情報爆発 初期近代ヨーロッパの情報管理術

 

情報爆発-初期近代ヨーロッパの情報管理術 (単行本)

情報爆発-初期近代ヨーロッパの情報管理術 (単行本)

 

 序論、文書管理の四つのS

今日ではたしかに、未曾有の過負荷を経験しているという認識が蔓延している。明らかに、われわれは、ほとんどすべての問題について、過去の世代よりもはるかに膨大な情報量にさらされ、それを処理せねばならないし、頻繁に変革され、よってしばしば新しいものである技術を用いる。にもかかわらず、われわれが用いる基本的方法は、初期のレファレンス書において何世紀も前に考案された方法とだいたいは同じなのである。初期の編纂物は、四つの肝要な作業をさまざまに組み合わせることからなる。すなわちそれは、蓄えること(storing)、分類すること(sorting)、選択すること(selecting)、要約すること(summarizing)、であり、私はこれを、文書管理の四つのSとみなす。

(略)

本書で私は、ルネサンス期にとりわけ活発な蓄積がなされた二つの領域に焦点を当てた。古典古代の言語と文化の人文主義的な研究に触発された、手稿ノートと印刷されたレファレンス書である。私は、これら二つが密接に関連していると考える。レファレンス書は、そもそも、編纂者が書き溜めた読書ノートをもとにして作られた。そしてそれは購買者にとって、直接原典に当たってノートを取るという煩わしさのない、既製の備蓄ノートとして用いられた。

(略)

レファレンス書はふつう、配列の仕方(アルファベット順、体系的、あるいは雑録風)に応じて、一つないしは複数の検索手段を採用している。目次、アルファベット順の索引、概要、樹形図、相互参照、区分や小区分への階層的分割がそれに当たるが、それらは、配置を工夫したり、シンボルを使ったり、異なる活字書体を用いたりして、頁の上でひと目でわかるようになっていた。

(略)

 たゆみなく増え続けて蓄積されていく素材を管理するうえで、四つのSの方法だけが、初期近代の情報爆発への唯一の対処法であったというわけではない。(略)

ルネ・デカルトは、蓄積されたテクストの山はうっちゃり、哲学の土台を根本的な原理から見直して、新たに出発することを推奨した。「たとえ書物にあらゆる知識を見出せるとしても、知識はそこであまりにも多くの無益な事柄とごた混ぜにされ、膨大な量をなしてでたらめに積み上げられているので、それらの書物を読むにはー生かけても時間が足りず、有益な事柄を選び出すのは、自分一人でそれを見つけ出すよりもなお難儀なことであろう」。

(略)

蓄積された情報を拒んでそれを極端に間引くことに惹き付けられる人々は、つねに散見された。たとえば神秘主義者たちは、概して、蓄積された人間の知識を管理することよりも神からの霊感を強調した。デカルトは、自分の新哲学は夢の中でもたらされたと語ったが、デカルト以降、通念を拒絶することは、他のところでは情報の消費者であり生産者である作者たちのあいだですら、ありふれた態度になった。一ハ世紀には、多くの作家たちが、やむことのない蓄積を食い止めるため、無益な書物を破壊するという空想を書き綴った。ギボンは、破壊すべき書物の中に「アリウス派とキリスト単性論派の冗長な論議の山」を含め、ダランベールにとって、破壊すべきは「役立たずの歴史書」であった。ある批評家は、崇高概念の表出を、過剰に対する別のかたちの反応であるとした。カントとワーズワスは、一時的に思考が停止するという経験を、感覚あるいは精神のいずれかに負荷がかかりすぎたことから生じる「認識作用の激しい疲労」であると綴った書き手たちの仲間である。

(略)

印刷術や紙が入手しやすいことは、それだけでは、学識ある人々が、なぜそこまでの精力と金を喜んで費やし、手稿ノートや印刷されたレファレンス書の中に文書情報を大量に収集し蓄積したのかという理由を説明してはくれない。

(略)

本書が焦点を当てた、膨大なノートの作成者や巨犬な書物の編纂者は、有用性を秘めた情報を求めて、すべての書物、すべての分野に目を配りたいという新しい熱意をはっきりと示している。彼らは、古代の学識の喪失というトラウマを痛切に感じており、それを二度と繰り返すことのないよう、自分たちが収集した素材を保護したいと望んだのである。編纂者たちは、自分たちの仕事は公益に資するものであり、できるかぎり多くの異なる主題や関心に応えることによって、人々の役に立つのだと考えていた。

編纂物

権威ある文献に付けられた用語索引や索引は、詞華集には限界があるという新たな感覚が生じた証拠である。すなわち、詞華集では複雑化する大学での教育と説教には対応できない、としだいに感じられるようになってきたのだ。ヴァンサン・ド・ボーヴェは、既存の編纂物が原典の言葉を黙って削除したり、追加したり、変えたりして、もとの意味を伝えていないことに文句を言っている。「後期中世の学生の大多数が、哲学者たちの著作を抜粋集でしか知らなかったとしても」

