ジジェク、革命を語る 不可能なことを求めよ

「あらゆるファシズムの勃興は、革命が失敗に終わったあかしである」

40年前、アフガニスタンはきわめて世俗的で寛容な中東イスラム国でした。国王は西側寄りの一種の世俗的な官僚(テクノクラート)であり、有力なコミュニズム地域政党も存在していました。それから何が起こったか。コミュニズム政党がクーデターを起こし、ソ連と西側が、イスラム原理主義者を支持するアメリカとともに介入したのです。現在、原理主義的なアフガニスタンが存在するのは、そのためです。これはみごとな逆説ではないですか。アフガニスタンは我々が啓蒙すべき古い伝統的な原理主義社会ではありません。それどころか、それはあらゆる点で世界政治に巻き込まれた。そして、そのために原理主義的になったのです。グローバルでリベラルなシステムによって、我々は原理主義を生み出した。同じことはすべてのアラブの国に言えます。
 宗教的原理主義の勃興とイスラム諸国における左翼の消滅とは、厳密に言って表裏一体である、これが私の主張です。アラブ諸国においてかつて世俗主義的左翼がいかに強力であったかということを、我々は忘れがちです。それは称賛すべき役割を果たしました。それはシリア、イラクにおいて、またエジプトにおいてさえ、単なるソ連の道具ではなかったのです。(略)六〇年代半ば、ナーセルは自国のすべてのコミュニストを殺しました。よく引用するのですが、ヴァルター・ベンヤミンはこう言っています。「あらゆるファシズムの勃興は、革命が失敗に終わったあかしである」。今日この言葉は、以前にもまして身に沁みます。
 リベラル派は、左翼「急進派」と右翼「急進派」の類似性を指摘したがります。ヒトラーのテロおよび強制収容所ボルシェヴィキのテロを真似たものだ、レーニン主義的な党は今日アルカイダにおいて生きている……なるほど、ではいったいこれは何を意味するのでしょうか。こう考えることができます。これは、ファシズムがいかに左翼革命に取って代わる(その後釜にすわる)ものであるかを示している、と。ファシズムの勃興とは、左翼の失敗のことではありますが、それは同時に、左翼が動員できなかった潜在的な革命の力、つまり不満が存在した、という証拠でもあります。急進的なイスラム教の勃興は、まさしく、イスラム諸国において世俗主義の左翼が消えたことと関連するのではないですか。この世俗主義の伝統はどこに行ってしまったのでしょうか。中道リベラル派に対する我々のメッセージはこうなるはずです。「きみたちは、我々、急進的左翼を追い出した。それで今では、宗教的原理主義が威勢を振っている」と。
 もし新たな世俗主義的左翼が出現しないならば(略)
我々は、ヨーロッパ人が皮肉をこめて言う「アジア的価値観をともなった資本主義」、つまり、全体主義的資本主義に行き着くことになるでしょう。

規範の凋落、新たな権威主義体制

女性をレイプするのは間違っていると主張しなければならない状況で生きるなんて、私はごめんです。そんな状況は破廉恥です。レイプがよいか悪いかを議論する必要がある社会とは、どんな社会でしょうか。レイプをきわめて不愉快な狂気の沙汰とみなすことには疑問の余地はない、そう言い切れる社会が私の生きたい社会です。同じことは、人種差別、ファシズム、等々にも言えます。
(略)
倫理的規範とは、明示的な禁止や許可ではなく、あえて言う必要がないくらい浸透して受け入れられていることです。
 ヨーロッパをみると、規範の凋落はひどいものです。二、三〇年前にはありえなかったことが、今では次々に容認されています。例えば、二、三〇年前は、極右に政権を任せるという考え自体、容認されていませんでした。極右は呪われた者だったのです。
(略)
これまでは、ファシズムは悪いというコンセンサスがヨーロッパにはありました。しかし、現在では、ファシズムがよいか悪いかを論議している。すでに主張したように、人種差別に関しても同じような事態がこの先進行していくでしょう。
 同じようなことは、今のエジプトに関しても起こります。欧米は将来いよいよ民主主義を廃止せざるをえなくなるだろうと、私は思います。たとえ我々が何らかの形の民主主義にしがみつくとしても、です。だんだんこんなふうに言うのが流行ることでしょう。「ああ、民主主義ね。でも、それをそのまま実行することはできないよ。そこまで成熟していない人々もいるから」。
(略)
 危険な混沌にいつ陥ってもおかしくない時代が到来しつつあると、私は思います。私が憂慮するのは、ファシズムとは異なる、ある種の新たな権威主義社会です。
(略)
リべラル派の友人たちが抱いているような希望は、私にはありません。資本主義と民主主義の結婚は終わりました。
 ユートピア的な夢想と言えるのは、新たな社会が可能である、ということではありません。むしろ、現状は維持される、世の中は今と変わらずいつまでも続いていける、ということのほうが夢想なのです。私が〈ウォール街占拠〉から学んだのはこのことです。我々は近い将来、きびしい決断をせまられる、私はそう断言します。我々が手をこまねいていれば、新たな権威主義体制が現れるのは明らかです。

