いかにして民主主義は失われていくのか――新自由主義の見えざる攻撃

フーコーの先見性

 1978年から79年にコレージュ・ド・フランスで行われた、フーコー新自由主義的理性にかんする講義を読んだ者は、(略)彼の非常にすぐれた先見性に、強い感銘を受けるだろう。(略)
当時、批判的な知識人は、新自由主義を[北が南に強制したもの](略)南北格差につれて再形成されたもの、植民地主義の余波で南半球を安い資源、労働力、生産の供給源として再確保したもの[とみなしていた]
(略)
1970年代と1980年代初頭の新帝国主義の研究者は、ラテンアメリカ、アフリカ、アジア、カリブ海地域の一部で行われていた新自由主義的経済実験の重要性を把握していたが、それが宗主国にも存在することを見抜いていた者はめったになかった。(略)サッチャーレーガンはいまだ政権についていなかった。ヨーロッパの福祉国家はいまだ文明化された西洋の指針であり未来であったし、1970年代半ばの左翼的な人びとの大部分にとっての問いは、いかにしてそれを守るかではなく、社会民主主義に向かって――あるいはそれを超えて――福祉国家を推し進められるかどうかだった。
 こうした背景に照らすと、フーコーの講義のすばらしさがわかる。この講義では、いかに自由主義が1950年代以来新自由主義に姿を変えてきたか、いかにこの理論が政治的実践と政治的理性に忍び込んできたか、いかにその寄生虫が覇権的なケインズ主義の内部に棲みついていたか、そして実は、1960年代にはいかに多くのヨーロッパ諸国が新自由主義的原理を福祉国家主義に混入し始めていたか、フーコーがその痕跡をたどっているのがわかる。
(略)
フーコーは、新自由主義が1980年代の新右翼のポピュリストによる政治的反逆ではなく(略)
[1925〜75年]にかけて「出現」し、彼の講義の時点ではすでに「資本主義の多くの政府のプログラム」であると述べている。こうしたことすべてが、フーコー新自由主義が従来的な説明とはっきり異なることを示す手がかりである。
(略)
新自由主義によるあらたな不平等と富の集中の形成、人びとの根こぎと貧困、公共と社会的連帯の解体にたいしては、彼は比較的無関心であるように見える。むしろ彼の関心は(略)いかにこの新しい政治的合理性が「法権利の主体と経済主体のあいだの関係」という、まったく新しい問題を提起するかということにあったのである。とりわけ彼は、新自由主義による自由主義の「再プログラム化」、国家、経済、主体の関係と目的のラディカルな再編成に魅せられていた。

