ポストキャピタリズム ポール・メイソン

ポストキャピタリズム

ポストキャピタリズム

『金融化』(financialization)

この言葉は新自由主義ブロジェクトの核心を突いていて、理解を深めるために必要な言葉だ。(略)
1 企業は、銀行から離れ、事業拡大に資金を供給する開放された金融市場に乗り換えた。
2 銀行は、顧客を収益の新たな源泉として見るようになり、投資銀行業務と呼ばれる一連の高リスクで複雑な業務に目を向けた。
3 顧客が金融市場に直接関わるようになった。クレジットカードや当座貸越、モーゲージ、学生ローン、自動車ローンが日常生活で当たり前のように利用されるようになった。今日では、経済における利益の割合が増加する要因は、従業員の雇用や給料で購入される財やサービスの供給ではなく、彼らに金を貸すことである。
4 現在、あらゆる単純な形の金融が、複雑な金融に市場を生み出し、それが鎖のようにつながっている。住宅の購入者や自動車の所有者が、このシステムのどこかで財務収益を生み出しているということだ。携帯電話の契約、ジムの会員、住宅のエネルギーなど、あなたが定期的に支払っているあらゆるものが、金融商品に組み合わされ、投資家の安定した利息収入を生み出している。
  その投資はあなたが商品を買うと決めるずっと以前に行われている。これは、会ったこともない人が、あなたがその支払をするかどうかに賭けをするようなものだ。

『経済学批判要綱』

 舞台は1858年2月、ロンドンのケンティッシュ・タウン。マルクスはドイツでは指名手配中だった。革命を志して10年が過ぎたがその先行きを考えると憂うつになるばかりの日々を過ごしていた。そして、ウォール街で株価が急落し、欧州中の銀行が経営破綻に陥った。早朝4時、マルクスは、ずい分前から約束していた経済学の本を急いで書き終えるところだった。「一晩中頭がおかしくなったように執筆に勤しんだ。だから、少なくとも、大混乱に見舞われるまでに概要をはっきりしておきたい」と心境を打ち明けている。
 マルクスが持っていた資料は限られていた。大英図書館の利用者証を持っていたので、最新のデータにアクセスできた。昼間はニューヨークトリビューン紙に英語で記事を書いた。夜になると、ドイツ語のやや読みにくい走り書きの字で8冊のノートを埋めた。それらは、つきることのない意見と思考実験とメモ書きの草稿だった。
 ノートの内容はまとめて「Grundrisse」と呼ばれ、『経済学批判要綱』という題名に訳されている。草稿は長い間読まれることなく、エンゲルスの手によって保管された。1920年代にソビエト連邦に買い上げられるまで、ドイツ社会民主党本部で保管されていた。西側諸国では1960年代終わりまで人の目に触れることなく、1973年になってようやく英語に訳された。学者たちは、1858年の寒々とした夜にマルクスが書き上げた草稿を読んだとき、「マルクスについて誰もまだ思いついていない解釈までをすべて取り上げようとする内容だ」と認めている。それは「機械についての断章」と呼ばれている章だった。
 「機械についての断章」は、大規模産業が発達するにつれ、労働者と機械の関係が変化する、という内容で始まる。初期の産業にあったのは、人間と人間の手で動かされる道具と製品だった。しかし、そのころには機械が道具に取って代わろうとしていた。「労働者が自然過程を産業過程に変えて、自身と非有機的自然の間に手段として挿入し、それを習得する。労働者は主体ではなくなり、生産過程の脇に寄ることになる」と描写されている。
 マルクスは、機械の主な役割は生産で、人の役割は機械を監視するという経済を想像した。
(略)
 マルクス主義が、労働時間が奪われることを基盤とする搾取の理論となると考えると、これは革命的な意見と言える。知識がそれ自体で生産力となり、機械を作るのに使う実際の労働よりはるかに重要だとすると、大きな問題は賃金と利潤の対立ではなく、誰が「知識の力」をコントロールするか、ということになる。
 そこで、マルクスが爆弾発言をする。仕事のほとんどを機械が行う経済では、人間の労働とはまさに機械を監視し、修理し、設計することになる。機械の中に閉じ込められた知識の本質が「社会的」となるに違いないというのだ。
 現在の例を使って説明しよう。もし、今日ソフトウェアを開発するプログラマーが、ウェブページとデータベースをつなげるコードを書くためにプログラム言語を使ったとすると、彼女は明らかに社会的知識を使って働いている。(略)
開発に取り組んでいるコードを、彼女自身が所有していないことは明らかだ。しかし、彼女を雇用している会社も同様にその一部でさえ所有することはできない。会社は彼女が作成したコードはすべて合法的に特許を受けることができる。(略)けれど、そのコードには、特許を受けることができない、ほかの人が以前に書いたコードが数多く含まれている。
(略)
 プログラマーが道具として使ったプログラミング言語についても同じことだ。これは、数万人もの人々が自身の知識や経験を提供して開発されている。
(略)
生産力をけん引するものは知識であるということ、そして機械に蓄積された知識は社会的であるということだ。これらの考えからマルクスは次の結論を導き出した。
 まず、高度に機械化された資本主義では、より優れた知識によって生産性を高める方が、労働時間の延長や作業を加速させるよりももっと利潤を増やせる、ということだ。
(略)
知識が主導となる資本主義は、その価格メカニズムを維持できない。社会的知識の形では、投入を適切に評価することは不可能だからだ。また、知識が主導となる生産は、富を制限なく生み出したり、労働時間の延長に依存せずにすんだりすることにつながる。
(略)
 マルクスの論によると、知識が主導となる資本主義では、「生産力」と「社会的関係」との間に矛盾が生じているという。これが「資本主義の基盤を吹き飛ばす物質的条件」を形づくることになる。
(略)
 「機械についての断章」を「マルクスを超えたマルクス」として描き出したのはイタリア人の左派アントニオ・ネグリだった。

