啓蒙の民主制理論―カントとのつながりで

10年前にも読んでた→(米憲法は17世紀英国式 - 本と奇妙な煙

序文

カントの政治理論を例に挙げれば分かるように、啓蒙哲学のもつ真に民主的な志向は、現在誤って捉えられている。というのも、それを測るために、あの政治参加という基準が用いられ、今日なお政治参加が可能であるかのように思われているからである。それゆえ数ある思想家の中でもカントは、抵抗権を否認したがゆえに、官治国家的思想家であるとみなされている。その際見逃されているのは、次のことである。すなわち、カントは当時の絶対主義の要求に譲歩して抵抗権を否定したわけではなく、また上からの継続的な改革の必要を考えて抵抗権を否定したわけでもなくて、国民主権という近代的な原理を確立するために、前近代的な抵抗権を廃棄したという事実である。
(略)
近代的な問題を前近代的に理解することを拒絶したのであり、そのようなものとして「革命権」を拒絶したのである。革命権は矛盾を孕んでいる。すなわち、法権利システム全体の正統性の基盤を自ら転覆してしまうことが、法的に授与されるとともに法的に規制されうるような権限である、と考えられているのである。カントはフランス革命を正当化する際に、法の連続性にではなく、法を基礎づける法外的主権の連続性に定位したのであり、このような正当化のうちには、まさにカントの根本的志向がはっきりと示されている。すなわち、カントは、根本的な抵抗や革命にまで発展するような、制度化されないあらゆる草の根民主主義的なプロセスのために、法なき空間を確保しようとするのである。他方、国家機構の権力はすべて法制化されなければならない。したがってカントの政治理論は、法的に制度化された国民主権と法的に制度化されない国民主権との汎通的結合であり、相互的媒介であると解釈される。これに対して、リベラル民主主義的諸システムの憲法類型学の文脈において示されるように、今日、国民主権のこれら両構成要素は分離されており、この分離は一般に国民主権の機能停止に行き着くことになるのである。
(略)
カントの理論は、資本主義的近代化の過程において、一切の伝統的蓄積や実体的諸関係および諸価値が崩壊してゆくことをきわめてラディカルに明言し、同時に前向きな解決策を提唱している。
(略)
何が正しい自由使用であるかの決定は国家機構などに局限されてはならず、国家市民に委ねられなければならない。これと対応して、今日、法的判決の道徳化によって国家的制裁の要求が拡大され、社会的底辺層から道徳的論議が簒奪されているが、こうした法的判決の道徳化を分析する際の手がかりが、カントによる法と道徳の分離の基礎づけから得られるのである。

序論

 カントが共和制と名づけたのは、実在するいかなる民主制によってもこれまでにまだ達成されたことのないようなものである。
(略)
カントは、自由で平等な者たちの連合による社会の構成と、簒奪された権力による社会の事実的な樹立とを截然と区別した。この区別は歴史的実践によってのみ解消される、とカントは考えた。
(略)
 18世紀と取り組む際の中心的困難の一つは、国民主権という古典的カテゴリーには一見したところもはやいかなる意義も見いだされえないようにみえる、ということである。決定の場所も主体も未だ固定されえないような決定過程のシステム的自律化およびネットワーク化をみるならば、主権とか国民主権といった概念は、時代遅れであるかのように思われる。現代民主制理論が示しているのは、もはや社会的発展を制御することはできないという絶望が制度化されてしまったということであり(略)
公衆に残されているのはせいぜい完全な事実を注釈するという可能性の程度である。公衆に対して市民的不服従や象徴的抵抗が認められる場合ですら、その行動形態は問題とされる。(略)
民主制理論は、規範的潜在力を現状の記述に適合させてしまうことによって現実主義的になり、自ら考える以上に、啓蒙絶対主義の理論に近づく。
(略)
カントによれば、民主的主権にとっては実際、理性法によって基礎づけられた所有それだけが神聖不可侵なのであって、偶然的で、つねに暫定的でしかない所有配分は神聖不可侵であるわけではない。したがって、共和制の理念のうちに書き加えられているカントの根本的な前提は、すなわち、個人的所有なしには何人も自由ではありえないという前提は、万人が自由で、経済的に自立し、立法する能力をもつべきだという目標に対立するものではなく、むしろカントによればそれ自身、この目標の実現へと導いていく規範的原理なのである。
(略)
[最近の解釈者たちの]見解によれば、カントの主権概念はもっぱら道具的意味のみを獲得し、絶対主義的主権概念だけが目に映ることになる。(略)
カントによれば、絶え間なき自己主張を免れた、争う余地のない権力のみが法律による自己限定の能力をもつとされ、しかもカントにおいては、古典的抵抗権はこの過程にとっての阻害要因として現われるとされるからである。
(略)
近代国家哲学の伝統においては、市民戦争、「自然状態」、アナーキーの方が最大悪の場所を占めることになり、僭主政治はより小さい悪へと格上げされたのである。したがって近代国家哲学の思惟は原理的に抵抗に対して敵対的となる。「秩序(ないし平穏)よりも人間の権利の方が重要である。偉大なる秩序と平穏は普遍的抑圧の下でも達成されうる……」というカントの美しい『省察』はまるで存在しなかったか、あるいは、彼の他の著作と不整合であるかのようである!

