まわり舞台の上で 荒木一郎・その3

前回の続き。

まわり舞台の上で 荒木一郎

まわり舞台の上で 荒木一郎

松田優作

[狭い路地でモタモタする対向のタクシーに「バカヤロー」と言ったら]
助手席の窓から首出して、「荒木さん!荒木さん!」って言ってるやつがいるわけだよ(略)後ろの席から前の助手席のところに顔出して、伸び切ってるわけだよ、そいつは。帽子かぶってるから、誰だか分かんなくてさ。で、「優作ですよ!優作ですよ!」って言うの。こっちも[怒ってるとこだから](略)ばつが悪いというか。
 優作が俺のことについて言ってる週刊誌があるんだよね。あいつが言ったのは、植物的芝居ができる人間は、荒木一郎ショーケンと、二人しかいない、ってこと。どういうつもりで言ってんのかね、なんとなくは分かるんだけど。とにかく優作は、多分好きでいてくれたんだと思う。どんなときでも会うと、もうほんとに「荒木さん!」って走ってくるんだよね。そういうのがすごく印象にあるよ。
 撮影中、優作はどっちかって言ったら寡黙だよね。僕の方がベラベラ、文句ばっかり言ってるじゃないですか。こうやるべきだ、とか。優作は全然、一切、口出しはしない。俺がそうやってめちゃくちゃやってても黙って待っていたりするし、打ち合わせなんかで俺が「こうだ、こうだ」って言っても口挟まない。

村川透

村川は、監督とか演出っていう前に、村川っていう人間がいるんだよな。で、その人間が、うまくいろんなものと結び付いたときには、村川の持ってる才能が発揮されるんだけど、そうじゃないと、落ちちゃう。要するに、村川の才能があったりなかったりするんじゃなくて、村川の気持ちが左右されることによって、作品の良し悪しが出るんだ。
(略)
あと、村川のいいところは、音楽家で音楽が好きだから、音楽の使い方がうまい。映画もすごい好きだから、好きだっていうところで撮れれば、あの人の才能はいっぱい出る。だけど、「こうしなきゃいけない」的なことをやると、そこにはまっていっちゃうところがあるよね。そこを打ち破るだけの力はないから、流されるというか、もったいないなと思う。
 臆病っていうか、気が弱いとこあんだよね、やっぱり。『白い指の戯れ』で監督デビューして、そのあと『哀愁のサーキット』をやったらさんざん不評になって、ノイローゼみたいになって山形に帰っちゃったじゃない。それを石原プロが助けて、それでテレビを撮らせていってたわけだよね。いつも言ってるんだけど、天才的な人は常に臆病で、臆病なやつの方が成功するっていうこと。でも、臆病だと必ず成功するってわけじゃない。ただ、臆病さを持ってなければ成功しないっていうのはあるよね。だから、村川は、いい意味で臆病さを持ってるんだけど、逆にそれでダメになっちゃうみたいなのがあるんだよな。俺はすごく村川は好きなんだけども。一緒にやりたいって思うし。だから、このあと、『シングルガール』でもう一回やるじゃないですか、最低な映画になるんだけど(笑)。

