現代詩手帖特集版 高橋源一郎

再読。

現代詩手帖特集版 高橋源一郎

現代詩手帖特集版 高橋源一郎

 

討議 高橋源一郎×加藤典洋

(司会:永江朗

『さようなら、ギャングたち』

高橋 (略)自分の作品を文学史のなかに、あるいは年表のなかに置いてみると、すごく不自然な気がします。場違いな感じがするんですね。当時はそれほど気にならなかったんだけれども。ぼくはこの何年か「文学史」を考えることをしてきたので(略)

文学史なんて本当に存在しているのか、という気はします。でもそこまで厳密に考えないとしたら、何となくこういう順番だったんだな、何となく納得というふうに収まってるように見えるんです。そうすると、その「文学史」のなかに、居場所がない感じがするんですね。
 それから、妙な言い方ですけれど、ぼくはデビュー当時のほうが明確な文学観を持っていた気がします(笑)。これが小説だという確信が、いまはある意味でなくなっちやいましたね。(略)

デビューした当時、ぼくは自分が書いているときの基準線が現代詩だと公言していました。当時の日本語のいちばん高い水準で書く、ということを小説に課したらどうなるか、と思った。でも、そんなことは誰も考えていなかったんですね。早い話が、小説家、批評家はほとんど特に興味を持っていなかった。これがさらにもう十年さかのぼるとそうでもなかったと思うんです。現代詩人が小説を書くということは特別な事件ではなかった。金井美恵子はある意味でそういうことを別方向からやろうとしていた。詩と小説がどこかで深い関係を結ぶ可能性はなきにしもあらずだった。デビューしたときにいちばん感じたのは(略)

いったいどうしたんだろうこの国は、詩はどこかへ消えてしまったんだろうかという不思議な感覚があったことは覚えています。だから、そのときに書くべきものがなにかは、自分では明確でした。ただ同時に、たぶんそれが受け容れられる素地はないだろうという気もしていました。
 これはいままで言わなかったことですが、『さようなら、ギャングたち』を書いていたとき、仮想の読者は一人だけだったんです。この人が読んでくれればわかってもらえるだろう、その人に向かって書こうと思って書いていたことは忘れられません。それは吉本隆明さんでした。だから、デビューした後、思いもかけず吉本さんから評論していただいたときには、ちょっと現実とは思えないなと感じたのです。それ以外の反応はあまりなかった不満はありませんでした。
加藤 今回集まった資料のなかの、吉本さんの「変成論」は的確だよね。いまの時点から見てもぜんぜん訂正の必要がない。ちょっとびっくりしたんだよ。

(略)

高橋 いま『さようなら、ギャングたち』を一人の読者として読んでみると、ぼくは個人的な体験を直接書くということがほとんどないので、どの作品もある種の抽象性を帯びてはいるんですが、この作品は特に「言葉」に強い関心を抱いた小説であるにもかかわらず、これ以上なく具体的という感じがします。初期の作品はどれも見かけと少し違って抽象的なことを書いているという感じはしなかったんですが、とりわけ、『さようなら、ギャングたち』は、すごく短い時間で書いたということもあって、まるで知っている事実をそのまま書いているという感じがしましたね。そういう書き方は、他ではしなかったような気がします。(略)
こういうものが理解されない世界、文学の世界があるということは折込済みでした。だから一応文芸誌には出すけれど、理解してくれる人たちはきっと他にいるだろうと。これは詩人に読んでもらうのがいちばん早いだろうという気はしていましたね。

現代詩のインパク

この国では小説と詩は全く別の種類のものだと考えられてきました。交渉があるとすれば、詩人が詩を放棄して小説業界にリクルートされてくるときぐらいです。

(略)

六〇年代、七〇年代にかけて、あれほど強度を持っているように見えた詩の言葉はどこかへ行ってしまいました。おそらく、それは詩の言葉が持っている強さを持続させる条件が消えたからです。その理由はいくつもあったはずです。しかし、小説を含む文学史のうえで、そのことが追究されることはありませんでした。

(略)

