操られる民主主義: デジタル・テクノロジーはいかにして社会を破壊するか

 
操られる民主主義: デジタル・テクノロジーはいかにして社会を破壊するか

操られる民主主義: デジタル・テクノロジーはいかにして社会を破壊するか

 

 「私がミスター・トランプになりきって書いていたのよ」

 広告配信にかけてフェイスブックがきわめて効果的なメカニズムであるのは、ユーザーを微細に細分化してターゲットにすることができるからである

(略)

 選挙運動中、プロジェクト・アラモでは、約七〇〇〇万ドルがフェイスブックの広告に使われ、広告は一日あたり一〇〇本にまで達し、それぞれの広告のバージョンが数千にまで及ぶことも少なくなかった。そして、どのバージョンがいちばん効果的だったのかを知るため、絶えず微調整が繰り返された。(略)

フェイスブックはたしかに効果があった。これまで手の届かなかった相手にも、手を伸ばすことができるようになった」とブラッド・パスカルはこたえている。「テレビのCMでは、こんな真似は決してできない」

(略)

重要なのは誰もがみな同じメッセージを受け取ることであり、そうでなければ、他の人間がどんなメッセージを受け取っているのかは少なくとも知っている必要がある。知っているからこそ、同時代の問題をめぐって私たちは議論を交わせられるのだ。誰彼かまわず送られ、個別化されたメッセージしか受け取れなければ、公開討論が共有できなくなってしまい、何百万という烏合の衆にすぎなくなる。(略)

過剰な個別化によって、政治家はそれぞれの“ユニバース”に対し、てんでんばらばらに誓約をしてしまうことになる。誰の目にも見えて、理解できる明らかな公約がひとつとして存在しなければ、私たちはどうやってその責任を問いただすことができるのだろう。そして、その人物が、まぎれもない本物のトランプだとそもそも知ることができるのだろうか。

 プロジェクト・アラモを訪問したときのことである。
 「フェイスブックのミスター・トランプの投稿は、ほとんど私が書いたのよ」とテリーザが教えてくれた。目が点になった。あれはトランプ本人の投稿だと私はずっと思い込んでいた。読んだのは一度や二度のことではない。あの書き方はまぎれもなくトランプ本人のはずだ。だが、実はそうではなかった。投稿を繰り返していたのは、サンアントニオのオフィスのデスクに座っていたテリーザだったのである。
 「私がミスター・トランプになりきって書いていたのよ」と、テリーザはにこやかな顔で話している。「どうやれば、ドナルド・トランプのような人間になりきれるんですか」と問い返した。「そうね、『私を信じてほしい』『おまけに』『とても』という言葉を繰り返すこと(略)。ミスター・トランプはこの手のものを書かせたら最高よ。本当にわくわくする文章だわ。やっぱり、本物は違うわね」。自分で口にしている皮肉に彼女は気がついていないようだ。

(略)

こうした政治家は、そよ風が吹いても激しくはためくような人間で、矛盾する発言を何百と口にして、都合がよくなるたびに変心を繰り返す。

(略)

 たぶん、未来の政治家とは、この手のタイプのように、理念には乏しいが、論点をぼかし、曖昧模糊とさせることにかけては抜群の才能がある者かもしれない。選挙陣営のスタッフが候補者に向かい、相反するメッセージを前もって何百と用意しておけと言っている光景が目に浮かぶ。そうすれば、聴衆ごとにこうしたメッセージを浴びせられる。(略)

その広告は機械生成によって標的が完璧に定められた広告で、精巧に調整され、格別のタイプの人間や心的状態に訴えるようにして送りつけられる。

接戦の選挙

 二〇一六年は双方ともに人気がない候補者による、どちらかと言えば接戦となった選挙で、しかも主要な注目州の数も限られた選挙だったが、そのなかにあってプロジェクト・アラモの決心は揺るがなかった。

(略)

 大量のボットを投入したり、荒らしたりするトランプらしい論争をネット上で引き起こしたが、それらも十分にうまくいった。最終集計が公開されてみると、投票総数六〇〇万票のペンシルベニア州では、トランプは得票差四万四〇〇〇票で勝利し、ウィスコンシン州は得票差二万二〇〇〇票、ミシガン州は一万一〇〇〇票の差だった。いずれも僅差にすぎず、それぞれ有権者の一パーセントにも満たない。その彼らがヒラリー・クリントンを支持していたら、予想通り、大統領に選出されていたのはヒラリーだったはずだ。

デジタル・テクノロジーが「独占」を生む

 一九九〇年代、多くの者が、インターネットによって独占は消滅し、ネットは独占を生み出さないと予言した。デジタルに関しては、同時代の第一人者や未来学者が繰り返し説いていたことから、ネットは脱中央集権的で、新たに結びつきながら、必然のなりゆきとして、競争原理が機能する分散型の市場が成立するという考えが広く支持されていた。(略)

クリス・アンダーソンのような影響力を持つ人物がこの現象を“ロングテール”と提唱すると、みな熱心に耳を傾けた。
 いまとなっては、デジタル・テクノロジーの本質とは、独占を阻むのではなく、むしろ作り出す点にあることは明らかだ。

(略)

[「厚みに乏しいロングテール」の脚注]

(略)ブロックチェーンの提唱者の話に帯びるのは、一九九〇年代の技術楽観主義者と非常によく似た響き[だが、実際は](略)

ごく少数の人間が不釣り合いなほど大量のビットコインを所有している。

企業による世論操作

巨大なデジタルプラットフォームというインフラを所有することで、企業はさりげないが有益な形で公的な論議の調整や喚起という、過去にはなかった機会を与えられるようになった

(略)

[ロンドン交通局が「企業としての責任の欠如」を問題視してウーバーの営業免許更新を却下すると]