ポストモダン」な大統領ロナルド・レーガン

ロナルド・レーガンはまったく新しいモデルでした。彼は自分の欠点や弱さを恥じることなく人前にさらしました。いわゆる「テフロン加工された」[打たれ強い]大統領というやつです。ポスト・エディプス的な、「ポストモダン」な大統領と言ってみたくもなります。レーガンが演説したあとでは、愚かなリベラル派のメディアが、きまって彼の間違いを列挙する長い論説を書きました。そのとき何が明らかになったと思いますか?レーガンが馬鹿な間違いをすればするほど、彼の人気は高まったのです。人々はこの誤った「人間らしさ」に自己同一化したわけです。
 ベルルスコーニは、こうした芸当の名人です。
(略)
 こうした例を通じて私が言いたいのは、政治的リーダーというものが成立する仕組みに何か重大な変化が起こっている、ということです。(略)
威厳と風格をもった昔ながらのリーダーは消えつつある、ということです。プーチンでさえこの傾向にひどく気を配っています。(略)
プーチンが癇癪を起したようにときおり汚い言葉を使ってみせるのも同じく演技だそうです。プーチンはこうすることで、自分の人気が上がることを知っているのです。

プロレタリアートの再定義

我々が今目にしている事態に関連して私が悲しいと思うのは、マルクスはあまりにも楽観的だった、ということです。マルクスにとって、資本主義的搾取は、法的自由と法的平等という条件のもとで発生せざるをえません。つまり、我々は形式的、法的にはみな同じ権利をもち、自由であるが、実際には、十分な金がないと自分自身を売らねばならず、そのため搾取される、というわけです。しかし、現在、世界資本主義はこのグローバルな平等をもはや維持しませんし、許容もしません。それは単純に無理なのです。
(略)
古きよきマルクス主義によって規定されたプロレタリアート的な革命の主体には、その定義となる一連の特徴があります。例えば、社会の貧困層である、社会の多数派を形成する、他者の代わりに富を生産する、等々です。今でもこれらの特徴は残っていますが、それらが一つの主体において一体化することは、もはやありません。
 そういったわけで、私は現在、プロレタリアートを、ある状況に属していながらそこに固有の「場所」をもたない存在として再定義しようと試みています。(略)
今日、もっとも貧しい人々は、働く人ではなく、失業している人、排除されている人などです。ですから、主体は一つではありません。我々はとにかく、そう、様々なプロレタリアートの立場をみつけなければならないのです。

新たな形のアパルトヘイト

二〇〇八年の金融危機のときです。当時、現実には何も起こっていないにもかかわらず、我々は突然、恐ろしい危機のなかにいることに気がついた。あれはショ。クでした。問題は、こうした危機が将来さらに形而上学的なものになり、経済領域における精神的なものとして存在するようになる、ということだと思います。破滅的事態は起こらず、すべては平常通りでしょうが、我々は突然、今は破滅のときであり、すべてが不調であることを知るのです。(略)
我々は、これまでになく権威主義的な、グローバルなアパルトヘイト社会に向かってひた走っていると思います。

