ブライアン・ウィルソン スマイル・その2

前回の続き。

スマイル

スマイル

トラブル

[クレジットを削った]マーリー・ウィルソンの責任を追及し、作曲者クレジット(と現金)を要求すべきだったマイク・ラヴだが、彼はしなかった。代わりに、ビーチ・ボーイズの成功の立役者であったはずのブライアンに怒りの矛先を向け、彼のせいにしたのだった。クレジットされなかったのは自分のせいではないことをブライアンは必死で説明し、この件に関して、誠心誠意訴え、主張し、取り乱し、泣き崩れてはみたものの、マイクは従兄弟を信じようとしなかった。
 この時以来、ブライアンに関わる創作上の懸案事項に関して、マイク・ラヴは根深い反感を抱くようになり、やがてブライアンは隠遁してしまう。年を追うごとに、それは悪循環を引き起こすようになっていった。最終的にはマイク・ラブが曲の権利を勝ち取ったものの、ブライアンに対して心を固く閉ざすようになったのだった。
 1966年初め、ブライアン・ウィルソンが抱えるトラブルはそれだけではなかった。
(略)
[『ぺット・サウンズ』を理解できないキャピトルの上層部は]一過性サーフィン・ミュージック・バンドのアルバムに、オーケストラ並みの予算を出す必要がどこにある。そんなのはナンセンスだ。彼らは在庫切れになったレコード店に『ぺット・サウンズ』を補充しない代わりに、性急に寄せ集めた『ベスト・オブ・ザ・ビーチ・ボーイズ』を納品するというやり方で、ビーチ・ボーイズにやんわりと痛手を負わせたのだった。
 これは明らかにサボタージュだ。『ペット・サウンズ』の再注文をしようと、レコード店の店主たちはハリウッドのキャピトル本社まで長距離電話をかけなければならないこともあった。

天才

 その夏、「素敵じゃないか」と「神のみぞ知る」が全米ポップチャートで好調だったこともあり(略)
キャピトルのお偉方は自分たちの非を素直に認め、仮に〔ダム・エンジェル〕と名付けられた、次なるビーチ・ボーイズのプロジェクトを認めるしかなかった。
 会社をあげての嫌がらせ、自分を信じない相手とのバトルに勝ったブライアン。いつしか周りは彼を神童、天才と扱うようになっていた。
(略)
 マスコミはブライアンを〔ボーイ・ワンダー〕と呼ぶようになった。
 「ブライアン・ウィルソンは天才だと思うよ。」[とデレック・テイラー](略)
ポピュラー音楽に対する桁外れに幅広い知識を持つこの23歳が秘める、稀にみる才能を言い表すのには、何か特別な言葉が必要なんだと思う。
(略)
[クロウダディ誌は]このように報じた。「ブライアン・ウィルソンは知っている。書き終えられた新曲は一ヵ月もしないうちに、二千万人の耳に届くことになると。そんな作曲家は彼が初めてだろう。」
 ロンドンでも〔ビーチ・ボーイズの音楽をつくる天才〕を素直に認める声が多かった。
 「こうしている間もブライアン・ウィルソンは地下室で何をしているのだろう?」とNMEのトレーシー・トーマスは書いた。

