黙殺 報じられない“無頼系独立候補”たちの戦い

マック赤坂

[9回目の選挙で立候補引退決意、のちに翻意]
マックはスマイルを入れずに淡々と答えた。
政見放送芸人としてのおれは、一応、成功したよ。だけど、いくら爆笑を取っても、実際には票が入らんこともわかってきた。(略)おれと有権者の間には、三途の川くらい、深〜い溝があるんだよ」

リストラ

[2014年選挙、常にマックのロールスを運転し、メディア対応もしていた櫻井の姿がない]
二人は固い絆で結ばれていると思っていたが、どうして辞めたのか。私の問いかけに、マックはこう答えた。
 「リストラや。本業のレアアースが不況で、今、2、3億円分ぐらいの在庫損を抱えてるんや」(略)
[櫻井には]難病の娘もいた。マック赤坂をはじめとする、いわゆる「泡沫候補」を追った映画『立候補』(藤岡利充監督、2013年)では、櫻井が病院で娘を愛おしそうに抱くシーンも描かれていた。私はこのシーンを観て、思わず泣いた。
 その櫻井をリストラしなければならないほど、マックは本業が苦しいのだろうか。
(略)
 「ところであんた、レアアース買ってくれんか? 10年ぐらい我慢しとけば売れるよ」
 「いや、それも無理です」
(略)
 「ところで櫻井さんが辞めたら、ロールス・ロイスの運転はどうするんですか」
 「自分で運転する。だから今、自動車学校に通っているところだ」
 そう言って電話を切りそうになるマックを制して、私は引退宣言を撤回する理由を改めて尋ねた。
 「理由?黙ってはいられないということだよ」

マックの息子

[映画『立候補』クライマックス]
秋葉原で街頭演説をする安倍晋三麻生太郎のもとに「乱入」するマックの姿が映し出されている。マックは翌日に投開票を迎える都知事選に立候補していた。
 その街頭演説には1万人を超える聴衆が集まり、その手の多くには日の丸の小旗が握られていた。(略)
自民党大演説会となったその会場で、マックただ一人が浮いていた。
 当然、集まった聴衆からは「マックやめろ!」「マック帰れ!」の怒号が飛ぶ。1万人のブーイングが向けられる先は、マック赤坂ただ一人だ。
この時、映画のカメラはもう一人の男をとらえていた。マックの息子である健太郎だ。
(略)
 健太郎はマックが立ち上げたレアアースの商社を手伝い、現在は社長を務めている。しかし、これまで一度も父親の選挙を手伝ったことはなかった。父親の立候補を知っても、自分は淡々と会社で仕事をしてきた。そんな健太郎が初めて手伝った選挙で見たものは、圧倒的多数の聴衆から罵倒される父親の姿だった。それでも父親は1万人の圧力に一歩も引くことなく、その場に居座り続けて自分のスタイルを貫き通していた。
 「一人で戦っとんねん、一人で戦っとって何が悪い?」
 「一人で戦っとんや。お前にできるかそれが!」
 健太郎はさらに声を張り上げて叫んだ。
 マックは息子の健太郎が聴衆に向けて発した言葉を思い出しながら、私にこう語った。
 「びっくりしたよ。まさか彼があんなことを言うなんてね。これまではどちらかといえば『選挙には出るな。少なくとも本名で出るな』とおれの立候補には批判的だったんだよ。基本的に選挙のことに関しては親子でノータッチという不文律ができている。(略)
 だけどあの時に彼が叫んだ言葉は、半分は親父のことを思って、半分は自分自身に向けて言っていた言葉だと思う。彼もずっと一人で戦ってきたからね」

映画「立候補」 [DVD]

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(038)泡沫候補 (ポプラ新書)

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新聞の「泡沫候補」基準

 過去に私が取材した、ある無頼系独立候補が、こんなことをこぼしていた。
 「マスコミは取材に来ないね。告示翌日の新聞を見たら、自分のことが『独自の戦いをしている』と書かれていたことがあった。たしかに前日に電話で予定を聞かれたから答えたけれど、実際には記者は取材に来ていない。それでも勝手に『独自の戦い』と書くんだ」
(略)
[岩瀬達哉『新聞が面白くない理由』]には、1967年に、朝日新聞毎日新聞、読売新聞の3社が法務省自治省(当時)と協議して「泡沫候補を紙面から締め出すための取り決め」を行なっていたと書かれていた。
[また朝日新聞が「特殊候補の扱い」という内部文書で候補者を「一般候補」「準一般候補」「特殊候補」に分けているとも指摘]
準一般候補:当選の可能性は別にして、まじめなミニ政党などの候補者。
特殊候補:選挙を売名や営利などに利用したり、自己のマニア的欲求を満足させるために数々の選挙に立候補、あるいは自己の政見を述べるよりも、他の候補に対する妨害や支援を主目的にするなど、候補者としての客観的な評価が認められない候補。

