ザ・バンド 軌跡 その2 ディランからの電話

前回の続き。

ザ・バンド 軌跡

ザ・バンド 軌跡

 

ロイ・ブキャナン

 ホークスのギタリストが激しく入れかわった のは、このころだ。フレッドが抜けたあと短期間だったが、ロイ・ブキャナンがギターをひいた。(略)ひどく謎めいた人物で、やぎひげを生やしてビートニクにようななりをしていた。(略)

ロイの眼つきは尋常でなかった。だれとも話をせず、とても獰猛な感じがした。

(略)

 ロビーはロイ・ブキャナンからも多くを学んだ。当時、ブルース・ギタリストとしてのテクニックでロイにならぶ者はいなかった(どこで勉強してそんなにうまくひけるようになったのか、ロイに訊いたことがある。彼はまじめな顔で自分には半分狼の血がまじっているからだと説明した)。

(略)

いまも大勢のグランド・ベンドの人たちが、ロビーとロイのギター対決をおぼえているという。ふたりの共演が終わったあと、ロビーはホークスのギターの席にとどまり、エレクトリック・ギターの真のマスター、ロイ・ブキャナンは独自の道を行った。

ガース・ハドソン

ホークはその前から、ウィラードのかわりにガース・ハドソンを入れたがっていた。ガースはデトロイトのバンドでオルガンをひくほか、ときどきホーンも吹いていて、ぼくたちとおなじ興行ルートをまわっている人の大勢が、ガースのことをすばらしいミュージシャンだといっていた。

(略)

 一九五九年という早い時期に、ホークはガース・ハドソンをバンドに誘ったが、ガースは話にのらなかった。彼はぼくたちよりもすこし歳が上で、正規のクラシック教育をうけていて、ひとつの趣味として、そして、少々の特別収入を得るためにロックンロールをやっているだけだった。家族もとても保守的で[賛成するはずがなかった。実際に、バンドの演奏を聴いたガースは自分には激しすぎると辞退] 

(略)

 しばらく前からぼくはガースを入れる話をむしかえし、ロニーにうるさくいっていた。ガースがどこかのバンドと共演したり小さなジャズ・クラブで演奏したりするのを聞いて、ぼくたちは彼の豊かな音楽的知識に驚異した。ガースは、ポルカにもJ・S・バッハにもおなじぐらい深い関心を抱いていた。マイルス・デイヴィスといっしょにやることも、シカゴ交響楽団とやることも、『グランド・オール・オプリ』で演奏することもできるミュージシャンだった。絶対にガースを入れるべきだ。ぼくたちはそう考えた。
 カナダにもどったときには、ホークも何が何でもガースを入れるべきだという気になっていた。「あの男は天才だ。それは、おれがケネディでないのとおなじぐらい、たしかなことだ」ホークはいきりたっていった。「あいつの音楽が何なのか、おれにはわからん。だが、あれが役に立つことはわかる。ああいう人間を、学校に行ってちゃんとしたアレンジの方法を知っているやつを入れなきゃ、いいバンドはできない。メンバーに勉強させるためにも、あいつが必要だ」
 「むこうがほしいというだけ払ってやったらどうだ?」ぼくはいった。「どれぐらいをいってきてる?」
 「あのな、ガースは仕事をしているときの分だけじゃいやだといってる。仕事をしていないときの時間まで買えといってるんだ」ロニーがいった。「望むものは何でもやるといった。ステージに出ていないときはおまえたちに音楽を教えることにして、その分も払うとな」
 「それでむこうはなんて?」
 「滑稽な話だといったよ。それから、条件として新品のローリーのオルガンを入れるなら、考えてもいいといった」

(略)

  ガースのオルガンの加入で、ホークスのサウンドはロックンロール・オーケストラのようになった。サウンドが前よりもずっと豊かになったのが確実に感じられた。ガースは、ほかの人にはないサウンドを持っていた。ローリーのオルガンについているペダル・スティール・ストップを好んで使い、火を吹くドラゴンのような音を出した。このほかガースは、自分用のレスリーのスピーカー・キャビネットのいちばん上に、自動車のクラクションのようにホーンをとりつけていた。音がある周波数に達するとホーンが鳴り、とてもおもしろかった。
 ガースはまじめなタイプのミュージシャンだった。よく考えてゆっくりしゃべったし、ほかのメンバーのような激しい女漁りもしなかった。彼のような教師から学べるということだけでも、ぼくたちにはありがたいことだった。キャデラックで移動するとき、ガースはラジオの歌を聞いて、そのコードをぼくたちに教えた。コードが複雑に組みあわさっている場合はどうか?それでも問題はない。ガースが楽々と解読してくれるので、ホークスはどんな曲でも演奏できるようになった。前よりずっと世界がひろがって、楽しみもひろがった。考えて手探りでやる必要はない。仲間に大先生がいるのだから。そんな感じだった。
 ガースの加入によって、ホークスに二本目のサキソフォンがくわわった。ガースのアルト・サックスとジェリー・ペンファウンドバリトン・サックス。このふたつはソウル・バンドのホーン・セクション的な役目を果たすことができた。おかげで四年近くやっていたロカビリーとはちがう、R&Bのフィーリングに近いサウンドが出せるようになった。
 しかしいちばんたいせつなのは、ダブル・キーボード――リチャードとガース――のスタイルにもどれたということだ。ホークスはダブル・キーボードの編成を基盤にして音楽をつくり、やがて自分たちが世界一だと思えるようなところにまで成長する。