2つの可能性

 現在の資本主義における主な矛盾は、財が無料で社会的に潤沢に作られる可能性と、権力と情報の統制を維持しようともがく独占、銀行、政府のシステムとの間に存在している。つまり、あらゆることがネットワークと階層制との闘いによって広まっているのだ。
(略)
 この先、私たちには基本的に2つの可能性がある。1つ目は、新しい形の認知資本主義が現れて安定する。これは企業と市場とネットワーク化された協働が組み合わされていることが基盤となる。そして、産業システムの残骸が、この第3の資本主義の中の混乱のない場に落ち着く。2つ目は、ネットワークが仕事と市場システムの合法性を損なわせる。もし、そうなれば、衝突が起き、市場システムが廃止され、ポスト資本主義に取って代わられる。
 ポスト資本主義は多くの異なる形を取ることがある。本書でこれまで見てきたように、例えば、膨大な数の商品が安くなったり無料になったりすると、市場原理に関係なく、その商品を作り続ける、ということがあるだろう。また、仕事と余暇、時間と賃金の関係があいまいになるとそれが制度化される、ということもあるはずだ。

限界効用理論

 マルクスと同様に、主流派経済学の創設者たちはリカードが提唱した理論に穴を開け始めた。リカードの利潤についての説明は一貫していない、と彼らはこう言った。「この説明では何一つうまく機能しない」。そこで彼らは、経済学を異なる領域に移した。価格、需要と供給、賃貸、税、利子率の動きを観察しやすくしたのだった。
 彼らが考え出したのは限界効用理論だ。簡単に言うと、本来はどんな商品にも価値はなく、買い手が商品を買うときにだけ価値が生まれる、ということだ。
(略)
 限界効用理論派は表面的に、経済を哲学から解放しようとした。(略)資本主義は効率的で富を増やすということが正当化されるべきだ、とワルラスは言った。
 しかし、限界効用理論派には極めて重要なイデオロギーがあった。市場は「合理的」であるという想定だ。(略)
抽象的モデルを使い(略)倫理や哲学の要素から一時的に離れることになった。
 限界効用理論派が達成すべきことは、自由で完全な競争によって支配された市場は「均衡」にならなければならないと示すことだった。
(略)
 限界効用理論派の、この時が永遠に続くという妄想と未来の事物への敵意は、資本主義が変化も変異も滅亡もしない形であると思い込むためのすばらしいモデルを作った。
 しかし、残念ながら、そういうものは存在しない。
(略)
情報財の出現は、限界効用理論経に根本的に難問を突き付けることになった。なぜなら、限界効用の想定は希少性であるが、情報は潤沢にあるからだ。例えば、ワルラスは「制限なく増加できる生産物などあるはずがない。社会的富を構成するあらゆるもの……は限られた量でしか存在しない」と断言している。
(略)
 情報財は潜在的に量に限界がなくても存在している。それが、本当の意味で生産の限界費用がゼロとなる例だ。さらに、物理的な情報技術(記憶保存と無線帯域幅)の限界費用も崩壊してゼロに近づいている。一方、ほかの実物商品の情報量が増加し、より多くの商品が生産コストの急激な低下の可能性にさらされている。これらすべてが、限界効用理論派が完璧に説明する価格メカニズムを崩壊させているのだ。
(略)
限界効用理論派により説明されるような価格メカニズムは崩壊するだろう。なぜなら、限界効用理論派は価格の理論と価格だけを見ているからだ。価格ゼロの商品や共同使用の経済空間、非市場の組織、非所有の製品の世界を限界効用理論では理解できない。
 しかし、労働価値説ならそれができる。実際、労働価値説は、それ自体の崩壊を予測し、調整する。つまり、生産性を駆り立てる社会の形と生産性自体の衝突を予測する。
 マルクスが描いたように、労働価値説では、自動化によって、必要労働が減り、仕事が選択的になるほど量が縮小することになり得ると予測した。人間の労働量が少なくなることで便利なものができるだろうが、おそらく最終的には無料や共同使用、共同所有に落ち着くことになるだろう。これが正しいのだ。
(略)
 価値の一部が社会的知識と公共科学によって無料で投入されている機械は、労働価値説にとって異質的な概念ではない。これらは、労働価値説の中心に据えられている。しかし。マルクスは、もし、これらが多数存在したら、労働価値説に基づくシステムを破壊させることになる、と考えた。「粉々に破壊する」と「機械についての断章」の中で述べている。
 マルクスが『経済学批判要綱』で使っている例がそのことを明確にしている。永遠に動く機械、つまり、労働なしで作れる機械は、それが作る生産物の価値に労働時間を付け足すことはできない。もし、機械が永遠に動くことになれば、そこから永遠に生産物に移行する労働価値はほぼゼロとなり、そのため、各生産物の価値が減少する。