カメラを引いて九〇年という場所から戦後詩全体を眺めてみると、どれもよく似ているように見えてしまうんですね。それは一言でいうと「否定の美学」ということなんですが、だとするなら、否定すべき対象がはっきりしていないと、その強さは発揮できない。しかし、敵は消えてしまった。というか敵はいるんだろうけれども、どこかの地下壕にもぐったのか(笑)。
加藤 ぼくの感じで言うと、現代詩は六〇年代に見つけたときはまったく新しい日本語だった。心がふるえましたね。つまり蝋燭みたいなものなんですよ。暗いところだと美しい。これはいいと思っていたら、いつの間にか外がだんだん明るくなってきて、昼行燈になっちゃった。

言葉の強度

高橋 [80年代]は、自分では書くべき小説のかたちは理解していると思っていました。「言葉の強度」とでも呼ぶべきものに荷担する小説を書きたいし、それは自分にとっても必要だと思っていました。

 小説の機能は一つではないと思うんですね。(略)

ロールモデルを書くというやり方は小説の書き方として長く存在しているわけですね。(略)

自分の周りの現実を説明するという機能もある。(略)

ぼくが日本の小説に感じた不満の多くは、ロールモデルの提示はするけれども、そこで描かれている世界は現実離れしているんじゃないかということでした。当人にとっては現実的であるかもしれないけれども、現実というか、現在ということを説明しうるにはあまりにも狭かったり、部分的であったりする。だから、もっと現在を語りうる小説があるはずだ、と。六〇年代、七〇年代には、詩ががんばって現在を説明しようとしていた。そして、ある程度説明できていた気がするんです。現代詩人がいちばんたくさん使ったフレーズのひとつに「世界」という言葉がありますね。「世界」というとどんな読み込み方もできた。(略)

そして、詩人たちもやがて「世界」という言葉を使えなくなっていったのです。かつて「世界」という言葉に込められていた、全現実感覚のようなものを、ぼくは小説に見出したかった。そして、八〇年代に小説を書いていたとき、それはぼくたちの周りにある言葉に見つけるべきだと思っていたのです。(略)現代詩はその果実を受け取るべき相手を見つけられなくて消えていったように見えるけれども、しかしその結果として、サブカルチャーの言葉――マンガの表現やコピーの表現といった別の場所で花開いたように思います。ちょっとポピュラーになり、ちょっと形を変えたけれども、詩から発した言葉たちは、この世界の現実を表現するということをかなりうまくやれていると思ったんですね。つまり小説でない部分でそういうことをうまくやっているシーンがある。それこそコピーライターやマンガ家があれほどうまく説明できているのに、小説に出来ないことはないだろうと思った。(略)

世界の現実性に依拠して書いているという点では、ぼくは小説の場所で書いているけれども、大きなグループの中のひとりだという気はしていました。だから、自信があるとか自覚があるというよりも、特に不満や不信はなかったというのが正確ですね。バブルがはじける頃までは。

(略)

『虹の彼方に』は言葉の持続感を頼りにして書いていました。(略)

[最近、中上健次を年代順に読んで]

その変化の仕方の誠実さに、僕は胸をうたれました。いま思えば、この八〇年代から九〇年代にかけては、主流派と言われたような作家でも、それぞれのかたちで日本語の問題とぶつからないと小説を書けない時期だったと思います。

ゴーストバスターズ

高橋 (略)あの作品はある意味で最初から失敗を運命づけられていた小説じゃないかと思うんです。(略)

ぼくの書いたもののなかで完成度はいちばん高い。(略)

簡単に言うといまでは、そんなことをする必要はなかった、と思うに至ったわけです。

(略)

完成度の高い小説を書いたとして、それは、誰にどんな意味があるのか。最初のところで言ったように、現代詩が煮詰まった理由のひとつは、詩人たちは、ある問題、ある世界に対応して言葉をつくるわけですね。しかし、最初の対応は非常にフレッシュだけれど、ある時期から現実との対応よりも言葉の洗練が主になっていく。

(略)

現実との対応関係がはかれなくなったら、あとは言葉と向かい合うしかないのです。言葉を洗練していくということは、オートマティックにできてしまう。ある部分から先はもう「作業」になってしまうんです。詩はメインの仕事が「作業」になったとき、終わりの段階に入っていく。

(略)

