丘の上のバカ 高橋源一郎

「歪み」を描くこと

 「シャルリー・エブド」がムハンマドの風刺画を出版して、イスラム原理主義の過激派のテロにあった。それをきっかけにして、フランスで「愛国」と「表現の自由」を守れ、の大合唱が起こった。そのとき、フランスに住んでいた(略)
ロバート・クラムは、襲撃事件があった2日後(もしかしたら、翌日)には、諷刺漫画を描いた。だれよりも速かった。そして、他のだれともちがっていた。
(略)
 「それ」は、「ムハンマドの尻」というタイトルの漫画を抱え(困惑している、あるいは、震えている)クラム自身を描いた漫画だった。そして、その「ムハンマドの尻」の主人公は、実は、あの預言者ムハンマドではなく、彼の友人の映画監督ムハンマドだった。
 クラムは、だれよりも「速く」、それにもかかわらず、とても複雑で、エレガントなやり方で、テロとそれに呼応したフランス社会、いや世界への微妙な反感を表現していた。
(略)
 クラムも、もちろんテロに反対する。けれども、そのことは、ただちに「シャルリー・エブド」を支持することにはならない。その、あるかないかの狭い領域に、クラムは、自分の表現を放りこんだ。(略)
 彼は、おびえる自画像を描いた。
 では、「彼」は、いったいなににおびえていたのだろう。暴力に、だろうか。みんなで同じスローガンを叫ぼうという圧力に、だろうか(それもまた、形を変えた暴力なのだけれど)。
 その、どちらをも含めて、世界が歪んでゆくことを、クラムは敏感に察した。それにもかかわらず、自分がまったく無力であること。クラムは、そのすべてにおびえていたのだと思う。
(略)
 [60年代アメリカ]社会の「歪み」をグロテスクに描きつづけてきたクラムは、長い沈黙の後、『旧約聖書 創世記編』を発表した。そこではきっと、いつものように、キリスト教が「グロテスクに諷刺」されているにちがいないと思っていた読者は、みごとに裏切られた。
 クラムは、『旧約聖書(創世記)』のことばを、一字一句おろそかにせず、なにも変えず、その世界そのままを描いていたのである。
 クラムはこういっている。
 

〈これまでに私が目を通した漫画版聖書はどれも、原典とは全く異なる地の文やセリフをこしらえて、聖書を合理的にわかりやすくし、“現代風”にしようとしています。
 それなのに、これら漫画版聖書はすべて、聖書は“神の言葉”であるとか、“神の啓示によるもの”だという考えを変えていません。いっぽう私は、皮肉なことに、聖書が“神の言葉”であるなどとは、全く考えていないのです。聖書は人間の言葉だと思っています。
(略)
聖書の持つ力は、人々が何世代にもわたって徐々に発展させ練り上げていった集団的努力の賜物であると思っています。
(略)
 私が自分の弁護のために言えることは、ただありのままを絵にしようと思って描いただけであり、馬鹿にしたり茶化したりするつもりは全くなかった、ということだけです。(略)〉(『旧約聖書 創世記編』)

 クラムは、堕落したアメリ中産階級の生態を冷酷に、グロテスクに、エロチックに描いた。そこには目をそむけたくなるような風景が広がっていた。
 だが、クラムは、あえて「歪めて」描いたのではなかった。もともと、風景は「歪んで」いたのだ。ただ、そのことに誰も気づかなかっただけだ。
 だが、クラムは気づいた。なぜなら、クラムは少数派で、少数派には、いつも、多数派が作る社会の「歪み」が見えるからだ。そのせいで、クラムは、多数派の人々からこてんぱんにされなければならなかった。
 エグい!下品!最低!死ね、この「売国奴」!
 そのクラムが、「旧約聖書」を漫画にしたと聞いたとき、だれもが、きっとグロテスクなものにちがいないと早合点した。実は、その「思いこみ」こそが「多数派」らしい判断なのだった。
 彼ら(多数派)にとって、「諷刺漫画」というものは、要するに「なにかに文句をつけるもの」、単に「なにかに反対するもの」だった(そういう意味では、「シャルリー・エブド」の「諷刺漫画」こそ、「多数派」が期待している「諷刺漫画」そのものなのだ)。
(略)
 クラムにとって、「諷刺漫画」とは、「歪み」を補正するものだった。あるいは、なにかが「歪んで」いるとしたら、その「歪みをそのまま描く」ものだったのだ。
 ここまで書けば、わかってもらえると思う。
 「歪み」を見つけること、そして、その「歪み」を描くこと。それをすることができる力のことを「知性」というのではないだろうか。(略)