 

 一九六二年は、新メンバーで新年を迎える初めての年だった。この年は、ほかにも変化がたくさんあった。いちばん大きな変化は、ホークの結婚だった。

[62年末、徴兵で西ドイツ行きを宣告されたリヴォンは、友人の未亡人と偽装結婚しカナダ人となり問題を解決]

独立 

[ロカビリーに固執するロニーとR&Bをやりたい「ぼくたち」]

 ベル・サウンドでレコーディングをしていたある日、ロニーが帰ってしまったあと、ヘンリー・グローヴァーは、ホークスだけでボビー・ブランドの名曲〈ファーザー・オン・アップ・ザ・ロード〉をレコーディングさせてくれた。ぼくたちの大好きな曲だった。レコーディングを終えてプレイバックを聞いているとき、ヘンリーが、ところできみたちはいつひとりだちをするのかと訊いた。
 それで、ぼくたちもその気になった。ホークは家庭を持ち、腰を落ちつける気でいる。(略)

ロビーとぼくは大胆な想像をした。ロビーがいった。「リヴォン、ロニーがいないとほんとうにだめなのかな?」
 一九六三年の後半、ぼくたちがロニーと別れたのには、いくつもの理由がある。しかし何よりもまず、グループに亀裂が生じたのは、年齢差のせいだった。(略)

ロニーは自分の好きな音楽をやろうとし、ぼくたちはみんなが平等に演奏できて歌えるバンドがいいと思っていた。すでにひとつの曲のなかで交替にヴォーカルをとり、必要なときにはハーモニーをつけることをはじめていた。リチャードとリックとぼくの三人が歌う、のちのザ・バンドの声の原形が生まれつつあった。

(略)

[家族と過ごすため週末まで]ロニーが来ない夜は、ぼくたちがかわるがわる歌うことになった。

(略)

 毎日、酔っぱらうかストーンしていた。みんな、コーヒーを飲むようにマリワナを吸っていた。

(略)

[だが、ホークはマリワナを嫌っていた]

 ぼくたちはマリワナに出会って、新しい世界を知った。(略)

シカゴ・グリーンは手に入る最上の品だった。メキシカン・ブラウンもよかった。(略)ぼくたちはばかみたいに笑って、そしてたいていは楽しい時間をすごした。(略)

[しかし、ホークは25ドルの罰金を取った。やがて締め付けを強化し、車中では酒も煙草も禁止した。]

 いちばんさきにやめたがったのはリックだ。(略)

ばかばかしくてやってられないよ。外に飛びだして世界を見るべきだ。(略)

若いリックは強硬だった。「みんなが楽器をやって、みんなが歌うバンド。(略)[仕切る]人間のいないバンド。そういうのじゃ、どうしていけないんだ?」

[64年遂に計画を実行、グループ名は最年長ということで、リヴォン・アンド・ザ・ホークスに] 

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トロント

 トロントでバンドをスタートさせるには、最高の時期だった。当時のトロントはとても活気があった。週末の夜のヤング・ストリートでは、オスカー・ピータースン、力ール・パーキンス、レイ・チャールズとそのバンド、キャノンボール・アダレイチャーリー・ミンガスのコンサートを見ることができた。ホークス、そのライヴァルのポーパーズといった地元のバンドを見ることもできた。フォーク・ミュージックもさかんで、ヨークルのコーヒーハウスでは、ゴードン・ライトフット、ジョニ・ミッチェルニール・ヤングといった若いシンガーが歌っていた。活気があったのは、音楽だけではなかった。出版、ファッション、そのほかの流行の点でも、トロントはカナダの中心だった。いわゆるスインギング・ロンドンの時代のすくなくとも一年前に、トロントはスイングしていた(略)。トロント大学の教授、マーシャル・マクルーハンはメディア理論を編みだし、その後の人々の情報との接しかたや暮らしかたを変えた。

