精神の革命――急進的啓蒙と近代民主主義の知的起源

精神の革命――急進的啓蒙と近代民主主義の知的起源

精神の革命――急進的啓蒙と近代民主主義の知的起源

 

独立革命の最大の汚点

 アメリカにおける急進主義の要求事項のなかで、奴隷制廃止は最上位に位置していたが、独立革命奴隷解放を実現しなかったことで、ペインやラッシュをはじめとする人びとは意気消沈した。彼らにとってこのことは独立革命の最大の汚点だと思われた。また、独立革命アメリカ・インディアンの境遇改善に関しても何もしなかったし、とくに寛容や良心の自由を国中に広めることにも失敗した。それについて、穏健派であるか急進派であるかを問わず、当時の知識人はしばしば苦々しい思いを抱いていた。急進派にとって、制定されたばかりの合衆国憲法が大統領に与えている権限は大きすぎるように思われた。彼らは、それが独立革命が持っていた民主的な傾向を抑制するために意図的に導入されたものだと考えたのだ。
(略)
 一七八四年までに、非公式どころか公式な貴族制度への回帰がいつしか現実のものとなりかねない事態が生じていた。この動きを先導したのはワシントンと共に戦った退役士官たちである。熱烈なイギリスびいきだったハミルトンがこれを支援し、終身官たちが自分たちの結社としてシンシナティ協会を立ち上げ、協会の記章、階級、名誉章を制定した。当初はワシントン自身もこの協会の設立を歓迎していた
(略)
無知の闇を克服したはずの共和国において、軍事的な武勇や土地所有が特権的な社会的地位の基盤となることなどあってはならなかった。
(略)
地位の高い人物や高貴な生まれの人間への尊敬の念はアンシャン・レジーム社会の基盤であり、自身の国で革命が勃発する五年前、ミラボはこうした尊敬の念を「馬鹿げた、そして野蛮な」、純然たる「偏見」に根ざすものだとして否定している。

「暴君と聖職者たちが真の反逆者」

エルヴェシウスの見解によれば、フランスのような広大な国では相互防衛協定によって結びついた二〇程度の小さな共和国からなる連邦共和政または同盟が最善の政治形態である。然るべき統治形態が実現し、優れた法が制定されれば、各自が自由に個人的幸福を追及することを認めたとしても、市民たちは自ずと全体利益に向かうはずである。エルヴェシウスにとって最終的な目標とは、私的利害と公共利害とを結びつけ、「各個人の利益の上に徳を基礎づける」ような立法体系と諸制度を構築することであった。
 このことは、急進派のフィロゾーフたちが、ルソーがいうような単なる「党派の領袖」ではなかったことを示している。自己の影響力を拡大し、世間の見解を捻じ曲げようと目論んでいるとして、ルソーは軽蔑を込めてそう呼んだのだが、彼らは思慮深くもあり、意識的に抜本的変革を求めていたのだ。エルヴェシウス(そしてヴォルテール)のように、ドルバックも王座と祭壇と特権を擁護する人びと――ドルバックは彼らを人間理性の敵と呼ぶ――は、常に急進派のフィロゾーフを体制転覆を狙う叛徒、反逆者、権威の敵として告発してきたとしている。しかし、ヴォルテールが自分の哲学はいかなる意味でも秩序を乱すものではないとしているのに対し、ドルバックはこの告発に真っ向から立ち向かう。「暴君と聖職者たちが真の反逆者」なのであり、何が問題かに気づき、誠実で、正しい意図を持った人たちが不正な支配に抗して立ち上がることになったのは、権力を不当に我がものとし、抑圧体制をつくりあげた人間自身の責任である。アンシャン・レジーム社会において権力を握っていたのはこうした者たちであった。彼らのせいで権威は「憎むべきもの」となり、善良な人びとは「このような権威を破壊することを考え」ざるをえなくなったのだ。専制君主にへつらい、圧政を讃え、共通善の破壊に勤しむ人びと、すなわち宮廷人や貴族、司法官や聖職者を支持することは、正当な権威に対する当然の服従などではない。それは同胞と国家への裏切りであり、いたるところで人類に加えられている許しがたい暴虐に加担することなのだ、とドルバックは主張する。
 ドルバックによれば、本当の反逆とは既存秩序を覆すことではない。むしろ、へつらう者、陰謀を企てる者による阿諛追従や、「信心ぶった」振る舞いが国を裏切る行為である。彼らは聖職者や迷信の助けを借りて君主や貴族による圧政を後押ししている。苦しみのなかで人びとはこのような仕打ちに対しては復讐もやむなしと思うようになる。そして、なぜ自分たちが不当な扱いを受け、どのように欺かれているのかを理解しないままに、既存秩序の転覆を願うようになる。このように彼らを追い込んでいるのは無知と軽信によって支えられた専制それ自体なのだ。