カフェテリアでの革命

「事態は悪ければ悪いほど、混沌としていればいるほど望ましい」と言うのは、実に恐ろしい左翼的な戦略ですね。我々左翼はそんなことを言うべきではありません。問題は、状況がどうにもならないくらいひどいとき、とくに反対運動を組織する必要がないほどひどい状況では、えてして独裁者や権威主義的人物が登場する、ということです。
 あなたはおそらく戦争を経験したことがないでしょうが、私は経験しています。あんな状況で生きるのは全然よいことではない。私は自信をもってそう言えます。デモに行き、その帰りにカフェによってデモについて議論をする。これはすてきなことです。公的秩序が崩壊するのをみるのは、よいものではありません。だからこそ私は、革命を欲する者は法と秩序の一翼を担うべきである、と思うのです。
(略)
人々は、権威主義的な国では警察が有能でよく統率されていると信じていますが、これは強い権威主義国家をめぐる神話です。「確かにきみたちには自由はない、でも、少なくとも治安はしっかりしているし、警察も警備してくれる」。これは完全に間違いです。(略)
例えば、スターリン主義時代にあなたがレイプされたとしましょう。あなたが警察署に行くと、警察は何と言うと思います?「悪いが、被害届は受理できない。我々は、犯罪は統計的に滅っていると報告しなければならない。今回のような事件を取り上げたら、統計が台無しになってしまう」。
これは単なる腐敗です。
(略)
 この問題に対する私の立場は、保守的なへーゲル主義です。何か意味あることがなされるためには、多くのことがきちんと機能していなければなりません。例えば、法、マナー、ルールです。こうしたものがあるからこそ、我々は自由を感じられるのです。人々はこの事実を自覚していないと思います。これは多くの左翼の偽善でもありました。彼らは、国家の権力装置の構造をまるごと標的にしたからです。しかし、我々は依然として、国家装置の機能に頼る必要があります。
 ですから、私のヴィジョンは、国家なきユートピア的コミュニティではありません。呼び方は国家でも何でもよいですが、これまで以上に我々に必要なのは、社会的権力とその分配を担う何らかの組織です。今の世界は、非常に複雑です。
(略)
私は、「我々が望むのは地域に密着した共同体組織だ」と主張するリバタリアン的な社会主義者に対して、つねに深い不信感を抱いています。私はそうした主張を信用しません。いわゆる「地域密着型の自主管理ないしは共同体組織」を実現するためには、いかに多くのことが国家的レベルで機能しなければならないか、私はそのことをつねに具体的に考えようとしています。
 左翼は、この透明な直接民主制というモデルを棄てるべきだと恩います。それをグローバル化しても機能しません。このモデルは、様々なことを統制する非常に強い国家装置を必要とします。それがないと、我々が今日、目の当たりにしている通り、ますます混沌の度を増していく資本主義と同じような事態がとくに第三世界において起こるでしょう。
 その意味で、私は次のような考えに強く惹かれます――我々左翼は「我々は真の法と秩序である、我々は真の道徳規範である」というイデオロギーを今こそ受け継ぐべきである。

プーチン神話

私は、プーチンを支える次のようなプロパガンダには全面的に反対です。「なるほど彼は少々冷酷かもしれない、しかし、ロシアにおいて寡頭制執政者が力ずくで民衆を支配するのを防ぐには、そうするしかないのだ」。これは嘘です。危機が起こるたびに、彼は苦しむ一般民衆をほったらかしにしました。私が今ロシアに行きたくないのは、そのためです。
(略)
「確かにスターリン主義はひどかった。でも、植民地主義の恐ろしさにくらべればましさ!」といった態度を取る左翼がいますが、私は嫌いです。この点で、私は『啓蒙の弁証法』のアドルノとホルクハイマーに対してきわめて批判的です。