どんなジャンルの作品でも、「作業」の部分が過半を超えると急速に痩せていくんじゃないかという気がするんです。『ゴーストバスターズ』の場合、途中からはもう「作業」になっていたな、という気がします。九二年に第一部を書いた段階までは、「作業」は半分いってなかったと思うんですね。あれは「ゴースト」を見つける小説でした。しかし、それからの五年はどうも、「ゴースト」を見つけるというより『ゴーストバスターズ』を完成させるということにウェートがかかってきてしまったのです。

(略)

八〇年代は自分がどこにいるかもよく見えていたような気がするし、それは他の作家も同じだったと思うんですね。だから、仮にうまく書けないとか失敗したと思っても、少なくとも自分がどこにいるかということについてはわかっていた。それが九〇年代になると、自分がどこにいるのやら、わからなくなってきた(笑)。

(略)

いまになって思えば、八〇年代で日本の近代が離陸しおわって、社会も文学も新しい状態に移行しつつあった――というふうに言ってしまえば、すっきりするんだけれども

(略)

無力感なら、まだ逆にバネになるわけですね。(略)

無力なのかどうかもわからないという宙ぶらりんな感じがあったと思うんです。それが何となく言葉にできるようになったのは、明らかな新人が出てきてからではないでしょうか。

日本文学盛衰史

高橋 (略)日本の作家たちが外側からやってきたものにどう対応したかを、明治四十年あたりを中心に書きたいなと(略)

九〇年代の日本にある種の共通性があるんじゃないかという予感もあったし(略)

[何も決めず、書きながら考えて、四年連載した]

結論から言うと、作家というのはほんとに自由じゃないんだなということです。カメラを引いて五十年百年はなれてみると、いかにいろんなものに縛られているかということが見えてくる。(略)

[しかし同時に]少数のきわめてすぐれた作家たちは、どういうふうに縛られているかについて直感的に言っていたわけです。

(略)

不思議なのは(略)[デビューした時に]自分の居場所がないと思ったんですが、『日本文学盛衰史』を書いていたら、居場所があるんだと思えたことが嬉しかった。あれ、ぼくはちゃんと日本文学のなかに入ってるよって(笑)。(略)

坪内逍遥とか二葉亭四迷とか漱石とか透谷とかなら話が合いそうだなあと思った。それは非常に不思議な感じですよね。

対談 <小説>とは何か 高橋源一郎vs保坂和志 

以下全て高橋源一郎の発言

 ぼくの書き方が変わったのは、小説を書いていても、つまりそれまでのやり方で掘っていても疲れるだけということになってきたからです。書くことが自分にとって「経験」にならなくなっていた。作業はできるし、構造物はつくれるけどね。ただ小説を書いているだけでは、小説家をやっている意味がない。新しいやり方を見つける必要があったのです。ぼくの場合はとりあえず準備なしで小説に向かうということだったわけですね。

(略)

『さようなら、ギャングたち』を書いていて、自分が更新されていくと思ったのは、何を書いても世界のことが説明できる感じがしたわけだからなんですね。べつに世界の成り立ちを説明してやろうなんて思っていなくても、どんな細部を書いてもそれがそのまま世界を説明していることになっている。書くことがぜんぶこの世界の発見だから、常に新しい経験でもあるわけですよね。昨日まで気づかなかったけど、これも世界の一部だねって、書くたびに一つずつ発見していく。

(略)

 でも、だんだんそれが自分のなかでうまく説明していない感じになってきた。ちょうどそのころから、七年かけて『ゴーストバスターズ』を書いたんだけど、これはまさに球を置きにいったような作品だった。それでだんだん小説を書く筋肉が弱くなってきた。だから少し投げられる肩をつくろう、と思ったんですね。

(略)

九〇年代の途中までは、何を読んでもつまらなかった。それにも困った。ほんとにおもしろいと思えたのは猫田道子ぐらいだったかもしれない。まあ、彼女の作品を小説と呼ぶべきかどうか難しいけど。

(略)

小説に興味を失っていたのかもしれませんね。読んでも自分のなかでインスパイアされるものがなかった。おもしろいとは思うんだけど、おもしろいと思うことと、自分のなかで衝撃を受けて事件であるということは別問題だから。

(略)