抵抗権

抵抗権が封建身分制に由来することは、その現代的使用のうちにはっきりとした痕跡をとどめている。中世の抵抗権はそれ自身、一つの法的制度であり、それゆえ制度化され、法典として体系化され、裁判において決着がつけられるという機能を有し、そしてなによりも、原理的に自由裁量が不可能な法秩序に関連していた。抵抗権に訴えることによって旧来の特権は、台頭する絶対主義的革新から擁護されたのである。
(略)
抵抗が現行制度の護持という目的に制限されている点に民主制としての欠陥が存する。啓蒙の合理的自然法は、「主権をもつ国民」を現行憲法の番人に任命すると同時に、永遠に有効な憲法制定権力に任命したが、これに比して現代における抵抗権の多用は明らかに単純化を意味している。

誤解されたカント本来の理念

カント本来の理念は、この「基本法」が国民主権の原理そのものにほかならず、国民主権の側が憲法も含めて一切の法を初めて基礎づけるということにある。このカント本来の理念は、現代の法理解からすれば、暗礁に乗り上げてしまう。現代の法理解によれば、あらゆる政治や実定的法定立は、すでに与えられている憲法内容を直接に執行することである、とみられている。
(略)
すなわち、法のオートポイエーシスが意味するのは、法システムの回帰的再生産にほかならない。法システムはもっぱら固有の連結強制に従って成長し、そのシステムにとって異質な革新からシステムの限界を隔絶し、そのようにして社会の残余に対して自らの「主権」を主張するのである。
 このような国民主権に対する完全に閉鎖的な排除に直面して、カントの政治理論はただ「理解」される機会すらほとんどない。(略)
法律によって実定化されるような抵抗の権利などありえないというカントの洞察は、まさに草の根民主主義的な活動の一切を否定するものとして誤解されている。(略)
しかしながら、カントの論証はもともと、実定法によって授けられた抵抗の権限という中世的伝統に対して向けられていたのである。カントは民主的活動を法以前的なものとして基礎づけた。ところが、あらゆる民主的活動を極限まで法制化しようとする現代の一般的風潮が、カントの政治理論に関して広まっている誤解のうちに、無条件的に反映している。

国民主権 

カントは幸福を国家目的とすることを断固として拒否した。このことは、理性主義的禁欲と「他者」の排除・抑圧とからなる大いなるコンプレックスのせいにされているのである。
(略)
カントがかつて国民主権と名づけたものは、国家諸機関によって簒奪され分配され、国家諸機関は、分割された主権相互のバランスを保ったシステムの中で、身分制的憲法原理を再び活性化させている。

