政治哲学的考察・その2 宇野重規

前回の続き。

シュミットの考える「代表」とは

 左右からの挟撃によって急激に弱体化したワイマール体制を目の当たりにしたシュミットは、政治的統一性の回復を至上の課題としてとらえた。そのために彼が必要と考えたのは、強力な権限をもつ大統領であった。彼は、「例外状況」において決定を下す権力こそを主権としてとらえ、この主権の担い手として大統領を位置づけ、その強大な権限を正当化したのである。したがって彼にとっての代表とは、特殊利害にとらわれて動きのつかなくなった議会内諸政党ではない。これら諸政党は、彼の考えるところの「代表」ではないのである。
 それではシュミットの考える「代表」とは何なのであろうか。(略)
 ある人民が政治的統一体として「実存」するためには、単に共同で生活しているという事実だけでは不十分であり、より高度の存在とならなければならない。このような存在を可視化することこそ、「代表」の働きにほかならない。またそれを可能にするのが、彼の考えるところの「主権」なのである。したがって、彼の「代表」は選挙によって選ばれたという事実、単なる法的事実には還元できない。むしろ「代表」は「政治的なもの」の領域に属する。
(略)
すでに見たように、彼は民主主義と自由主義とを峻別する。異なる意見間における合理的討論による真理追求にこそ基礎をおく自由主義的理念は、今日すでに空洞化している。これに対し、彼は民主主義の同質性を対置する。「民主主義の本質をなすものは、第一に、同質性ということであり、第二に――必要な場合には――異質的なものの排除ないし絶滅ということである」。

ルフォール全体主義

 これに対し、王の身体を失った民主主義社会において、「権力の場」は空虚になる。すなわち、いかなる個人も集団も、かつて君主がしめていた地位をしめることはできなくなる。たしかに定期的に行われる選挙によって、特定の個人あるいは政党が、統治の任にあたることになるだろう。しかしながら、彼らは任期が終われば、その地位を逐われる。けっして、かつての王のように、その身体をもって政治体の統一性を体現することはできないのである。逆にいえば、民主主義社会とは、その社会の統一性を表象する「権力の場」が空虚な社会であり、「脱身体化」された社会なのである。(略)
超越的な秩序の根拠が不在であり、それゆえに絶えざる異議申し立てが可能な社会、それが近代民主主義革命の結果生まれる社会である。かつて人間の身体の比喩において語られた政治体において、各部分は全体の共通善を実現すべく協調することを期待されていたとすれば、民主主義社会にはそのような共通善は不在であり、むしろ絶えざる政治的対立と分断のなかから、固有のダイナミズムが導き出されることが期待されるのである。
(略)
 ルフォールは、このような民主主義社会の理解を前提に、自らの全体主義論を展開する。ルフォールにとって、全体主義とは近代民主主義革命を前提に出現する現象にほかならず、その本質を理解しようとするならば、民主主義との関係を再考することが不可欠となる。
 全体主義の社会もまた、民主主義社会と同じく、超越的な秩序の基礎をもたない、純粋に人間的な社会である。だが、民主主義社会が、だからこそ「権力の場」を空虚なままにし、絶えざる異議申し立てから自らを動かすダイナミズムを生み出していくとすれば、全体主義社会はむしろ、真の人民主権を実現すべく、あらゆる対立を否定し、同質的で透明な社会を打ち立てようとする。ある意味で、全体主義社会は、民主主義社会における「権力の場」の空虚への反動なのである。
 「権力の場」が空虚であることの不確実性や不安定性に絶えられなくなった結果、「権力の場」の空虚を「単一なる人民」の表象によって埋めあわせようとする結果、全体主義の社会は実現する。社会は同質的で透明であるがゆえに、その利益を実現する権力もまた単一のものになる。この単一なる権力を体現するのが全能の「党」であり、この「党」の独裁の下、新たなる専制が生じるのである。
(略)
 全体主義とは、いわば、「脱身体化」したはずの民主主義社会に再び身体をもたらし、空虚なはずの「権力の場」を「単一なる人民」によって充足しようとする試みであった。しかしながら(略)
空虚な「権力の場」を実体的に埋めることは不可能なのである。その意味で、全体主義は失敗を運命づけられていた。実際、同質的で透明な社会を実現することのできない全体主義は、代わりに、「党」の方針に対する逸脱者、反逆者をたえず排除することで、かろうじて自らの一体性を演出し続けるしかなかった。