ミキシング

「あまり評価されていないことだと思うけど、ブライアン・ウィルソンのミキシングはすごかった」とダニー・ハットンも言う。
 「そのことについて人はあまり語らない。語られるのは彼の音楽のことばかりだ。でもスタジオで求めるサウンドを追求している時の彼はすごかったよ。席につく。するとたちまちブライアンの世界だ!リヴァーブやエコーのつまみに彼がちょっと触れた途端、『今のは何だ?』というくらい、分厚いサウンドになるんだ。」
(略)
ポール・ウィリアムズは言う。
 「彼にとっては〔音が聴こえる!頭の中にこんな音が聴こえるんだ。どうやってそれを音楽にすればいい?試してみよう〕ということなんだ。これとこれはこうしなさい、と学校で教えられてやっているわけじゃない。その瞬間、何でもいいから、つかむことができるものをつかみ、放り込み、つくりたい音をつくってみる。才能とか音楽センスということ以外に、これは偶然のことなのかもしれないが、彼という人間が醸し出す存在感もあると思う。たとえばさっきのようなことを彼に言われると、周りにいる人間は彼に協力したいと心を動かされる。(略)不可能だと思える彼の注文をなんとか可能にしようと、周りも思ってしまうんだ。そういう時のブライアンにはものすごいカリスマを感じたよ。」
(略)
ブライアンのやり方はこうだ。楽器に音を出させたなら、それを8トラック録音技術で最大限に掘り下げ、なおかつどんなハイテクなレコーディングにも劣らぬダイナミクスを引き出す。
(略)
 「ビートルズは大好きだよ」とダニー・ハットンは言う。
 「でもブライアン・ウィルソンは彼らの比じゃなかった。スタジオを知り尽くしていた、という点ではね。(略)
最初の頃のアルバムで彼らは一切ミックスに関わっていない。ところがブライアンはまったく逆だった。ミキサーは彼がコントロールしていたんだ。曲が出来上がってから顔だけ出すのではない。人気が出たあとからミックスに関わるようになったわけじゃない。最初からすべてをコントロールしていたんだよ。」
(略)
「作業はものすごく速かった。それでいて時間をかける時はものすごくかけたんだ」というパークスの言葉は、直感的に実験をする一方で、最終的な仕上がりの細かい部分までとことんこだわるブライアン・ウィルソンのアプローチを裏付ける。
 「テイクにテイクを重ね、こちらが退屈になるくらい何度もやり直していたよ。音が八分の一拍子ずれたから、と言ってね。(略)
誰よりも自分に厳しく、おかげで周りの人間は苦しまされた。ミュージシャンとして、ブライアンと一緒に輝きたいと思うなら、苦しまなきゃならないのさ。だから僕はそこまで関わるのはやめようと決めたんだ。きつかったからね。」

崩壊

[ブライアンが精神世界を探求するようになり]
 最初に『スマイル』の一派から抜けたのがジュールス・シーゲルだった。「大変なんだ」とシーゲルはマイケル・ヴォンに言われたという。「おまえじゃないよ。おまえの女さ。彼女が魔女だから、ESPで脳波がおかしくなって仕事ができない、とブライアンが言っている」(略)
[デレク・テイラーは易経が元凶と指摘]
「最初、ブライアンに会った頃は誰もが明るくて、ひたむきな雰囲気だった。ところがある晩、易占いをブライアンがしたことがきっかけで、様子が変になり始めた。(略)
まだその部屋にいる誰一人として、完全に自分を把握しておらず、ひとつになってクリエイティヴな作業にとりかからねばならないと言われた。そしてすべてはあとで壊れるのだ、とも言われた。それぞれに別のことをやる運命にあるのであって、そこに引き止められていてはならないってね。」
 このように〔自分の予言を達成させるために予言に頼ること〕がブライアンにとって一種の習慣のようになった。
(略)
 しかしどんな予言もマイク・ラブの頑固さほど頑なではなかった。(略)
ドキュメンタリー番組『インサイド・ポップ ザ・ロックレヴォリューション』[後半](略)
カメラは「サーフズ・アップ」のヴォーカル録音が行われていたスタジオにビーチ・ボーイズを追った。この時、カメラが回っているその目の前で、マイク・ラヴがブライアンに「サーフズ・アップ」のような曲をやる意義がどこにあるのかと食ってかかったことに、ジュールス・シーゲルは驚いたという。この時にマイク・ラヴがとった行動は、ブライアンに対する〔従来のビーチ・ボーイズのやり方をいじくりまわすな〕というメッセージだったといわれている。(略)
結局『インサイド・ポップ』にブライアンは一人登場し、ビーチ・ボーイズのシーンはカットされた。