政治的奇跡の普遍性

――(略)エジプトにおける民衆の反乱が新たな政治的現実をもたらす可能性はあるでしょうか?
 今日の西ヨーロッパに関してきわめて悲劇的だと思うことは、情熱的に政治に関与する人が、ほぼ例外なく移民に反対する右翼ポピュリストである、ということです。彼らは、大衆における不満や変化を代弁しています。情熱はそこにしかありません。これは非常に悲劇的な状況です。したがって、私はヨーロッパに関しては悲観的です。
(略)
私にとって、希望の契機はつねに普遍性の契機でもあります。我々はやたらと多文化主義的文化について語りますが、その際、普遍主義を疑ってかかります。人々はよく言いますね。我々はナイーヴすぎる、我々はみな自分に固有の文化のなかで生きている、普遍性などというものはない、と。でも、これにはひとこと言いたい。タハリール広場の写真をみると、また、抗議活動に参加している人たちのインタビューを聞くと、私はとてつもなく心をゆり動かされます。我々が多文化主義をめぐって話していることは、なんて安っぽく、的はずれなのか、と。タハリール広場においては、我々はみな圧政者と戦っていましたし、抗議している彼らは尊厳と自由を求め、すぐに連帯しました。ここにはすでに普遍性があります。我々が彼らと同一化するのに何の支障もありません。この革命の奇跡は、そこにありました。我々はこのようにして普遍的連帯を構築します。それは自由を求める闘争であり、自由は普遍的なものです。
 この革命における最大の勝利を教えましょう。ムスリム同胞団のメンバーたちは、メディアにインタビューされたとき、正直にこう答えました。第一に、これはムスリム同胞団の革命ではない、自分たちはただ支援しただけだ。第二に、この革命の目的は、民主主義、自由、経済的平等、等々であった、と。ここで原理主義の政治運動家たちは、民主主義を求める世俗的な要求を示す言葉を使っているわけですが、彼らさえもがこうした言葉を使うなんて、すてきなことではないですか。
 イランはこれとは逆です。イランでは、ホメイニ革命は基本的にもっと宗教的でした。マルクス主義左翼は、イスラムの言葉を身にまとわねばなりませんでした。エジプトは逆です。エジプトでは、イスラム教徒が世俗的な言葉を使わねばならないのです。これはすばらしい出来事でした。つまり、イスラム教徒がアラブの民衆を世俗的な価値観にもとづいて奮起させることができるなんて、誰も信じていなかったわけです。誰もがこう思っていました。「リベラル派のエリートがいないと、たぶんアラブはだめだろう。アラブ人はあまりにも愚かで頭が固すぎる。だがら、結局彼らが欲しいのは宗教なのさ」。とんでもない。彼らは行動したのです。たとえそれが失敗に終わったとしても、これは希望です。
 ここではイマヌエル・カントの崇高という概念を引用したくなります。カントはフランス革命を、自由の可能性を示す徴候として解釈しました。フランス革命のような出来事は、それにともなうあらゆる恐怖にもかかわらず、希望を与えてくれます。そう、これは、自由と進歩に向かうある種の普遍的な傾向が存在する、という希望です。進歩というのは証明できないが、進歩が可能であるということを示す徴候を見極めることはできる。これがカントの結論でした。これこそ、フランス革命のような出来事の意味です。ここで銘記すべきことは、フランス革命がヨーロッパだけでなく遠く離れたハイチのような場所でも熱狂を生み出した、ということです。(略)全人民が自らの自由と平等を、恐れることなく主張したのです。我々は彼らに対する信義をもち続けるべきだと思います。(略)
カントにとって、フランス革命は、想起的徴候、明示的徴候、予兆的徴候という三重の意味で歴史の徴候でした。エジプトの民衆蜂起も同じです。それは、権威主義的な圧政をめぐる長い過去の記憶とその廃止を求める闘争を呼び覚ます徴候であり、変革の可能性を明示する出来事であり、未来における目的達成への希望です。我々の懐疑や恐れや妥協がいかなるものであったとしても、その熱狂の瞬間には、我々一人ひとりは自由であったし、人間の普遍的自由に関与していました。革新主義者たちのなかでさえ、多くの人が変革の可能性に背を向けて懐疑的な態度をみせていたのですが、それは間違いであったことが証明されたのです。むろん我々は現実主義者であるべきですが、しかし、ある種の奇跡を受け入れる度量をもつべきです。エジプトの蜂起のようなことは奇跡です。これは宗教的な意味ではありません。

