アメリカ小説を読んでみよう・その3

前回の続き。

現代アメリカ文学の冒険 佐伯彰一丸谷才一

の両氏と(後半)

[ポーランドから亡命してきたジャージ・コジンスキーの話になり]
丸谷 ぼくは「ペインテッド・バード」を読んだきりですが、いい英語でね。コンラッド以後、最も英語のうまいポーランド人ではないかという感じがする。どうしてポーランド人というのは英語がうまいんだろう。
佐伯 一つは、ヨーロッパの小国は、自分の国では文学的に自給自足ができなくて、作家として生きようとし、少し広い読者をつかもうとすれば、国際的なことばを身につけなければどうにもならないという必死なところがある。日本語の場合は、日本語の壁というのかな、それがいろいろな意味で守られていて、しかも一億も人間がいて、文盲率は極度に低いから、読者は非常に多い。だから、それだけで充分に間に合ってしまう。それで、そういう必要というか、欲求というか、しなければいけないということがまるでない。
丸谷 そうですね。もし人口がこんなに多くなくて、みんな無学であれば、野間宏さんがフランス語かロシア語で書いていることになるわけだ。
植草 そういうので、最近ぼくが感心したのは、朝鮮人のリチャード・キムでした。(略)
「殉教者」を読んだとき、オヤうまいぞ、と言っちゃいましてね、東洋人で、これだけ英語をマスターした人にぶつかったのは初めての経験でした。
佐伯 あの人は朝鮮事変に出て、その後、アメリカヘ行ってやったわけでしよう。
植草 たった五、六年でしょう。
佐伯 あと、どこかの大学で英文学を教えているらしい。日本人は、昔から訓練はずいぶん受けているし、文学的才能はあるのに外国語の人が出ないのは、才能の問題じゃなくて、全然、プレッシャーがないからですよ。
丸谷 そうなんだ。だから佐伯さんだって英語の本は書かないわけだ。(笑)
(略)
佐伯 アメリカの場合(略)批評家は、伝統ということをひどく気にしていて、ごく最近まで、アメリカ的伝統ということを言わなければ本が書けないような雰囲気があって……。
丸谷 そう、戦争中の日本の本の序文にかならず米英撃滅とあるのと、何か近い感じ。
佐伯 そんな、二百年や三百年で、伝統などと言ってもらいますまいと思うんだけど、そういう欠如の意識は相当ある。
丸谷 現代の日本の文学者も、日本文学の伝統を利用する方向で行ったほうがいいんじゃないか。伝統というのは、利用するもしないもない、もっと無意識的なものだといってしまえばそれまでだが、やはり利用する方向で行くべきだとぼくは思う。ところが、いまの日本のアメリカ文学ばやりには、日本はアメリカと同じぐらい貧しい国だというふりをして、アメリカのまねをするみたいなところがある。ぼくに言わせれば、アメリカ小説の弱点は、コクのなさなんだけど、われわれはコクのある小説ができる条件を与えられているのに、それを、わざわざコクのない小説を書くために、アメリカの小説のまねをするのはいかがなものであろうということになるんです。
佐伯 向こうはそれをやる以外手がないんだけど、日本の作家がアメリカ式にやることは、おかしな、滑稽なことだ。日本とアメリカぐらい、まるで違うところはないとも思う。日本はずいぶんアメリカ化しているが、表面のいろんなことが似てくれば似てくるだけ、行き来するたびに、その違いのほうを強く感ぜざるを得ない。表面的に世界は同じみたいにつながってしまうと、こっちに何か安定した個性がなければ、こっちの意味が全然なくなってしまう。初めから違っているんならいいんだが、いくらか表面的に同じようになったところがあるから、よけい、いかにして違いを出すか、これは戦略論になるけれど、違いを強調したほうが、比較文学的には、はるかに有利だと思う。丸谷君が言ったように、ぼくはどうも近頃の作家は有利な点を捨ててしまっているという気がするな。
(略)