直接民主政への懸念

 ヴォルテールモンテスキュー、ファーガスン、ヒュームとは異なり、急進派の啓蒙思想家たちはイギリス流の混合君主政を断固として拒絶した。彼らにとってこの政体は、主権を分割し、無用な腐敗を政治に持ち込み、選出される代議員数が選挙民の数とまったく釣り合わないような選挙制度をつくりあげ、実際には貴族政の外観のもとで形を変えた君主政を維持するという原則に立ったものだった。
(略)
 しかし、ディドロドルバック、ペイン、ジェブ、あるいはプリーストリが混合君主政を拒絶したとはいえ、彼らはルソーとは違って、アテネ風の直接民主政に解決策を見いだしていたわけではない。古代ギリシャの直接民主政につきものの不安定さと惨めな失敗については、ブランジェが『東洋的専制の起源の探求』で徹底的に分析している。彼によれば、古典的モデルに立脚した民衆の共和国、あるいはルソーが考えるような共和国は神権政治に逆戻りするに違いない。それは急進派にとっては最悪の統治形態である。こうした神権政治においてのみ民衆の宗教が認められ、民衆が崇拝する聖職者が法の制定や政務において主要な役割を果たすことができるからだ。一般民衆は聖職者の言葉をたやすく信じ、狂信的で無学であるため、迷信と聖職者とデマゴーグたちの思いのままに支配されるしかない。そのため人類は立憲君主政か、さもなくは代議政のいずれかを選ばざるをえないのである。これがブランジェの結論であった。
 一七八〇年代半ばにオランダで活躍した民主派の愛国者たち、すなわちピーテル・パウルス、ヘリット・パーペ、イルホーフェン・ファン・ダム、ピーテル・フレーデと同じく、フランスの急進派の思想家たちも、法により等しく保護されるという意味での自由、および自身の望みと目的を誰もが平等に追求できる自由をこぞって求めたが、その一方で、古代民主政にならって誰もが立法と統治とに直接関与できるようにすることには反対だった。直接民主政による統治とは、カントにとってそうだったにように、彼らにとっても不可能な「空想」であり、最悪の民衆扇動、騒乱、放縦の原因となり、「人間の本性」や一般意志とは「まったく相容れない」形態だと思われた。
(略)
 一七九一年、パウルスはつぎのようなルソー批判を展開している。『社会契約論』でルソーは、われわれ一人ひとりが自身の人格と権限を「一般国民の最高の指揮」のもとに置き、各人を全体の不可分の一部としたうえで、「一般意志」への服従を拒む個人は誰であれ「自由になることを強制されなければならない」と主張したが、こうした主張は恐るべき弊害を招く。つまり、個人の諸権利は抑圧され、圧政が支配することになるというのだ。(略)とくに彼が注意を払ったのは、主権者の権力を制限すること、および個人の諸権利を守ることだった。それにより、彼はルソーの思想に含まれる全体主義的な誤りを取り除こうとしたのである。
