ジブリの教科書5 魔女の宅急便

タイアップ

宮崎は、ヤマト運輸幹部との初会合の席で「ヤマト運輸の新人研修映画を作る気持ちはありません。『宅急便屋さんになって、がんばろう』っていう映画を期待されても、私にはそんなことできませんし、やろうとも思いません。それが私がこの映画を作る条件です」と話したという。結果的に、ヤマト運輸はこれを受け入れ
(略)
 このヤマト運輸とのタイアップの経験が、現在のジブリのタイアップ広告の基本を形づくった。まずその大前提は、直接商品のPRには使わない、ということだ。これは『ラピュタ』の時のタイアップが不発に終わり、企業、作品ともにメリットがなかった反省からきている。

鈴木敏夫が語る制作秘話

 じつはこの企画、最初は「高畑勲監督作」ということで持ち込まれました。ところが、高畑さんが断ったので、宮さんに「こういう企画が持ち込まれてるんですけど、どうします?」と聞いてみたんです。そしたら、「おれ読んでる暇ないから、鈴木さん読んでよ」と言われてしまった。(略)
[翌日感想を訊かれ]
 「この原作、見た目は児童文学ですけど、たぶん読んでいるのは若い女性じゃないかと思いますね(略)たぶん田舎から都会に出てきて働く女性たちのことを描いた本なんですよ。彼女たちは好きなものを買って、好きなところへ旅行し、自由に恋愛も楽しんでいる。でも、誰もいない部屋に帰ってきたとき、ふと訪れる寂しさみたいなものがあるんじゃないかと思うんです。それを埋めることができれば映画になりますよね」
 と、その場の思いつきで言ったんです(笑)。すると宮さんが「おもしろいじゃない」と俄然興味を示しました。
(略)
[宮崎はトトロ制作中]と同時に、「いつまでも俺たちジジイが映画を作っていてもしょうがない。若い人に機会を与えようよ」という思いもあった。そこで、自らはプロデューサー兼脚本家を務め、監督には宮さんの元で演出の勉強をしていた片渕須直くんを抜擢することになりました。
(略)
 『トトロ』の制作が終わると、宮さんはすぐに脚本執筆に入ることになりました。ところが、原作を読んでの第一声は、「鈴木さんの言っていたことなんて、どこにも書いてないじゃないか!」
(略)
 宮さんの執筆というのは変わっていて、僕に向かってあれこれしゃべりながら鉛筆を走らせていくんですよ。そして、一シークエンス終わるごとに、すぐに原稿を見せてくれる。それで「どう?」と聞かれるので、「ここはもう少しこうじゃないですか」と感想を言うと、すぐにパッと書き直す。(略)
シーンを組み立てる手際のよさにも感心しました。物語の冒頭(略)原作ではけっこうなボリュームが割かれています。凡庸な人がやったら二十分ぐらいかかりそうなそのシーンを、わずか五分ほどにまとめてしまったんです。
(略)
[ウルスラの]あの絵、宮さんの義父が教えていた養護学級の生徒の作品がもとになっているんです。戦争中、反戦活動で投獄された経験もあるという骨のある方で、その後、長く障害のある子供たちの社会復帰に尽力されたそうです。そのつながりで絵を使わせてもらったわけです
(略)
 脚本ができた後、原作者の角野栄子さんが自分の作品がどんな映画になるのか心配しているという話が伝わってきました。
 そのことを宮さんに話したら、「鈴木さん、ふたりで会いに行っちゃおう」ということになりました。そういうとき、宮さんの行動はすごく早いんです。
 角野さんのご自宅にクルマで訪ねていって、「いちどジブリに遊びに来ませんか」と言って、吉祥寺のスタジオまでお連れすることにしました。その道中、普通に行けば十五分ぐらいのところをじっくり一時間ぐらいかけて走り、宮さんは角野さんに武蔵野の風景を見せてまわったんです。宮さんはそのあたりの道をすべて知り尽くしていて、どこにどういう緑があるのか、ぜんぶ頭に入っているんですね。
 これには角野さんも「こんなきれいなところがあったんですか!」と喜んでくれて、ジブリに着いた頃にはすっかり心の距離が埋まっていました。
 宮崎駿という人は、計算じゃなく、本能でそういうことができてしまうんです。
(略)
[制作開始直前]徳間書店の上層部に企画の説明と監督の紹介をすることになりました。その会を終えてみて、僕としては正直なところ、この体制でいいものが作れるんだろうかと不安になってしまったんです。(略)
[尋ねてみると、宮崎もそれに同意、監督を了承]
 僕が見る限り、宮崎駿という人は、ものを教える人間としてはあまり優秀じゃないんです。(略)
[助手席に乗ると]どのルートを使うか、どのタイミングで方向指示器を出し、どこでブレーキを踏むか、一挙手一投足すべてにわたって細かく口を出すんですね。これにはたいていの人がノイローゼになっちゃう。(略)
 その性格は当然、絵を描くときにも出ますから、宮さんが顔を出すと、みんな落ち着いて作業できないんです。宮崎駿がスタッフに求めているのは、その人の中にいいものを見つけて伸ばすというよりも、“自分の分身”なんですね。
(略)
[何をやったらいいか悩む宮崎に、まだ“思春期”を扱ったことはないと提言]
「まだ何者かになっていない猶予期間ってことなんじゃないですかね……」と話していると、ふいに宮さんは「分かった」と言って、ナプキンにキャラクターを描き始めました。キキの髪にはすごく大きなリボンがついていました。僕は鈍感で、そのときは理解していなかったんですけど、あのリボンはまだ自分を守ってくれる確かなものを持っていない思春期の象微だったんでしょうね。
(略)
 思春期について考える中で、ジジの役割もすごくはっきりしていきました。あれはただのペットじゃなくて、もうひとりの自分なんですね。だからジジとの会話っていうのは、自分との対話なんです。ラストでジジとしゃべれなくなるというのは、分身がもういらなくなった、コリコの町でちゃんとやっていけるようになりました、という意味を持っているわけです。

