エンピツ戦記 - 誰も知らなかったスタジオジブリ

順番を飛ばしてこれを最初に。
 

宮崎駿の下で働くこと

[『夢と狂気の王国』で]
鈴木さんが宮崎さんについて「人のエネルギーを自分のエネルギーに変える天才」と言うと、「宮さんにとって、あらゆるスタッフはみんな下駄だからね」と庵野さん。
(略)
 「宮崎監督と一緒に働きたいと思ってジブリに入った人が、途中でやめてしまうのは、どうしてだと思いますか?」[という監督の質問に]
 映画をご覧になった方も多いと思いますが、私はこのように答えました。
 「宮崎さんの要求に応え続けているうちに、くたびれてしまう人はいると思うし、結局、要求に応えきれずに、脱力してしまうっていうか、ダメだったって挫折しちゃう人もいるかな。(略)
うまい人は平気なのかなと思うでしょ。でも(略)うまければうまいほど、要求はやっぱりあるし、あんまりこんなことを言うと不謹慎かもしれないけど、自分を守りたい人はそばにいないほうがいいかもしれない。ある程度、自分を犠牲にしてでも、得たいものがあるとか、一緒に仕事したいっていうことがあるんだったらいいけど、自分のささやかなものを守りたい人は、あまり長くそばにいると、つらいかもね」
 手を休めずに作業しながら話していたので、ちょっと暗いというか、素っ気ない口調になっていたかもしれません。もう少し補足して説明したいと思います。(略)
確かに宮崎さんは、ナチュラル・ボーン・ヴァンパイアのようなところがあると思います。(略)
 宮崎さんは自分の若いころを思い出させるような才能あふれる若者を求めていて、そういう人が近くにいると喜びます。そして無意識に、その才能をどんどん取りこもうとします。そこで若者のほうも負けずに、師匠である宮崎さんの「血」をたくましく吸い返せばいいのですが、宮崎さんと互角に渡り合える若者は、そうそういないのですね。ただ、それを「吸い取られた」と思うのか、「薫陶を受けた」と思うのかは、その人の考え方によります。
 宮崎さん自身、そうやって高畑さんから吸収した人だと思います。宮崎さんにとって高畑さんは、師匠でありライバルでもあり、高畑さんのハイレベルな要求に応えて献身的に働きながら、その一方で、高畑さんの演出術やものの見方、考え方、知識などを貪欲に吸収して、自分を鍛えていったのでした。師弟関係というのはそういうものではないでしょうか。(略)
ですから庵野さんが言うように「自分は宮崎さんの下駄だ」と自覚して「いい下駄になること」に努力しながら、一方で適度な距離感を保って、履きつぶされないように注意しつつ(笑)、自分に必要なものを吸収する、そういうバランスをとることが大事なのでしょうね。

宮崎駿のNGには2種類ある

理不尽な怒られ方をした話をしても恨みがましくならないのは著者の人柄だろうかと思ったら、こういう経緯だった。

[舘野仁美の話を平林享子が文章にまとめる形で『熱風』に連載することになり、ネタにされる宮崎に了解を貰いに行くと]
 「舘野さんはずっと下級管理職として耐えてきた人なんです。涙あり、歯ぎしりあり。舘野さんの中には、恨み節が渦巻いているんです。過去の話を聞いても、怖い話しか出てこないんですから、そんな恐ろしい連載はやめたほうがいいです!」
(略)
宮崎さんのNGには2種類あることを、このころまでに、たくさん失敗を重ねてわかってきていました。ひとつは、絶対にほんとうになにがなんでも200%ダメなときのNGです。(略)もうひとつは、少しドアの隙間を開けておいてくれるというか、ダメと言いつつ片目をつぶって黙認してくれるNGです。
[後者だと感じた平林がねばってプッシュすると、宮崎は]
(略)
 恨みがあるからといって、回顧録で人を批判したり傷つけるようなことは書いてはいけない。友人や知り合いをなくして、舘野さんが孤立してしまう。
 でも、そうやってあちらこちらに気を遣っていると、書けないことばかりになってしまう。情念の部分が抜け落ちてしまって、きれいごとばっかり書いてある回顧録なんてつまらない。そんな回顧録だったら、連載する意味がない。
 完全にダブルバインド状態ですが、確かにその通りだと思いました。
〈そんな難しいことが、おまえにできるのか?〉
 宮崎さんから、そう難題をつきつけられた気がしました。
〈その連載を、本気でやる意味があると思うんなら、やってみなさい〉
(略)
[他のスタッフに裏取りし、上層部にチェックしてもらって最終稿を上げると]
今度は、舘野さんからクレームが入りました。
「私はもっと気が強いし毒舌キャラなのに、ヒラバヤシさんは、私のことをいい人に書きすぎている。文章をきれいにまとめすぎていて、おもしろくない!」(略)
[そこで、動画チェック同様]俯瞰的な視点から文章を「調整」する必要があるんです、と。[説明]
 しだいに、舘野さんはこう言ってくれるようになりました。
「これは、私を主人公にして、編集者の視点で書いている回顧録なんですね。ヒラバヤシさんの目で見た私を描いているんだなって思ったら、納得がいきました」

