東京レコ屋ヒストリー 若杉実

東京レコ屋ヒストリー

東京レコ屋ヒストリー

 

輸入レコード自由化

[69年]レコードの輸入制限が撤廃された。これが追い風となり国内につぎつぎと輸入会社が設立される。うちサウンド・トレーディングは業界トップの座を固持していく。(略)
創設時に入社したシスコ二代目社長、飯島均さん[談](略)
 「昼休みになるとレコード会社の社員がたくさんお茶を飲みにあつまって来る。最新の情報を入手するのにどこもたいへんな時代だったし、ウチのほうにレコードが先に入ってきてたからね。(略)
ただし東芝さんからは目の敵にされてたなぁ(苦笑)。ビートルズのレコードを日本で発売するまえに輸入してドカンと売ったりしてたから」
 たとえばサウンド・トレーディングと取り引きしていた〈新宿レコード〉では実際にこんなことがあった。レコード会社の人間がお店に現れ入荷したばかりの輸入盤を買って帰る。それをもとに国内盤のレコードジャケットがつくられ、数ヶ月後にはその一枚が新宿レコードの輸入盤コーナーのよこにならぶ。

『マーキー』

『マーキー』が創刊されたのが1980年。その三年後に通販部がスタートしている。(略)
1987年に実店舗となるワールド・ディスクを開店。(略)
[<エジソン>に]先に仕入れられちゃうとお客を持っていかれる。それならウチも実店舗をやろうと決めた。(代表・賀川雅彦)(略)
 雑誌の立ちあげから40年、レコード屋を機に現在はレーベル、音楽出版、公演企画、海外アーティストの招聘と会社規模も膨らんでいる。

宮田レコード

踊りなら課題曲がきまっていて(略)まとめて五、六万買ってくれるひともいる。(略)
カラオケやるひとはもうCDになっちゃったんだけど、踊りのひとはまだラジカセを使ってる。(略)
カセットはお稽古のときとちゅうで止めてもそのままでしょ。(略)
区でやってるような規模の会場だと、たいがい舞台の袖に機材関係がある。だから踊りでダッてやられると、CDだとその振動で飛んじゃう。

テレサバブル

 テレサバブルの引き金に指をかけたのはだれか。中国や香港、そして彼女を生んだ台湾に住む、おもに富裕層が中心だ。(略)
 また、これら経済的な理由とともに見逃せないのがアジアの社会的背景だ。(略)大陸では長らく“黄色歌謡”と称され烙印を押されてきた。むこうでイエローは日本のピンクに相当する。北京語でうたったレコードが百枚ほどあるといわれるが、中国共産党がこれを発売禁止にしたのである。(略)こうした統制への反動が大きな振り子となり、今日のテレサバブルに油を注いでいる。
 祖国台湾にもやっかいな事情がある。レコードやカセットテープ、書籍といった複製品を海外に持ち出すことを禁止し、たとえ旅行者の土産であっても没収されていたのだ。市場にはびこる海賊盤を国外に流出させないためだったが、振り分ける手間を考え正規盤もその対象にされていたとは、あまりにお粗末すぎる。
 もっともテレサバブルの中心となるのはそうした大陸のレコードではない。(略)
日本語でうたわれているものや日本でしか流通していないもの(略)
 その兆候の端緒をつかんだのは二〇〇四、五年ごろ、そう記憶している。日本最大級のオークションサイト、ヤフオク!に出品されていた彼女のレコードの落札価格が軒並み上昇、五桁にせまる勢いだったのである。ほどなくそれは大台にのり、やがておおくのコレクターを巻き込み青天井になる。あとは彼らに共通するパターンを踏襲するだけ。ほしいものがそろってしまえばべつの標的を探す。たとえば大陸で録音されたレコードやカセットなど。近年の例をあげるなら、インドネシア語でうたったカセットに六桁の落札額がついた。