(略)

サン・ヴィクトルのフーゴーは、聖書へ百科事典的にアプローチすることを説き、「すべてを学びなさい。後になったら余計なものは何もないことがわかるでしょう」と述べ、知識全般については、「どんな学問であれ軽蔑してはいけない、なぜならあらゆる学問がよいものなのだから」と述べている。このような、プリニウスの「いかに悪い書物であれ、何かしら有益なところがある」という名言のさらなる変奏は、中世に作成された他の百科事典の序文にも見られる。こうした新しい態度が、情報過負荷を示すどの客観的な事例にもまして、一三世紀の最も巨大なレファレンス書に見られる徹底的かつ普遍的な欲求の発現を促すための重要な要因であったと私には思える。

(略)

一三世紀半ばまでには、情報過負荷の認識と、それに対する解決法についての主要な材料は出揃っていた。学者の中の選りすぐりの者たちは、アリストテレスとそのアラビア語の注釈者たちを受容する以前から、だが受容後はさらにいっそう、聖書、教父、古典古代、アラビア語、スコラ学の見解と注釈からなる、巨大でたえまなく増大していくコーパスを利用する方法を切り開いていた。こうした学者たちが、アルファベット順の索引、体系的な分類法、本文の論理的な分割、分割された諸部分に誘導する視覚的な手がかりといった、文書管理のための新たなツールを考案した。

(略)

後期中世には、紙の使用に促進されて写本の生産が驚くほど増加するとともに、修道院やスコラ学の文脈を超えた読者層の拡大が起こった。それにともない、「無限の書物」、「多様な著者と書物」、「歴史における無限の行為」といった、過負荷を表す修辞が、歴史物の摘要録といった他のジャンルにも波及していった。現存する写本の数から判断すると、自分用にあるいは他の人々の用途のためにテクストを抜粋し要約する人々が増えてくるにつれて、編纂物――とくに詞華集や百科事典的な摘要録――の数も増え続けていったと思える。

印刷業者、題扉

とくに学術書はゆっくりとしか売れなかったので、印刷業者は、新たな市場に参入し、売り物の種類を増やすためにも、売れ残った印刷済みシート[未製本の頁]の在庫を互いに交換し合っていた。リスクを緩和し、大きな書物を印刷するのに必要な資金を生み出すために、印刷業者は、前金で支払われることの多かった小さな仕事(政府の布告や免罪符)や、すばやく仕上げることができて売れ足が速い短い印刷物(パンフレットや暦)も引き受けた。

(略)

[商売成立の最低ラインが、16世紀で千部]

 ひとたび本を印刷すると、それを売らねばならない――初期の印刷本に題扉が付くようになった理由も、これで説明がつく。中世の写本には題扉はなく、書誌学者たちはインキピットすなわち冒頭の数語でどのような書物かを特定している。制作を依頼しそれが筆写されるのを待つというかたちで生産される写本には、何の本かを示すための標識はとくに必要がなかったのだ。これに対して、印刷本は、その書物についての知識を事前にもたない買い手を惹き付ける必要があった。そのため題扉が広告の役を果たして、題名、著者[等](略)に加えて、役に立つ特徴――「充実した索引」や「訂正され、いちだんと増補された」――を謳うことになったのである。題扉はときに、たとえば、斬新とはとても言えないのに新しさを謳うなど、虚偽の宣伝をすることもあった。

(略)

ときに、売れ残った古い書物を見栄えをよくして売るために、新しい改訂版であると謳う新しい題扉を付けることもあった

(略)

 題扉からわかるのは、一六世紀の買い手にとって、索引が大きなセールスポイントであったことである。中世には索引はわずかしか見られず、たいていは作品本体から独立した別冊になっていた。

(略)

印刷本によって、中世よりもはるかに広範な読者層に、索引が馴染み深いものとして浸透していったのは確かである。俗語の著作や対話体の作品のような「とっつきやすい」ジャンルにすら、索引が付けられていた。潜在的な買い手にとって索引が意味したものが、その本の重々しさであろうと有用性であろうと、またはその両方であろうと、索引によって売り上げも増えるだろうと期待したからこそ、印刷業者は余分の手間と出費をかけたのだろう。

 多すぎる書物

バスティアン・ブラントが『阿呆船』でこの問題を皮肉ったとき、その中心にあったのは一世紀にセネカが述べた、書物のこれみよがしの所有に対するモラリストの視点からの批判であった。

(略)

 人文主義者たちが抱いていた印刷術への懸念によって、多すぎる書物という主題は早い時期から現れていた。エラスムスがその例である。一五二六年に初めて『格言集』に収録された「ゆっくり急げ」という格言にエラスムスが付した注釈は、本題から脱線していることで有名であるが以下のとおりである。「こうした新しい本の大群から逃げられる場所が地上にあるのだろうか?(略)