鳥に説教する宮崎

キキが、雁の群れと出くわすシーン。[原画担当の二木真希子に](略)
 「どうしてこんなふうに描いたんだ!!前におれが言っただろう、鳥の飛び方はこうじゃないって!!」
 二木さんは反論しようと試みていましたが、厳しい口調でまくし立てる宮崎さんの勢いに気圧されて、黙り込んでしまいました。
 二木さんは実力があって研究心旺盛なアニメーターで、とくに動物や植物の描写には定評のある方です。鳥の生態にも詳しく、傷ついた野鳥を保護(略)するような人です。(略)この雁の群れのシーンも、二木さんはきちんと研究した上で、その成果を表現していたのだと思います。
 では、なぜ、宮崎さんの気に入らなかったのでしょうか。その謎は数年後にとけました。(略)
空から舞い降りて翼をたたんだ一羽の水鳥に向かって、宮崎さんはこう言ったのです。
 「おまえ、飛び方まちがってるよ」
 〈えええーっ!?〉
 私は心の中で驚きの声を上げました。本物の鳥に向かって、おまえの飛び方はまちがっているとダメ出しする人なのです、宮崎さんは。現実の鳥に、自分の理想の飛び方を要求する人なのです。
(略)
[「写真やビデオを見て、そのまま描くな」とスタッフによく説教する宮崎だが]
ただ現実をそのまま描くのではなく、現実の向こうにある理想の「リアル」を描くことを探求しているのです。

「自分の目で見ること」

 その時間、その場所の空気感、温度や湿度、手触り、光の当たり方で変わる微妙な色の変化など、カメラでは収めきれないことがたくさんあります。表現をする人にとって、そうした体験の記億は、すぐに使う機会がなくても、心の引き出しに蓄えておけば、いつか大きな力になることがあります。
 「人間がふたつの目で見ている世界は、写真で写したようなパース(遠近法)じゃない。道の向こうでお葬式をやってれば大きく見えるし、探してる家が見つかれば、もっと大きく見える」
 見る人の意識によって、世界の見え方はちがってきます。
 宮崎さんは、こんなふうにも言っていました。
 「アニメーターは自分の中にいろんなレンズをもってなきゃいけない。標準だけじゃなくて、広角、望遠、マクロ……ひとつのカットでもいろんなレンズに取り替えていい。映画っていうのは、そうやってレンズを取り替えてつくるもんだ」