思春期

[壁にぶつかって、今までできていたのは、親から貰った才能のおかげだと気付く]
今まで平気で、無意識のうちにやれたことがとてもできなくなってしまうというのは、無意識のうちに成長していくことは不可能だということでもあるんです。
 ですから、この映画の中の魔法を(略)彼女の持っているある種の才能というふうに、僕は限定して考えました。そうすれば、いくらでも飛べなくなるっていうことはあるんだ……と。
(略)
きのうまでは飛べたのに、なんで急に落っこちてしまったのか、なぜこんなに人の言葉がつきささるんだろう、なぜこんなに元気がなくなってしまったんだろう……そういうことじゃないですか。僕らもアニメの仕事をしていて、絵が描けなくなることがよくあるんですよ。そんな時、どうしてそれまでは描けたのか、絵の描き方を忘れてしまうんです。どうしてそうなるのか。わからないですよ、理屈なんて……。でも、そういうことっていくらでもある。
(略)
思春期というのは、自分をもてあますんですよ。誰もケンカしようなんて思っていないのに、言葉をかわしてみたら、思いもよらない乱暴な言葉が出てきたり、バカなことを言ってしまうものなんです。こうしたほうがいいのにと思っていながら、反発して正反対のことをしてみるとか、いろんなことをやってしまう……。
――それが思春期ということだと?
まあ、最近は三十代になっても四十代になっても、同じことをやっている人がいるみたいだけど……。だから、本当に自分というものが確立している人間は、どこへ行っても誰に対しても、同じ態度がとれるはずなんです。あるいはみんな、同じ態度をとりたいと思っているはずなんです。ところが、店番をしていてヒマな時は貧乏ゆすりをしていて、外を誰かが通ると急ににこやかになったり……。でも、それは彼女がずるいからじゃないんですよ。世の中に出ていくということは、そういうことをいっぱいやらなくてはいけないんです。そうやってうまくいったかどうかということじゃなくて、それで満たされない部分があるということが問題なんです。そういう時に何がいちばん自分たちを満たしてくれるのだろうか。(略)
キキのような子の場合にいちばん必要になってくるのは、[成功や収入ではなくウルスラのような]一種の避難場所だと思うんです。

自意識過剰と愚行

キキにとっていちばん大事なことは[商売の成功より](略)
いかに自分一人でいろいろな人と出会えるかってことでしょ。ホウキに乗ってネコを連れて空を飛んでるうちは、自由ですよ。人から距離をとっているわけですから。でも、町に住むってことは、つまり修行するってことは、もっとあからさまな自分になって、つまりキキで言えばホウキも持たず、ネコも連れずに一人で町を平気で歩けてね、人と話ができる。そういうふうになれるかどうかなんですよ。
(略)
[『ぴあ』が売れたのは]みんな恥をかきたくないから、せっせと予行演習しているわけでね。
 というのは、僕自身がとても自意識の強い人間だからわかるんです。ひどい時は駅員にこの改札口でいいのかどうか、訊くことすらできない、町の中でどの道を行けばいいのか、立ち止まって見回すのも恥ずかしい。ひたすら違う道を歩いてとんでもないところへ行ってしまう。そういう愚かなことをいっぱいやってきた人間なものですから……。
(略)
誰でも経験があると思うけど、いろいろとバカなことをやっているんですよ、人間は。(略)
夜中に思い出して恥ずかしさのあまり大声で叫び出したくなるようなこともいっぱいやっているわけだけど、それも必要なんだ、そういうこともやらなきゃいけないんだ、という感じかな。親が死んだあとで、なんであの時、あんなことを言っちゃったんだろうって悩むことがあるけど、その親もまた若い時には同じことを思ったに違いないとか