 フランスやイギリス、またオランダにおいて民主主義革命を哲学的に基礎づけようとした初期の思想家たちは、ルソーが推奨したような直接民主政、あるいはペインの表現によれば「単純な」民主政を拒み、そのうえで、実行可能で有効に機能する民主政をどのように組織するのかという問題に対して説得力のある解決策を模索した。彼らによれば、巨大な人口を有する国家において現実的で安定した基盤の上に民主政を組織するために、また、混合民主政を民主化するうえで、鍵となる政治的手段は代議制であった。代議制という概念は、一七六三年前後に『百科全書』の項目「代表」を執筆する過程で、ディドロドルバックそしてパリにおける彼らの「集会」よって明確化された。その後、『百科全書』に登場してからは、ドルバックやマブリの作品でも用いられるようになる。この概念はまた、あらゆる規制を免れた出版の自由を要求する急進的共和主義イデオロギーと、独自な「一般意志」概念にもとづき出版に対する厳格な検閲を求めるルソー流の共和主義との主要な差異を構成する要因のひとつとなった。
(略)
人民主権は一切の制限を受けず、委任することもできない、ゆえに代表は常に選挙民の監督・指示に服し、検閲に従わなければならない。この議論はルソーの基本方針のひとつであり続けた。
 ルソーのこうした見解は後に「意志」、感情、分割不可能な人民主権といった概念を用いる革命的レトリックへと流れ込むことになる。(略)
「分割することも譲渡することもできない」というルソーの主権概念は「委任することも、代表されることもできない」ものであり、とくに「当世風の哲学者たち」の影響を封じるためには、出版物を厳しく検閲することを必要とした。神や霊魂、祖国愛や女性について一般の人びとの理解とはまったく対立する見解を広めようとしているとして、ルソーは彼らのことを非難していた。
(略)
ドルバックディドロは、自分たちが考える民主主義モデルがルソーのそれに比べて、個人の自由を損なうものではないと主張している。直接民主政では一般民衆は見かけ上は主権者だが、実際には、民衆を操り、その心をくすぐる術をわきまえた「悪辣な扇動家たち」の奴隷である。この政体において民衆は自由とは何かを本当には理解していない場合が多く、そのため彼らによる統治は最悪の暴君による支配よりも過酷なものとなる可能性がある。ドルバックによれば、理性を欠く自由にはほとんど価値はない。それゆえ「大半の共和国の歴史は、無政府状態に陥り、みずからが流した血の海に浸る人びとのおぞましい光景を絶えず示す」ことになるのだ、と彼はいう。
 このため、ルソーとは逆に、代議制民主主義を明確に支持するという点が急進的啓蒙を定義づける際の特徴のひとつであることは確かである。