倉本聰『たとえば、愛』

倉本さんのドラマっていうのは、役者の芝居が、みんな同じようになるんだよ、倉本セリフだから。倉本さんは、台本を一字一句直しちゃいけない。(略)「『……』も全部生かせ」だから、間の取り方から何から全部おんなじになって。(略)みんな「あ…、う…」って感じで同じ芝居に見えちゃう。それじゃ個性が生きない、倉本さんの世界でしか動かないから、当然、変えたい。生きてる人間をそこに出したいじゃない。で、倉本さんから、直接言われたんだけど、僕と桃井かおりだけはセリフを変えていい、って。もう、お墨付きがまずあるわけ。でも、それで、自分だけセリフを変えて個性を出しても、それじゃアンフェアで面白くないじゃないですか。だからわざと倉本さんに「その通り読むから」って言って、一字一句変えてないでやったんです。一字一句変えずに、倉本節を倉本節じゃなく見せるっていう、苦労というか、そういう遊びをやるっていうか、そういう挑戦だね。倉本さんの芝居に出て倉本さんじゃないものを作ってみようっていう桃戦があるわけですね。
(略)
倉本さんが評価してくれて、毎回、オンエアが終ると電話が鳴るのね。倉本さん、北海道から電話かけてくるの、必ず。それで「良かったよ!」って言うんだよね。で、倉本さんにあるとき、「自分の全作品に出すから。だから、お前もっと、ちゃんとスターになれよ」って言われるわけ。倉本さんは、「高倉健と一緒にさせたい」っていうことはよく言ってましたよ。ずっと言ってたけど、結局、倉本さんは、多分、今、俺が行くと、高倉健とケンカになるっていうか、何か不都合が起きるっていうふうに思ってた。で、それをいつのタイミングでやろうかっていうのもあったみたいで。(略)「今、高倉健原田芳雄っていういわゆるB級のスターがいる。そのあとがいないから、俺は荒木にそれをやらせたい」っていうふうに倉本さんに言われて、「ヤだ」っつって断んだよね。

烏丸せつこ

[『平凡パンチ』CMガール100人特集で]みんな「好きな人」の欄にアイドルを書いてるんだけど、その中で「荒木一郎」って書いてたのが烏丸なんだよ。(略)
[それを見た、泉谷しげるのマネージャーが、面白い子がいるよと言ってきて会うことに]
NHKの前の喫茶店で会って話したら、面白いやつだなあと思ったんだけど、いい目をしてるんだよね。これは、ちょっと面白いと思って。「俺以外に誰が好きか」って聞いたら、「倉本聰が好き」って言ったんだよ。「倉本聰もきっと気に入るだろう」と[電話をしたら](略)
「荒木が言うんなら、気に入るだろうから会おう」って言って、東京に来る日を聞いて、赤坂で会うことにしたの。席に戻って、「倉本さんと会うから」って言ったら、「ウソ!ウソウソウソ!」(笑)。
(略)
倉本さん一発で気に入って、今用意してるTBSの連続ドラマに出すって、その場で決まったんだよ。(略)
で、決まってほとんど同時か、ちょっとあとに、東陽一の『四季・奈津子』の主役に受かっちゃったわけだね。それで、慌てて今度は倉本さんに電話して、「申し訳ない」って言ってさ。とにかく、烏丸のためを考えると、まず東の方でやらせたいわけだよね。(略)
 そのあと、また東の監督で『マノン』を撮ったんだけど、その直後に、倉本さんから電話かかってきて、倉本さんが大竹しのぶとケンカしたみたいで、大竹しのぶが『駅 STATION』を降りた、それで、困ってるんだけど、烏丸、何とかならないかな、って。そう言われたら、前のことがあるから、やるしかないでしょ。(略)
で、出したら烏丸のバカが、田中寿一がプロデューサーだったんだけど……烏丸って、だいたい、現場のいちばんエラそうなヤツにくっつく癖があるし、好かれるんだよね。(略)
[同棲をはじめて]田中寿一がいっつも来て、隅の方にいる。もう、どこかの高校生の男の子みたいにいじらしくね。控えめにしてたって、今、飛ぶ鳥落とす勢いの田中プロの社長だからね、目立つわけよ。で、「お互い、プロデューサーだったら分かるだろう。今、こっちが売ってるときに、週刊誌に話題まで出しちゃってるやつがコソコソくっついて来たら、やれないじゃない、俺は」って言って。それで鳥丸にも「寿一なんかとくっついてたんじゃ、先がない、お前はもう終わりだ。早く別れろ」って言うわけ。「お前が別れないんなら、俺はもうできないから」。そしたら鳥丸がさ、「じゃあ、さらってよ!」(略)「さらって、どっか違うとこに監禁するとかしてちょうだい!」とか言うからさ(略)
で、結局、別れないわけじゃない。
(略)
で、結婚式になる。結婚式に出て「もう終わりだな、お前は。とにかく俺はもう手を引くから」って言って、そこからは友達。別に田中寿一とケンカしたわけでも何でもないんだよ。田中寿一も、そのときは売れっ子プロデューサーだから、まあ、「そこでやってもらったら?」みたいな気持ちもあるし。でも、結局、うまくいかなかった。そういうドラマだね。
(略)
[津川、荒木、たけしのほうが烏丸より立ってる『マノン』]
やっぱりそこまでのものを烏丸が持ってないから。普通にこうやって生活してるときはすごい面白い子なんだよ。東といおうと、筑紫哲也といおうと、もうとにかく全部呼び捨てだからね。(略)それが嫌味がないんで、そのまんま通用するんだけど。だから、それがもっと出れば、普段の魅力が出て面白いんだけども。