新自由主義の特異性

 フーコーは、1978年から79年のコレージュ・ド・フランス講義を、国家権力のさまざまな種類の限界を考察することから始めている。初期近代の君主制ヨーロッパにおける国家理性は、彼が論じるところによれば、外圧による自己制限の実践であった。国家間の競争によって、すべての国家はその他の国家の権力行使を制限することになった。他方、内政的には、法律や司法上の実践がフーコのいう権力の「乗数」として機能し、王の権力を制限するよりはむしろ拡張する。しかしながら、17世紀になると、議会とブルジョワ階級が勃興し、それらと相関して君主と貴族の権威にたいする挑戦が広がるにつれて、法と権利は国王の権力の強化を拡大するよりはむしろ制限するようになった。司法理性は国家理性と対立し、国家理性をつくりあげたり強制したりする原因ではなくなり、国家理性を制限するようになった。18世紀の半ばには、また別の制限の原理、すなわち市場原理が登場した。権利は主権の制約であり続けたが、フーコーのいう「市場の真理陳述」の原理がいまや存在論的、認識論的、政治的な主権の再調合を促し、主権はたんに制約を受けているだけでなく、国家とその正当性のあらたな形態を生み出したのだった。市場が真理ないし真理陳述のあらたな現場となるとき、それは国家から自由であるべきものとなると同時に、国家を形成し、測定し、正当化するようになり、この意味において、法と命令に置きかわるようになった。
(略)
フーコーは、18世紀半ばに資本が統治を支配するようになった、あるいは国家が資本装置になったと言っていたのではない。むしろ、彼の論点は、市場(略)が、たとえその理性の特有の形態で国家を満たし、解釈し始めたとしても、国家にたいするあらたな制限になっているということ、そしてこの制限とこの理性の形態が、私たちが「自由主義」と呼ぶものの中心にあるということである。自由主義ないし新自由主義が実際に自由市場を先導するなどと論じることはけっしてないまま、ポリティカル・エコノミーが国家のあらたな理性となり、統治しすぎない方法を確立するのだと、彼は論じている。
(略)
フーコーの語りにおいては、自由主義はその中心において人権ではなく市場の統治性とともに誕生する。
(略)
新自由主義の特異性は、フーコーにとっては、それが「市場経済の形式を一般化する」あるいは「社会体(略)の内部において「企業」形式を一般化する」という点にあり、それによって「社会領野全体の経済化」を生み出すのである。このように、フーコーの主張によれば、新自由主義はたんに「古い経済理論の再活性化」ではない。それはたんに「社会に厳密な市場関係を確立する方法」ではないし、「一般化された国家権力を(略)覆い隠すもの」でもない。簡単に言えば、それは「復活したアダム・スミス」、「『資本論』第一巻で判読され告発されていた商業〔市場〕社会」あるいは「地球規模のソルジェニーツィン」ではないのだ。彼はこのような、新自由主義を理解するための分折枠組みを紙幅を割いて非難している
(略)
 何よりもまず、それは市場経済を自由放任の政治原理から切り離すことを意味しており、ここにフーコーの(略)政治的論争への学問的介入のラディカルさがある。新自由主義は、国家が経済を放任するという話なのではない。むしろ、新自由主義は、国家を経済のために活性化するが、それは経済機能を引き受けたり、経済効果に介入したりするためでなく、むしろ経済競争と成長を促し、社会的なものを経済化するため、あるいは、フーコーが言うように、「市場によって社会を規制する」ためである。
(略)
すなわち、経済は同時にモデルとなり、対象となり、プロジェクトとなるのだ。つまり、経済原理は国家の行為の主要なモデルになり、経済は国家の関心と政策の主要な対象になり、そして諸領域と行為の市場化は国家があらゆるところに散種しようとするものになる。同時に、経済そのものは脱自然化され、自立した存在としての自由主義的地位を失う。そのかわりに、経済は国家による支援と保守を必要とするものとして理解される。
(略)
 新自由主義国家はこうして自由主義国家から離脱し、三つの意味でラディカルに経済化する。つまり、国家は経済を保障し、発展させ、支援するのである。国家の目的は経済を促進することであり、国家の正当性は経済成長に結びつけられている
(略)
新自由主義者にとっては、国家が市場によって定義され管理されるべきなのである。簡単に言えば、国家そのものが経済化されるべきなのだ。

不平等はあらゆる領域で正当化され、生産性は生産物より優先される

もっとも重要なことに、等価性が交換の前提であるとともに規範であるが、不平等が競争の前提であり結果である。その結果、新自由主義の政治合理性が完全に実現するとき、市場原理があらゆる領域に拡張されるとき、不平等はあらゆる領域で正当化され、規範化すらされる。
(略)
[さらに]人的資本が労働にとってかわる。競争が市場の根本原理になるとき、あらゆる市場の行為主体は、生産者、売り手、労働者、顧客、あるいは消費者ではなく、資本とみなされる。資本として、あらゆる主体は、いかに小規模で貧困化し、資源に乏しかろうとも企業家とみなされ、人間存在のあらゆる側面が企業家として生産される。
(略)
[これは]古典的な自由主義よりもいっそう、階級の可視性と反復可能性を曖昧にする。そのことはまた、マルクスの考えたような疎外と搾取の基盤を抹消してしまう。そして、労働組合、消費者団体、その他、カルテル以外の経済的連帯の形態のための理論的根拠を完全に潰してしまうのである。
(略)
生産性は生産物より優先される。企業は消費ないし満足よりも優先される。
(略)
経済は、その保証人である国家の正統性を生む。(略)
ゆえに、「要は経済なんだよ、バカ!」はたんなる選挙スローガンである以上にずっと重要で、新自由主義の政治生命を規定しているのだ。

