暴力と富と資本主義 萱野稔人

民営化による<権利>の再定義

構造改革は国家の権力を縮小させるものであるというイメージ(略)
 しかし、小泉政権による一連の構造改革がおわってみて露呈したのは、そうしたイメージがまったく的はずれなものであったということである。(略)
構造改革は権力と利益の結びつきをこれまでとはちがう仕方で強化した。(略)小泉首相の諮問によって内閣府に設置された規制改革・民間開放推進会議をとりあげよう。
 その会議の議長はオリックス株式会社の宮内義彦会長がつとめてきたが、宮内はそこで、自分の会社のビジネスチャンスをひろげ、その利益をあげてくれるような規制緩和をつぎつぎと進めた。(略)ルール変更をつかさどる権力をもった人間が同時にそのルールのもとでカネを稼ぐプレーヤーでもあるという不公平な利権構造が、構造改革の名のもとでつくられた。
 民営化についていえば、小泉政権になってから役人の天下りが増加したということがその本質をよくあらわしている。数多くの独立行政法人化がその恰好の回路となった。(略)「官から民へ」権限を移行させるはずの民営化が、じつは役人たちの利権確保の手段となっているのである。
(略)
 郵政民営化を例にとろう。(略)
フタを開けてみると、郵貯簡保にあつまったカネが同じようにつかわれる構造はそのまま残った。むしろ民営化されることで、そのカネのつかわれ方が議会などによってチェックされなくなる可能性がでてきた。
 そしてその一方で、天下りの回路は拡大した。郵政民営化にもっとも抵抗したはずの旧郵政(現総務省)官僚たちは、結局のところ天下り先を確保するための条件闘争をくりひろげたにすぎなかったし(略)財務省も、消費税率アップのために、そして自分たちの天下りのために郵政民営化を活用した。
(略)
戦争の民営化はしばしば究極的な民営化だといわれる。国家権力の究極的な発露である戦争を民間企業が肩代わりしていくことをそれは意味するからだ。
 では、なぜ国家はその究極的な権力の発露を民間企業に外部委託するようになってきたのだろうか。
 いくつかの理由がある。
 まずいえるのは、軍事業務か外部委託されることによって、政治家や官僚は寄付金や天下りといった利益を手にすることができるという理由だ。
(略)
 アメリカはまた正規軍の人員削減を軍事のハイテク化によって補おうとしたが、これも民間軍事企業への依存を強めることになった。
(略)
[冷戦後]戦争が限定された局地的なものになればなるほど、正規軍をまとめて投入する必要はなくなり、軍事業務を民間企業に委託する余地はおおきくなる。
(略)
 冷戦時代、周辺諸国ソ連アメリカの「代理戦争」の場所であった。(略)ある国家でソ連の支援をうけた社会主義政権ができると、アメリカは反政府ゲリラを養成して政権を倒そうとする、といったように。
 この場合、反政府ゲリラの養成資金として、しばしば麻薬利権などによる裏のカネがつかわれた。アメリカ政府は反共ゲリラが裏のビジネスに手を染めていくのを黙認し、あるいはそれに積極的に手を貸したのである。ニカラグアの反政府ゲリラ「コントラ」などがその典型例だ。(略)
 しかしソ連の崩壊によってこうした協力関係は不要なものとなっていく。
(略)
冷戦後、こんどは周辺諸国アメリカ政府から委託された民間軍事企業がおくり込まれるようになる。つまり、周辺諸国を管理するためにアメリカによって活用される代理部隊が、非合法的なマフィア−ゲリラ組織から、合法的な民間企業へと転換されるのだ。この転換こそ、戦争の民営化において起こっている本質的な事態にほかならない。
 したがって、戦争の民営化が「テロとの戦い」と並行してなされているのはけっして偶然ではない。そこでめざされているのは、アルカイダのようにかつてアメリカと協力関係にあった暴力組織をテロリストと名指しながらその関係を清算し、そうした暴力組織がこれまで担っていた役割を、アメリカ政府と縁故関係にある民間企業に任せるということである。