ボリバル主義、または、ポピュリズムの誘惑

チャベスは人民の参加を望んでいたものの、問題は地域の自主的組織と国家との結びつき方にありました。なぜか。国家から資金と援助を得ることがむずかしくなったのです。(略)それは国家に従属することによって資金を得る自主的組織でした。そのため、この組織は、言うまでもなく、一気に汚職や非効率的な政治運営へと落ち込んでいったのです。それが我々に示したのは、地域の自主的組織と国家との結合は権威主義的なものになり、最後にはポピュリズム的暴力という危険な組み合わせになりかねない、ということでした。
 もう一つ、危険なゲームがあります。それは、チャベスが暴力の問題を無視しようとすることです。(略)チャベスは、暴力を怖がる人の多くは中産階級である、と考えていました。(略)チャベス中産階級を目の敵にしていたので、彼の実際の考えはこうでした。「やっちまおうぜ。ちょっとは暴力を使おうぜ!」彼はきわめて危険なゲームをしていたのです。
 チャベスは息切れしてしまった。本当に悲劇です。チャベスは、こうしたポピュリズムのゲームにかまけていたために、物理的なインフラのことを無視しました。そのため原油の掘削装置は壊れ、掘削量はみるみる減りました。チャベスは、排除された者たちを政治に動員することによって、すばらしいスタートを切りましたが、そのあと伝統的なポピュリズムの罠にかかってしまった。オイル・マネーはチャベスにとって呪われたものでした。それが彼にもたらしたのは、問題に向き合うための空間ではなく、問題をたくみに操作するための空間だったからです。
(略)
[筋金入りの左翼の友人が]このボリバル主義が実際にどんな感じのものなのかを教えてくれました。彼がカラカスの中心部にある中産階級向けのレストランに友人といっしょにいたときのことです。そのとき、チャベスの狂信的な護衛が三、四人入ってきて、ある女性を怒鳴りつけ、彼女を笑いものにしました。その場に居合わせた人たちは、終始無言。すっかりおびえて、萎縮してしまったのです。(略)組織的な生産と組織的な社会発展を可能にする有能な中産階級は必要であるということ、レーニンがこのことを分かっていたことは確かなのです。こうした中産階級がいなければ、よいことはできません。チャベスがやっていたことは、実に恐ろしいことです。
 あらゆる革命には、この種の原罪が付き物です。例えば、キューバをみてください。カストロの犯した罪をご存知ですが?一九五八年、カストロキューバ島の東部をすでに掌握し、ハバナを得ようと最後の攻撃をしかけていました。そのとき彼は、この進攻の主な目的を自覚していました。それは、自分を支持するエリー卜層を得ることです。(略)混血人ではない、純粋なスペイン人のことで、知識人、医師などから成っていました。そしてカストロは、なかば公然と、人種差別のカードを切ってみせたのです。カストロが打倒した独裁者が、バティスタという、黒人の血を引くメスティーソであったことを忘れないでください。また、カストロの宣伝部隊は、彼に忠実なヒスパニック系のエリートにこう宣伝しました。「我々に権力を与えてくれれば、黒人奴隷による支配は終わる」と。キューバの中枢エリートの構成をみてください。今や本当にそうなっていますから。もちろん、かざりだけの無力な黒人エリートも二、三人は存在します。しかし、テレビをつけて、権力の中枢に何人黒人のエリートがいるか数えてみてください。キューバ社会を牛耳っているのは、純粋なヒスパニック系のエリートだということが分かります。

