蠅たちの隠された生活

繊細な方は食前食中に読まない方がいいかも。トドのようなクロバエの幼虫など、刺激的接写カラー写真多数。

蠅たちの隠された生活 (大英自然史博物館シリーズ)

蠅たちの隠された生活 (大英自然史博物館シリーズ)

 

 贅沢なウジ虫

ハエが成虫でいられるのは、短いときでは数時間にすぎません。(略)ウジ虫時代、つまり幼虫として過ごす期間が最も長く、その間、彼らは悠長に食べて暮らします。あの小さな幼虫たちときたら、ひたすら食べて食べて食べまくるためだけに時間を費やすことができるんですよ。なんという贅沢でしょう!(略)

糞便だろうが、腐った肉だろうが、新鮮なニンジンだろうが、それはもうびっくりするほどの食べっぷりです。成虫段階に入ると、普通は交尾と分散以外にやることはありません。 

驚くべき適応能力 

ハエの幼虫には全般的に脚らしきものが一切ないのは、ウジが早熟幼虫と呼ばれる高度に進化した幼虫だからです。すなわち、通常よりだいぶ早く孵化するのです。おそらくこれこそが、ハエがどんな昆虫よりも多様な環境に生きられる理由なのでしょう。しかも体に弾力性があるため、細い割れ目や小さな穴に入り込み、あらゆる種類の餌にありつくことができるのです。

 ハエ目の幼虫が見せる適応例のうち、特に驚異的な点は、海水でも暮らせる能力を身につけたことです。

(略)

 驚くべき適応を成し遂げたという点で負けていないのは、ミギワバエ科のセキユバエです。実はこのハエが好んで生息する地は、海辺から遠く離れた、米国カリフォルニア州原油の池という、これもまた生き物にとって極限の環境です。幼虫は原油アスファルトを摂取し、お腹は石油でいっぱいになります。実際には石油そのものを食べているわけではなく、その中に落ちた微粒子状の物質を餌としています。これはハエの生息環境としては厳しい方です。石油という基質そのものが危険で棲みにくいだけでなく、気温が最高38度に達し、かなり暑いからです。

 授粉者たちを助ける

実はカカオの木(略)の唯一の授粉者は、ハエ目の昆虫なのです。カカオという植物の生殖器官の構造はあまりにも複雑で、その花粉を運べるのはヌカカと呼ばれる非常に小さな虫だけです。

(略)

 厳しい環境で育つ植物は、同じ苦境に耐えて募らす授粉者たちを助けるために、いろいろと工夫を凝らしているのがわかります。食物を与えるだけでなく、身を守れる暖かい場所も提供しているのです。自己の温度を周辺環境よりも15~25度上げることができる植物もあります。ぬくもりを求めて身を寄せてくるハエ類にしばし暖を取らせ、再び元気に飛び回ってせっせと授粉してもらうのです。この作用を「熱発生」といい、発熱する植物は、少なくとも10科の被子植物に見られます。北アメリカ大陸各地に生育するザゼンソウという植物は、自然環境が過酷になりすぎると、自らの温度を周辺よりも35度上げることができます。これにより、ザゼンソウはまだ雪が残るうちに花を咲かせることができ(凍った地面や雪を解かして花をつける)、その結果、一足早く羽化する虫たちに授粉してもらえるのです。

安定した食料源

考えてみてください。排便しない生き物はほとんどいない以上、ハエ類にとって糞はきわめて安定した食料源なのです。

(略)

人の健康に最も危険な影響を与える生き物の一つとして、よくあげられるのはイエバエなのです。しかしそれを助長してきたのは、ほかならぬ人間の生活習慣です。(略)

ハエたちがどこまでもつきまとってくるのは、私たち人間がありとあらゆるごみを散らかすだらしのない生き物だからです。

アメリカミズアブは

養殖するのがとても簡単なので、一大ビジネスに発展し(略)

[世界中に養殖施設がつくられ]下水処理業界のみならず畜産物生産業者にも供給が広がっています。(略)

有機廃棄物の分解と家畜の飼料の二役をこなすのに特に適している理由は(略)[4日で卵から成虫になる成長の速さと]

アメリカミズアブほど栄養素を効率よく変換できる(廃棄物をタンパク質に変えられる)昆虫はなかなかいません。幼虫や蛹は体の42%がタンパク質であるほか、カルシウムやアミノ酸などの重要な栄養素がぎっしり詰まっており、腹ペコのニワトリたちはそれを丸ごと食べるのです。

(略)