組織と市場

 こうした思考実験はノーベル賞受賞者ハーバート・サイモンにより実施され、1991年に「Organisations and Markets(組織と市場)」と題する有名な研究論文にまとめられている。その中で、火星人は地球に近づき、地球の経済にある3つのものを発見した。組織(いくつかの緑色の大きな球)、市場(緑の球をつなぐ赤色の線)、内部の階層制(組織の中にあるつながった青色の線)だ。火星人がどの地点で見ても、システムを支配している色は緑色だった。そして、「地球は市場ではなく、主に組織で構成された社会だ」というメッセージを火星に送った。
 これは、ソビエト連邦が崩壊し、西側諸国が市場の勝利を宣言した年に書かれており、政治的な視点が色濃く出ている。サイモンが生涯にわたり考えてきたことは、どのように組織が機能するかということだった。彼の論文は、自由市場に関する発言にもかかわらず、資本主義体制は、市場原理に直接導かれない方法で、内部的に計画され、財を分配する組織で主に構成されていることを説明するために引用された。
(略)
このモデルの時間を1991年から現在に進めてみよう。どんな構図になるだろうか。
 まず、もっと細い赤い線がたくさん現れる。これは、バングラデシュ若い女性が農地を離れて工場に働きに出て、彼女の賃金によって生じている。彼女が近所のベビーシッターを雇って子どもの世話を頼むと、新たな市場取引が生まれたことになるので赤い線が増える。彼女の管理者は十分儲けているので、健康保険に入り、銀行に利息を支払い、息子に大学の費用を送るために融資を受けている。グローバル化と自由市場がさらに赤い線を増やす。
 次に、緑の球が割れて、より小さい球をいくつか形成する。これは、企業や国家の中核ではないアウトソースの業務を示している。青い点の中には緑色に変わるものもある。つまり、労働者が自営業者となるということだ。米国では現在、労働力の20%が自営業の「経営者」だ。彼らが儲ければ赤い線が増える。
 それから、赤い線がより長くなり、世界中に伸びていく。彼らが仕事に出ているときも、その動きは止まらない。売買がデジタル化されているため、仕事のある日の就業中でも就業外でも関係なく商取引できるからだ。
 最後に、黄色の線が現れる。
 「すごい!」と火星人の宇宙船の司令官が叫ぶ。「この黄色の線は何だ?」
 「これは面白い」と宇宙船の経済学者。「新たな現象を発見した。黄色の線は地球人が財や労働やサービスを交換していることを表しているようだ。けれど、市場を通じたり、従来の組織内で行われたりせずに、この者たちがほぼ無給で実施している。これらの線がどれほど太いのかは見当もつかない」
 この時点で、火星人の爆撃手が引き金に指をかけている。ボグダーノフの小説にあるように、共産主義を達成する能力がないことへの罰として、人類を滅亡させてよいか、許可を求めているところだ。
 おそらく、司令官はこう答えるだろう。「待て!この黄色の線は面白そうじゃないか」

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