海外からの客

“ここのところすごい増えてますよ。海外からのお客さんは。目立ちはじめたのは三年まえくらいでしょうか”(略)
最初に印象あるのはロシアや中国のひと。
(略)
 近年〈ハルズ〉(西新宿)のオーナー池田晴彦さんはハッとさせられるような光景に直面している。
 「ディスクユニオンのセールにならんでる群れに外国人がたくさんいる。目を凝らして見ると、かつてぼくらがヨーロッパ中をまわって買いつけしていた店のひとなんだよ。わざわざこっちに来てまでして買ってもペイできるってことなんだね。ヨーロッパって保守的だから相場が流行りに左右されることがない、ジワジワってくる。とくにフリージャズはヨーロッパで高騰しているからユニオンがつける値段でも商売できるんだろうね。でもそれって、お客が安く処分しちゃってるってことでもあるんだけど」
(略)
[円安の影響もあるし]
東京は大都市でも治安がいい。大量に買いつけしている背後をねらってホールドアップされたという話などまず聞かれない。観光がてらちょっとレコード掘り、というのにこれほど絶好の都市もないわけだ。

トニー滝谷とトニイ西島

SPレコードを収集するには絶好の環境にいたトニイ西島は40歳になり、念願のレコード屋(トニイレコード)を開く。(略)当時ではめずらしかったオークションリストをアメリカから取り寄せる(略)
日本で見たこともない貴重盤の数々。初代店員だった茂串さんの手腕もここぞとばかり発揮され、低いビッドでもゆうゆうと落札できたという。
 茂串さんの手柄には委託販売を考案したこともある。業界初だったといわれているが、このシステムをトニイレコードに導入すると、まもなく村上春樹が店にやって来る。
 「委託レコードを持ってきてくれたね。ちょうど〈スウィング〉(水道橋のジャズ喫茶)でバイトしていた時期だったから。やがて奥さんになる陽子さんは、そのとき〈響〉(神保町のジャズ喫茶)で働いてた。休憩時間にふたりが待ちあわせ場所に使ってたのがトニイだったんじゃないかなぁ」

トニー滝谷 プレミアム・エディション [DVD]

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ジミー・ペイジ

[新宿レコード藤原さんがマイケル・シェンカーのいい話を披露した後]
“彼はビッグだけど人間的にはどうなのかな……”
(略)
 ボブ・ディランのブートを弁別なく掘りおこすことでも知られるペイジ(略)
もっとも、ペイジが収集する本命は、ほかでもない自身のバンド。来日するたびにツェッペリンのブートを見つけては、ポケットの財布に手を添えることなくそのまま持ち去るという話をよく耳にする。葵のご紋による巡視というのもわからなくはないが、商品の性質上、店側も二の句が継げないらしい。

フジヤマ

トタン板に書かれた文字は300メートル先からでも読める。
“やっぱ自分の踊り方でおどればいいんだよ。江戸アケミ
(略)
「いまみたく客が来ないから店のまえにラジカセ持ち出してふたりで踊ってたんだよ。じゃがたら売れないから、じゃがたら流しながらね(苦笑)。チンドン屋みたいことをやって、それでも“ダメだ、だれも来ねぇよ”って半泣きしながら汗びっしょりになって踊りつづけてたら、アケミが何気なくいったの、“自分の好きなように踊るのってかっこいいよね”」
(略)
[じゃがたらが伝説となったことに]
生前親交があった者からすれば買いかぶられているきらいもあるのだというのがわかり、さらに興をさかす。
「売れなかったよ、じゃがたらは。(略)なんか腑に落ちないよなぁ。そもそもだって、一般に訴求する音楽じゃないし。(略)高柳(昌行)でもじゃがたらでもいいけど、そういう塊ごとじぶんのものとして取り入れられた時点で勝利だとおもうんだよ。まぁ商業的には負けなんだけどさ(苦笑)」