佐伯 かりに、ぼくが一人の外国人として日本へやってきて、どこへも行きどころがない、ここで何とか生きていかなければならないとしたら、日本という国は、売り込むためには、これは大変な国だよ。ということは、無意識のうちに、いわばそういうものを大前提にして文学をやっているということだと思う。
丸谷 残念ながらそうなんだろう。約束事が多いからな。ここまで書くが、ここから先は書かないということを、無意識でやっているんでしょうね。
佐伯 というのは、たとえば私小説で考えると、自分のことを裸にして書いていいということになっているけれど、書くべきことと書くべからざることの、約束はきまっている。それに乗っかれば小説と認められるというような……。(略)
それは短歌や俳句以来、約束事というのがあって、それが日本文学のもとになっている。だから、約束事をこわしても、そのこわし方がすぐ約束事になってしまうということじゃないかな。
丸谷 ぼくの小説は私小説じゃないし、ぼくはまた私小説にまっこうから反対しているんだけど、それでもやはり、そういう種類の約束事が、いろいろな形でぼくを縛ったり、ゆがめたりしているんでしょうね。
(略)
丸谷 きょうのおしゃべりでは、アメリカ小説とイギリス小説の相違点を強調し過ぎる傾きがありますね。
植草 でも一年ほど前でしたが「サンデー・タイムズ」か何かの書評を読んでいたら、遂にイギリス文学とアメリカ文学とは、まったく違ってしまった。言葉そのものが違ってしまったから、イギリス小説に対する理解力は、もう通用しなくなったって、かなり強い調子で書いてありましたけれど。(略)
いまでもアメリカの小説をイギリスの批評家はけなすことが多いですね。
佐伯 ペイトロナイズィングといった、上から頭をなでてやるといった調子のが相当あるね。アメリカも相当やっておるわい、まあいいでしょう、といった……。
丸谷 一番ひどいのは、アメリカの学者の書いたイギリス文学についての本の書評、ことにTLSに載るものは、読んでいて、差別もいいとこじゃないかといった感じですね。要するに日本人の学者が研究社から英語で出した本を書評するのと大差ない。(笑)ほめるときはもっとひどいみたいな……。
佐伯 対等扱いをしていない感じだね。
(略)
佐伯 (略)近ごろアメリカ文学ユダヤ系作家がずいぶん活躍するのは、そういうコロキアル、あるいはオーラルなものがうまく生かせるのは、アメリカとユダヤ的なものがピッタリ共鳴し合ったところからなんじゃないかという感じがする。
植草 ああいう調子でユダヤ人たちは、ふだんしゃべっているから、自然にあの調子になってくるような印象も受けますね。
佐伯 (略)授賞式の挨拶の中で、一番うまかったのはユダヤ系のシンガーで、ぼくらが聞いたってひどいと思うくらいなまりの強い英語で(略)
したたかなユダヤ的なユーモアみたいなもの、相手をよくつかんでいて、自分の言いたいことは完全に述べ立てる。ソール・ベローの「ハーツォグ」読んでもそう思うし、フィリップ・ロスの「ポートノイの不満」を読んでも、そう思う。
植草 シンガーの場合ですが、幾人かの作家が苦労して訳して、原文の味を出そうとしているんですね。
(略)
佐伯 ぼくもシンガーの講演聞いただけで、長編は読んでいないんだけど、あの風貌といい、語りくちといい、これは読まなければいけないという気持になった。
丸谷 なぜアメリカ作家は、短編がうまいのでしょうね。ぼくは商売柄、イギリス短編集というようなものをよくつくらされる。すると、イギリスのは一応うまいんですけど、短編小説のつくりそのもの、作柄みたいなところで、もう一つ何だかしまりが足りないみたいなところがあって困るんです。
