ジブリの教科書7 紅の豚

ジブリの教科書7 紅の豚 (文春ジブリ文庫)

ジブリの教科書7 紅の豚 (文春ジブリ文庫)

紅の豚』と新スタジオ建設

 スタジオジブリは『おもひでぽろぽろ』より社員制度を導入したため、毎月スタッフに給料を支払う必要が生まれていた。『おもひで』とオーバーラップする形で『紅の豚』の準備を始めたのは、そうした理由から制作スケジュールに空きをつくることはできないという事情があった。(略)
[『おもひで』の完成が後ろへずれ込んだため]準備に入ったのは宮崎一人。(略)
 そもそも『紅の豚』は、十五分程度の短編として企画された作品だった。
(略)
[『おもひで』で]疲弊したスタッフには、リフレッシュできるような短い作品が適当だと考えられた。
 一方で、自分の趣味性を存分に盛り込み、かつ豚が主人公という、マイナーな企画を楽しみたいと考えていたのは、宮崎自身の正直な気持ちでもあった。
(略)
[91年の]「演出覚書――紅の豚メモ――」(略)で宮崎は、「国際便の疲れ切ったビジネスマンたちの、酸欠で一段と鈍くなった頭でも楽しめる作品」と作品を位置づけ、「陽気だが、ランチキ騒ぎではなく。ダイナミックだが、破壊的ではない。愛はたっぷりあるが、肉欲は余計だ」と作品のポイントを記している。(略)
六月になり絵コンテAパートが完成。既にこの段階で約十九分あり、この時点で短編ではなく、少なくとも六十分ほどの中編になるのではないかという可能性が濃厚になりつつあった。
(略)
夏に入り宮崎の筆がとまるようになった。宮崎から鈴木に、四十五分では収まらないので六十分にしたい、という提案があった。だが、それは単に尺の問題ではないと鈴木は感じていたという。(略)
 「(略)その時にわかったのは彼がつくりたいものが当初言っていた能天気な航空活劇とはちがうものになってきているということだったんです。いちばん大きかったのが、その年のはじめに勃発した湾岸戦争の影響です。そんな状況下でこんな能天気な作品を作っていていいのだろうかという疑問ですね」
(略)
[『紅の豚』制作中に宮崎が新スタジオ建設を提案]
「新人を迎え入れジブリを続けていくには、その気構えがわかる構えが必要だ」というのが宮崎の意見だった。(略)
鈴木が資金面の不安を口にしたところ、徳間康快社長は「そんなこと言っているうちに死んでしまうぞ。金なら銀行にある。重い荷物を背負って坂道を歩くんだ」と語って、建設の後押しをしたという。