万引き、窃盗

[レア盤放出日の数時間前にバールで侵入されて目玉商品をごっそりやられた<ソウル・ヴュー・レコード>。不幸にも最初に疑われたのはバイトのワック・ワック・リズム山下洋]
(略)
[ハルズでも]
 “まず身内を疑う”――ソウル・ヴューの例ではないが、店主としてそこから探りを入れるのは薄情ではなく妥当なこと。信頼を寄せているからこそ冷静に対応できる人間から当たってみる。つぎに順を追って常連客。親しき仲にも乱せない拝礼の関係がある。たとえば委託品が盗難にあったときでも、委託をした当人にも池田さんは冷徹だった。
 「(略)委託したひとが最初に発見したことがあって。伝票にも残ってないし、あぁ万引きされたんだということで、とりあえず弁償したの。でもおかしい、そんなことないとふしぎにおもってて。ウチみたいな店ってそんなに客来ないから(苦笑)、いつだれがなにを買ってというのをだいたい把握してる。ひとりひとり顔をおもい浮かべながら整理していくと、どうも委託した本人しか当てはまらない」
 手口が古典的すぎる。だが、常連客に疑いをかけても事実を問いただすのはやはりむずかしい。“だから人間不信になっちゃうよね”と嘆く池田さんを、しかしおなじようなケースがこのあとも襲う。
 「これだと仲良くなったひとは、みんなあやしいとおもっちゃうよね。でも仲良くなるじゃない(苦笑)。(略)
[親しくなった青年に]いろいろ聴かせてあげて、長いときは三時間も店にいる。でも、ひとつだけ気になってて。いつも開いたままの鞄を抱えてる。荷物になるだろうから置いときなよと、それとなくいってあげるんだけど、“いいえ大丈夫です”」(略)
[ある日、ディスクユニオンに一挙に盗品が]
「ユニオンに相談したんだけど、売り手は教えられないって。店側としてはそうなるんだろうね。でもそうこうしてるうちに、こんどはおなじユニオンの神保町広でクラシックの盗品がセールにならんだというのを耳にした。あるクラシック専門店に委託してあったものだったみたいで、そのあとまたユニオンに下取りで来たとき警察呼んでその場で自供させたみたい。どっちも同一犯。だれだったかというと、例の鞄の青年だった」(略)
逮捕後、店にやってきた弁護士いわく“初犯だから告訴を取り下げてほしい”。しかし被害額は30万(略)
青年はそのあと毎月1万円返金することを約束するも、守ったのは初月だけ。
(略)
 「ジャケットの角を一枚一枚折って歩くひとの話知ってる?じぶんが持ってるものより状態がきれいなのを見るとそうしちゃうらしいね。[客としてヴィンテージマインで遭遇](略)
[角折れした10枚ほどを店員が]本人がふたたび来店したタイミングで目のまえにサッと無言で差し出した。
「疑いのあるひとの顔から一瞬にして血の気が引くのがわかったよ。走るように店から出ていったから店員に追いかけようかっていったんだけど、これでもうじゅうぶんだって」
(略)
[フジヤマでは、ハードコアパンク野郎が入店してきたので警戒してたら、突然、サラリーマンをボコボコに。なんと万引きしようとしていたのはサラリーマンの方だった。]
 「そのハードコアがサラリーマンにいったことが忘れられなくてさ――“こんな店で万引きすんじゃねーよ”。こんな店かあ……(苦笑)。もちろんぼくにとって最大のほめ言葉だよ」
(略)
「いちばんヒドかったのはさ、山塚(アイ)くんがボアダムスをやってたときかな。(略)[配達されたカセットが]ものの五分で盗まれた。いちばんあたまにきたよ、まだ店にならべるまえだから。わけがわからない、もうふざけるなって踏ん反りかえってね(苦笑)。ボアダムス関係は今後いっさい売ってやんないって、半月くらいそうしてた。当てこすりもいいところ(苦笑)。“なんで売ってくんないんですか?”ってちゃんとしたお客から訊かれても、“オマエらの友だちにはロクなヤツいないから売らないことにしたんだよ”と反対に怒ってやった」

CSVとナゴム

[常盤響談]
[スタジオルームを]ある時期からナゴムレコードが私物化しはじめるからだ。それも都合のいいことにCSVは楽器も販売していた。(略)
 「ぼくらが店にあるMIDIとかをどんどんつなげていってスタジオで使わせてしまうわけ。筋肉少女帯の“高木ブー伝説”よりちょっとまえくらいからかな。YBO²とかから独占的に使わせてね。(略)九時をまわると主任が帰るから二時間料金で朝までレコーディングし放題。そういう意味では、あの時代のインディーズにすごく貢献してる(苦笑)」