第二部 第三章 保守主義と人権
 

保守主義が成立したのは19世紀前半

カール・マンハイムの古典的な研究が示すように、保守主義とは変化一般を嫌悪するものではない。このような心的特性はむしろ伝統主義と呼ばれるべきものであり、広く人類一般に非歴史的に見られる。これに対し、保守主義とは近代になってはじめて誕生したものである。フランス革命後のダイナミックな歴史の展開を前に、何らかの保守すべき価値が危機にさらされているという明確な歴史認識の上に、この価値を自覚的に選択し、保守しようとしたのが保守主義である。このような意味での保守主義が成立したのは、19世紀前半になってのことであった。
(略)
「歴史の終焉」が語られる現在、近代の進歩主義は終焉し、結果として、進歩主義との対抗から推進力を得てきた保守主義もまた、その存在証明を失いつつあるのだろうか。
(略)
保守主義保守主義たる理由が流動化する今日、保守主義からの人権批判を、「進歩」と「保守」の対抗図式を越えて再解釈する余地があるはずである。本章はこのような視点から、19世紀における伝統的な人権批判と、20世紀終わりになって(主としてフランスにおいて)新たに展開された人権批判を取り上げるものである。

バークによる人権批判

 よく知られているように、フランス革命前の政治家バークの姿勢は、リベラルな改革派とでも呼ぶべきものであり、アメリカ独立問題に際しても、植民地人の主張を擁護する側にまわっている。(略)
[彼が批判したのが]フランス革命のもつ抽象性であり、その焦点となったのが人権の概念であった。
(略)
 権利とはすべて歴史的に獲得されたものであり、「時効取得的」である。このように考えるバークは、およそ時間を超えた人間の権利をうたう『人権宣言』に対し、正面から異議を唱えた。(略)
人権というような抽象的な普遍的原理に依拠するフランス革命は、危険極まりないものに映った。バークにいわせれば、フランス人もまたイギリスの国制にならってフランス古来の国制を思い出し、フランス人の歴史的な権利から出発すればよかったのである。(略)
 このようなバークの人権批判は、すでに指摘したように、以後の保守主義の議論に決定的な刻印を残した。
(略)
はたして人権が彼のいうほど国民共同体を「超越」するものであったかについては、おおいに疑問が残るからである。ハンナ・アーレントが強調するように、19世紀から20世紀にかけて、人権はもっぱら国民共同体に属する国民の権利として実現されてきたのであり、国民共同体を離れた個人には人間として最低限の権利さえ否定されたのが現実である。人権とはけっして国民共同体を破壊するものではなく、むしろあまりに国民共同体の枠内に取り込まれ過ぎてきたとさえいえるかもしれない。

カトリック教会の批判

歴史的にみるならば、カトリック教会は人権に対するもっとも強力な批判勢力の一つであり、しかもその批判は20世紀まで続いている。
(略)
それではなぜ、カトリック教会は信教の自由に対して、かくも抵抗を示したのであろうか。(略)
現代フランスの政治哲学者ピエール・マナンは、人権の理念によって、真理が自由に従属させられることへの懸念があったと指摘している。というのも、カトリック教会の立場からすれば優越すべきは神の真理であり、自由の意味も、あくまで真理にたどり着くことにあったからである。カトリック教会こそがその真理を保管しているのであり、人間の第一の努めはこれを発見することにある。その意味でいえば、人間の権利は「真理の権利」、あるいは「神の権利」に対置されるべきであった。その場合、たしかに人間は神によって自由意志を与えられており、その意味で、自由な意志によって真理へと到達することが求められる。自由な意志による選択なくして、真理は意味をもたないからである。とはいえ、それはあくまで客観的な真理の実在を前提とするのであり、自由な選択それ自体を価値とするものではない。
(略)
[20世紀後半]自由論から目的論が排除され、むしろ目的論の拒絶こそが自由主義の共通の了解事項となっていったのである。自由論になおも善の追求が含まれるとしても、何が善の内容であるかについては、多くの論者は中立的な姿勢をとるようになる。
(略)
この点に関して興味深いのは(略)チャールズ・テイラーである。たしかにテイラーは「普遍的人権の肯定」をリベラルな近代政治文化の特色として評価する。しかしながら、彼は「権利の完全性」を基礎づける「排他的な人間至上主義」はかえって人権を危機に陥らせるとも指摘している。(略)人間の生命を超えるものを否定するならば、逆に人間の生命に意味を与えることもできなくなってしまうからである。「生命の内在的否定」は、ニヒリズムファシズムを生み出したのであり、これを克服するためにも、人間を超えたもの、超越的なものへの信仰が不可欠であるとテイラーは論ずる。
 近年、『カトリック的近代?』、『世俗化の時代』、『今日の宗教の諸相』など、宗教を主題とした著作を次々に発表しているテイラーであるが、自らのカトリックとしての信仰を振り返りつつ、普遍的人権を肯定するためにも、コミットメントを通じて超越的のものの存在を知ることの重要性を説いている点が注目に値する。(略)
自由論と目的論の結びつきを重視するカトリック教会的な問題意識を、もっとも現代的なかたちで継承しているといえるだろう。