佐伯 マーク・トウェイン、アンダーソン、リング・ラードナーからヘミングウェイの短編を読むとそう思うんだけど、何かふっと話をしていて、それが一つのさまになっている。これはイギリスの場合で考えると、社交界か何かに出て、一人で短編小説しゃべったりしたら、長広舌で、さまにならない。アメリカの場合は、西部の新開地みたいなところの、バーかなにかで、何となく相手に一つの話を聞かせてしまう。トール・テール、ほら話というものがずいぶんそこでは生きているんじゃないかという気がする。逆に、イギリス人からいうと、アメリカ人というのは会話を全然知らなくて、一人一人がみんなスピーチをやるのがアメリカの会話だという悪口があるでしょう。イギリス人は絶対一人でスピーチなんかしない。
丸谷 逆にイギリスの小説だと、語り手が長々と長編一冊ぐらいしゃべっちゃうのね。あんなことはあり得ないんでしょうけど、約束事として認めちゃう。
(略)
丸谷 植草さんに伺おうと思ってたことが一つあるんだけど、ハリウッド小説では、何がいいんですか。
植草 例のフィッツジェラルドの「ラスト・タイクーン」とウェストの「イナゴの時代」、このほうがいいのですが、かりに三つあげるとすると、そのつぎにギャヴィン・ランバートの「スライド・エリア」なんです。
(略)
丸谷 それは嬉しいな。あれはぼくのつくったイギリス短編集に入れておきましたよ。好きな作家なんです。ところで、この間考えていたんだけど、もうハリウッドというのは、決定的に終ったわけでしょう。
植草 終ったけど、それまでの転換期が、それぞれ、かりに二流だとしてもハリウッド小説のなかに書かれているわけです。
丸谷 今度ハリウッド小説が書かれることはないだろう、書かれるとしても回顧ものみたいな形だろう、とすれば、ハリウッド小説のシリーズをつくったらおもしろかろうというようなことも考えてみたんですよ。(略)
二十世紀文学史の、ある角度から見た切り込み方になるんじゃなかろうかと思ったんですけどね。
植草 (略)あの頃ハリウッドは、夢の工場だった。戦争前後になると、ヤシの木が生えたシベリアという形容詞がつかわれ夢の工場ではなくなった。それから最近ではドキュメンタリー・フィクションになっています。かれこれ二百冊ぐらいはあるでしょうね。
(略)
佐伯 植草さん、今日は小ライブラリーといいたいほど山ほどの新刊本を持ってきてくださったんだが、この中でいくつか推薦本を挙げていただきましょうか。
植草 だいたい一九六八年の春までは、ユダヤ作家ルネッサンスといわれて、メイラーからベローまで数名の一流どころが出て、その間に一年に一人ぐらいポツリと、たとえばアップダイクあたりが新人として注目されたというようなわけでしたが、六八年の春から将来性に富んだ才能がゾロゾロと、いっぺんに出てきたのです。(略)
三十四歳のフランク・コンロイの「ストップ・タイム」とか、ロバート・ストーンの「鏡の間」。三十一歳です。ドキュメンタリーの分野に入り込んでいますが、ジェレミー・ラーナーという三十一歳の作家、女性作家では、キャスリン・ペルツ、「幽霊」で評判になった。ほかにグレイス・パーレーという女流が、いい短編を書いています。とくに最近では、レナード・マイケルズの短編集「ゴーイング・プレイス」、それから昨年の新人として最優秀作品だと目されているL・ウォイウーディの、「ぼくは何をしようとしているんだろう」、「撃て」でアメリカのカミュと呼ばれたポール・タイナー、日本の二世を扱った「アメリカン・スクラップブック」のジェローム・チャーリン。実験的なまねをやっている「西の国の泣き虫」のジョン・レナード、「小説の死」という短編集のロナルド・スケニックあたりに興味がむかいますね。こうした新人作家のものを注文して、来たとき、裏表紙に作家の写真が出ているのをみると、たいていみんな個性的ないい顔をしているので読むまえに喜んでしまいますね。
佐伯 植草さん的人相学ですね。いま伺った作家、恥ずかしいながら読んでいるのが一人もなくて……。
丸谷 写真を見るってところがおもしろいですね。いかにも映画批評家らしい。