 みなさんは、昆虫の(幼虫の)肉をそのまま食べることには抵抗があるかもしれませんが、処理して粉末や固形タンパク質に加工してしまえば、食事に加えたり家畜の餌に入れたりしやすくなります(必ずしも動物の排泄物で育った幼虫を使う必要はありません。それにはさすがに抵抗があるという人も、きっといますよね!)。また昆虫を食べることで私たちが病気に感染することはありません。昆虫の病原体は昆虫の体に適応していますが、人間の体内では生きられないのです。一方、私たちがブタ、ウシ、ニワトリなどから病気の感染を受けやすいのは、人間の体の脂肪分、水分、体温などが、これらの食用動物に近いからです。

 このアメリカミズアブたちは排泄物を処理したうえ自らが食料源となるだけではなく、病気が広がるのを防いでくれます。家畜排泄物を肥やしとして使う従来の方法と比べると、排泄物の総量を低く抑えることができるため、病気を運ぶそのほかの糞食性のハエの増加も防げます。この小さな虫は、私たちにとってありがたい生き物です。現在は魚の養殖にも使われており、海での魚の乱獲を減らす一助になるかもしれません。

つるされた遺体

[死体農場での実験では]

つるされた遺体は分解されずになめした皮のような状態になっていました。かなりの時間が経過しても、ほとんどウジ虫がついていなかったのは、ウジ虫が遺体にしがみついていることができなかったからです。

壊死組織をウジ虫で治癒する

チンギス・ハーンが兵を出すときは、兵士が負傷したら直ちに傷の手当ができるように、常に大量のウジ虫を馬車に積んで運んでいたのだそうです。

(略)

[南北戦争で]傷の手当をしていた医師たちは、ウジ虫がわいている傷の方が、そうでない傷に比べて良好に治癒するということに気づきました。

(略)

ウジ虫の分泌する気体には治癒力があり、結核MRSA感染に対しても、効果があることが示されています。

(略)

十分殺菌したウジ虫を傷口に置けば、壊死した組織や腐り始めた部分だけを食べつくしてくれるので、きれいになった傷口には新たな肉芽が発生します。化膿した糖尿病性潰瘍のほか、重篤感染症や怪我を治療するには、無菌培養したウジ虫を創部に置いて包帯をし、2~3日後に包帯を外してウジ虫を取り除きます。ウジ虫は健康な組織を食べることはなく、放置しても(略)、患者になんら害をおよぼしません。

(略)

[現在ではウジ虫を傷口に詰め込む必要はなく、ウジ虫ティーバッグを使う]

ウジ虫はメッシュの袋の網目から顎を出して壊死組織を食べますが、袋から出ることはできないので、逃げる心配はありません。(略)2日おきに袋を取り換えているうちに、5~6週間で傷はきれいに治ります。

ガガンボとカを

混同した例としてよくあげられるのが、映画『ジュラシック・パーク』です。上映中、怒ったハエ研究者たちがやたらと舌打ちして、さぞかし迷惑だったのではないでしょうか。問題なのは、科学者が「恐竜のDNA」を取り出すため、メスのカとおぼしき虫の腹部から血液を抜くシーン。あれはどう見てもガガンボです。確かに最初のショットではカの映像が出ましたが、使われていたカはオスもメスも植物食性の種です。そして、血液を抽出する長いシーンに映っているのは、ガガンボの成虫。つまり、何も摂食しないはずだし、血を吸うなどあり得ません。しかも、そのシーンで使われていたガガンボはオスです!映画好きのハエ研究者たちを侮辱しているとしか思えません!太くて大きいオスの交尾器は、細くとがったメスの産卵管とは似ても似つかないものです。

宿主の体内でどうやって呼吸するか

一部の種の幼虫は、宿主である昆虫の呼吸器系に侵入することで、自らも呼吸するすべを身につけました。すべての昆虫の体には気管という管がはり巡らされていて、気門から入った空気が管を通って全身に行きわたるようになっているのですが、この幼虫たちは体を直接宿主の気管に結合し、絶えず空気を得る道を確保しているのです。一方で、より洗練された方法で呼吸をしている種もあります。さまざまなガやハバチの幼虫(イモムシ)に捕食寄生するヤドリバエ科のExorista  larvarumの幼虫は、簡素化した口器を使って、宿主の体の表面をかみ砕いて潜り込みます。すると、宿主の免疫反応によってメラニン化が起こり、侵入口付近の色が濃くなり、硬化します。つまり、幼虫が宿主の体に侵入すると同特に、通った後には外気とつながった細いトンネルができていくのです。幼虫は肛門付近のフック状の突起をこの通気口に引っ掛けておけば、足部にある気門で外の空気を吸いつつ、頭はイモムシの体内につっこんで、その哀れな宿主の中身をたいらげることができるのです。