受け手あっての芝居

 自分の芝居をとのぐらい映画側なりテレビ側なりが受け止めてくれるか、それは予算にかかってる。予算が低い場合、そこまでやると浮いちゃうっていうことがあるんだよ。だから、浮かないキャラクターを作るしかない。例えば、泣き叫んで「ウワー!」みたいな芝居をやるとするじゃないですか。安セットで安い予算でやった場合、やり過ぎになって、ほとんど意味をなさなくなっちゃうよね。例えば、そこに警官がいて、やじ馬がいて、こっちが暴れてるときに、その受けが「すいません、三人しかいないんです」みたいなところでやった場合に、こっちがものすごい叫んだって、三人しか見てない。そういうのを分かってやらないと、芝居がみっともなくなっちゃう。
(略)
[ビデオ化でトリミングして受け手を切ると芝居が分からなくなる。例えば、ジャック・ニコルソン]
ネチネチ過ぎちゃうよね。脇を全部映してあげないと、あの人の芝居はわからない。ロビン・ウィリアムズなんかもそういうところがある。やっぱり、一緒になってるものをちゃんと見せてあげないとダメだよね。だから、やってる側としてはやっぱりそこを、テレビなんかの場合でも映画の場合も考えるよね。ちゃんと脇がセットされてるのか、されてないのか。あるいは、道具そのものが、見合ってるのか、見合ってないのか。それによって全然違うっていうね。

小説

五木寛之みたいな人が、自分の苦悩を絞り出していく、てなことを言ったり書いたりしてるけど、そういうのは一切ない。音楽もそうだけど、苦悩して書くんだったら書かない方がいいっていうのがあって。やっぱり自分の中から、ある種のほとばしりっていうか、「したいな」と思うことをやってく方がいいの。なんか、そんな無理して作ったものを人に渡すっていうのは、ちょっと自分の趣味ではないよね。(略)
自分の心情を吐露する気が全然ないから、もし自分の心情を語るんであれば、その、語ることが相手の役に立ってなければ、なんの意味もないっていうふうに考える。「自分の気持ちなんか人は聞きたいわけがない」ってとこからしか、ものを見ないから。(略)
「自分」を語るよりも、「自分」を作品化して、それで人が喜ぶっていう、エンターテインメントの方がいい。
(略)
[82年、初の単行本出版時のインタビューでは]
「十七、八のころはシナリオライターになりたかったんです。でも若すぎたのと芸能界のシステムの問題で挫折して、それなら自分がスターになったほうが早いやと歌手になっちゃった。しかし今になって思えば、若いうちは物の見方がしっかりしていなかったですね。近ごろやっと、書いてもいいんじゃないかという感じになってきました」(『週刊文春』)。

「一条精四郎シリーズ」と銘打った『シャワールームの女』

最初から「シリーズ」って名乗って、続きは何も書いてない(笑)。あまりにも「一条精四郎」っていう名前がいいんで(略)イチジョウセイシロウっていうのは、実際にいた世田谷署の刑事で、いわゆる、いちばん下っ端の、泥棒を追っかける刑事。それが、時々うちに寄ってたんだよ。じいさんの刑事で、なんかさ、意地汚いおじさんなのね。「(口調を真似て)センセイ、どうなの、今日。ダイジョブ?」って言って入ってきて「ああ、どうぞどうぞ」っつって。お酒が欲しいわけ。だから、お酒を出してやる。そうすっと、「うまいねえ。なんかあったら言ってくれればいいんだよ」、そんなこと言ってんの。それで帰っていく(笑)。そいつがイチジョウセイシロウっていう名前で、「すごい名前だな」って思って、俺が「これ、何かに絶対使いたいよ、漫画の主人公にもなるし、おじさん、いい名前してんじゃん」って言ってさ(笑)。本物のイチジョウセイシロウはそんなのだから、なんかもっとかっこいいやつを、イチジョウセイシロウとして登場させたいっていうのが、俺の願望なわけだ(笑)。このおじさんに、この名前を付けてるのはもったいない。それで、おじさんにさ、「一条精四郎って、刑事もん書くけど、そのいい名前使っていい?」「いいよいいよ」って(笑)。それで書いたの。

