音、音、音。 音聴く人々 坂本龍一、鈴木雅明

音、音、音。 音聴く人々

音、音、音。 音聴く人々

異化作用

――(略)音楽を「聴いている」ということをリスナーに意識させるようなことを考えたりされますか。
その視点は面白いですね。(略)
音を断ち切ったり、何か異化作用をもたらすものを持ち込んでいく、つまり意識を少し撹乱してあげないと「聴いている」という意識が出てこないのですね。

「音響」

20代になってYMOを始めましたが、初期のテクノ自体も、定まったフォームのポップスを一度解体するような意識を強く持っていたので、(パイクやケージが好きだったころの意識と)基本的にはそんなに変わらないのかもしれないですが。特に、「音」あるいは「音響」っていうものに、直接触りだしたのは、2000年ぐらいからです。
(略)
――以前坂本さんが北極圏に行かれたとき、氷の解ける音のような、いろいろな音を録音されてきました。そこでは、音楽というよりは、何か音のままの状態のようなものを作ろうとされていたように感じました。(略)
なるべく構成ということをしないで、ポンと投げ出したような状態っていうのかな。いわゆる従来の音楽的な均整とか、形式美とか、そういうものにとらわれないで、なるべく素材の良さを活かすような、というとお寿司みたいですけど(笑)
(略)
僕はプロ・トゥールズを使っていますけど、それをキャンバスのように考えて、そこに音を置いていくような作り方に、この10年ぐらいでだんだん変わってきています。音響をオブジェ的に置いていく、あるいは色を塗ったりとか、変形させたりとか。いまやもうほとんどMIDIは使わないですね。
それから、ほとんどの音楽にはリズムなどの周期性がありますけど、ないものも面白くて、いま試しているところなんです。

前衛音楽

――音楽の聴き方が変わった、というような体験ってありますか?
やはり影響として大きいのは、10代のときに出会ったジョン・ケージでしょうね。その頃はまだいわゆる西洋近代音楽のお勉強中で、「もうちょっと勉強しないと」と思っていたんですが、同時にその勉強している西洋近代音楽の最果てのところに、もう15、6で出会ってしまったので、「勉強しても行き着くところはここなんだ」と。結局、全部壊して何もないっていう状態っていうのが見えちゃったんで、自分の中でどう納得していいか困りましたけど。(略)
[小学生のときに聴いた一柳慧高橋悠治の前衛音楽は]
やっぱり衝撃でした。ピアノの中で突然目覚まし時計が鳴ったり、ボールを投げ込んだり。「あれでも音楽なんだ」と思って。「自分でもできるな」と思いました(笑)。ピアノの練習が嫌いだったので、「ピアノの練習なんかしなくていいじゃん」とか。「あれでも音楽なんだ」って思ったことは今でもはっきり覚えています。

未知のパラダイム

今、僕らは20世紀からちょっとずつ遠ざかっている。で、20世紀に何が起きていたかっていうことを、少し俯瞰で見られるようになってきている。 19世紀まで音楽っていうのは100パーセント、ライブだったわけです。ライブ以外の音楽はなかった。メディアがないんだから。それを考えると、いかに20世紀が特殊な時代かということがわかる。だからといって、20世紀に起こってきたことが、これからもあり続けるかどうかはわからない。一種先祖返りのようだけれども、スパイラルでまた進化した形に変化していく可能性がありますね。
今では、もう純粋なリスナーっていうのはむしろ少なくなってきて、みんなコンピュータを使って、ガレージバンドで音はいくらでも出せますし、スマートフォンiPadでも音楽ができちゃいますし。インターネットなどによって、作り手と聴衆の境界が厳密には定義できない状態がどんどん広がっているというのが現状でしょうね。