保田道世

 宮崎さんはいつだったか、
 「やっちんは、もともとは怖い人ではなかった。草花が好きな優しい女性だった。ぼくらが彼女を変えてしまったんです」
 そう言っていたことがありました。
(略)
 保田さんから教わったことはたくさんありますが、たとえば「波頭と波紋は、色を変えている」ということがあります。波を表現するときに、白い波頭が立ち、その波頭がそのまま同じ白色の波紋に変わるように描いてしまう人が多いのですが、宮崎さんと保田さんの色指定は、同じ白系統の色でも、波のかたちの変化とともに色を微妙に変化させています。
(略)
 宮崎さんが、保田さんの色指定について、「引き算のよさ」と話しているのを聞いたことがあります。
(略)
保田さんから教わった最大のことは、宮崎さんに指示されなくても、宮崎さんならどうするか、宮崎さんはどうしたいのかを先回りして考えて動く、ということです。
(略)
 ちなみに、宮崎さんの若いころ、東映動画時代には、アニメーターは自分たちの動画の作業が終わると、みんなで仕上の作業を手伝いに行ったそうです。当時は、アニメーターは男性が多く、仕上のスタッフは女性が多いので、そこで和気あいあいと作業するうちに、ロマンスがめばえることもよくあったそうです。ところが、分業化が進んだことで、アニメーターと仕上は、一緒に作業することもなくなり、ロマンスどころか、スケジュール上の敵になってしまったのでした。
 「昔はアニメーターと仕上は仲よしだったのに。分業で、結婚の道はなくなってしまった」
 昔のおおらかな時代のことを、懐かしそうに、宮崎さんが語っているのを何度も聞いたことがあります。

フィオのチェック柄のシャツ

 『紅の豚』で私が印象に残っているのは、フィオが着ていたチェック柄のシャツのことです。「柄がある」というのは、アニメーションにおいて、とてもぜいたくなことなのです。服に柄があると、それだけ線が増えますから、作画も仕上も作業量がぐっと増えます。(略)
 思いあまって宮崎さんに、
 「ラストシーンだけでも、フィオのチェック柄のシャツを、無地の服に着替えさせてもらえませんか」
 と泣き言を言ったら、宮崎さんは即座にこう答えました。
 「ダメ!!フィオのシャツは、花嫁衣装なんだから」
 〈花嫁衣装だったの!?〉
 フィオをめぐってポルコとカーチスが決闘するシーンがありますが、宮崎さんの気持ちとしては、フィオのシャツは花嫁衣装のようなものだったのですね。

大塚伸治の目を見張るセル設計

セルを重ねるほど、下のほうのセルの色が暗くなってしまうので、セル重ねには限度がありましたが、デジタル化によってその制約はなくなりました。
 ただ、宮崎さんや大塚伸治さんのような名人は、制限があってもそれをものともせずに、セル設計やタイムシート操作を巧みにおこなっていました。
(略)
 大塚さんの仕事でとくに印象的だったのは、『もののけ姫』の[タタラ場でのサンとエボシの一騎打ちの]モブシーンの原画です。
(略)
 一番手前のセルは、人と人との隙間をなるべくつくらないようにして、真ん中のセルは、手前の人で隠れるところは大胆に省略し、首から上と足しか描いていませんでした。そして一番下のセルは、なんとなくザワザワさせるための円柱のような図形が描かれているだけでした。要するに、モブシーンというのは手間がかかって大変なのですが、動画マンの作業が最小限で済むように効率よく設計されていたのです。こんな大胆な原画はそれまで見たことがなかったので驚きました。と同時にとてもありがたく、一流のアニメーターの仕事には、絵の表現力に加えて、深い思慮と計算があることに感動しました。
(略)
 『天空の城ラピュタ』で大塚さんが担当したシーンに、ムスカがシータを殴り飛ばすシーンがあります。ヒロインだからと手加減することなく、情け容赦のない殴り方で、ムスカの人となりを見事に表現していてすばらしかったと、宮崎さんが大塚さんの仕事を褒めるのを何度も聞いたことがあります。
 ですから『もののけ姫』で、エボシ御前のシーンを大塚さんに任せたのも、エボシ御前の非情さ、いざとなれば残虐なこともいとわない凄みを表現できるのは大塚さんしかいない、ということだったのだと思います。

「消費者になるな」

[千尋の両親が食べ物をむさぼる]姿を「思いきり醜く描きたい」と言っていたことを覚えています。
 また、「この夫婦は、カードがあれば、なんでも買えると思っているんだ」と
(略)
 宮崎さんは私たちスタッフによく言っていました。
 「自分たちはつくり手であって、消費者になるな」
 「消費者視点で作品をつくってはいけない」(略)
いまの大きな問題というのは、生産者がいなくなって、みんなが消費者でいることだ。それが意欲の低下となって、この社会を覆っている。
 ジブリにおいてもしかり。人を楽しませるために精一杯の力を尽くすより、他人がつくったものを消費することに多くの時間を費やしている。それは自分のような年寄りから見ると、ひじょうに不遜なことである。もっとまじめにつくれ!!全力を挙げてつくれ!!自分のもてるすべてのものをそこに注ぎこめ!!