旧約聖書 創世記編

旧約聖書 創世記編

死者と生きる未来

[著者が20代終盤に売春組織の末端でラブホへの送迎をやっていた時に、女子高生が「あたし、魂を殺しちゃった」と呟いて手首を切った→(詳しい経緯はコチラkingfish.hatenablog.com)]
「上」の連中がやって来て、わたしの不注意を叱りつけ、そのまま女の子をどこかへ連れていった。その女の子とはそれ以来会っていない。
 そのすべてが愚かしいようにわたしには思えた。なによりわたしが驚いたのは、わたしが少しも、その女の子に同情していなかったことだった。わたしは、その哀れな女の子を痛ましいと思うべきだったのだろう。けれども、わたしには、そんな感情が少しも湧いてはこなかった。「自分には関係のないことだ」というのが正直な気持ちだった。いや、まるで、当てつけのように、目の前で手首を切ったその女の子を、わたしはどちらかというと憎んでいたように思う。
(略)
 それからも、時々、わたしは、その女の子のことを考えた。
 どうして、わたしはなにも感じなかったのだろう。どうして、同情ではなく、腹立たしい思いがしたのだろう。手首を切ったことではなく、「魂を殺しちゃった」といった、その、まるで小説の中のセリフみたいなことばを使ったことに、憎しみを抱いたのかもしれない。(略)
 それは、ちょうど、「あの戦争」の被害者が語る「戦争の悲劇」を前にして、わたしが感じる居心地の悪さにも似ていた。(略)
反論しようのない「正しさ」を前にして、「正しいから従え」といわれたときのような、やる瀬なさにも似ていた。
(略)
[父や母が死んだ時も]
ほとんど、わたしはなにも感じなかった。弟や妻は泣いていたが、わたしは、そんな彼らを不思議そうに眺めるだけだった。彼らは、わたしにとって生物学的な父や母にすぎず、そして、すべての人間がそうであるように、死んでいった。ただそれだけのことのようにわたしには思えた。もちろん、わたしも、そうやっていつか死んでゆくだけのことなのだ。
 わたしは作家を続け、その作品の中で、あるいは、エッセーの中で、「他人」の境遇や悲惨さに心を動かすことばを書きつけたこともあった。けれども、書きながら、「それはほんとうだろうか」と思った。
(略)
 ほんとうに、みんなは、世界の悲惨に憤ったり、この国が犯した恐ろしい罪を憎んでいるのだろうか。本心から、そんなことが思えるのだろうか。わたしには、疑わしいように思えた。というより、そんなことは、どうでもいいことのように思えた。
 そして、わたしは、いろんなことを忘れた。父も母も、あの女の子のことを思い出すこともなくなった。
 8年前のことだった。わたしはバスルームで、3歳の長男に歯を磨かせていた。
[鏡に父の姿が映り一瞬恐怖にかられたが、それは年老いた自分だった](略)
 その瞬間、わたしは、それまで一度も体験したことのない不思議な感覚を味わったのである。鏡に映っているのが父だとするなら、その父に歯を磨いてもらっている長男は、わたしではないか。そう感じたとき、体が裂けるほどの痛みがわたしを襲った。(略)
 長い間忘れていた父の記憶が、不意に甦った。
 会社が倒産し、夜逃げをして、極貧の生活をしていた頃、「おかしが食べたい」といいだした5歳のわたしのために、深夜、何時間もかけてリンゴを鍋で煮ていた姿、あるいは、6歳の頃、やはり突然夜中に発熱したわたしを[小児麻痺で足の悪かった父が]背中にかついで30分以上かかる医者のところに運んでくれた姿が。
(略)
 わたしは21世紀の東京で子どもの歯を磨いていたが、同時に、半世紀前、父親に歯を磨かれている幼児でもあった。わたしは、二つの時間の間で宙吊りになっていた。
 わたしは父を忘れていたが、父はわたしを忘れてはいなかった。そんな気がした。父はわたしの中で、ずっと生きていたのだ。わたしは、父がその幼児に、すなわちわたしに抱いた、溢れるような感情の放射を、半世紀たって再び、浴びせられたように思った。
(略)
 そのときから、わたしと過去の関係は少しだけ変わったように思う。
 わたしは、ずっと、過去というものを、「死んだ」もの、「終わった」ものだ、と思っていた。だから、その「過去」というやつのことを思い出すためには、わざわざ、振り返り、遠い道をたどって、そこまで歩いていかなければならない、やっかいなものだった。
 そうではなかった。「過去」は死んではいなかったのである。
(略)
[70年前に戦死した伯父の慰霊にフィリピンへ]
死んだ仲間の肉をむさぼるほどの飢えに曝されながら(略)
彼らが切望した未来とは、いまわたしたちが生きている「現在」のことなのだ。(略)
 慰霊とは、過去を振り返り、亡くなった人びとを思い浮かべて追悼することではなく、彼らの視線を感じることではないだろうか。(略)
 そう思えたとき、わたしは、70年前ではなく、70年後の未来を思った。彼らが、未来を見つめたように、わたしも未来を見つめたいと思った。もしかしたら、慰霊とは、死者の視線を感じながら、過去ではなく、未来に向かって、その未来を想像すること、死者と共に、その未来を作り出そうとすることなのかもしれない。いま、わたしは、そう考えたいと思うのである。(略)