音楽の素材としての「音」〜演奏家の立場から

大学に行ってすぐの1975年ころ、初めてヨーロッパへ行ったのです。何が何でも本物のオルガンを見なくちゃならないという一心で、オランダのハーレムという町のいちばん大きなオルガン、18世紀に作られた古い楽器(略)
[堂守のおじさんに入れてもらい真っ暗な教会の中へ]
「オルガンはどこにあるのですか」と訊くと「どこって、これだよ」っていう。ふと上を見たら、そこに巨大なパイプが1本ずつ立っているのがわかりました。なんと、私は巨大なオルガンの真下にいたのです。もう本当に腰を抜かしそうになった。「弾いていいよ」といわれたけれど、鍵盤もいっぱいあるし、ストップもいっぱいついていて、いったい何をどうしたらいいかわからなくて、もう本当にただ恐ろしさのようなものを感じた。音を出してみたら耳じゃなくて腹に聞こえるというような巨大な音で、ゴーンと響いている。なにしろ32フィート管ですからね。32フィートというのは、コントラバスよりもさらにオクターブ下の音が出る。最低音は16ヘルツぐらいです。その最低音を出しても、結局その音自体を単独で聴き取ることは不可能です。CDにだって記録できない低さです。振動をお腹に感じるので音が出ているのがやっとわかる、そういう感じなのです。
(略)
 演奏者として気になるのは音楽のもとになるものとしての「音」ですね。音楽の表現というのはひとつひとつの音からできているわけですから、音そのものがどうありたいのかということのイメージがないと演奏はできないと思うのです。
(略)
いったい自分は何を聴いているのだろう、という「音」に対する意識が最初のスタートでないと、やはり音楽というものはできないのだと思うのです。
(略)
楽器も演奏者によって音色感はまったく違うわけです。その音色の違いというのは、単に楽器の構造という物理的な結果によるものでもあるけれど、どういう「音」が欲しいかという人の思いが「音」を作るというところもあるのです。楽器は本当にそういうところがあって、持っているうちに音がどんどん変わっていきます。
 オルガンですとレジストレーションといって自分で音の組み合わせを決めていくという手法もありますが、単独の音のパイプの、1本のパイプの作り自体、音が違うのです。国によって教派によって、あるいは時代によって非常に違う。良い音という感覚、イメージもどんどん変わっています。
 たとえばロマンチックな時代になってきたら、明らかに弦楽器的な音がいいと思われたのだけれども、バッハまでのいわゆるバロックの時代のオルガンの音は、ずっと管楽器的だし響きが太くて厚いというか、非常に芯がある音が多い。それは時代をさかのぼればさかのぼるほどそういう傾向が強くて、ルネサンス時代の楽器になってくると、ますます音は本当にまん丸で、私たちは母音的というのですけれども、ボカーレの音だという。つまりボーカルの、あたかも人が「アー」とか「オー」とかといっているかのような音が、パイプオルガンからも出るのです。“ボー”という、そういう音。
 またたとえば、ルネサンスのリコーダー、ブロックフレーテが典型的な例なのですけれども、内径が円筒なんです。ストンという、まったくの円筒です。それに対してバロック時代になればなるほど、中はでこぼこでいろんな形が出てくる。だから、息を吹き入れると抵抗がすごく増えるのです。抵抗が増すと、音は必然的にくぐもった音になり、そして抵抗感が感じられるような音になります。
 そういう抵抗感からしだいに弦楽器的な音になっていくのです。弦楽器は弦をこするわけですから、基本的にポーンといきなりは音が出なくて、抵抗のある感覚で出始め、それから出ている間の音、終わりの音も管楽器とは非常に違います。
 人間の耳というのは面白くて、たとえば音が鋭い始まり方をすると、出ている音の一部だけを取り出したら同じ音でも、非常に鋭い音だと感じてしまいます。そういう音の発音の具合、あるいはスピード感、それから終わり方、そして途中の膨らみ方とか、そういったことを含めたものが、音色なのだと思います。だからバロックの時代の音色感というのは、音が非常に小さな一点から始まって、しだいに膨れていき、それが閉じていく、こういう形の音(メッサ・ディ・ヴォーチェという名前で呼びます)が基本なのです。
 少し話が飛びますけれども、今モダンのオーケストラでもピリオド奏法だとかいって、ただヴィブラートをやめて、“ビーッ”と鳴り続けるみたいな感じの演奏をしますが、ヴィブラートがないことがバロックなのではないのです。音が生まれて育って終わる、その経過のトータルな表情、あるいはそういう経過の中に含まれる音質感というものが、バロックの奏法の基本的なものなのです。人間の声にしても弦楽器にしてもそうです。そして、チェンバロのような鍵盤楽器は弦をはじくので、音は生まれたら減衰するだけで膨れないじゃないかと思われていますが、実際にはピーンとはじいた後、その楽器が共鳴して膨れるという瞬間があるのです。非常に短いし、ほんの一瞬膨れるだけですが、そういう音になっているのです。
「音」というのは、音楽になる前の素材としての音であっても、その音にはどのように始まってどのように育ってどのように終息していくかという動きがあって、それが音楽にとっては大切なのです。どんなに小さな音、あるいはどんなに短い音であってもそういう動きがある。そこが単なる物理的な音と、音楽として奏でる音との非常に大きな違いなのです。
(略)
 バッハであろうが誰だろうが、モダン楽器で演奏するほうが本当はよく演奏できるのかもしれません。ただ、モダン楽器でできないことは何かというと、モダン楽器は何でもできちゃうから、制約というものがあまりにも少なくなってしまっているということです。アイロニカルないい方ですが、できないことは何もないのだということになってしまうと、結局その一点においてはできないのと同じなのです。何でもできるようにと思って作られた楽器というのは、個々の音色の違いが出せなかったり、あるいは制約や抵抗感のある音というものが出せなくなってしまっている。モダン楽器かピリオド(時代)楽器かという議論は、単に音楽の趣味の問題というよりは、むしろ非常に哲学的な問題なのです。
 だからピリオド楽器でバッハを演奏すればうまくいくなんて、そんなことはないのです。基本的にはうまくいかない。本来は難しいことをやろうとしているわけです。その不自由さがあって、つまり不自由なことをやりくりするからこそ、表現の自由が得られる、そういうことなのです。そういう意味が感じられる演奏でなければいけないのです。
 わかりやすい例でいえばフォルテピアノ。これはモーツァルトのころからあってだんだん発展していって音域が広がっていく。ハイドンモーツァルトが使っているころのフォルテピアノのいちばん端の音は、ベートーヴェンのころ、シューベルトのころの楽器ではもういちばん端ではなくなっているんです。音域が広がっていますからね。
 そこで、たとえば、ベートーヴェンのころのピアノでモーツァルトを弾いたらどうなるかというと、そのモーツァルトのいちばん端の音はもはやピアノのいちばん端の音ではないから、高さは同じ音でも違う音なのです。
(略)
作曲家は常にいちばん端の音まで使いたいから鍵盤の端の音を使わない作曲家は、ほとんど1人もいません。しかし、鍵盤の端の音というのは、その当時限界の音ですから、良い音ではないのです。しかしそのよくない端の音だからこそ、そこに何か悲痛な響きがある。それは音域が広がって楽々と出せる音からは得られない響きなのです。
 これがバッハを時代楽器でやる原点なわけです。これはピリオド楽器を使わなければいけない、使った方がいいのだといっている人たちが最初から気がついていたことなのです。
(略)
作曲当時はこういう音楽として作られたはずだという核心は、楽器から教えられることなのです。
 これはトラヴェルソなんかでも同じです。普通の指使いであればポンと良い音が出るけれど、ちょっとクロスフィンガリングにしたら必ずくぐもった音しかでなくなっちゃう。しかし、それはそういう音が欲しかったのだ、この音にこういう苦悩に満ちた意味が込められていたのだというようなことがあるわけで、音楽の中身と楽器の音、音色感というのは本当に密接な関係があるのです。

