ロック・ギタリスト伝説 萩原健太

ロック・ギタリスト伝説 (アスキー新書)

ロック・ギタリスト伝説 (アスキー新書)

ジミ・ヘンドリックス

ストラトのアームは一気に何音も音程をダウンできた。場合によっては音程を上げることさえOK。このワイルドな仕様が結果的にギターの表現をがらりと変えた。ジミ・ヘンは(略)トレモロ・アームが付いていないレスポールテレキャスターには絶対に真似のできないダイナミックなパフォーマンスで、ロック・シーンを震憾させた。エリック・クラプトンジェフ・ベックも大きな衝撃を受け、ストラトキャスター派に転向してしまったほど。50年代のロックンロール勃興期に発売されながらも、実はその後売れ行きも芳しくなく、一時は生産中止の予定もあったストラトキャスターは、開発者さえ想像しなかった凄絶な奏法をジミ・ヘンが披露したことで生き延びることができたわけだ。
 細かい話になるが、右利き用のストラトをそのままひっくり返し、弦だけ逆に張り直すという変則的な使い方も重要だったような。ぼくにはそんな気もする。
 まず、弦のテンションが通常の使い方とは微妙に変わってくるわけで。低音弦の“鳴り”が違う。さらに、トレモロ・アームがギターの上に来るという形。これも大きい。普通ならばコードをバーンと鳴らし終えたあと、下部にあるアームを操作するわけだが、ジミ・ヘンはコードをかき鳴らすその瞬間、すでに上部のアームを操作することが可能だった。このスピード感は馬鹿にできない。スプリングで支えられたトレモロ・ユニットの沈み具合も通常とはずいぶん違う。ボリュームやトーンをコントロールするつまみが操作しやすい上部にあるのも大きかったはず。案外このあたりにも、ジミ・ヘン・サウンドの衝撃の秘密が隠されているような気がするのだが。

チャック・ベリー

[こと日本では軽視されているが]彼の歌詞はすごい。(略)
 「ブラウン・アイド・ハンサム・マン」は、むしろ「ブラウン・スキンド・ハンサム・マン」、つまり目の色に肌の色の違いを託し、独自のメッセージを送っているようにも聞こえる。
 フォードV8を駆る黒人の主人公と、キャデラック・クーペ・デヴィルを時速100マイルでぶっ飛ばす白人のじゃじゃ馬娘メイベリーンとの、バンパーぶつかりまくり、火花散るカー・バトルを歌った「メイベリーン」にも、人種差別に対する彼なりの辛辣なヴィジョンがこめられていた。
 ハイスクール時代の思い出を描いた「スクール・デイズ」や、音楽による自伝とも言える「ジョニー・B・グッド」をはじめ、自分の経験にもとづいた曲も多い。57年末にツアーで立ち寄ったコロラドのコンサート会場で起こった出来事を描いた「スウィート・リトル・シックスティーン」もそうだ。身体にぴったりフィットしたドレスを着て、ブロマイドで定期入れをふくらませ、有名人のサインをねだりまくる16歳の少女の姿を描いたこの曲には、同時にロックンロール・ブームの喧騒の裏側に流れる空虚さも見え隠れしている。
 彼のヒット曲には、車、放課後、ロマンス、ロックンロールなど、ティーンエイジャーの新しい楽しみを彩る様々なキーワードが投げ込まれていたが、その裏側には常にクールなまなざしがひそんでいた。
(略)
 ぼくは[ダック・ウォークを]練習しすぎて、腰、傷めました。
 チャック・ベリーはすげえなあ、と。別の意味で再認識した瞬間だった。年取ってからも平然とダック・ウォークを繰り返すチャック・ベリーは、まじ、すごい。足腰しっかりしてます。
 足腰がしっかりしているのは彼の音楽も同じ。彼の曲はどれも、ジャズ、ブルース、ラテンなど幅広い音楽性をたたえているのだけれど、特に注目すべきは白人のカントリー・ミュージックからの影響も強く感じられる点だろう。初期の2ビート系の楽曲に色濃く現れている。チャック・ベリーがいちはやく白人マーケットでの成功を勝ち得ることができたのはそのせいかもしれない。
 デビュー以前、セントルイスのクラブで演奏していたころから、ブルース・ナンバーの合間にカントリーの影響を受けた語り口調のノヴェルティ・ソングをはさんで、ステージに変化をつけていたという。