「どんぶり勘定」「トップガン政治」候補

 岡山県一級建築士事務所を営む中川智晴(55歳)も、東京都知事を目指してやってきた一人だ。(略)
 告示前に都庁で行なわれた中川の出馬表明記者会見。(略)
 さっそく、記者の一人が中川に目玉政策を聞いた。
 「どんぶり勘定政策です」
 会見場の記者たちが絶句した。慌てて政策集をめくると、たしかに書いてある。「ミッションを成功させれば職員全員に年俸2000万円を支給し、失敗したら年俸マイナス2000万円にする」ともある。また、東京都民全員に「毎日1時間の独学の勉強」を義務付け、これを怠ると「強制的に預金を引き落とすなど、財産を没収します」とも書かれていた。
 中川はにこやかに「どんぶり勘定政策」を説明した。
 「いい人には補助するけど、悪い人は潰す、財産没収するという政策なんです、要するに。トップガン政治というのは、それを速やかに実行する政治力です。行政マンですので、ギリギリでなんとか叶えられるんじゃないかと私は思っているんですけれども」
 中川の解説が終わっても、会見場の記者たちは質問しない。目の前のこの人物を深追いせずに、このまま会見を終わらせたいと思っている空気がひしひしと感じられる。私はそんな記者たちに申し訳ないと思いながらも、挙手して次のような質問をした。
 「『トップガン政治 from Nakagawa』では、東京都が判断して勝手に預金通帳の残高を変えてしまうということですか」
 中川はにこやかに答えた。
 「そうですね。どんぶり勘定ではそうなんです。嘘ついとったら、勝手に引き落とします。そういう感じです。そういう政策です。悪かったらバーンと、すいませんけど乞食になって悟ってくださいという政策です」
 これは財産権の侵害で、憲法に抵触するだろう。私はさらに聞いた。
 「その判断というのはどうやって?」
 中川は口元に笑みを浮かべて即答した。
「どんぶりですね。ええかげん。ええかげんじゃないですけれども、そんな感じですね」
 この会見で、中川は記者たちから「現在の主な収入源は」と何度も問われている。記者たちは新開の経歴欄に本当に「建築士」と書いていいかどうかを調べているのだ。中川は自身の収入源について、ようやく答えた。
「いわゆる財テクです。あとはアプリケーションを売っています」
 記者たちは明らかに困っていた。何度も職業を巡っての確認が続く。その結果わかったのは、建築士としての収入があるわけではないということだった。
 そして東京都知事選の出馬表明であるのに、中川は記者会見を力強くこう締めくくった。
 「京都府知事選にも出ます!」

アルバイトと宣告された松山親憲(72歳)

 当初、松山は記者たちに職業を「警備会社の正社員」と伝えていた。ところが記者たちがその警備会社に問い合わせると、会社側から「正社員ではなくアルバイト」との返答があった。
 「松山さん、会社はアルバイトと言っていますけど」
 「え!」
 松山は絶句した。
 「ほんまですか……」
 相当ショックを受けたようだ。松山は信じられないといった表情で記者団に説明した。
 「自分も今、初めて知りました……。私は正社員だと思っていました。研修も受けたんで……」
 立候補の届出に来て初めて知った事実。いきなり松山はしんみりしてしまった。翌日の新聞には、松山の経歴は「アルバイト」と書かれていた。後日、松山は私にこう言った。
 「見解の相違ですね。私自身はアルバイト扱いでの採用と言われたこともないし、正社員と言われたこともない。ただ、毎日フルタイムで働きに行くから、正社員だと思っていた」