フーコーの枠組みの問題点

フーコーが近代主体の統治について語るとき、彼は奇妙に限定的な自由主義の言語で語るのである。統治は国家に端を発し、つねに人口と主体にたいして作用する
(略)
政治的身体は存在しないし、(たとえ挿話としてであれ)いっせいに行動し、主権への情熱を訴えるデモスも存在しない。底辺からの社会的力はほとんどないし、共有された支配権力や共有された自由への闘争も存在しない。これらの欠如は、政治理論としてのフーコーの仕事の恒常的な限界であるが、とくに新自由主義についての講義においては重大な意味がある。個人は解放されている、あるいは統治のために解放されていると言ってよく、統治は政治的なものの領域すべてを覆っている。それゆえ、フーコーの系譜学と統治理論、統治性、生政治には、主体は存在する――生産され、統治され、抵抗する主体である――しかし、市民は存在しないのである。
 結果として、フーコー新自由主義的理性の説明を、民主主義的な政治的生や市民性との交錯ないしそれにたいする影響の考察にはつなげない。これらの領域のつくりなおし、侵食、変容は彼の分折では無視されており、抵抗は、たとえ出現するとしても、他の形態や場所でのみ起こる。フーコーの分析の座標は、彼に次のような問いを発することを許さない。新自由主義的合理性は、民主主義、つまり民主主義の原理、制度、価値、表現、連合、諸力といったものにたいして、どのような影響をもっているのか?
(略)
 フーコーの思想におけるこうした欠落は、熟考に値する――なぜ欠落があるのか
(略)
すなわち、悪名高い、1970代のマルクス主義への敵意によって生み出された制約である。わたしがすでに示したように、マルクス主義にたいする持続的な批判がこれらの講義全体を貫いており、その批判にはマルクス主義的認識論、歴史記述、経済分析、政治分析がすべて含まれている。フーコーは、マルクスの思想における「資本の論理」と、より一般的なマルクス主義的論理にたいする批判を提供する。彼の主張では、統治にかんするマルクス主義理論がないということが、実存する社会主義国家における、派生的でひどくやせ衰えた政治合理性と彼がみなすものにたいして、責任を負っているのである。
 マルクス主義的なカテゴリー、論理、歴史記述をいっさい拒否することによって、フーコーは政治経済の出現のあまり理論化されていない側面を引き出すことができるし、自由主義、国家、経済、近代主体の関係のまったく新しい演出が可能になる。しかし、マルクス主義を拒否することは、とくに新自由主義にともなう独特の支配を評価する際には、損失になる。
(略)
フーコーは歴史的、社会的力としての資本そのものから目を反らしていたのである。(略)
資本について言及があるときは、たいていそれが必然的に支配の論理に従うか、支配の体系をともなうという考えを軽蔑するためである。
 しかしながら、資本と資本主義は理性の命令に還元可能ではない。「結局のところ、わたしたちは富を生産しなくてはならないのと同じように、真理を生産しなくてはならないし、実際には、わたしたちは富を生産するためにはまず、真理を生産しなくてはならない」と言ったフーコーは確かに正しい。だが、資本の命令も影響も、真理の体制としての資本主義に完全に帰することはできない。
(略)
資本はその権力と正統性を維持するため、より正しくは、権力としての正当性を維持するために、ある種の真理を流通させる。マルクス自身、資本の生産と再生産を確保する際のフェティシズムと物象化の役割を不要にすることはできなかった。しかし、このことは、資本主義の体系的な欲動から発せられる命令を理解する手助けにはならない
(略)
 はっきり言えば、わたしの議論は(略)
単純に、資本主義がいかなる言説にも否定することのできない欲動をもっているということが言いたいのである
(略)
つねに人間の世界に、経済の作用や循環を超え、その目的を超えて、関係、配置、主体の生産といったかたちを与えている。これが、マルクスが『共産党宣言』で非常に詩的に描写し、『ドイツ・イデオロギー』で体系化を試みた、資本の世界形成の力である。
(略)
もし、この側面が新自由主義の理論化において無視されてしまったら、そしてそれがこの講義のなかで起こっていることなのだが(理由の一部は、フーコーが政治的合理性を追究しようとしていて、資本の形態を記述することを目的としていなかったからだが、彼の人生のこの時期における、マルクス主義にたいする深い敵対心のせいでもある)、政治的合理性と経済的強制力のあいだにある複雑な力学をわたしたちは把握できないだろう
(略)
フーコーはあきらかに、自由主義新自由主義が約束する「自由」に興味をそそられていた。わたしたちがそうした自由をつうじて統治されうることを彼は知っているが、自由という名で呼ばれるものが決定的な支配権力を無視し、言説的に反転させさえするというマルクス主義の論点を否定している。ブルジョワ的自由は、「大いなる進歩」ではあるが、それにもかかわらず、人間が作った権力、誘導はできても統制はできない権力からの疎外と、そうした権力の支配によって妥協させられているという、初期マルクスの命題を、彼は拒絶する。交換の王国での自由は生産の王国の搾取と支配という基盤の上に鎮座しているという、後期マルクスの議論も、彼は拒絶する。ここでのわたしの論点は、マルクスをもちいてフーコーを正そうというのではなく、マルクスの資本分析のある次元をもちだして、フーコー新自由主義的理性の評価と融合させて新自由主義の脱民主化にかんする豊かな説明を生み出すことである。