(略)
 こうした代理部隊の転換がもたらすメリットはとても大きい。というのもそれによって、かつては周辺諸国を管理するためにやむをえず非公式的な暴力組織のもとにながれていたカネや利権が、アメリカ国家とむすびついた企業による資本蓄積の運動のほうに統合されるからである。
(略)
 しばしば、戦争の民営化は「国家だけが合法的に戦争をすることができる」という主権国家の原則を破壊し、それによって国家の権力を縮小させるだろうといわれることがある。
 しかしそれは正しくない。
 というのも、軍事業務を請け負う民間企業は――たとえそれが実際に武力を行使するときでも――あくまでも国家に認可されるかぎりでそうしているからだ。(略)国家だけが合法的に戦争をすることができるという図式そのものはなんの変更もうけていないのだ。
 むしろ戦争の民営化は国家の権力を強化する。たとえ民間軍事企業が戦場で国家の軍事活動をサポートするために国際法をおかしても国家は責任を逃れることができるし、またどれほど民間軍事企業から戦死者がでても、それは正規軍の損失としてカウントされないからだ。
 戦争の民営化によって主権がおびやかされるのは、民営化された軍事力がおくりこまれる周辺諸国のほうである。それらの国家は国内の治安を管理するだけの十分な軍事力をもたず、自国の軍隊・警察の訓練から傭兵による直接的な武力行使にいたるまで、民間企業の軍事力にたよらざるをえない。国家の運営そのものに民間企業が介入する余地がこうして生まれてくる。(略)けっきょく、戦争の民営化によって主権をおびやかされるのは、これまでも大国の思惑によって主権が蹂躙されてきた国家なのである。
 日本の構造改革に話を戻そう。
 じつは規制緩和にも、戦争の民営化とおなじような現象がみられる。構造改革労働市場規制緩和をおこなうことで労働の流動性を高めた。それによってフリーターなどの不安定雇用が増加し、また雇用者側にとっては労働者をより安く働かせることができるようになったことは周知の事実である。
 ここで問題にしたいのは、そうした流動的な労働力を管理する仕方が構造改革をつうじてどのように変化したのか、ということだ。
(略)
[ヤクザ組織は土木建設や港湾荷役などに]もちまえの暴力をバックに労働者を組織して、現場におくりこんでいた。(略)
国家はそれをある程度容認してきた。なぜならヤクザ組織による労務供給は、一般企業では扱いにくい流れ者のような人間たちをまとめあげてくれたり、労働者が団結して争議することを防いでくれたりしたからである。
 流動的な労働力を管理するために、国家は非合法的な組織と非公式な協力関係をむすんでいたのである。冷戦期における反共ゲリラとアメリカ政府の関係とおなじような関係がそこにはあった。
 これに対し労働市場規制緩和は、派遺業や請負業(アウトソーシング業)といった労務供給業を、流動的な労働力を管理する合法的な経済活動として確立した。
 これが意味するのは、国家はもはや流動的な労働力を管理するために非合法的な暴力組織の力に頼らなくてもよくなってきたということだ。荒くれものの労働者は減り、はげしい労働争議もほとんどおこらなくなった。国家はこれによって、それまで非合法的な暴力組織とむすんでいた協力関係を清算し、また、かつてはそうした組織のもとに流れていたカネをみずからの法秩序のもとへと統合しようとする。一九九二年に施行された暴対法以降の一巡の措置は、こうした文脈のなかにある。
(略)
 構造改革は、ネオリベラリズム市場原理主義といった経済政策上の立場の問題としてとらえられることがおおい。(略)
[しかし]構造改革とは、権力の再編成と利益の回路の再配置をめぐる運動である。それを見誤るなら、なぜ「自由化」といわれるものが権力の強化をもたらすのかが見えなくなってしまうだろう。