第三章 国民主権の法外的次元

および抵抗と革命との事実性

 カントにとっては支配も社会化もともに、完全に規定された意味で、総じてまったくの事実的な現象である。カントの契約説が批判されるのは、それがもはや統治契約を問題としないという理由からだけではない。
(略)
公共体はさしあたり純然たる事実性であるという結果となる。カントはこうした事態を言い表わそうとして、何度も暗中模索しながら言い換えている。「市民の結合や市民状態は契約には基づかない。なぜなら有効な契約は、どれもすでに配分的正義を要求しているからである」。「社会契約は国家設立の原理ではなく、国法の原理である」。「社会契約は国家憲法体制の規則であって、国家憲法体制の起源ではない」。「原始契約は市民状態の起源を説明する原理ではなく、市民状態がいかにあるべきかを説明する原理である」。要約すれば、社会契約はなんら事実ではなく、「理性のたんなる理念」なのである。ここから、公共体の創設にとって必然的な帰結が生じてくる。「権力が法に先行していなければならない」。その他の言明などからカントは、「正義は行なわれよ、たとえ世界は滅ぶとも」という抽象的な原理の擁護者であって、「世界」という名で呼ばれる具体的な生あるもの一切を法の犠牲に供することも厭わぬ人物である、と誤認されている。それだけでなく、同じく一面的ながらまったく逆に、カントは、権力理論家であって、純然たる事実上の権力の方を原則的に法ないし権利よりも高く評価するような人物である、とも誤解されている。(略)
 さてカントでは統治契約は無用であり、社会契約は擬制である。これらが意味するのは、支配も社会も事実上さしあたり完全に法外的であるということである。しかしながら、カントの有名な言葉、「あらゆる支配は事実上簒奪されたものであり、時とともに……立憲的になる」べきである、という章句が、統治契約の欠如を意味するとすれば、社会契約の理念も、なにか既存の社会化を解釈するのに役立つのではなく、むしろそれを批判し変革するのに役立つ。これもまた、統治契約の不在を意味しているが、この際支配の「立憲化」は、後から契約によって支配を囲い込むという方法では達成されえず、むしろ社会契約を実現することによって達成されうる。社会が、自己立法の権利を獲得した自由で平等な人々の連合となるときに初めて(これこそカントが「国民」と呼ぶものにほかならない)、自立的な政治支配は同時に国民立法のたんなる執行のうちに解消するのである。こうしたアプリオリな意味における支配の立憲化が意味するのは、統治契約説におけるように、社会が支配のパースペクティヴから主題化されるのではなく、むしろ反対に、支配が社会化の原理に服従しなければならない、ということである。
(略)
立法する国民の力は法の上に君臨し続ける。カントの定式化によれば、立法的主権は「市民的状態の外に」存する。立法的主権が問題となる限り、「権力が(ここでは主権を意味する)法に先行しなければならない」というカントの命題は、歴史記述的言明ではなく、指令的言明を含んでいるのである。
 しかし政治的支配がまだたんなる事実的支配であるかぎり、カントによれば、その支配に対する抵抗もまたまったくの事実的な抵抗にとどまり、したがって法外的性格を保持し続ける。革命における国王の殺害や処刑といった極端な例を論ずるとき、カントのこうした傾向はきわめて明白になる。いずれにせよカントは、暴力的形態の国家変革を断固として否定しているが、他方、国王の殺人に関して奇妙な区別を導入している。
(略)
カントは、君主の殺害の例においては、「自己保存」という名目で国民に対して、君主の単純な廃位に関して用いていたのと同じ「緊急権という口実」を「少なくとも」認めている。しかし他方、裁判による国王の死刑判決と処刑に対しては、カント実践哲学において見られる中でも最悪の評決が下される。正式の処刑は、殺人のような、国家法の規則からのたんなる逸脱ではなく、国家法の諸原理そのものの廃棄であるので(略)不法そのものが格率へと高められたような出来事として現象する。しかし国家法の根本原理によれば、国民は君主を「罰するいかなる権利」ももたないのである。
(略)
国王の正式の処刑という特殊な犯罪は、たんに現行の法律に対する違反ではなく(その場合には殺人であろう)、「法律の源泉」の破棄であり、それゆえ立法的主権者の排除であって、しかも、それ自身実定法に基づくような手続きを利用して行なわれるのである。それゆえカントによれば、法が法を定立する主権者よりも優位に立つということは国家法の根本諸原理の「転倒」であり、これが原則にまで高められてしまえば、転覆された国家を再建することは不可能になるにちがいない。それに対して、君主の殺害はきわめて寛大に評価されるのであって、それは純粋な事実性の原理、すなわち、法以前的主権に対抗するのは法外的抵抗行為である、という原理に従っている。
(略)
国家は固有の法目的を追求してはならず、また法目的の本質はもっぱら諸個人の権限を両立可能にするという点にあるのだから、カントにおいては国家の強制する権能は、もっぱら相互に自らの自由の領域を防衛しあっている諸個人の「相互的強制」に奉仕する独占的サービス機能としてのみ構成される。この意味においても、抵抗行為はたしかに国家による権力の独占に対峙しているが、国家独自の「法」に対して対峙するわけではない。したがって、カントの構想においては、革命家の登場を許す「入場券」が要求されることなどまったくないのであるが、このカントの構想においてすら、国家権力に対する国民の非合法的暴力だけは認められるのである。しかし、国家権力が国民の非合法的暴力に対して正統性の点においてなんら優るわけではない。「簒奪者は常に不法であるが、国民は彼に対してなんら権利をもたない」という、カントのきわめて謎めいた嘲笑的な格言は、支配者と(まだ主権者となっていない)国民との間のこうした関係の事実性を的確に表現しているのである。

次回に続く。

 

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