティックに描写していたが、ドラモンドの歌詞はホームレスをテーマにしていた

(略)

ダウンタウン」を面白くしているのはドラモンドと聖歌隊のからみである。(略)

聖歌隊が「栄光!」とうたえば、彼は「栄光ってどんな?ワインバーの世界の?」と問いかける。最終的には聖歌隊のうたう情景に屈し、「オーケー、聴こうじゃないか」と渋々いう。すると聖歌隊はテンポを速め、転調し、合唱する。クリスマスのキリスト教精神そのものを表現するこの合唱は、神の賛美、栄光、天使、イエス・キリストの誕生をうたう。ドラムマシンがひたすら刻みつづけるビートに、ロンドン・コミュニティ・ゴスペル聖歌隊歓喜にあふれる歌声を組みあわせたこの曲は、JAMsが生みだしたどの作品よりも優れている。 

コミックソングが大ヒット

[88年ザ・タイムローズというユニット名でリリースしたコミックソング「ドクトリン・ザ・ターディス」が100万枚の大ヒット]

 きっかけは「ドクター・フー」のテーマ曲を使い、売れそうなダンスミュージックをつくりたいと考えたことだった。

(略) 

ドラモンドとコーティは当時すでに三十代半ばで、メインストリーム系のポップ・レコードのフロントマンに適任ではなかった。そこで、コーティの車がその楽曲をつくったことにした。それはアメリカの大型のパトロールカーで、外観はブルース・ブラザーズのブルースモービルをぼろぼろにした感じだった。(略)

シングルのジャケットには、フォード・タイムロードという新しい名前をもらったその車の写真が使われ、「やあ!僕はフォード・タイムロード。車だ。レコードをつくったよ」というセリフの吹き出しがつけられた。

 「ホワット・タイム・イズ・ラブ?」 

突然に大金を手に入れたドラモンドとコーティは(略)サウスロンドンの廃ビルの地階に専用のレコーディングスタジオを持つこともできた。

(略)

 二人はクラブ向けのダンス曲を立て続けにリリースする計画に乗り出した。(略)

「たんにダンスフロアに存在するというだけのメッセージ性のない音楽をつくりたいという欲求(略)

あるレイヴ会場で、一緒に摂取したMDMAがいつごろ効いてくるのかをコーティに尋ねようとしたドラモンドが、どういうわけか「愛って何時?」と口走った[言葉を曲のタイトルに]

創造性の停止

 この瞬間、つまり彼らがザ・KLFとしてヒットシングルをつくることを決断したときに、その二年前から続いていた創造性の流れが止まってしまった。JAMsの結成以来あふれでていた新しい素材が、とつぜん、いっさい出てこなくなった。それからは、新曲が書かれることはなかった。(略)古い楽曲が見直され、リミックスされ、再リリースされた。遊び心に満ちた創造力はひたむきな努力に、芸術は工芸にとってかわられた。

ブリット・アワードのオープニングパフォーマンス

[92年のブリット・アワードのオープニングパフォーマンス。前年にも依頼されたが]ステージいっぱいに天使とズールー人を配置し、二人がおのおの象の背中に乗って登場するという演出を提案したところ、交渉が決裂してしまった。(略)[象の脚を一本チェーンソーで切断案が決定打に]

彼らにいわせれば、その象は音楽業界の象徴だった。

(略)

[ショー当日]の早朝、ドラモンドは(略)[ステージで解体するための]死んだヒツジ一頭と血液八ガロンを購入した。(略)

切った肉塊は客席に投げこむつもりでいた。(略)

 これでも妥協していた。もともとはコーティが、演奏中にドラモンドが自分の手を切り落とすというアイデアを思いつき、そうするよう彼を焚きつけていた。

(略)

 死んだヒツジの噂はその日のうちに広まった。彼らのパブリシストのミック・ホートンが、その計画を阻むため、抜け目なくマスコミに伝えたからである。驚愕したジョナサン・キングとBBCは、そういう演出はけっして許されず、テレビ画面に映しだされることもないと明言した。(略)

[例のヒツジは]夜遅くなってから持ちだされ、「私はあなたのために死にました」という書き置きとともに、打ち上げパーティの会場になっていたホテルの入り口階段に放置された。あっという間に警官が駆けつけたので[血液は撒けず、その代り旧式の機関銃を持ち込み](略)

演奏の終わりに葉巻をぐっと噛みしめると、客席、すなわち音楽業界そのものに銃弾[空砲]を雨あられと浴びせた。 

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