批判する人たちの「正しさ」は、いったいどこから来るのだろう

[半世紀前、ベトナム戦争反対運動に参加すると]
「小僧め、お前はなにもわかっていない。お前が考えているように世界は単純じゃない。ベトナムの背後には世界の共産主義者がいて、世界を彼らの支配下に置こうとしているのだ」とか、
「デモやビラでなにができる?そんなの自己満足じゃないのか?学生だからできるんだよ。いいご身分だねえ。(略)」
[と言われ戸惑い]
(略)
 「そんな遠くの国の戦争のことばかりに関心を向けて、自分の足もとを見ないのか。そもそも、お前たちの足もとはどうなっている。大学の自由や自治は侵され、研究も社会や資本のいうがままではないか。(略)なぜ、そのことに抗議しないのか」
 確かに、彼らのいう通りのように思えた。だから、若者は、ベトナム戦争反対の運動をするだけではなく、大学の中でさまざまな活動をするようになった。
すると、今度は、また別の人たちが現れて、若者を罵った。
 「お前たちは、大学という温室の中でなにかを変えようとしていると思いこんでいるだけだ。その中でなにをやったって、政府や社会や社会を動かす資本にとっては痛くもかゆくもない。お前たちがやっているのはしょせん、サークル活動のようなものだ」
 それもまた「正しい」ように思えた。だから、若者は、大学の問題を社会へ投げ返す運動を始めた。
[すると次は「沖縄のことを考えろ」と言われ](略)
若者は恥じ、連日、沖縄について勉強をして、そのための集会に参加もした。だが、すぐに、新しくだれかが現れ、若者を痛烈に批判するのだった。
 だから、若者は、
「障害者への差別」に反対し、
「女性を人間として見ない組織のあり方」に反対し、
被差別部落への差別」に反対し、
「公害被害者との連帯」を目指し、
「労働者と学生の分断」に反対し、
少数民族の権利を認めること」を訴えた。
 集会に出るたびに、主張するスローガンの数は増えていった。ときには、自分たちがどんな主張をしているか、数え忘れることもあった。その上で、こう批判されるのだ。
 「あれもこれも訴えて、いったい、ほんとうはなにがやりたいのか、わからないじゃないか」と。
(略)
[そんな日々に疲れたひとりが]
 「もう……無理だ……ほんとうに」[と呟き](略)
大学を辞め、故郷に戻り、それからすべての音信を絶ったのである。
 それから、繰り返し、若者は、同じ風景に立ち会うことになった。ある日、突然、ひとりの人間が(青年が)、「なにかをしつづけること」ではなく「なにもしないこと」を選択し、彼を知るすべての者たちの前から姿を消すのである。
 若者にとって、不思議だったのは、彼らをそうさせたのが「正しさ」であるように思えることだった。だとするなら、「正しさ」の意味とは何なのだろうか。
 数年の間、そうやって、若者は、政治運動とも社会運動ともいえるものに参加していた。知識は増えたが、根本的には無知のままだった。あるいは「バカ」のままだったといっていいだろう。
 若者は、もちろん、そのことを知っていた。だから、「バカ」と批判されることに、だまって耐えた。だが、批判する人たちの「正しさ」は、いったいどこから来るのだろう、と思った。正確には、「正しさ」の「正しさ」は、どこから来るのか、と。
(略)
 若者の属していた、小さな組織は、「正しい」批判を受け入れつづけ、気がついたときには、動きを完全に停止していた。なにもしなければ、批判されることもなかったのだ。もちろん、最後には、