(略)

 一九六四年の初め、キャノンボール・アダレイセクステットトロントにやってきた。ホークスは、彼らのヒット・レコード〈ジス・ヒヤ〉に大きな影響をうけていた。そして全員でキャノンボール・アダレイセクステットを見にいき、彼らが高価な仕立ての服を着て落ちついていて、そしてとてもしゃれて見えるのに感激した。(略)

ウェスト・メンフィス出身で、ぼくたちととても仲良くなったフルートのチャールズ・ロイド。ドラマーのルイス・ヘイズはすばらしいミュージシャンだった。ルイス・ヘイズがふんわりとリズムをたたきだすのを見て、ぼくはたいせつなのは力いっぱいにたたくことだけではないと悟った。狂ったようになってはいけない。たえずコントロールを保つのだ。ぼくたちは、キャノンボールのバンドのおさえの効いた演奏が気にいった。そのあとまもなくして、ぼくたちは演奏のスタイルを「ジャズっぽい」と呼ぶものに変えた。(略)リック・ダンコは、いまもぼくたちの一九六四年をキャノンボール時代と呼んでいる。

ブルース

[ジョン・ハモンド・ジュニアと知り合い、NYへ行った際に、マイク・ブルームフィールドを紹介された]

 そのすこしあと、ぼくはロビーといっしょに車でトロントからタルサヘ行った。(略)

このドライヴのとき、ロビーが子供のころの思い出を話したのをおぼえている。ロビーは子供のころ、カーニヴァルで働いたことがあり、賭博師や怪物ショーの芸人や曲乗りの少年といった旅の一行にまつわる謎めいた話をした。車に乗っていて観覧車や色つき電球の飾りが見えると、ロビーはかならず止まって見ていきたがった。ロビーはカーニヴァルに特別に心をひかれていた。
 タルサヘ行くとちゆうシカゴに寄って、マイク・ブルームフィールドのところに何日か泊めてもらった。マイクはすごくいいやつだった!ぼくたちはいろいろなところに行き、ポール・バターフィールドに会った。彼はハーモニカの名手で、彼のシカゴ・ブルース・バンドは当時の音楽の最先端を行っていた。(略)

ぼくもロビーも彼らの音楽が気にいった。(略)この音楽――エレクトリックを強調したR&B――をとりいれて、新しいものをつくろうと考えはじめた。
 この旅でいちばん感激したのは、バターとマイクにつれられてシカゴのサウス・サイドにある小さなブルース・クラブに行き、まだシカゴ以外ではあまり有名でなかったオーティス・ラッシュやバディ・ガイに会わせてもらったことだ。ハウリン・ウルフがバターといっしょにやるのを見たのは、すばらしい経験だった。ウルフはからんでくる酔っぱらいたちを無視して、曲をリクエストする若い女性だけに注意をむけていた。

サニー・ボーイ・ウィリアムスン

[仕事で地元に戻ってラジオをつけると、『キング・ビスケット~』が流れ「この人達まだこれをやってる」とビックリ。サニー・ボーイは海外ツアーから戻ったばかり、自分達の演奏を聴いてもらおうと会いに行くことに]

彼がしわがれた声でいった。「あんたたち、ほんとうにうまいよ。どこでやってた?わたしは七十だが、いままで聞いた最高のバンドの部類に入るよ」 

(略)

「こいつ、どこでそんなのをおぼえたんだ?」といいたげな顔でロビーを見て、それからガースとリチャードに眼を移してにっこりする。(略)サニー・ボーイはぼくたちを気にいった。(略)こっちにもそれがわかった。このときからぼくたちは、サニー・ボーイのバンドになれないものかと考えはじめた。

(略)

サニー・ボーイは笑って話をし、飲みつづけた。そしてどんどん機嫌がよくなって(略)ロンドンで共演やレコーディングをしたヤードバーズ、アニマルズ、ゼム、そのほか当時売れっ子だったセッション・ギタリストのジミー・ペイジなど大勢のイギリスの若いミュージシャンの話をした。(略)

 「あっちの子たちは」笑いながら彼はいった。「みんな、わたしを気に入ってくれてね。まるで神様みたいに崇めて、ものを買ってくれたりご馳走してくれたりした。そうなんだ!みんな、わたしといっしょに演奏したがった――金もたくさんくれたよ。やつらはブルースが好きなんだ。とても真剣なプレイヤーもいた。ほんとうだ。ああいうやつらにはおどろかされた。(略)

[話を進めようと、別の店に移り]

「知りあいだったかって?」サニー・ボーイは信じられないといった顔で訊きかえした。「いっておくがな、ロバート・ジョンスンはわたしの腕のなかで死んだんだ!」

 ちょうどそのとき、サイレンを鳴らし、赤いライトをつけたパトカーが三台(略)

[白人が黒んぼの街で黒んぼと食事をしているのが気に食わないと警官達。袋叩きにされる恐怖で街を出ることに]

[トロントに戻っても]ぼくたちはいつも、サニー・ボーイ・ウィリアムスンのことを話していた。どうやれば、サニー・ボーイといっしょにやれるようになるか?