ジェームス・テイラー

[二度目の来日時、「きみの笑顔」]の生演奏に接しててまたまた度肝を抜かれたものだ。この曲、進行していくにつれバックの演奏がどんどん転調を繰り返してキーが高くなっていくのだけれど。レコードで聞く限り、JTは転調をものともせず、バックのミュージシャンとともに見事にアコースティック・ギターを弾きこなしていた。
 その超絶プレイをこの目で拝もうと来日公演に足を運んだら。JT、やってくれました。転調のたびにぐいっと力尽くでカポタストを1フレットずつずらして、平然と同じフォームのままギターを弾き続けていたのだった。乱暴だね。

ジェフ・ベック

クリフ・ギャラップへのリスペクトを炸裂させたアルバム『クレイジー・レッグス』をリリース(略)ギャラップのギターをほぼ完璧にフル・コピー。ロカビリー・マニアを大いにうならせ
(略)
 母親から「そんな音楽、クラシックと違って芸術的じゃないから聞いちゃダメ」と言われたのも、ベック少年の意欲を逆に燃え上がらせたらしい。(略)すぐさまレス・ポール&メアリー・フォードのレコードを入手し、分析するように何度も何度も聞き続けた。聞き込みすぎて音飛びするようになったら今度はレコード針を盤の終わりに置いて、手でターンテーブルを逆回転させながら一音ずつ反対からソロのフレーズを拾い上げコピーしていた、とベック自身も述懐している。(略)
 ともすれば破天荒な、常識をぶちこわしたようなギター・プレイを披露する男と思われがちなベックだが。実はそのテクニックの底辺には、そんなように音楽の長い歴史/伝統への敬愛がきっちり流れている。(略)
 その証拠のひとつがヤードバーズ時代の「ジェフズ・ブギー」だろう。ブルース・ロック・ギターのお手本のように言われるあのスピーディなインスト曲でベックが繰り出すフレーズは、ある意味、もろレス・ポールが得意としていたパターンばかりだったりする。

ポール・マッカートニー

一見妙なのが、ポールは「ミッシェル」をアコギで弾くとき、なんとカポタストを5フレットに装着すること。普通Fmのキーなら1カポ、3カポ、場合によっては8カポってことになるのだろうが、ポールは5カポ。ここがポイントだ。5カポだと歌い出しからのコード進行がC7→Fm→B♭7→Adim→G7となる。けっこうバー・コードが頻発。カポする意味ないじゃん、と思いがちだが。いやいや。ポールが考えていることはもっと深い。アタマのC7の、ローコード・フォームならではの開放弦交じりの響きと、5弦の開放+4弦1フレット+3弦2フレット+2弦1フレット+1弦2フレットというAdimの響きのために、たぶんポールはこの変則的なカポタスト設定をしているのだと思われる。
 押弦を楽にするためにカポタストをするのではなく、コードの響きをもっとも効果的に演出するためにカポタストを使う、と。そういうことだ。凡人には思いつかないワザっすね。

アルバート・コリンズ

コリンズさんのチューニングはFCFA♭CF。オープンFmチューニングだ。聞いたこともない無謀な変則チューニング。
(略)
[従兄弟から大ウソチューニングを教わってしまい]
結果、Fmチューニングでなければギターを弾けない身体になってしまった、と。
(略)
 さらに、エレクトリック・ギターに平気でカポタストをしてプレイするのもすごい。普通、リード・ギタリストとしてソロを弾くことが多い人の場合、なるべく幅広い音域を使うためにもあまりカポはしない。カポをしたとしても、まあ、2フレットとか、3フレットとか、せいぜい5フレットくらいまで。キース・リチャーズがそんな感じだ。
 けど、この人の場合、Dのキーのブルースを弾くときなんか、9フレットにカポしちゃう。で、ピックなんか使わず、鋼のようにごつい指でバキンバキン弾き倒す。むちゃくちゃファンキー。むちゃくちゃうまい。