権限委譲と責任化

権限移譲は、指令ではなくインセンティブを与えることによる、ある種の新自由主義的改革を発動する。たとえば、数年前、わたしの大学組織は、被雇用者の福利厚生を支払う責任を個々の学部に委譲した。このごく小さな変化は、学部にいっそう多くの非常勤教員や職員を雇用するようインセンティブを与えることによって大学をすっかり変えてしまったが、つまりそうした教員や職員は、五割以下の勤務時間だと、福利厚生を受給する資格がまったくなかったからである。こうして、融通が利き、保護されず、賃金の低い労働力が、それなりの雇用保障を健康、障害、退職の手当とともに享受していた労働力にとってかわるようになる。このような目的はどこにも定められていないし、指令も出ていなかった。むしろ、権威のより小さく弱い単位への委譲が、そうした単位のあいだの競争の種をまくことと組み合わさると、その結果は、政治科学者ジョー・ソスが「規範的執行において強力であると同時に、組織においては散漫」と記述したようなガバナンスの様式になる。
(略)
権限委譲は、意思決定と資源供給を権力と権威のパイプラインで送り出す。他方、責任化は、とくに社会政策としては、パイプラインの出口における存在に道徳的な負荷をかける。責任化は労働者、学生、消費者、あるいは困窮者にたいして、繁栄し、生き残るために自己投資と企業家精神の正しい戦略を見極め、実行せよという負担を強いる。この点において、それは人的資本化の表明である。
(略)
 責任化は、権限委譲に本来的に含まれているものではない。委譲された意思決定にはあきらかに、よりエンパワーメントにつながり、より民主的でもありうるような潜在的可能性がある。地方の権限と意思決定が右翼からも左翼からも、アナーキストからも宗教原理主義者からも要求されることを思い出すがよい。しかしながら、権限委譲と責任化が結合すると(略)個人は二重に責任化されることになる。つまり個人は、自分自身の身を守ることを期待される(繁栄していないと非難される)が、それとともに、良好な経済のために行動することを期持される(繁栄していないと非難される)。そして、ギリシャの労働者、フランスの年金生活者、カリフォルニア州ミシガン州の公務員、アメリカの社会保障受給者、英国の大学生、ヨーロッパの新移民、公共財のすべては、自分の面倒を自分で見るかわりに旧世界の社会保障を稼働させる泥棒のような依存者であるばかりか、借金で国家を沈没させ、成長を妨げ、グローバル経済を破産の危機に陥れるとして非難されるのである。おそらくより重要なことだが、こうした人たちが非難されなくとも、責任化の規範にちゃんと適合していたとしても、健全なマクロ経済のためにとられる緊縮財政政策は、彼女ら、彼らの暮らしや生命を合法的に破壊するかもしれないのだ。
 このように、責任化された個人は自分の面倒は自分でみるよう要求されるのだが、それは、そうするための能力が著しく限定されるような権力と蓋然性の文脈においてなのである。

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