マルクスの人権批判

ユダヤ人問題によせて』における若きマルクスによる人権批判は、少なくともその論理において、むしろ同時代の保守主義者たちと多くを共有していたことに注目すべきである。もちろん、マルクス保守主義的であったといいたいわけではない。(略)
ユダヤ人が政治的に解放されたいと望むならば、自らがまず宗教から解放されなければならないというバウアーに対し、マルクスは国家と宗教の関係を正しく理解していないと批判するのである。
(略)
重要なのは、マルクスの議論がそこから、政治的国家と市民社会の関係をめぐる議論へと展開していることである。
(略)
 興味深いことに、ここでマルクスはフランス語のシトワイアン(citoyen)とブルジョワという言葉を持ち出している。彼によれば、個人は国家においてはシトワイアンであるが、市民社会ではブルジョワである。宗教にかかわるのは、もっぱら市民社会における私的個人、すなわちブルジョワの資格においてである。個人はシトワイアンとして普遍的関心を追求する一方で、ブルジョワとして宗教をはじめとする公的関心とは切り離された私的関心を追求することになる。マルクスはこの分裂に注目したのである。
 注目すべきは、マルクスがこのような分裂との関係において、人権を理解しようとしている点である。すでに指摘したように、『人権宣言』の正式名称は『人間および市民の権利の宣言』であるが、ここにある「人間の権利」と「市民の権利」の併記をどのように理解するかに関して、マルクスは独特な見解を示すことになる。すなわち、マルクスによれば、両者をあえて併記したことの意味は、個人がシトワイアンとブルジョワの間で、すなわち国家と市民社会の間で切り裂かれていることを明示したことにある。「人間の権利すなわち人権は、そのものとしては、市民の権利すなわち市民権と区別される。市民から区別された人間とは誰なのか?市民社会の成員にほかならない。(略)いわゆる人権、つまり市民の権利から区別された人間の権利は、市民社会の成員の権利、つまり利己的人間の権利、人間および共同体から切り離された人間の権利にほかならない」。
 マルクスによれば、あえて市民権と区別されて主張される人権とは、他の人間との結びつきを失い、自らの私的利益に閉じ込められた利己的人間の権利である。「自由とは、他人の権利を害しないことはすべてなしうることにある」という『人権宣言』の第四条を引き合いに出すマルクスはさらに、このような自由を「孤立して自分の中に閉じこもっているモナドとしての人間の自由」とも呼んでいる。その上でマルクスは、「自由という人権は、人間と人間との結合に基づくものではなく、むしろ人間と人間との分離に基づいている。それは、このような分離の権利であり、局限された個人の権利、自己に局限された個人の権利である」と結論づけている。
 もちろんマルクスの批判の主眼は、そのような利己主義的人間に基礎を置く社会の批判であり、彼が希求するのは疎外された状況を乗り越えるための真の人間的解放であった。(略)
マルクスにとって、近代ブルジョワ社会とそれと不可分のデモクラシーは、人と人とを切り離し、何よりもまず個人の排他的な所有権に基礎を置くものであったのである。
(略)
クロード・ルフォールは、人権を人と人を分離させる権利ではなく、結びつける権利として理解しようとしているし、エティエンヌ・バリバールはそもそも「人間の権利」と「市民の権利」を別個のものとして捉えたこと自体が間違いであり、『人権宣言』の画期性はむしろ、両者の不可分性を強調した点にあるとしている。

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