フェイク論

[偽物がテーマの短編「ブティック」]
自分の周りにブローカーが結構いて、いっぱい出入りしてたんだよ。偽物の見分け方とか、いろいろあるわけじゃない?その、偽物とはなんぞやっていうテーマがやっぱり自分の中にあるわけだよね。(略)
フェイクと本物とは、とのぐらい差があるのか。作ってるところから見ると、ほとんど差がないんだよ。(略)
まったく同じものに近いものを作れるのがバッグだったりするんだよ。だけど、時計とかになってくると作れない。(略)
[外注で]ブランドの本物の材料が横流しで動いちゃうっていう場合があるわけだよ(略)
こういう洋服なんかだとブランド独自のパターンがあって、そのパタンナーが違うと、やっぱり繊細な部分が作れなくて、いくら真似してもダメなんだ。着心地が全然違う。バッグなんかは、かなり精巧なものが作れる。実際に俺なんかも、偽物いっぱい持ってるけども、すごいと思っちゃうもんね、ここまで真似るかっていう。それなりに金もかかってる。すごい偽物は、芸術品だよね。フェイクのいいものっていうのは、精巧にできてるんだよ。本物と比べても分かんないよ、絶対に。だから、三〇万するものを買うんだったら、二万円のものを買って、古くなったら買い替えろって方がいいんじゃないかって、俺はそう思うわけだよ。(略)
[「偽物」だと断ってプレゼントしたり]
ただ、いいなって思うと、なんであっても自分はストックしちゃうっていうところは昔からあるよね。それで商売する気は全然ないんだけど。自分がターミナルみたいになるっていうか。そこに置いておくことによって、人が接触することができるでしょ。そこで、偽物っていうのはどこが良くて、どこが悪いのかっていう考え方を教える。下手にそれを流通させりゃあ、ブランド自体が消えていくわけだから、ブランドは尊重するし侵すつもりは全然ない。だからって、[高くて]買えないっていうのはどうなのかっていう、そこだよね。どっちにつくかはすごく難しい。どっちの立場も分かるから、そういうものを小説の中で書ける。(略)
だから、ブランド自体は、人一倍認めるんだよ。ただ「ブランドだから」っていうだけの理由でそれを持ってるんだったら、偽物を持ってても同じ。そのブランドが、いろんなものを淘汰して、のし上がって来たからには、それだけの魅力っていうか、いろんなものがそこにあるわけで、ブランドを尊重して、それを吸収しろっていうのはあるわけだよ。勉強になるし、偽物じゃなく本物を買って、それを持ってたり着てたりすることって、すごく大事だと思うんだよ。だから、俺自身は、偽物は持たない主義なんだけどね。でも、人のことを考えると、全部が全部できないだろうっていうことだよ。そこが難しい。
 偽物を作るときには、偽物を作る人間のポリシーみたいなもの、美学がある、俺はそう考えていこうとするんだよね。だから、ただ、偽物は儲かるからやるっていうだけじゃなくて(略)俺の中では、それを一つ昇華させて、美学を持たせようとする。小説上では、その美学が持てるっていうことだね。