大野広司(美術)

僕は一色の中に、いろんな色を感じさせる色使いをしたいと思ってるんです。たとえば、グレイにしても白と黒を混ぜたグレイじゃない。補色同士を混ぜると、グレイっぽい色になるでしょう。同じグレイでも白と黒で作ったグレイよりも、たとえば青と茶色を混ぜてできたグレイのほうが、色味を感じさせるんです」
――宮崎監督とは、よく打ち合わせなさるんですか?
 「ええ、同じスタジオ内にいますから、一日に三回くらい。よくいわれるのは“テラっとした光”。壁や家具にぼんやりと反映している光のとらえかたなんです。影になっている部分でも見えているところはあるでしょう。それは、どこからか乱反射した光が入りこんで来ているわけで、それをとらえて描いてほしいというんです。それに、アップとロングの画面では、その光の見えかたもちがってくる。じっと一点だけ見つめた時、カメラを引いてまわりの雑多なものといっしょに見た時では、ちがうんですよ」
――とてもリアルな感じがしますね。どうしてですか?
 「色数は多いけど、全体にグレイっぽくなるような色使いをしています。そうすると、絵全体の彩度が下がってリアルな感じになるんじゃないかな。そこにコントラストをつけると、明度が上がって、光がパーッと目立ってくるんです。

井上俊之(原画)

[キキは]いままででいちばん描きにくいキャラでした」
――どのへんがむずかしいんですか。
 「顔のバランス、配置ですね。キキは、目鼻が小さいんです。だから、おのおのの形は似せられるんですが、置く位置によってずいぶん印象がかわるんです。意外にキキって鼻が上にあるんですよ、分析してみると。目と目のあいだぐらいにあるんです。それで、ずいぶん鼻の下が長いキャラクターになっちゃう(笑)。宮崎さんや作監の人が描くとバランスがとれているのに。だから、アップが苦しかったですね。福笑いのノリで顔の輪郭を描いて、あとは目鼻を配置していく気分ですね。ちょっと描いては上げてみたり。そんなふうだから、表情とか描いてる気がしなかったです
(略)
ななめうしろの、ほおのラインがやや見えるくらいの角度は結構描きやすくてすきでした。だから、なるべくななめうしろを向けたりして(笑)」

幻のポスター案

 第1案▼最初は本編中に、キキがコリコの街で宿屋も探せず、ひと晩、時計塔の上で過ごすというエピソードがあった。都会の孤独感も出ているし、このシーンでポスターをということになったのだが、この話を組み入れてしまうとなかなか本編が展開しないということでカット、同時にポスターも没。
 第2案▼いままでの宮崎ヒロインはトイレにも行かないといわれていたからか、つぎの宣伝会議に備えて監督が描いたのがトイレに座ってもの想うキキだった。思春期を絵にしたい意図はわかるが、これは招く誤解が大きすぎるという理由で没。
 決定案▼宣伝プロデューサーや糸井重里さんらから出た案は地上低く飛ぶキキの絵だった。監督は二十枚近くのラフを描いたが、やっぱりこの映画のポスターは思春期を絵にするべきではないか、ふつうの少女らしさを強調したものを描くべきだということになり、それなら!とものの三十秒で描いたのがおなじみのパン屋で店番するキキなのだ。

講談的アニメは退廃だ

商売柄っていうか、すぐ映像化するようになっちゃっているんです。小説を読んでいても、土地の説明なんかは、街の角のここを曲がって、そこから登って……とか、頭の中で一種の図を描くんです。しかし小説にも絶対に映像化できないものがある。例えば、司馬遼太郎さんのやつなどは、いくら作ろうと思っても無理ですね。やっぱりあの人は講談なんじゃないかと。(略)
講談的なアニメーションの作り方ってあるんです。(略)
昔、『巨人の星』というのがあったでしょう、球をピッチャーが一球投げる間に三十分が終わるような……。要するに、時間が情念によって際限なく引き伸ばし得るんです。(略)
寛永馬術という講談があるのですけど、あれなども(略)脚が階段を上っていくカットを入れたり。そうやって作っていくと、実はある種のアニメーションとひじょうにやり方が似ています。パーン、はい決まった、という感じでね。そういうものは、見終わった時に空間は残らないんです。ある種の情念とか気分だけが残る。
(略)
映画や講談を成立させるために、便宜として時間を引き伸ばしたとたん、退廃が始まりかねません。やはり、現実の世界の持っている重さを映画は虚構だからといって軽視すると、結果として自分の足元をなくすことになると思います。不特定多数に対する共通言語にはならないと思うんですね。

[関連記事]
kingfish.hatenablog.com
kingfish.hatenablog.com
kingfish.hatenablog.com