Ray Charles & Betty Carter + Dedicated to You

Ray Charles & Betty Carter + Dedicated to You

アル・シュミット

 これまで手掛けた自分の作品の中では、レイ・チャールズとベティ・カーターとのアルバム『レイ・チャールズ・アンド・べティ・カーター』が特にトップクラスだね。(略)全曲ライブで収録。トータル7時間半で仕上げた。
(略)
 レイがピアノを弾いて、そのすぐとなりで、ベティがレイの肩に手を置きながら歌ったんだ。レイは絶好調だし、ベティ・カーターもすばらしかった。
(略)
 録音でいちばん重要なものは、僕にとってはスピーカーとマイクだと思う。まず、スピーカーに求めるのは、とにかくちゃんと自分の納得できる音が聴けて、家でも車の中でも場所を問わず、その音をちゃんと再現できること。いま使ってるスピーカーは、マスタリングエンジニアのダグ・サックスなんか、音がいいからってほとんど何もしないでそのまま録音してしまう。
(略)
 マイクはノイマンの古いマイクをたくさん使ってる。フランク・シナトラで使ったボーカル・マイクの「U47」なんかは今でも使ってるんだ。その他のマイクは順番をつけて選んでいくって感じかな。マイクを選ぶときには相性に気を使う。たとえば、トランペットの音に合うマイクもあれば、トロンボーンに合うマイク、ヴァイオリンと合うマイクもあるからね。マイクと楽器を正しく組み合わせることが大切なんだ。イコライザーはほとんど使わないし、コンプレッサーは、ごくたまに使う程度。

大賀壽郎「音と素材の関係」

 平坦(フラット)な周波数特性の音場を作って、そこでスピーカーの音を聴いてもらうと、音波は頭の部分で反射したり回折します。そして耳の穴の長さが2.3センチありますから、3kHz付近で共振します。このため音場は平坦な特色でも耳の中では3kHz付近が持ち上がっている。その周波数特性を聴く人は平坦だと感じているのです。ところがヘッドホンを掛けると、この共振がなくなるのです。そこで、ヘッドホンで聴く場合はその共振特性を作ってやらなければ、スピーカーで聴くのと特性が変わってしまいます。
 いろんなタイプのヘッドホンを集めて測定してみると、評判のいいヘッドホンは、特にダイナミック型のものはちゃんとそのような周波数特性になっているのです。これは、ヘッドホンを作ったメーカーが経験的にわかっているからできることなのです。

出版社による内容

私たちの生活に満ち溢れている「音」。それはあまりにも当たり前すぎて、普段改めて考えることは少ないかもしれません。本書では、坂本龍一渡辺香津美村治佳織をはじめ、音楽家、音楽プロデューサー、録音エンジニア、サウンドデザイナー、音響設計者など、さまざまな現場で音に携わる“音のプロフェッショナルたち”のインタビューをもとに、音の魅力に迫ります。また、録音と再生の歴史を紐解き、音の原点を追求しています。
制作の背景
創立50周年を迎えた、音響機器メーカー「オーディオテクニカ」。その歴史的年を祝う記念事業のひとつとして、書籍制作が開始されました。「人はなぜ音に感動するのか?」ということをテーマに、「音」の深遠なる世界をあらゆる側面から追求し、そして、音を愛するすべての人が楽しめる1冊を制作したいという同社の想いをまとめました。

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