対談:亀和田武

そこに人がいるっていうことがすごいっていうふうに思うからね。だから、何かをくれるっていうことじゃなく、そこに人がいるっていうことに対して自分が何ができるかだから。(略)誰かから何かをもらうという考え方が、まず基本的にないんですよね。(略)
友達を作っていくとか、ファミリーみたいなものを考えたときに、自分が何かできる人間になるかしか、もうないっていうのはあるから。人に何かを渡せなければ、いつまで経っても人が自分とは交わってくれないっていう。そこを小学校から教えられるわけだね、自然に。だから、やっぱりそこは大きいんじゃないですかね。もうずーっとそうだから。だから、人から何かをもらうことは、逆に苦痛だったりする。それも三倍返ししなきゃいけないっていうふうになっちゃうし。だから、人から何かを傾まれると、断るっていうことは基本的にはないんですよ。(略)
で、人に頼まれてさ、やってるうちに、ハッと見たら誰もいなくて、俺だけがやってるっていう、よくあるんだよ、その形は。誰もいないんだよ、もう。俺は頼まれてやってたんだけど、首謀者に見えるんだよな(笑)。

  • 作品コメント

抱きしめて/あなたの面影(有沢とも子)(1968)
ある出逢い(梶芽衣子)(1973)

有沢とも子は、梶芽衣子の妹なんだけど、その梶芽衣子も一回うちの事務所でやってたことがあんですよ。もともとは太田雅子だったんだけど、うちの事務所に一回入って、そのときに出た映画(『日本残侠伝』)で、マキノ雅弘さんが「名前変えた方がいいんじゃない」って(略)うちの事務所にいるときに「梶芽衣子」になったんだよ。その妹なんだよ、太田とも子って。どっちかっつったら、とも子の方が先に知り合ったのね。マックス・ア・ゴーゴーなんかで後ろで踊ってる女の手たちがいて(略)その一人だったんだよ。(略)
あんまり面白く思ってなかったの、お姉さんとしては。[妹が]事務所に入り浸ってるからさ、グルーピーのように。まあ、ちょっと変わった子なんて、とも子っていうのはね。自分の家でもいろいろ問題児だったわけ。(略)
結局なんかいろんな話してるうちに「自分も入る」ってなっちゃったんだけどさ。

愛の終わり(小川知子

知子は、十六ぐらいのときかな、すごく不思議な女で。レギュラーを一緒にやってはいたんだけども、一度も口を聞いたこともないし、挨拶もしたことない。で、僕がよく行くスナック(略)に小川知子がある俳優と一緒に来てたんだよ。で、俺が入ってって。向こうがちょうど帰るとこだったの。で、知子たちが出る、すれ違いざまに、知子が、パッと俺の手を握ったんだよ。で、「エー」と思ったわけだよ。挨拶も話したこともないのに。(略)
[連れだけ帰して、小川が残ってスナックにあるギターで]
「空に星があるように」を歌いだしたの、ワンコーラス丸ごと。そういう女だよ。で、それ以来、知子とは、ずっと仲良し。(略)
俺の目の前でワンコーラス歌ったから。それが意思表示だから、それで「ああ、そういうことですか」って……。(略)
そういう[映画みたいな]きっかけっていうか、話って、よくあるんだよ。あんまり本に書けないような話もね。いつか、その現象だけでも、別に書いてもいいと思うんだけど。これは、そうやって友達になったって話だ。

ONE(桃井かおり)、あがた森魚の起用

[中山ラビ西岡恭蔵ら当時の新しい人たちの起用は]
桃井かおりっていうものを、女優ではなく、音楽やる人っていうイメージを作りたいって思ったからだよ。
(略)
あがた森魚は「桃井かおりのアルバムに、どうしても自分の曲を使ってくれ」って。あがた森魚自身は、まあ、俺のファンでもあるし。とにかく「使ってくれ、使ってくれ」って言うから、聴いたら、これはなあ、使えないなあ、って思って、でもせっかく持って来てるんだから使ってやりたい。で、そのまんま、あがたのデモテープをアルバムん中で流してやったんだよ(笑)。(略)
変なやつだもん、あがた森魚って。個人的に付き合いがあって、その後もずっと友達みたいなんだけと、ほんと変わったやつだよね。変、変。外人と付き合ってて、連れてきたり、英語べらぺらみたいだったり、いろいろだけど。面白いやつ。音楽的才能があるとは思えない、あいつは。