宮崎駿の意外な経営手腕

 このとき僕は、宮崎駿という人の経営者的能力に驚くことになります。社員制度を始めるにあたって、「映画は俺が作るから、会社の経営は鈴木さんがやってよ」と言っていた宮さんですが、ちゃんと会社の運営にも配慮してくれるんです。
 たとえば、メインスタッフの選定です。長期間にわたる『おもひでぽろぽろ』の制作で[消耗したエースの近藤喜文男鹿和雄には連投を要請できない](略)
 「鈴木さん、今度はスタッフを一新して、すべての重要な仕事を女性に任せよう」
 女性が作る飛行機の映画[で](略)現場の空気を盛り上げた。この発想には僕も感心しました。
 そこで選ばれた作画監督は賀川愛ちゃん。アニメーターとしての腕はいいけれど、それまで作画監督の経験はありませんでした。美術監督には久村佳津ちゃんという男鹿さんの弟子を起用しました。
(略)
要となるポジションをすべて女性が占めていきました。これはジブリのみならず、当時のアニメーション界全体を見渡しても画期的なことでした。
 映画の中でも、ポルコが飛行艇を直すピッコロ社の作業員はフィオをはじめみんな女性だったじゃないですか。あのシーンは自分たちがスタジオでやっていることの投影だったんですよ。
(略)
 スタッフ選びだけでなく、映画の作り方の上でも、宮さんは経営者的な現実主義を見せました。『おもひでぽろぽろ』の二年に対して、『紅の豚』は半分の一年で完成しています。それは、一年で作れる内容にしたからなんです。
(略)
紅の豚』では飛行艇の映画であるという利点を活かして、背景は空と海を中心にした。そのおかげで美術スタッフの負担はだいぶ軽くなりました。
 作画においても、難しい芝居が要求されるシーンをなるべく減らしています。(略)じつはいちばん手間がかかるのは日常のさりげない動作です。(略)むしろ空を飛んだり、殴り合ったり、非日常の派手なシーンを描くほうが楽なんです。
(略)
 美術においても作画面でも、いろんな制約を飲み込みながら、それでも最大限のおもしろさを保証する。そういう困難な映画作りに挑戦し、実際、見事にやってのけてしまう。それが監督・宮崎駿のすさまじさであり、経営者・宮崎駿の現実主義です。
 制作が佳境に入る中、僕は心の中で宮さんに手を合わせて感謝していました。
 さらに、もうひとつ宮さんが経営者的感覚を発揮したのが、新社屋の建設でした。
(略)
[これまでの仕事で疲弊したスタジオを]『紅の豚』という作品と、新しいスタジオを同時に作ることで立て直そうと考えた。(略)
 新社屋の設計は、営さんが自ら手がけました。いちばんの目玉は女性トイレでした。男性トイレの倍の広さにしたんです。しかも、当初はそこに机と椅子まで置こうとした。
(略)
 ただ、僕がいちばん感心したのは素材の選び方でした。業者任せにすることなく、天井から床材まですべて自分でカタログを確認して決めていきました。
 建築素材というのは、一番上と一番下では価格に二十倍ぐらいの開きがありますが、宮さんは必ず一番安い材料を選ぶんです。それでも、安っぽくならないように色とデザインは巧みに組み合わせる。それを全フロア、部屋の隅々まで徹底的にやるんですよ。普通に作ったら途方もない予算がかかるようなものを、自ら超人的な激務をこなすことで、じつに安く作りあげてしまう。映画作りもまったく同じです。ほんとうに働き者で感心しますよね。
 さて、新しいスタジオができあがると、税務署の人がうれしそうな顔をしてやってきました。固定資産税を算定するために、ちゃんと建築途中に撮った写真まで持っています。「いままで外側からしか見ていないから、今日は中も見せてください」とニコニコしています。自信があるんでしょうね。
 ところが、中を案内して見せているうちに、その人の顔が青ざめていきました。そして、全フロアを見終えて一階に降りてきたところで、無言になっちゃった。(略)
 「私たちはこういう建築物を見て資産価値を計算するプロです。でも、ここまで創意工夫して安くできている建物は見たことがありません……。いったいどなたが設計なさったんですか?」
 そこで僕が「宮崎駿が自ら設計しました」という話をしたら、税務署の人たちは驚いていましたねえ。

監督:宮崎駿

 「僕はカーチスをもっと若いつもりでやったんですが、カーチスもポルコも同じ中年だと思った方が多いようですね
(略)
彼は青年です。でも、ちゃんとした男ですよ。『紅の豚』に出てくるのは自分を全部確立した人間だけなんです。フィオも揺るぎなく自分です。劇中の出来事を通じて大人になったとか、そういうんじゃないんです。自分がやることも、意志もはっきりしていて『私は私』なんです。フィオがポルコについて行くのは商売のためであり、自分が作った物に対する責任があるからです。ポルコが好きだからじゃないですよ。もっとも、嫌いだったら行かないでしょうけれどね(笑)。
 そういうことを明確にした映画なんです。ですから、まだふにゃふにゃの自我を抱えて、それを励ましたり何かしてくれるものがほしいというひとのためのものじゃない。そういう意味で、これは若者をまったく排除して作った映画です。(略)
映画を作りながら、この豚はこの後どうやって生きていくんだろうと気になって仕方がなくなった。(略)大バカな第二次世界大戦があって、そこでフィオはどうしたんだろう。(略)ジーナみたいな女が、ホテル・アドリアーノを抱えたままユーゴスラビアと戦争になったときに、彼女はどこに生きたんだろう。そういうことが気になるんです。
 この映画は、それでもみんなに元気に生きていてほしいと思いながら作った。それは生きていてほしいときに、ファシストの軍隊と戦ってカタルシスを得るということではなく。
 時代を生きているときに、くだらないものはくだらない、俺は俺でやるという視点を明瞭に持っているキャラクターを出したかった。大混乱や、戦争が起こったときに、この責任は全部俺にあるという視点ではなくて、俺も同じイタリア人だから責任があるというような視点ではなくて。そういうことは個人として冷厳に見て、やりたくないものはやらない。国のために倒れて犠牲になって死のうということもやらない。俺は俺、俺の魂の責任は俺が持つんだ。豚はそういう男なんです。それが、これから生きていく上で必要だなと、自分も切実に思ったから」
(略)
――中年が人間性を回復するというような結末の映画ではないと。
人間性はあるとかないとか、回復するとかしないとかそういうことではない。その点で非常に疲れることがあるんです。まだ始まってない始まってないと思って。ボヤーッと二十代を過ごしているうちに、とっくの昔に船出していて、一番やらなければいけないことをやらずに三十歳になり、まだ中年じゃない中年じゃないといっているうちに、突然おじさんになっちゃうんです。そういう青年期のない、少年からいきなりおじさんというのが、今ものすごく多いんじゃないでしょうか。青年期というのは、自己形成してそこから出かけていくという地点です。それを抜きにして始まるということは、取り返しのつかない事をいっぱい意味している。
 全くの思いついた総括ですが、自分が今まで作ってきた『ナウシカ』や『ラピュタ』や『トトロ』などは、自分への手紙なんです。自分のさえなかった子ども時代や、さえなかった高校時代や、さえなかった幼年時代に対する、ああいうふうにしたかったけれどもできなかった自分自身の全世代に向かっての手紙。それが『トトロ』が終わったときに真四角になって、全部出し終えてしまった。『魔女の宅急便』は、いろいろな事情でやる羽目になって、どこか俯瞰しながらダメージを被りながら作っていた。そして『おもひでぽろぽろ』も高畑さんとともに、等身大のキャラクターをダメージを負いながらやって、全世代へ手紙を書き終わったときに、これからどうやっていくんだと迷っている中年時代の自分にいくしかないんじゃないのと、『紅の豚』で現在形の手紙を書いてしまった」