「曖昧で出来損ないの勅許状」

公式な、あるいは非公式な寛容を一定程度認めながらも、その一方で特定の宗教的少数派から法的権利を奪い、二流の存在として貶めるという政策は、当時のヨーロッパにおいて広く見られるものだったが、ドルバックによればこうした政策は不正であり、一般意志とまったく両立しない。「天国への扉を誰に対して開くのかを決める独占的な権利」を要求する神学ほど、人間性と正義に反するものはない。社会はこうした要求を決して認めてはならない。むしろ、こうした霊的な権威を主張する者は誰であれ、人類の自由の敵と宣言されるべきである。
 人間を気高い存在とし、その魂を高め、寛大さと「公益」への愛を育むのは「自由」だ、とドルバックはいう。しかし、ディドロ、エルヴェシウス、ヴァイスハウプトと同じく、ドルバックが「自由」という言葉で意味しているのは、自由という「哲学的」原理のことであり、無数に存在する古くからの法、規則、摘要でその尊重が謳われている個別的な自由のことではない。公正さと理性と自由のみが正しい国制の原理、合理的な法、正当な政府の根拠たりえるのであり、彼らの考えによれば、マグナ・カルタが自分たちの自由の基礎だとしているイギリス人のように、古い勅許状や特権を祀り上げ、何事につけはるか昔の前例を根拠に持ち出すという伝統くらい馬鹿げたものはない。ドルバックにいわせれば、こうしたものは何世紀も昔、国王の力が弱っていた時期に勝手な貴族たちが横暴な国王から脅し取った「曖昧で出来損ないの勅許状」にすぎない。(略)
ドルバックやペインのような急進派からすれば、勅許状などというものは、多数者の権利を踏みにじる、悪質で有害なものにすぎない。彼らにとって、普遍的な諸原理にこそ価値があり、国家の目的とはすべての市民に対し、真の正義と安全と自由とを提供することにある。そして、こうした目標は中世の勅許状や「自由」とは何の関わりもないのである。
(略)
世界中の国民がみずから進んで抑圧され、搾取され、強奪され、略奪されるがままとなり、強欲で飽くことを知らぬ王家のために無意味な戦争を強いられているという驚くべき事実について、『偏見についての試論』はその主要な原因を迷信と欺瞞に満ちた宗教に求める。それが人間の心を「誤謬」で曇らせ、もっとも抑圧的な独裁者をも神としてしまうのだ。どこの国でも国王たちが聖職者の望みを叶えてやるのは、専制君主にとって「臣下を自分に隷従させておくには聖職者たちの吐く嘘」が必要だからである。

権力と富の不均衡是正

当初から平等が道徳および政治における原則だったとしても、ディドロドルバック、彼らの影響を受けた人びとが社会的な不平等に対して広範な批判を展開するようになるのは、ようやく一八世紀半ばを過ぎてからであった。平等原則に全面的に反対していた啓蒙の主流派と真っ向から衝突するものであったため、彼らの批判は社会的・経済的な不平等に関する激しい論争を引き起こした。
(略)
 ただし、平等主義を擁護したとはいえ、ディドロ、エルヴェシウス、ドルバックには、社会における差異をまったく否認するとか、あるいは経済的に完全な平等を押しつけるといった意図は一切ない。こうした目的を実現しようとすれば、新たな形態の圧政が避けられなくなると彼らは判断していた。このためドルバックは、理論先行の硬直した姿勢で熱狂的に経済的な平等を求めることは、本質的に危険であり、自由を窒息させ、共和国を破壊しかねない態度だとはっきり警告している。一七七三年に彼は、「社会の成員のあいだに完全な平等を打ち建てるのは、紛れもなく不正」だと断じている。ドルバックによれば、もっとも役に立つ人間が誰よりも報われ、尊敬を集めることが正しい。誰にもまして勤勉で、創意工夫に富み、善意に満ちた人間と比べた場合、すべての人が同じように熱心に働くわけではないし、あるいは仕事の価値や社会への貢献度も同じではない。他者に対して親切で役に立つ存在たるべき、という道徳的な義務においてのみ人はみな平等なのである。すべての集団はそのために結びついているのだし、また道徳におけるこの掟は「あらゆる人間に等しく課されている」。
 彼らは厳格な平等を確立することよりも、身分制に立脚する既存の階層社会を打倒することを求め、富の分配が極度に不均衡であることに批判の矛先を向けようとした。
(略)
エルヴェシウスの『人間論』(略)で彼は、市民の財産における「正しい均衡」という重要な概念を導入している。(略)
能力において人間は平等ではありえないし、社会から受け取る報酬が人によって異なるのは当然だが、そうだとしても、権利と欲望、幸福になりたいという思い、そして自由という点では、自然はすべての人間を平等な存在とした。このことを認識すること、その結果として、権勢と財産における極度の不均衡を批判することは、公正で、首尾一貫した政治理論すべてにおいて、その基盤をなす要素となるはずである。少数者が自分たち以外の人びとに対して圧倒的な支配力を及ぼすことを可能としているのは、こうした不均衡なのだ。

次回に続く。

 

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