宮崎駿の思考過程

[ドキュメンタリー『ポニョはこうして生まれた。〜宮崎駿の思考過程〜』で]NHKのディレクターの荒川格さんが宮崎さんから叱られているシーンがあります。(略)
 「ぼくは不機嫌でいたい人間なんです、本来。自分の考えに全部浸っていたいんです。だけど、それじゃならないなと思うから、なるべく笑顔を浮かべている人間なんですよ。(略)この部屋にいるときも、ぼくは海がきれいだなと思って見てない。こうやって不機嫌でいるんだよ。映画はそういう時間につくるんだよ。机に向かっているときは作業だよ」
 見ていると、私も一緒に怒られているような気がして緊張しますが、これこそ私たちが仕事中によく見てきた宮崎さんの姿だなと思うのです。創作者としての生みの苦しみが正直に語られています。
(略)
これ以上の取材はあきらめたほうがいいのではないかと悩む荒川さんに、宮崎さんが鈴木プロデューサーを介して伝えたのが、次のようなメッセージでした。
 「一度怒られたくらいでダメになってしまうんじゃ、こっちが困る。怒られたら、次は30センチ近寄るくらいでやれ!と言いたい」
(略)
 私たちスタッフにも、
 「本当にやりたいことがあるなら、一回や二回、ボツになったくらいで、あきらめるんじゃない。何度でもぶつかってみろ」
 と言っていました。宮崎さんは自分のプレッシャーに屈しない「健全なたくましさ」を、まわりの人に求めていました。
(略)
[とはいえ、状況によって逆のアドバイスの時もある]
 「『この企画が通らなかったら、オレは死ぬ!』なんて言う人がいるけど、ダメなときはダメなんだから、それをちょっと横に置いておいて、次の企画を考えたほうがいいんです」

ハウルの動く城

[宮崎の準備メモには]ハウルのキャラクターがこのように説明されています。
バーチャルリアリティー(つまり魔法)の中にいて、おしゃれと恋のゲームしかできないハウルは、目的とか、動機が持てない若者の典型ともいえるでしょう」

ジブリならではの動画チェック

「こうしたほうが効率がいいのでは」と思うことを提案して、やらせていただいた結果、仕事の範囲が広がっていきました。
 たとえば「カット出し」(動画マンに担当するカットを振り分けること)は、もともとは制作進行の仕事だったのですが、あるときから私がやらせてもらうようになりました(略)カット出しでいちばん大事なことは、手があいている人をつくらないように、効率よく仕事をまわしていくことです。
 とはいえ、ただ機械的に割り振ればいいわけではなくて、動画マンにはそれぞれ技術力の差や得意不得意がありますから、それをわかった上で適任者に振り分けることがすごく大切になってきます。
(略)
なるべくリスクを避けたり(難しいカットは仕上がりを予測できるベテランにお願いして、比較的簡単なカットは若手や外のスタジオにまわすなど)、事故がおこってしまったときにはダメージコントロールをしたり(誰に頼めばリカバーできるのかを迅速に判断して手配するなど)、といったリスクマネージメントが必要になってくるのです。
(略)
似たようなカットばかりまわってきたら描く人も飽きてしまうでしょうから、苦労したカットのあとは少し楽なカットにしたり、人気のあるカットを「ご褒美」としてあいだにはさんだり、という操作をしていました。(略)
新人や若手には、力がついてきたら、少しずつレベルの高いカットを渡していくようにしていました。上がってきた動画を見れば、その動画マンの上達の具合がわかりますから、それを考慮してまた次のカットを渡すことができました。
 もうひとつ、私が提案してやらせていただいていたことに、外注動画のギャラに、プレミア(割増金)をつけることがありました。モブシーンや面倒な作業が必要なカットの場合に、基本の料金に2倍、3倍の料金を上乗せするシステムを、『紅の豚』のときからはじめました。カットの内容によっては、必死に描いても1日に2、3枚しか進まないこともありますから、そんなときは5〜10倍のプレミアをつけることもありました。
(略)
 そういうわけで、「動画のミスや不出来を見つけて手直しする」という動画チェックの基本的な仕事から少しずつ越境して、動画スタッフ全体を取りまとめるリーダー的な役割を任せていただいていました。