猫田さんは、あやまった言語の使い方をしている。でも、それは間違いというわけにもいかない。なんていうか、正しい文法を知っていたときの記憶がかすかに記憶の中に残像として残っているという感じ、あるいは三次元の文学空間が歪められて二次元に投影されたような妙な感じ。つまり表現ということ、言葉を発するということの極端なパロディみたいなものになっているわけですね。にもかかわらず、インパクトのある表現として伝わってしまうということがすごいと思った。(略)

そういうものを読んでいるうちに、小説は、いかにも小説というかたちのなかでも成り立つけど、生息できる場所は他にもいろいろあって、あそこでも生息できるし、あそこでも生息できるのじゃないかと思うようになった。そこに生息している小説風のもののほうが、いかにも小説というものよりおもしろい。では、自分が書くとき、どうすればいいのか。それで行き着いたのが、自分がそういう小説の辺境にあるようなものを読んだときに得た感覚と近いところに自分がいられるようにすること、それだけを決めて書けばいいかな、ということです。

(略)

 保坂さんもよくご存知の『ゴダール/映画史』という本があるけれど、これはどんな小説、どんな詩や、理論書よりもぼくにとって衝撃的な本でした。この二十年ぐらいでいちばん驚いた本三冊挙げるとするとかならず入るんです。

(略)
何がおもしろいかというと、ゴダールの考え方が、簡単に言うと「小説的」だということなんてすね。つまり彼は映画のことをしゃべっているんだけれども、それがぜんぶ小説のことだと思えてくる。では、小説と映画はどこが似ているのかと考えてしまう。その彼の映画論で一番おもしろいところは、要するにぼくたちは日常のコードでものを考えたりしゃべったりするわけで、そのことに気をつけろということなんですね。

(略)

観客は、スティーブ・マックィーンが困った顔をすると、そうか彼は困っているのかと思う。でも、それは映画ではない、とゴダールは言うわけですね。それは、ハリウッドが作った映画のコードにしたがって画面を観ているだけで、誰も自分の目で映画を観ていない、と。実は、それは小説でも一緒で、読んでいるんだけれども、あるコードにしたがって読んでいるだけじゃないのか。もっと怖いのは、ふつうの小説の書き手も、あるコードにしたがって書いているだけで、ゴダール風に言うと、誰も小説なんか書いていない、ということになってくるんですね。
 では何がゴダールの言うような「映画」なのか。あるいは何が「小説」なのか。(略)

ぼくは簡単に言うと「そのなかを通過することによって、認識の組み換えが起こるもの」が小説だと思っています。もちろん詩や評論にもそういう要素はあるけれども、詩は永遠の相で何かを一瞬照らせばいいので、読者は変わる必要がない。その一瞬に世界、が見えたと思えさえすれば、それは錯覚でもいい。詩は時間を止めることができればいいんですが、小説はその中で時間の経過があって、そこから出たところで、認識が変わっていないと困る。でもほとんどの小説は、そういうことを読者に要求していないんですね。だからどういう小説がいい小説かというと、それはすごく簡単で、読んでいるときに、立ち止まって考える箇所があれば、それはいい小説ということになると思います。つまり途中でいったん頁を止めて、その小説と別のことをどうしても考えたくなったら、それは間違いなく小説なんです。

(略)

リアリズムとリアルは違っていて、ゴダールの映画はリアリズムでもなんでもない。ただ、リアルなものを画面に出そうとしている。そして、リアルなものってなかなか映らないんですね。ふつうの映画で、男と女が会話をしていたって、ハリウッドのコードでやっているんだから、リアルでも何でもない。じゃあどうするかっていろいろ考えて、即興撮影したり、当日セリフを渡したり(略)

ぜんぶリアルなものを出させるための方策なんですよね。決まった方法がない。だからゴダールのやり方も行き当たりばったりで、ぼくがゴダールを好きなのは、ほとんど失敗しているからなんです。うまくいくわけないんだ、そんなの(笑)。つまりリアルなものを出そうとして、失敗して、リアルなもののかけらがいっぱい残っている。リアルなすごい映画がある、というわけではなくて、そういうもののネガとして、映画の存在の可能性が毎回見える。

(略)

小説は一面ではとにかくわかりやすくなければならないと思うんです。(略)と同時に、すぐにわかってもらっては困る部分を、何らかのかたちで提出しなければいけないわけです。さっき言った小島信夫さんのように、説明不能な何かですね。(略)