  • 第七章 オンライン時代

ヴィンテージ・レコーズ・店主荻野輝夫

[足利市で早い段階でオンラインをはじめた]
店頭とオンラインであつかうと、先に売れやすいのはオンラインだという。そしてこの状態がつづけば店内の商品が魅力的ではなくなり、お客も減る。負のスパイラルがそこに生じ、やがて閉店に追い込まれることだってある。
(略)
[地方だから]「店舗を構えていないと買いとりのお客さんは来ないんですよ」(略)
ネットで“人気盤高価買いとり”を募ったところで、どこも似たようなことをしている。そこで杖とも柱とも頼むのが実店舗。(略)実店舗がそのまま広告媒体になっていることが、現場の意見からわかった。
(略)
 この世界でよくいわれる“寝かせごろ”というのも廃語になりつつある。株の売買のように高値が見込まれそうな時期まで寝かせる。(略)
[だが]ネット社会が成熟すれば成熟するほど売れるタイミングは一定の期間に集中せず、分散する傾向にあるからだ。

芽瑠璃堂

[オンライン開設は2005年と遅い。業績は悪くなかったが、実兄長野文夫のヴィヴィッド・サウンド・コーポレーションの流通・スタジオ運営のため97年全店閉業。オンラインでの再開を狙い潮目を読み続けた]
店を畳む最後の二年間は[質の高いヴィンテージレコード]が全体の売りあげの90%を占め[ていた](略)
 手はじめにそのときの在庫をオンラインにアップする。するとホームページにどんどんお客が舞い込み、カチカチッとクリック音が鳴りやまない。“なんだ、お客さんは以前と変わってないんだというのがわかったね”――手応えをつかんだ長野さんは、このとき利用者の年齢層から店の方向性をはじき出す。(略)
「若いひとがどうのってみんないってるけどウチはそうじゃない。四〇〜六〇代、この層をいかに逃さないようにするかしか考えてないから。いま四〇歳のひとは五〇になっても音楽ソフトを買うでしょ。でも六〇歳が七〇になると買わなくなる。すなわちあと十年、ここが勝負。ウチの厖犬なデータベースで証明されてることだからね。若いひとなんかCD買ってないから。息子がいい例。ダウンロードばっかりだし、もっといえばユーチューブ止まり」
(略)
 それにつけても長野さんのひと言“あと十年”が引っかかる。ならば十年後の芽瑠璃堂はどうなるのか。ありていにいえばなくなるということか。(略)
「とんでもない!重要なことを忘れてるよ。インターネットビジネスの肝はアクセスだから。なにを売るかじゃない。アクセスする人数がおおければ、とたんに業種を変えたって勝負できる。極端な話、なにが売れて売りあげがいくらかなんてどうでもいいの。どれだけの人数がアクセスして、増えてるか減ってるかだけを気にしていれば。つまりあらたな一手を講じたときアクセス数すら減らさなければ、つぎのビジネスラインにのれる。ぼくはなんでもやりたいわけじゃないから音楽に関係したことしかやらないけど、ネットビジネスってそういうことだからね」
(略)
「ウチがいい例、最初の三年間ほんとに苦労したから。そのころのアクセス数なんて見れたもんじゃない。でも伸びた瞬間、とたんにすごい売りあげになった。なぜか?お客がお客を呼ぶから。それでグーグルの検索順位がどんどんあがる。
(略)
 長野さんのクチからデータベースということばが呪文のようにくり返される。(略)
「いちばん知りたかったのがデータベース。だから会社にサーバーがある。(略)
[一般のサーバーでは意味がない]そこで動く裏のデータベースがないから。
 いまの芽瑠璃堂のオンラインはたった三人でやってるんだよ。あれだけのアイテム数の半分は自動化されてる。独自のサーバーだから分折したとたんに翌日書き換えてくれるしね。能率的にやらなきゃダメだからその方法に行きついた。(略)知りあいにグループウェア(業務効率化の情報共有ソフト)を見せるとすごいおどろかれる。ぜんぶそれが仕事してくれるから、いまは週に二日しか会社に行ってないし。グーグルなんかとっくにそういうのをやってたわけだけど、ウチもそこに注目してたんだよ」
(略)
 「アマゾンはすごいよ。(略)外の業者を受け入れるシステムをどんどん構築してる。アマゾンと契約して出店するとすごいプログラムが動くし、それも完成度がハンパない。商売相手のことを知りたいからお試し期間のときにやったけど、えらい感動させられた。
(略)
[だが]アマゾンヘの卸しも出店もしていない。いわく“なんども連絡きてお願いされてるけど断ってる”。ビジネスにおける生死の分水嶺と見なしたのだろう。これにより生まれるのは、“世界のアマゾンでも買えない”という付加価値。

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