あまりに多いのでうんざりしてしまって、学問の重大な妨げになるであろう。なぜなら、よいものにとって食傷ほど有害なものはないからであり、あるいはまた、人の心は、簡単に満腹して目新しいものを渇望するものなので、こうした新しい本に気を散らされて、古典古代の著者たちの書物を読まなくなるからである」。(略)

エラスムスは、こうした新しい悪い書物の氾濫の原因として印刷術をやり玉に挙げている。アルドゥスを理想の印刷業者としてひときわ高く讃美するという目的もあって、エラスムスは、ほとんどの印刷業者が、何の規制もなければ、「愚かで、無知で、悪意に満ちていて、中傷的で、狂っていて、不敬で、転覆的な……パンフレットや書物で世の中を満たしている。そして、この洪水があまりにも凄まじいので、なんらかの善をなせたかもしれないものでさえ、そのよさをすべて失くしてしまうのである」と述べている。悪書が多すぎて、そこに含まれている可能性のあるよい点もすべて失われてしまう、と言うのである。

(略)

一五二二年に、アスティのジョヴァンニ・ネヴィッツァーノという法学者が、手に入る本が多すぎて必要な本がなかなか見つからない、と述べた。最も重要なのは、あまたの入手可能な本から適切に選択することである。というのも、「自分の研究に必要な書物を持っていなければ、学者であることの恩恵を享受できない」からである。いくつかの新しいジャンルは、まさにそのような懸念に応えていた。すなわち、文献目録から書物を選ぶための案内書や、蔵書を構築する方法を教える書物がそれに当たる。

(略)

 一七世紀の初めには、蔵書を構築し整備するための案内書という新しいジャンルも

読書革命

 歴史家が一八世紀ヨーロッパの「読書革命」について論じていた時期がかつてあった。すなわち、権威ある少数の文献を入念に繰り返し読むという主として集中的な読書(精読)から、はるかに大量の広範な素材――とりわけ、書評、抜粋、論争、手短かな言及によって最近出版された書物に間接的に接することを可能にした、新しい定期刊行物や各国語によるレファレンス書――を走り読みしたり斜め読みしたりする、拡散的読書(多読)への急速な変化が生じたというのである。しかしながら、読書の歴史についてより詳細に研究が進むにつれて、「読書革命」という概念が示唆するような厳密な時代区分や突然の変化は今では否定されている。突然の変化ではなく、私の研究によれば、新しい読書法は、古くからの方法が存続するなかで、それと並行して発展し普及していったのである。参照読みは、学識ある人々のあいだでは一ハ世紀以前から、少なくとも一三世紀にまで遡ってたえまなく行われていた。だから、一ハ世紀に生まれた、きわだって新しいタイプの読書法は参照読みではなく、成功をおさめた新しいジャンルである小説を無我夢中で読むことであった。その一方で、聖書を繰り返し読んで瞑想することと結び付けられていた「精読」もまた、少なくとも、敬虔主義者、メソディスト、カトリックの修道会など宗教関係者のあいだでは、一八世紀にも行われていた

(略)

 サミュエル・ジョンソンについてのある研究によると、ジョンソン自身が実践したと言及している読書法が四つあるとされる。それは、手にペンを持って行う、学術書の「懸命な研究」、特定の情報を求めて参照のためにする「流し読み」、小説に没頭するさいの「好奇心溢れる読書」、「集中によって疲労することのない」あれこれざっと目を通すだけの「ちょっとした読書」の四種類である。ジョンソンの友人であったジェイムズ・ボズウェルは(略)

時流に乗るためには、価値の劣ったものを大量に読まねばならないからである。それがために、良質の作品を読む時間がなくなっているわけだが、というのも人は、最良の古典を読んだことよりも、近頃の本を読んだことで、会話における虚栄心がくすぐられるものだからである。しかし、考慮すべきは、今はこれまでになく多くの知識が普及していることである。今では女性たちもみな読書をしており、これは大きな広がりなのである。

(略)

古い時代の人々は、今の人々には耐えられないほど無知であっても、胸を張って平然としていた……今の世界には、過去の世界をはるかに凌駕するほどの学知がある。というのもそれは、あまねく普及しているからである」。さらに、ここでボズウェルが言う「古い時代」は、古典古代や盛期中世やルネサンス期を指しており、彼が一八世紀における顕著な特徴として浮き彫りにした学問の社会的普及は、本章全体における主たる結論をうまく言い当てている。

(略)

学識ある人々は、ノートを取るという活動を通じて、自分が読んだものから抜粋し、それを選別し分類して、自分自身のため、また他の人々のためになるよう、情報という宝物を蓄えたのである。

次回に続く。