吉田健一

[『マーニー』後、スタッフの再就職指導のなかで『ガンダム Gのレコンギスタ』スタッフ募集でやってきた]
やんちゃだった新人のころから知っているので、堂々と落ち着いて作品の説明をする姿を見て、
 「すっかり立派になって……」
 と、親戚のおばさんのようなまなざしになって説明を聞いていました。
(略)
快活な性格の吉田さんはみんなの人気者で、たくさんいる新人の中でも目立つ存在でした。実力もあって、2期生の中では、安藤雅司さんと並んで出世頭でした。(略)
[説明会のあと雑談で、ジブリ時代を振り返り]
吉田さん本人は、宮崎さんの期待に応えられない自分のふがいなさに苛立ち、プレッシャーで押しつぶされそうになっていたそうです。
 しかも、同期には安藤さんという天才がいました。吉田さんと同じく『紅の豚』で原画になり、さらに20代で『もののけ姫』の作画監督に抜擢された安藤さん(略)があまりにも突出していたので、そばにいると輝きが目立たなくなるというか、もがけばもがくほど自信喪失が加速するようなジレンマがあったそうです。
 「どうしても安藤さんに勝てない自分がいた。ずっと安藤さんの背中を追いかけるような気分だったんです」
(略)
[ジブリらしさとはと問うと]
「動画を大事にすること」という答えが返ってきました。(略)
どこの制作会社でも、人件費の安いアジアの国々に外注を出すことは、もはや当たり前になっています。(略)
 動画は、最終的に画面に見えている絵であり、作品の質感を決定するものですから、大事なのは当たり前なのですが、残念ながら最近の制作の現場では、「原画をトレスして動かすだけの作業」のように軽く見られがちで、単なる労働力として扱われてしまうところがあります。
 たとえるなら、役者と演出を一緒にやっているのが原画マンです。そして、動画マンは、役者の動きと演出の意図をきちんと理解して、自分なりの解釈を加えながらさらに動きを展開していくという、とても繊細なスキルが求められます。そのことをわかっていない現場が増えてきたと、吉田さんは感じるそうです。そしてジブリは、動画マンを職人として尊重する意識や体制を維持しようとしていた会社だったと感じるそうです。
 「動画の線こそアニメーションの生命線」とひそかな衿持をもっている私にとっては、古田さんの言葉は、とても心強く感じました。
(略)
 吉田さんは、こんなことも言っていました。
「いまの若い人は、絵は上手だけど、空間をつくれていない人が多い」
「空間をつくる」というのは、言葉で説明するのが難しいのですが、要するに、キャラクターを描いただけでも、その背後にある空間まで感じられるのがいい絵で、それができる画力がある、ということです。
 「どういう空間をつくりたいのかというビジョンがないと、ただ表層的に線を引いているだけで、絵としての奥行きが立ち上がってこない」
(略)
宮崎さんが昔、原画マンにダメ出しするときによく言っていたことを思い出しました。
 「ろくな人生を送ってこなかったから、こんな絵しか描けないんだ!!」
 そう言って、上がってきたばかりの原画の束を、本人の見ている前で、四隅をわざわざホッチキスでとめて、ごみ箱に投げ捨てるのです。
 いまとなっては、「そんなこともあったね」と笑い話にしていますが、当時、そんなふうに宮崎さんからダメ出しされた原画マンたちにとっては、さぞかしキツい体験だったはずです。

宮崎駿の雑想ノート

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泥まみれの虎―宮崎駿の妄想ノート

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