ナボコフの投書と本の話とナボコフィアンのこと

サタデー・イヴニング・ポストをめくっていると(略)ナボコフと編集長との手紙のやりとりである。
 ナボコフは投書がすきだな、とこのとき思った。
(略)
[スイスまでインタビューに行った中堅作家のハーバート・ゴールドが八年前にナボコフに会ったときに、ナボコフが「ドクトル・ジバゴ」の作者をからかったこと思い出した]
『もちろん、とてもいい男だよ』とナボコフは、そのとき質問に答えたあとで『もちろん金なんか貸してはいけないよ』といい、それから『もちろん』を連発したのだった。『もちろん、才能って、てんでない男だよ』 『もちろん、嘘つきの偽善者だよ』 『もちろん、彼はホモセクシュアルだよ』 『もちろん、とてもいい男だから、付き合って悪いということなんかないよ』(略)
それをこんどのインタヴュー記事のなかに書きこんでしまったのである。
 これはマズかったな。ナボコフがポスト誌の編集長に出した手紙というのは、ザッとつぎのようなものである。
(略)
 編集長殿。ゴールド氏の記事には、なかなかうまいところがあって、面白く拝見したが、二人にとっての共通な友人のことで語った言葉を黙って引用したのは、ちょっとけしからん。その友人は、まだ生きていてピンピンしているから、あれを目にしたら黙ってなんかいられなくなるだろう。名前を明すとサム・フォーチュニ Sam Fortuniという詩人だが、この男は四十年まえに一度しかゴールド氏に会ったことがなかった。それに金を貸してくれといった覚えはないそうだ。あすこで思い出しているのは間違った事実である。サム・フォーチュニには才能がいくらかあり、男でなく女がすきで、嘘はつかなかったし、それほどいい男ではなかった。そしてサムという男は、この世に存在していないのだ。
 ゲラ刷りを見せるという約束をしたのに、すっぽかしたな。ほかの個所にも間違いが目についた。それはたいしたことじゃないけれど、ゴールド氏におことづけを頼んでおく。綴り字を置きかえたアナグラムを解読するのがすきな彼が、サム・フォーチュニという老詩人が、どんなに憤慨しているか、と。
(略)
 ナボコフ様。お手紙はご注文どおり掲載させて戴きますが、いったい「サム・フォーチュニ」という詩人が誰だか、とんと見当がつきかねるのです。(略)
アナグラムの判読に努力いたしましたが、どうしてもお手あげなんです。
(略)
 フリードリッヒ編集長殿。Aという男がBという男に手紙を出した。そのときBがAの手紙をそのまま掲載しないで削ったとき、その手紙はABという男がBに出したことになり、出した意味がなくなると同時に、なんの価値もなくなってしまうだろう。
 このまえの手紙でも判るとおり「サム・フォーチュニ」は、わたしが発明した名前であって、それがはたして誰だか、わたし自身にも謎なのだが、たとえその老詩人が墓場から出てきて酔っぱらったあげく、きみの編集室に怒鳴り込みにいったとしても、それはわたしの責任ではないのさ。サム・フォーチュニを解読すると、1234567890が3517894206となってくる。Sam Fortuniは“Most unfair”のアナグラムだよ。きみが賞めているナボコフィアンに、これくらいのことが判らないとは情けない。    ウラジミール・ナボコフ

ウラジミール・ナボコフ三題

 もっと面白いのは、パリのオリンピア・プレスのモーリス・ジロディアスとナボコフとの喧嘩だろう。
 ジロディアスは、ヘンリー・ミラーの「南回帰線」などの発禁書で戦前有名だったオベリスク・プレスのジャック・カーンの息子であり、おやじ以上に発禁書を出して悪名をたかめたが、アメリカの出版社から蹴られた「ロリータ」を出したのが、まえに書いたように一九五五年九月であった。このときナボコフは、オリンピア・プレスから出るのでペンネームにしたかったらしいが、予期してたとおり、本は出たけれど、なんの反響もない。ところが十二月になって、まず最初に、[サンデー・タイムズ紙に年間ベストテンを訊かれた]グレアム・グリーンが賞めたのである。(略)
[それで]「ロリータ」を買って読んだサンデー・タイムズ紙の主筆ジョン・ゴードンというのが、カンカンに怒りだし『こんなきたならしい本は読んだことがない』といって新聞でグリーンを攻撃した。グリーンのほうでは、それだから検閲がうるさくなるんだ、といって応酬し、結局は勝ったのであるが、ゴードンの策動で「ロリータ」は発禁になってしまった。
 この初版のとき、ジロディアスがナボコフにいくら払ったかは、二人に訊かなければ判らないが、ぼくは千ドルだろうと想像している。それと同時に版権もとってあったのだが、アメリカ版が出たとき、ナボコフが知らん顔をしてるんで、手紙を出したところ、そんな約束をしたおぼえはないという返事なので、ジロディアスは怒ってしまった。これは当りまえだ。
 こうして喧噂になったのだが、成りゆきを簡単にしるすと、ガリマール社から「ロリータ」の仏訳が出たのが、一九五九年四月で、この訳者がジロディアスの弟であった。そして出版記念パーティがあり、ガリマール社ではナボコフを呼んだが、ジロディアスには、わざと招待状を出さなかった。これを知って、また怒った彼は、かまわず会場へ乗りこんでいったのであるが、このときのナボコフの窮余の策がいい。
 つめよられた彼は、ニコニコとしてジロディアスと握手すると『きみの弟さんの翻訳はなかなかいいよ』といい、呆気にとられた彼から離れると、ほかの人のところへ行って話に夢中になりだした、というのである。やっぱりナボコフのほうが役者は一枚うえだった。

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