象徴的暴力の正当性

[抵抗運動家と疑われたクルド人達が監獄で拷問を受けていた時]
監獄の外にいるクルド人が勤務の終わった守衛の一人にそっと近づき、こう言ったのです。「おまえがおれたちの仲間を殺していることは分かっている。でも、おれたちはお前の素性も家も知っている。拷問を続けたら、お前の女房と子供の命はない」。拷問は突然やみました。おもしろくないですか。監獄の環境はよくなり、守衛は囚人を丁重に扱いました。
(略)
あなたは本当に恐ろしい状況を想像できますか?親しい人がどこかに捕らわれ、レイプされ拷問されている、しかし、あなたはそれが分かっていても何もできない。そんな状況を想像できますか?
(略)
これは私にとって最悪のことです。こうした状況では、我々は反撃しなければなりません。抵抗するだけでは不十分です。外国のジャーナリストを呼ぶとか、できることは何でもやる。
(略)
 私にとって重要な二つのポイントをまとめて言いましょう。第一に、暴力は今ここにすでに存在しています。これを忘れないでください。(略)
第二のポイントは、基本的暴力――市民的不服従と呼びましょう――と野蛮な物理的暴力とを混同しない、ということです。権力を無視することが必要な状況においては、それを試みることは人々の権利であると理解できます。これはとても効果的な武器です。(略)忘れてはならないのは、国家は無条件にそこにあるのではない、ということです。国家が機能するのは、それが機能していると認識される限りにおいてです。つまり人々は、組織的に権力を無視するという点で、とてつもない力をもっています。
(略)
[スロヴェニアで]独立後の政治腐敗にどのように片を付けるかが議論されました。人々は自発的に行動しました。召集令状を受け取った若者たちは、ただそれを無視したのです。彼らは書類を棄てました。警察は数人を逮捕しようとしましたが、そうした若者の数は膨れ上がり、国家は四万人を逮捕しなければならないという問題に直面しました。そのとき国家がとった対策は、言うまでもなく、屈辱的な撤退です。国家は、法を改定したからこうなった、というふりをしました。国家は突然、スロヴェニアにとって職業軍人から成る軍隊は小規模のほうが戦略的によいと悟ったのです。国家はすぐに法律を変えました。それは人々が法律に従わなかったからです。さらに言えば、十分な数の人々がこうしたことをすれば、我々は権力を手にできます。
 これが私の擁護する暴力、つまり象徴的暴力です。
(略)
テヘランのとある十字路で、一人の警官が抗議活動をする人々に近づき、「解散しろ、デモは禁じられている」と叫んだところ、言うことを聞かない人たちが何人かいました。あるデモ参加者は、ただその場に立って、警官をみていました。警官は叫び続けましたが、その参加者は動かなかった。困惑した警官は引き下がりました。数時間後、この事件はテヘラン中に知れ渡りました。街路での闘争は数週間、続きましたが、誰もが決着はすでについていることを分かっていました。これは、権力を無視する力の象徴になりました。
 現在、エジプトでも同じことが起きているのでしょうか。同じことが起きていたとしても、エジプトでは死者が出ました。しかし、あるレベルでは、権力者たちは人々を掌握する力を失いました。
(略)
[東ヨーロッパでは]共産党が依然として形式的に権力の座に就いていたにもかかわらず、この奇跡的な契機は訪れました。では、それはいかなる時点で訪れたのか。自由は突然、突発的に現れたのです。これは個人的な自由ではなく、社会的自由という意味での自由です。そして権力者たちは、象徴的権威という意味での権威を失いました。人々は、もはや権力者を恐れなくなったのです。これは本当に奇跡的な瞬間です。なぜか、現実には何も起こらないからです。権力者が権力の座から降りたわけではありません。この瞬間には、非常に神秘的な形で、みんなが、権力者さえもが、決着はすでについていることを知るのです。私はこれを暴力の象徴と呼ぼうとは思いません。しかし、私にとってはこれは革命の本質です。
 私は、神秘的な秘密の出来事について話しているのではありません。社会的な効果について話しているのです。権力はもはや社会的紐帯としては機能しません。
(略)
権威を無視し、権威を恐れないことによって、不可能な革命は実際に起こりうるのです。

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