中川暢三

[著者が泡沫候補の星というだけあって、この本の他候補と一緒にするのはちょっとかわいそうな気もする経歴。松下政経塾第1期生、鹿島建設本社開発部次長、13年かけて恵比寿ガーデンプレイス開発を手がけた]
[初選挙は2002年田中康夫失職後の長野知事選。お金をかけない選挙を訴え、車社会の長野で公共交通機関のみ徒歩で選挙活動]
 「今は深志2丁目の交差点にいます」
 と交差点名をピンポイントで知らせてきた。
 「でも、もうすぐ移動します。次は渚一丁目交差点に行きます」
 私が車で指定された渚一丁目交差点に向かうと、そこにはすでに中川が立っていた。この時中川が展開していたのが「人間交差点作戦」だ。(略)
スピーカーから音も出さず、自分が交差点に立って車の方に歩み寄って肉声で声をかけていた。
 中川は交差点の一角に立つと、信号が変わるたびに体の向きを変え、走ってくる車に正対した。そしてにこやかに手を振った。
 私が舌を巻いたのは中川の動体視力だ。中川は走ってこちらに向かってくる車のナンバープレートを瞬時に見分けると、ナンバープレートに合わせて手の振り方を変えていた。
「県外ナンバーの車の人は選挙権がないので、軽く手を上げて会釈。長野県内ナンバーの車には深々と頭を下げて挨拶をします」
 そう解説しながら車に手を振る中川は、乗っている人や車種によっても手の振り方を変えていた。
「家族連れには柔らかく。お仕事中のトラックの運転手さんには、威勢よくビシッとね」
 たしかに車の側の反応もいい。中川とすれ違うトラックの運転手たちは中川を見つけると「プップー」と応援のクラクションを鳴らし、すれ違いざまに「がんばれよ!」と声をかけていた。
(略)
中川は、車、そしてまた次の車へと駆け寄って声をかけていく。
 「中川暢三です。政策は選挙公報で見てください」
(略)
「選挙中は1日に何歩ぐらい歩くんですか?」
「歩けるだけ歩きます」
(略)
「万歩計はお持ちではないんですか?」(略)
「万歩計は持っていませんが、チンポ計はつけてます」
(略)
[万歩計を渡し、選挙運動後、歩数を訊ねると]
「28万歩。メーターを2周しました。選挙費用は28万円弱でしたから、1歩1円の選挙運動でしたね」
(略)
[2005年出身地人口5万の加西市市長に。二期務め、その後落選]
 大幅減税や行政の効率化は、選挙時に候補者がよくいう公約の一つだ。しかし、他の候補と中川が違うのは、加西市長時代に行政の効率化を実現してきた実績があることだ。
 中川は加西市長を務めた6年間で、市税収入の11年分にまで膨れていた借金を33%減らしている。また、同じ税負担のまま水道料金も下げている。一方、ゴミの有料化を進めることにより、ゴミの量を3割減らした。そのことによって回収コスト、焼却コストも減らした。しかし、その功績はあまりメディアで報じられていない。

七海ひろこ:進化する幸福実現党の選挙戦術

ミニスカートや浴衣姿で街宣車のハシゴを登る。その姿に、集まったおじさんたちがドキドキしながら注目する。
 「東京は一番じゃなきゃ、嫌なのであります!」
 まるでアイドルのような身振り手振りを交えた演説をする。そうかと思えば、突然野太い声で、「とぉころがどっこい!」という名物フレーズを使って聴衆の注意を引く。
 私は幸福実現党が政治活動を始めた2009年から選挙戦を見ているが、だんだんと選挙戦術が洗練されていくのがわかる。
(略)
「投票します」と言った人には老若男女誰にでもハグをする。このハグを目当てに七海の演説会場を何度も訪れる男性リピーターもいたほどだ。
 また、七海の聴衆への目配り、動体視力は一流のベテランウグイス嬢を彷彿とさせた。
[著者が2014年の福島県知事選挙で見た]ウグイス嬢はすごかった。彼女は街中を猛スピードで走る車の中からでも周囲を見渡し、人影を見つけるとすかさず声をかけていた。
 「白衣のお父さん、お店の中からありがとうございます!」
 「2階の窓からご夫婦揃って手を振っていただきありがとうございます!」(略)
 最初は誰もいないのにデタラメを言っているのかと思った。しかし、よくよく目を凝らして探すと、白衣のお父さんも、2階の夫婦も、畑のお父さんも、本当にいるのだ。
(略)
 七海の聴衆への目配りは、それに匹敵する。七海は通り過ぎる人波の中に見覚えのある人を見つけると、演説中でも声をかけた。
明治神宮前でお会いした若いお二人!」
ウソだろうと思いつつ、以前明治神宮前で撮影した映像を確認すると、本当に同じ二人が映っていた。

謎の男、ヨシモトの正体

 「ヨシモトさん、いったいあなたは何者なんですか?」
 「立候補のお手伝いをしているんです」
 「でも、ヨシモトさんは山中さんだけでなく、内藤さんの立候補届出の時もそばにいましたよね」
 「よく見てますね」
 「二つの陣営の手伝いをするのはなぜですか」
 「あれは同僚が内藤さんの立候補をお手伝いしていて、私もたまたまそばにいたのでそれを手伝ったんです」
 ここまで聞いて私はピンときた。
 「ヨシモトさんは、ひょっとして広告代理店の人ですか?」
 「まあ、そんなところです」
 すべてに納得がいった。ヨシモトは新聞社系の広告代理店の人間だった。
(略)
彼らは立候補届出書類を取りに来た人たちを見つけると、名刺を渡し、選挙ポスターや選挙公報の原稿作成を提案し、新聞広告を出してもらうために営業をする。候補者の荷物持ちを買って出る。そして初めて選挙に挑む人たちに、様々なアドバイスをする。
 「ポスターは何枚刷ったほうがいい」
 「政策ビラも作りましょう」
 「新聞広告はウチに出してください」
 「ウチはポスター印刷と貼り付けも込みで、いくらでやります」
 選挙慣れしていない候補者は、荷物を持ってくれる親切な人がいきなり現れたと思って付き合う。(略)しかし、広告代理店の人はそれが仕事なのだ。