(略)

[五月、サニー・ボーイ死去の知らせが]

とても悲しかった。ぼくにとってその知らせは、ひとつの時代の終わりを告げるものだった。

ボブ・ディラン

[エリック・シャスターからの契約の申し出を、あまりに酷い条件なので断ると、おまえたちはNYじゃ絶対にやっていけないぞ!と言われ意気消沈]

 店のバックステージで、だれかがぼくに受話器をわたした。

「こちらはボブ・ディランですが」むこう側で声がいった。

「はい」ぼくはいった。「何のご用でしょう」

 しばらくは何も聞こえなかった。「じつは、その……ハリウッド・ボウルに出ないかと?」

(略)

すごいぞ!

 ボブはバンドを探していた。ぼくたちは飛躍を求めていた。

(略)

[大佐に電話をしボブに]大会場を満員にする力があるのかどうかを確かめた。ラジオで彼の歌を聞いてはいたが、レコードを持っているわけでもなく(略)どんな大物なのか、ぼくは知らなかった。

(略)

そのころのぼくたちはジャズ期にあった。各自ちがうスタイルのしゃれた高級なスーツを着ていたころだ。

(略)

メンバーたちはボブの電話の件を聞いて、最初あまり賛成しなかった。ボブがギターとドラムだけを探していたからだ。

(略)

リチャードは「だってやつはギターのジャカジャカ屋だぜ」といってばかにした。そのころのぼくたちはとてもなまいきで、フォーク・シンガーのことをそう呼んでいた。

(略)

いま考えてみると、あのニューポートの否定的なファンの反応があったからこそ、ディランはそれをやりとおす決心をかためたように思える。

(略)

 まだ人がいない一万五千の客席を前にして、サウンドチェックがおこなわれた。ロビーのギター、ぼくのドラム、アル・クーパーのオルガン、ハーヴィ・ブルックスのベース。そのベースがからっぽの大会場に鳴りひびいた。ボブはそよ風に髪をなびかせ、ひとりマイクの前に立っていた。よく知らない人とはほとんど口もきかず、とても細くて弱々しく見えるボブ。しかしそのなかに火山のような力があるのを、ぼくは感じていた。

(略)

 その夜、フォレスト・ヒルズ・テニス・スタジアムは満員になった。

(略)

ドラムをセットしたときから、客はブーイングをはじめていた。(略)

サングラスをかけたロビーがギターをぶらさげて出ていくと、あきらかに不満の声が大きくなった。しかしボブが出てきて、そして強烈な〈トゥームストーン・ブルース〉がはじまったとき、客は初めて聞くものの迫力の前に茫然としていた。絶対にそうだった。ロビーが曳光弾のようなソロを会場に撃ちこむと、そこはまったくの新世界になった。ボブがマイクの前で、からだをねじって吠えていた。いままでとはまったくちがう世界がひらけていた。
 曲が終わったとたん、野次がはじまった。(略)
 「裏切り者!」(略)

「ロックンロールなんてうんざり!」「リンゴ・スターはどこだ?」「フォーク・ミュージックをやれ!」「ディランはどこだ?」といった野次と罵声がとんだ。(略)

どこかのばかがステージにはいあがってきて、アル・クーパーを椅子から突きおとした。とても醜い光景だった。

(略)

[ボブが]ぼくにむかって大きな声で「ビートニクの襲来だ!」といった。

(略)

 六日後、飛行機でロサンジェルスヘ行き、ハリウッド・ボウルでおなじようなコンサートをした。そのあと、ぼくはボブに、客が前より友好的でよかったといった。
 「ブーイングをしてくれたほうがよかった」ボブはたばこに火をつけながらいった。「いい宣伝になる。チケットも売れる。好きなだけ野次らせてやればいいんだ」

(略)

ロビーとぼくにボブのツアー参加の話がきていたが、ぼくはバンドを解体したくなかった。

(略)

[アルバートグロスマンに言った]

「全員を入れるか、でなければだれも入れないかのどちらかだ」

「すると予想に反して(略)ロード・マネージャーのぼくまでふくめた全員を雇うといってくれた。カドレッツ大佐にも、それまでどおり10%が支払われることになった。事態は一変した。それまでとは段違いによくなった」

次回に続く。

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