不思議なことが起きた。ウーバーはチェンジ・ドット・オーグでオンライン請願書の署名を集め始め、膨大な利用者層を反対運動に巻き込もうとした。

(略)

ウーバーの利用規約は最近アップデートされ、「ウーバーは、ウーバーのサービスに関連する選挙、投票、住民投票ならびに政治的および政策的手続きに関する情報をユーザーに提供するために、当該情報を使用する場合があります」という一文が加えられている(略)。
 ウーバー程度の規模の民間企業でも、開かれた議論の仕組みと内容に関してこれだけの力が発揮できるのだから、どんな情報を私たちが受け取り、どうコミュニケーションするかは、まったくもって尋常なことではないと私には思える。この力がいかに貴重で、物議を醸すものかテクノロジー企業も承知しており、魔法の杖は控え目に振っている。
 二〇一二年、「オンライン海賊行為防止法案(SOPA)」がアメリカ下院に提出された。(略)
 しかし、グーグルはこの法案の制定に正面から異を唱えると、サイトのフロントページを使い、法案の存在を知らしめた。四六時中サイトを訪問するユーザーに向け、グーグルのロゴのうえに大きな黒い箱を置き、「下院に対して声をあげよう――ウェブの検閲はやめてください」というリンクを貼った。ここをクリックして署名、法案を廃案にせよという請願が下院に送られる。もちろん、何百万という人間がクリックしたので、下院のサーバーはダウンした。法案は結局廃案となった。
 ウェブの検閲阻止は晴れがましい目的だが、検閲阻止はグーグルの商売上の利益にもかかわる問題ではなかったのかと、ふと思いやることがある。ホームシェアリングのウェブサイト、エアビーアンドビーはこれをさらに一歩進め、数百万ドルを投じ、「ホームシェアリングクラブ」という草の根運動を展開するコミュニティーを組織した。「コミュニティー」という言葉はほのぼのとして、つねに人の警戒心を解いてしまうが、「ホームシェアリングクラブ」は、地域の規制と戦うことも辞さない、「人と人の結びつきによる、強固な政治的主張団体」だ。「オンライン海賊行為防止法案」がグーグルによって廃案に追い込まれたように、この“コミュニティ”も二〇一五年、短期の宿泊者に影響を与えかねない法案の不成立にひと役買っている。

カリフォルニアン・イデオロギーの実態

 巨大テクノロジー企業は何年もの時間をかけ、カリフォルニアン・イデオロギーに入念な磨きをかけてきた。かれらは(略)巨大企業だが、反エスタブリッシュメントだと言い張ってきた。データ抽出と監視資本主義をビジネスモデルにしているにもかかわらず、人々に解放をもたらす、胸躍るテクノロジーを推進していると称している。ありあまる富を持つ白人男性が支配していながら、口にするのは社会の正義と平等だ。

(略)

 富裕な企業は(略)ふんだんな予算を使い、シンクタンクやTEDトーク助成金あるいは後援者や予算や顧問の活動を通じ、個人や同じような世界観を持つ理念に働きかけて拡大を図っている。さらにシンクタンクや研究所の設立を通じ、さり気ないが確実な方法で、テクノロジーをめぐる世間一般のイメージのバランスを調整している。

(略)

 最近、ある国会議員が国民健康保険はウーバーのように運営されるかもしれないと言っていた。別の誰かは、一夜の宿を必要とする病人に、エアビーアンドビーよろしく部屋を貸し出せばいいというアイデアを売り込んでいた。天よ、われら皆を救い給えというわけだ。
 独占の完全なる勝利は、経済や政治だけでなく、私たちの常識や理念、ありうべき未来さえ覆い尽くす。そうなったとき、巨大テクノロジー企業はもはやロビー活動や競合他社を買収する必要さえない。彼らはひっそりと私たちの生活や心のなかに入り込んでくるので、彼らなしの世界などもはや想像できなくなっている。

ディストピア

 一方、ディストピアのシナリオでは、中央政府は適正に機能する能力を少しずつ劣化させていく。不平等はますます高まり、技術という技術、富という富が結局ごく限られた者たちに独占され、その他大勢の人々は、勝者に仕えることでかろうじて糊口をしのぐよりほか生きる手立てはなくなる。政府は正統性と権力、そして国民に選出された議員としての権利を失っていく。秩序は緩慢な死を遂げていき、作家アインランドの『肩をすくめるアトラス』に描かれているように、金持ちは堅く守られた砦のなかに身を隠していく。
 これはある男が、別の夢想のなかで待ち望む悪夢だ。ティモシー・メイのような筋金入りのクリプトアナーキストにとって、このシナリオは必然であり、国家なきあとの仮想通貨のパラダイスと、ボーダーレスな仮想コミュニティーヘと至る道に向かう、歓迎すべき一歩なのだ。
(略)

 格差の拡大が社会にもたらす影響は、社会そのものの分断だ。社会は異なるコミュニティーエスニック集団から構成されるようになり、職業、教育はもちろん、オンラインにしてもオフラインにしても、その生活は決して交わることはない。(略)

第5章で独占について説明したように、ある時点で政治は技術エリートたちによって壟断されてしまうのだろう。

(略)
 これで民主主義が崩壊するわけではないとはいえ、過剰な緊張をはらんでいくのはまちがいない。高止まりの不平等、社会の分断、低迷する経済、ひ弱で無能な政府など、いたるところで緊張が高まっていく。ここから向かう先は、先程のユートピアディストピアのいずれのシナリオでもなく、行きつくのはむしろ、蠱惑的な魅力を放つ、新たな権威主義的政治への傾斜という、民主主義にとってはむしろ危険な状況のように思える。 

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