辛子色のアルバム(中村雅俊

[ノンコ(飯田則子)に頼まれたので]共同プロデュースになってるけど、雅俊は何もしてないですね。(略)
[引き受けた時の条件は]俺が出てるときに雅俊もスタジオに一緒にいなきゃダメ。バカみたいでも、常にそこにいるっていう約束をするならやる。(略)
で、たまたま製作中にエルヴィス・プレスリーが死んだニュースが流れて、雅俊もプレスリーが好きだから、「じゃあ、そこでプレスリーの曲作って」っつったら、ピアノんとこ行ってさ、「うーん……」とかやって、できるまで待ってて。(略)[それにすぐ詞をつけて]歌ってもらって「もう、そのまんまそれを録るよ」、って、つぶやくような感じをそのまんま録ってるわけだよ。それがアルバムの中の「8月の悲しみ」。(略)
[スタジオの会話を全部録っておいて、中村が]「男は付き合ってると、女と顔が似てくる」っつって笑ってるところ、そこをピックアップして、そのまんまライターに歌詞を作らせて、それで、その無駄話をそのままイントロにして、「せっかく顔が似て来たのに」って歌になる。(略)
ノンコが「雅俊の曲も使ってください」って言うから(略)詞ィ変えれば面白いかもしれないっつって、一曲採用して。それで雅俊の作った詞を、俺が全面的に作り変えたわけだけと、曲は雅俊。それは大関のコマーシャルになった。雅俊がさ、一応、なんでも言うこと聞くんだけども、無言で抵抗も示すわけだよね。(略)
[歌詞をいじられて]本人は気に入らないわけだ。(略)
だから雅俊にさ、「歌ってみな。歌えば絶対気に入るから」っつって。(略)で、歌った途端にすっごい気に入って。で、それが大関のコマーシャルになるわけだよね。[「続・さそり座の神話」]

LAZY LADY BLUES

LAZY LADY BLUES

Lazy Lady Blues(原田芳雄

一枚目を出したときに、やる気がなくなったのか、原田は「もう二度とレコードは出さない」っつってたんだよ。で、桃井かおりが「もったいない」っつってさ、とにかく、「あれだけのものがあるんだから、なんとかイッチャン、プロデュースしてよ」。で、「うーん、じゃあ、お前の名前でやろうか」って。(略)
[宇崎竜童に曲を依頼]全体をブルースの感覚でやりたいからっていう話をして。で、原田芳雄にも「ブルースだったら、合うと思うから」って話で口説いて。(略)
できてきたのが「怠け女のブルース」。で、宇崎のデモカセットを聴いたときに、「これ、すごい傑作」と思って、宇崎に「すごい、これメインでいこう」つって、で、原田芳雄にそのテープを渡して、「この通り歌ってくれ」っつったの。
(略)
ずいぶん経ってから、宇崎が自分で「レイジー・レディ・ブルース」を歌って出すんだけと、全然違うんだよ。宇崎に言ったんだ、「全然ダメだ」って。「最初のデモテープはすごかったんだから、あれで歌わなきゃダメだよ」っつって。でも、それをそのまんま原田がコピーしてるから、そのまま歌うわけにいかないわけだよ、あいつも(笑)。宇崎の最初のデモ、あれはほんとに幻の名作だよ。あのテープがあればねぇ……。すっごいいい歌い方してたんだよ。

神代辰巳

 昔、神代さんと仲良かった……っていうか、僕は一緒にやったことはないんだけども、『白い指の戯れ』(村川透監督)が神代さんの脚本だったっていうこともあるし、その後、芹明香というタレント作って、神代さんが気に入ったりなんかしてて、そういうつながりは持ってて。あるとき、桃井かおりのプロデュースをずっとやってるときに、映画撮ろうかっていうことで、「誰にする?」っていう話になったときに、「神代さんがいいよね」ってお互いに一致して、神代さんと会ったの、三人で。それで、話をしてるときに、「あれ、こんな人になっちゃったんだ」っていうぐらいに、ものすごく、世の中に迎合してるというか。「自分はあるのかな?」と思うぐらいに、会社っていうものをすごい気にする。何が売れるかとか、そういうことばっかり言うんだよね。だから、「こんな人になっちゃったんだ」と思って、で、結局、やめちゃったんだよね。
――それは『青春の蹉跌』の頃ですか?
そのあとだよ。