女性スタッフ七人座談会

賀川愛 (略)経験者の人が宮崎さんの作画監督は楽だよ、ってみんな言うので経験だと思ってやってみたら、本当に楽だった。(略)清書するだけだから(笑)。(略)宮崎さんが一本線で描けなかったところを、一本にまとめるというか……。
(略)
久村佳津 実際画面を作る時、宮崎さんの頭の中ではすでにほとんど絵ができあがっているんです。だからアドバイスがすごくはっきりしていてクリア。私がもたもたしていると、「この色とこの色まぜて」といったぐあいで……。
 天候や雲のことでもよく見ていらして、ポルコがカーチスに襲われる海のシーンでも、曇り=グレイの世界ではなくて、もっと茶色とかもっと黄色とか。
 あとでそんな写真を見かけたりすると、なるほど、そんな色だったりして。
(略)
 雲に関しては、最初三十分の予定の時は、結構書き割りっぽく漫画的に、という話だったんです。それで、デザインぽく単純に描いていたんですけど、だんだん「キャラクターに厚みが増してきたら、今度はやはり雲に柔らかさが要るね」という話になって(笑)。
(略)
立山照代 [色数は]四七六色です。(略)
藤村理枝 [普通]テレビでは一〇〇色を超えると多いって言われますよね。(略)
立山 やっぱり常になくてはならないのは、“ホタル色”(編注・高畑勲監督作品『火垂るの墓』制作時に、絵の具メーカーと共に開発した新色)を中心に、保田さんのおつくりになった絵の具です。これがないと、やたらとギラギラした感じになりやすいんです。“ホタル色”のおかげで落ちついてくれるんです。[ただ使いこなすのが難しい]
(略)
賀川 見分けがつかないよね。手伝ったんですけど、この色とあの色、どこが違うの!?そのぐらい微妙なんですよ。
(略)
立山 キャラクターの着ている服が絹か綿かによって、素材によって影だけ変えてみたりとか……。
(略)
[女性キャラクターについて]
舘野仁美 フィオはすこし可愛らしすぎたかな。私は賀川さんがモデルだと思っていたから、もうちょっと違う感じを想像していたんです。女らしいんだけどもっとさばさばしているというか……。予想より女の子っぽかったんで、ちょっと意外でした。愛ちゃんがモデルにしてはちょっと違うなって。やっぱりフィオはフィオ。
賀川 だれがモデルだって?宮崎さん、モデルだって言った?
舘野 言わないけどみな黙認してる(笑)。
(略)
賀川 もっとお話の中で弱みかなにか見せたほうがよかったんじゃないかな。どこか欠点というか。そうしたほうがもっと入り込めるような気がするんだけど。
(略)
弱く見せているところがあまり弱く見えないんですよね。空賊団との対決のあとでポルコとふたりだけになった時、フィオが泳ぎますよね。泳ぐのは別にいいと思う。そのままサッサカ泳いでくれればいいんだけど。(略)
そこで震えるでしょう?ああいうところは女としては、あまり見せてほしくないなあと思っちゃうんですよね。わかるんだけど(笑)、ちょっと違うんじゃないかなと思う。ああいうところを見せたくなくて走っていく、というのが本当の女の子の弱みなんじゃないかな。(略)
藤村 ポルコは絶対手は出さないとわかってての素振り、男の人が側にいれば、ああ可愛いと思うだろうな、というサービスカットみたいな感じがちょっとしましたね。
賀川 あと一緒に飛行艇に乗り込んでいくところ(略)
ももっと、フィオを乗せないとまずいんじゃないかというような感じに持っていって、仕方なくフィオが乗るというふうにしてほしいんだけど、フィオがダッダッダとか行っちゃうでしょう。ポルコに「男とふたりきりになるんだぞ」と言わせちゃう。あれがちょっと苦手なの(笑)。
 十七歳でしょう。男の人とふたりきりになったらどうなるかって、普通は頭にありますよね。「あたし平気、そういうの慣れてるから」ってフィオは言うけど、そういう純粋無垢な女の子って実際にはあんまりいないんじゃないかな。
(略)
舘野 最初から恋愛感情があったようなものじゃないかな?ずっといちばんあこがれの人だったんだけど、現実に会ってみてすごく好きになった。
賀川 ついて行きたいと思ったんだ。(略)
木村郁代 フィオ自身には“あこがれの人”っていう認識が全然なくて……、という感じで見ていたから……。そうかそんなことがあったのか(笑)!
(略)
[ジーナのモデルは]
藤村 加藤登紀子さんかな?
中込利恵 でも保田さんの雰囲気も入ってましたよね。あの辺の、大人っぽい女の人をぜんぶ総合する……。
藤村 原画の篠原(征子)さんも投影されているよね。