 「ほら、あんなふうに、やるだけやって逃げてしまった。どうせ、そうなると思っていた。学生気分の甘い運動だったからな」という、疑いようのないほど「正しい」批判を受けることになったのだが。
 そうではなく、「正しさ」にも、息苦しい「正しさ」や、相手をうちのめす「正しさ」ばかりではなく、そのことによってなにかが生まれる、豊かな「正しさ」があるのではないか。若者は、そう思わずにはいられなかった。
(略)
 「こんなことも気づかないのか、自分たちの無知を棚に上げて、こんなことをしていたのか、どうしようもないな」という、舌打ちのことばから始めるのではなく、
 「そうか。こんなことをしたかったのか。けれども、こんなことをしていては、君たちが望んでいるところとは異なった場所へ行ってしまうよ」という、力づけるためのことばから始まる「正しさ」はないものなのか。
(略)
 「こんな風にやってみるものさ」と、なによりも、まずやってみせてくれることから始まる「正しさ」は、どこかにないのか。
(略)
[「連合赤軍」は]「バカの中のバカ」、「究極のバカ」だった。若者のような、どこにでもいるバカにとっても、「バカ」と簡単にいえるほどの大馬鹿者だった。
 すさまじい罵言雑言が、彼らに浴びせかけられたが、それは、当然すぎるほど当然だった。なぜなら、彼らこそ、「正しさ」の正反対にいたからである。(略)
 だが、若者は、彼らを批判することができなかった。正確にいうなら、批判する気になれなかった。いや、もっと正確にいうなら、自分には彼らを批判する資格がないような気がしていた。
 それは、彼らの中に、ずっと前、自分たちの小さな組織から去っていったものがいたからでもあった。
 あのさびしそうな表情の青年がたどり着いたのは、そこだったのか、と若者は思った。そして、その青年ではなく、もしかしたら、自分があの場所にいて、「バカの中のバカ」といわれていたのかもしれないと思った。
(略)
バカの中のバカである彼らは、丘の上にのぼり、警官隊に囲まれ、盛大に自滅していった。(略)
彼らが見つめていたのは妄想である、と断言できる自信は、わたしにはなかった。(略)
[若者(わたし)は、その後、長く政治・社会活動から離れた。「正しい」ことを論じるのが耐えられなかったせいかもしれない]
 幸いなことに、わたしが所属している「文学」なら、そんな立場をとる必要はなかった。「正しい」文学など、もとより存在しないからだ。
(略)
だが、わたしは、恐れていたのだと思う。間違うことを、である。
文学の世界に閉じこもっているなら、間違える心配はなかった。(略)
 だとするなら、わたしもまた、あの「若者」が嫌った、なによりも自分の「正しさ」を大切にする人たちと同じなのだ。
 しばらくして、わたしは、少しずつ、政治や社会について考え、論じるようになった。どれほど注意しようと、どれほど避けようとしても、やはり、そこには、誤りが生まれるだろう。そして、それに気づかず、あるいは、気づいたとしても、けっきょく、わたしは、わたしの「正しさ」を主張するようになるのかもしれない。だが、それを恐れていては、なにも語ることはできないのだ。(略)

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