ふつう小説は、そこに書かれていることはぜんぶ何かしらの関連があるんだけれど、小島信夫の小説になるとつながりがわからなくなるというか、ないというか(笑)。なんで止まるかというと、つながりがわからないからです。妙なところでつながっているんだけど、その関係がよくわからない。そこが気持ち悪い。

(略)

 意味のない文学的修辞を小説は使うべきではない。なぜなら、それは一見、文学の味方に見えて、実は敵だからです。小説あるいは文学と呼ばれるものを厳密に定義することは困難です。しかし、これだけはいえるのではないでしょうか。悪い意味での文学的修辞は、まさに小説の外側にあって、敵対するものとして存在しています。そこに「文学的」な文章がある。そのことと、それが小説であることの間には何の関係もありません。そこに置かれた、一つの文章と、続く別の文章との間に繋がりがない、ゴダールの『映画史』の中の一つ一つの映像のように、それぞれが違ったベクトルを持っている、その中で読者が宙吊りになり、迷ってしまう、それが「小説的」なあり方だと思います。
 たとえば、フローベールはそういう小説の源泉のひとつですね。『ボヴァリー夫人』にしても、あれは不倫小説だけれど不倫はこの小説で何の重要性ももっていない。あの小説は何がおもしろいのかといったら、全体で醸し出している違和感です。恋愛小説のパロディであって、描写が非常にクリアに書いてあって、読み終わっても誰にも感情移入できない。しかしいろんなところがバラバラにおもしろい。足していっても引いていっても答えが出ないことこそ、小説のおもしろさなのかもしれない。つまり詩や歌だと、最終的に自分のなかのエモーションが解放される瞬間があるんだけど、フローベールを読むと、最後は気持ち悪くなるだけです(笑)。

 漱石にしても、通俗的漱石の作品像とは異なり、彼の作品には奇妙なところがいっぱいあります。(略)

虞美人草』なんて単なる失敗作と考えられがちだけど、よく読んでみると異常な小説なんですね。(略)

会話の部分はモダンなのに、地の文にはわざわざ非常に古い美文を使っている。漱石はその前に『坊っちゃん』を書いているわけだから、全篇を近代的な散文でやることもできたはずなのに、あえて古くさい文章を使っている。そして、その部分が妙に浮いていて、読んでいるとすごく変な感じがするわけです。だから、当時すでに、正宗白鳥なんかにわけがわからない小説だと言われていて、結局それ以降漱石はわけがわかるほうに転換してしまったわけだけど、どうもあれは違ったことを言いたかったんじゃないかというふうに見える。いま読むと、すごくおもしろい。何か妙なことをやろうとして失敗して黙っている、そのゴロンとした感じ。そういうのを持ってる作家はおもしろいですね。

(略)

漱石はあれほどポピュラーな作家なのに、ほんとうのところ、何か言いたかったのって気がするんですよね。つまり、三角関係の話を、あんなに書いているんだから実際に何かあったんだろうと、ふつう下世話には考えますが、実はよくわからない。百年の間、研究者たちがあれほど調べているのに、証拠が出てこない。

(略)

漱石が、もし経験ではなくて想像によって書き続けていたとしたら、なぜ同じ想像にこだわったのか。そのことによって何を言いたかったのかというと、それもまたよくわからない。

(略)

詩の言葉は、詩的な無意識の部分から何かに憑依して、というか、丸ごと「詩人」という存在になって、そこからやってくる。ぼくはよく言うんですけど、詩人が書いたものはすべて詩になるけれど、小説家は、小説を書いた結果、事後的に小説家になる。いわば詩的世界観というものがあると思うんです。そして、その世界観に沿って、たとえば吉増剛造さんが書けばぜんぶ詩なんです。ところが、小説的世界観なんてものはないんだと思うんです。どちらも日常の言葉とは違うベクトルで出来ているけれど、「小説性」は、一回一回の現場における認識の仕方だと思うんです。そこにボールが来ないと当たらない。ふつうにエッセイを書いたって、日常のコードに合わせて言いてるからそこには「小説性」がない。ある空間のなかに入ってくるとボールが当たる。それを小説と呼んでいるんだよね。だから逆に言うと、小説性を発揮できる場所を小説と呼んでいるだけなのかもしれないね。 

ゴダール 映画史(全) (ちくま学芸文庫)

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