対談:加藤登紀子

宮崎 僕らはいろいろ映画をやってきて、随分と幸運にも恵まれてきたんですけど、興行的には、『魔女の宅急便』と『おもひでぽろぽろ』(製作プロデューサーを担当)が一番ヒットしました。ところがヒットしたがために、それが作った人間にとってダメージになっているということがあるんです、実は。ヒットしたというのは、つまり時代と波長が合ったんですね。でも、時代と波長が合うことが良いのか悪いのかというと、ホントは少しズレていたほうがイイ。
(略)
時代の波長ということで言うと『魔女の宅急便』は要するにバブル(略)
映画を作るについては主人公と同じ年頃の、某プロデューサーの娘を“仮想敵”に仕立てて、彼女と話をするにはこんな話し方だろうと考えて作ったんですが、連帯の挨拶を送りながら、どこかで、ゆとりを持って俯瞰してる。どこかで、なんて甘っちょろい世代だと思ってもいるんですよ。田舎娘がポッと町へ出てきて、出会うのは善い人たちばかりで、みんなから親切にされて何もかもうまくいくなんて、世の中そんな甘くねえよなんていうつっぱった反応も期待してるんですね。映画が出来上がって一番最初に喜んでくれたのが“仮想敵”の娘さんだった。その娘よりもっと上の僕の息子までが女房にこっそり、親父の作った中で一番よかったなんて言っている。どこかで面白くないんですねえ。(略)
どこかでゆとりを持って作ったのが、うしろめたいんです。その上、お金まで入ってくると、なおいけない。僕らが、あの頃志した作品はこうではなかったんじゃないかって……。では何を作るか……その方向があいまいなまま、疲れたとかいって、リハビリ映画に手を出しちゃった(笑)。(略)
でも映画ってそれじゃすまないんですね。本音がはっきり出ちゃうんです。湾岸戦争以来、世界が突然動き始めた時に、自分の生き方の根っ子の部分が揺らいできたということがある。自分の今までのうしろめたさを根拠にした世界観とか歴史観、あるいは戦後の経済成長期に居合わせて、世の中少しずつ良くなっていくから人間性も良くなっていくんじゃないかとか、どこかで疑問符をつけながらも自分のいちばん根拠としてきた部分がぐらついた。ほんとうにぐらついたと言わざるを得ないんです。しばらくの間、政治的判断力がすごく鈍った。そうとは気取られないようにしてましたけど(笑)。
(略)
加藤 (略)[三十代の新聞記者から、学生運動も何もない]「あの頃」と言えるほどの共通の体験もない。そんなボクらの惨めさがわかるか、とボクらの惨めさも歌にしてくださいよ、と言われたんです。
宮崎 でもその新聞記者が、たとえば僕らの「あの頃」を六〇年、七〇年の高揚時における共通体験だと思っているとしたら、少し違うんですよ。それは、自分たちで探してつくったっていう自負だけはあるけどなあ。僕にとっての「僕ら」や「あの頃」は、学校出て映画会社に入って労働組合なんかをやりながら、そこで出会った連中と、こんな映画じゃなくてもっと違う映画を作りたいという話をさんざんしてた。あの頃の僕らがいまだに自分の中に生きているんです。

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