マイク・ブルームフィールド

[シカゴの裕福なユダヤ系家庭に育ち、地元のシカゴの]ブルース・クラブに入り浸り、ステージにも飛び入りするようになった。
(略)
名うての黒人ブルースマンとセッションを繰り返すうち徐々に独自のブルース感覚を培い、周囲の黒人からも一目置かれるギタリストヘと成長していった。と同時に、ブルースのルーツに関する研究にも没頭。地元では有名な白人ブルースマンになった。
 シカゴのウェストサイドにあったコーヒーハウス“フィックル・ピックル”の運営を任され、毎週火曜日の夜、ブルースのジャム・セッション・ナイトを開いたりもしていたようだ。63年、たまたま店を訪れたボブ・ディランとセッションしたこともある。
 ディランはブルームフィールドに大いに興味を抱き、自らを見出した伝説のプロデューサー、ジョン・ハモンドに「面白いやつがシカゴにいる」と告げた。ブルームフィールドヘの注目度はぐんぐん上がっていった。
(略)
[指名を受け、『追憶のハイウェイ61』]のレコーディングにギタリストとして参加した。(略)
待ち合わせたバス停留所にディランが迎えに行くと、ブルームフィールドは愛機テレキャスターをケースにも入れず、むき出しで抱えて立っていたそうだ。まだ駆け出しだったこともあり、ギターを買うので精一杯。ケースは持っていなかったのだとか。
 自宅でディランはアルバムに収録予定の曲をいくつかブルームフィールドに聞かせた。中には「ライク・ア・ローリング・ストーン」もあった。そして、こう言ったという。
 「B.B.キングのような普通のブルース・ギターを弾いてもらいたいわけじゃない。何か普通とは違うものを弾いてほしいんだ」

ジェームス・バートン

[英米ミュージシャンのように華麗なチョーキングができない日本人]
 そうこうするうちに、当時のスーパー・アイドル、ベンチャーズが来日した。彼らがどうやって演奏しているのか、その秘密を知りたいと思った某日本人ギタリストがそーっとバックステージに忍び込み、ベンチャーズの使用ギターのネックを握ってみたところ。なーんだ、弦が柔らかいだけじゃんか、と。ついに真相が判明。で、アンプの上に乗っていた弦を1セット盗み出し、それをすぐさま日本の楽器メーカーの工場に持ち込んだ。そこで試行錯誤が繰り返され、度重なる失敗ののち、ようやく日本製のライト・ゲージが完成することになる。
 お若い方は海外の弦を輸入すりゃいいじゃんと思われるかもしれないが、なにせ1ドル360円。しかも個人輸入の方法なんて誰も知らなかった時代だから。日本で開発してもらうしかなかったのだ。大変な時代だった。
(略)
[バートン以前にもチョーキングはあったが、バートンは細いバンジョー弦を導入]
おかげで左手で弦をずりあげるチョーキングがより簡単に、なめらかに。まるでペダル・スティール・ギターのような演奏を、エレクトリック・ギターでもスムースに実現することができるようになったわけだ。この単純明快かつ乱暴なアイディアが多くのギタリストに受け、やがてレギュラー・ゲージ弦よりも柔らかいライト・ゲージ弦が正式に開発/商品化された。(略)
ライト・ゲージなしにはベンチャーズもない。ジミ・ヘンすらない。ジェームス・バートンの乱暴な思いつきがもたらしたものは大きい。
(略)
膨大な種類のギターを用意して、数曲ごと、曲調に合わせて楽器を持ち替えるギタリストも多い。
 が、バートンは基本的に楽器を持ち替えない。愛用のペイズリー柄テレキャスター1本であらゆる曲を弾きこなす。エフェクターも高校生が使うような、というか、実際に日本の高校生アマチュア・ギタリストも使っている簡素なコーラス・エフェクトとデジタル・リバーブのみ。
 リハーサルの合間にその理由を聞いてみたら、彼はこう話してくれた。
 「エフェクターは確かに持ってはいるけれど、ほとんど使わないね。(略)
このギターの音がぼくの音なんだ。ぼくの“声”なんだ。人間はいくつもの声を使い分けたりできないだろう? でも、すぐれたシンガーはそのたったひとつの自分の声で、あらゆるタイプの音楽を歌いこなす。エルヴィスのようにね。それと同じさ。別に音色はひとつでいい。あとは、曲の雰囲気に合わせてフレーズを変えたり、弾き方を変えたりすることでニュアンスを変化させればそれでいい」
 それこそがギタリストの歌心ってことだろう。