猜疑

「デレック・テイラーはビートルズの偵察隊として、アメリカ西海岸で何が起こっているかを報告させるために、こちらによこされた人間だった。(略)」とヴァン・ダイク・パークスビートルズの存在をほのめかす。
「(略)僕はデレック・テイラーがビートルズに《スマイル》を聴かせたと思っているよ。
(略)
あのことが彼の態度を一変させた。自分を守ろうとする気持ちが強くなり、自分のために働いている人間の忠義、クライアントの個人情報を守るべきスタジオのプロ意識というものを疑うようになった。(略)
ビートルズが本当に聴いたのか、その真相は確かではない。しかしブライアンは〔頭の中にあるものを奪っていくギャング〕、つまり一歩先をいく彼のテクニックを盗もうとする者からのプレッシャーを感じていたという。
(略)
おまけにキャピトルから何百万ドルという金をごまかされ、ブライアンは心を痛めていた。
(略)
ブライアン・ウィルソンのアイディアを他のプロデューサーが盗もうとしたケースはこれが初めてではなかった。(略)
[完成間近の〈グッド・バイブレーション〉の]トラックが数日間だけ〔行方不明に〕なったのだ。ブライアンは一瞬、全身が凍りつくほどの恐怖を覚えたという。」(略)
その原因が、元ブライアンのコラボレーターで、当時バーズやサジタリアスのプロデューサーだったゲイリー・アッシャーにあったことを、クロウダディ誌のポール・ウィリアムズはこう指摘している。「(略)ゲイリー・アッシャーがプロデュースとアレンジを手がけた曲「マイ・ワールド・フェル・ダウン」が、ブライアンがロスのコロンビアDスタジオに大切に保管していた《スマイル》のテープと酷似していた。それ以来、ブライアンは外部のスタジオを使うのをやめ、新居に4トラックのレコーディングスタジオを建てたのだった。」

Sagittarius - My World Fell Down

プレゼント・テンス

プレゼント・テンス

〈英雄と悪漢〉

「僕にレコードは送られてこなかったよ」とヴァン・ダイク・パークスは言う。
「(略)ブライアンがベラージオに引っ越したのと、僕が彼らと仕事をしなくなったのはほぼ同時期だ。初めてラジオで〈英雄と悪漢〉を聴いた時、びっくりしたのを覚えている。あんな風に曲をつなげ、ミックスしていたのかと。つまり、すべての決断が下され、レコードがリリースされた1967年7月の段階までには、僕が完全に〔輪〕から外れていたということだ。最終的に出来上がったものは、僕が予想していたものとは違っていた。実際、ラジオで聴くまで、一つにつながった曲を耳にしたことがあったかどうかも定かではないけどね。」(略)
ベラージオの自宅でレコーディングを行うようになってから、ビーチ・ボーイズにヒットが出なくなったことは(略)長年にわたって言われ続けてきたことだ。ウエスタンやゴールドスターやコロンビアでは、ビーチ・ボーイズがブライアンの邪魔になることがなかったからだ、とまで言う者もいた。
 「ビーチ・ボーイズがヒットを連発しなくなったのは、自宅にスタジオを移動したからだと思うよ」とハル・ブレインも指摘する。
 「他の連中が常にそばにいて、あれこれと〔物事を決め〕、口出しするようになったからだ。それまではブライアンがすべてを仕切っていた。ちゃんとしたスタジオでは、プロフェッショナルな環境があったんだ。」(略)
時間厳守、スタジオ代、残業といったことを気にする必要がなくなった。グループのモラルは乱れ始めた。さらに悪いことには、ビーチ・ボーイズがツアーに出てしまうと機材の大半が持っていかれてしまうため、ブライアンには彼らの不在中に作業することができなくなったのだ。このばかげた状況はグループによって、ブライアンを抑止するためにとられた手だった。

次回に続く。