なぜ科学を語ってすれ違うのか――ソーカル事件を超えて

なぜ科学を語ってすれ違うのか――ソーカル事件を超えて

なぜ科学を語ってすれ違うのか――ソーカル事件を超えて

まず、訳者あとがきから

 ソーカル事件に対するおもな反応をひとことでいえば、「やっぱり!」だろう。そう思った人たちは、二つのグループに分けることができる。
1.右派が思った。「脱構築とか言っているやつらは、やっぱりたわごとを言っていたのだ」
2.科学者が思った。「人文・思想系の人たちの言うことはわけがわからんと思っていたが、わけがわからんのは当然だったのだ」
 ソーカルが直接的に攻撃対象としたのは、政治的にはリベラルで、学問的には構成主義のなかでもいわゆるポストモダン派として括られる人たちだった。この人たちは、物理や数学をいいかげんに援用したり、言葉づかいにやけにこだわったりするせいで反発を買いやすく、物理学者ソーカルがやり玉にあげるのにはもってこいだったのだ。
 ところが、ソーカルが攻撃したのは科学の内容について無防備なことを言う一部の人たちだったにもかかわらず、その一件ののち、二十世紀の人文系の学問が積み上げてきたことを、一切合切ご破算にして、屑カゴに投げ捨てるような発言がさかんになされた。
 ソーカルはなぜ、現代思想を相手にちゃぶ台をひっくり返すようなことをしでかしたのだろうか? ソーカル自身は、「脱構築がいったいどうすれば労働者階級の力になるのかわからない」と言い、人文系の人たちが科学について何を言おうと構わないが、そんなわけのわからないことを言っていたのでは、左派として人びとのために戦うことはできないという考えを示している。この件の政治的な面については、このあとがきの最後のほうであらためて立ち返るとして、まずは、人文系の人たちが科学について何か言っているという状況に注目しよう。ソーカルの行為の背景には、論文でっちあげ事件と期を同じくして「サイエンス・ウォーズ」と名づけられることになった、科学的な知識の性質をめぐる論争――科学的知識は、はたしてそれほど客観的、合理的、普遍的、特権的なものなのだろうかという問いかけをめぐる論争――があった。科学者にとってみれば、現代思想が科学について語る内容や、その客観性に疑いをさしはさむことは、科学についての無知に出来する勘違いとしか思えないようなものだった。一方、思想サイドの人からすれば、科学は権力であり、抑圧の代名詞だったのだ。
 しかし、なぜ現代思想はそれほどまでに科学を相対化しようとするのだろうか?大ざっぱにいって、十九世紀末から二十世紀の現代哲学は、絶対、客観、本質、普遍といった、それまで哲学自身が追い求めてきたものを問いなおすとともに、それらによってもたらされる、さまざまなかたちでの抑圧の問題に取り組んできた。宗教や道徳や封建主義など、人間にとって抑圧的に機能してきたものの正当性を問いなおすという、困難で重たい試みがおこなわれてきたのである。その過程で、かつては疑問視されなかったものも検討課題に上がってきた。そのなかから、とくに科学に関係する例をいくつか挙げてみよう。
1.フランス革命はきわめて啓蒙主義的だったが、その行き着いた先はギロチンだった。啓蒙という考えかたの基礎には、「目を開いてはっきりと知るべき、正しい知識というものが存在する」という思想がある。(その思想は、科学という営みの基礎でもある。)
2.マルクス主義は、そのものずばり、科学的社会主義を謳っていた。旧ソ連においてその行き着く先がどんなに悲惨で抑圧的なものであったかは、まだ記憶に新しい。
3.ナチスの優生主義。多くの科学者が、劣等人種や劣等な個人という考えを科学的事実として裏づけるような発言をした。
4.アメリカにおける社会進化論。弱肉強食を正当化するために、ダーウィンの進化論が利用された。
 このように、近現代史においては、科学の権威が猛威をふるうということがたびたび起こった。しかも、(のちほど取り上げるように)これはけっして過去のことではなく、かたちとテーマを変えて、いまもくりかえし起こっていることなのである。当然、かくも権力的に機能する科学的知識とは、いったいどういったものなのかという問いがその都度もちあがり、科学の絶対性に対する反省や疑問が強まってきたのだった。
 絶対的・抑圧的に作用するもの――とりわけ、それまで疑うことさえされなかったもの――に立ち向かうという、二十世紀の哲学・思想の取り組みの意義は大きい。それを認めることなしには、「ソーカル事件を超え」なければならない理由もわからないだろう。
 本書の著者であるカナダの科学哲学者、ジェームズ・ロバート・ブラウンは、ソーカル事件のうわべだけを見て、現代思想が積み上げてきたことをご破算にするのではなく、この事件を教訓として、科学的知識がいかにして得られるのか、その妥当性はどのように根拠づけられるのかに関する理解(認識論)を深め、より良い社会をつくるために役立てたいと考える。とりわけ政治的な問題を見据えていることが、ブラウンとソーカルの大きな共通点だと言えよう。なお、ここで注意を要するのは、ブラウンの狙いは、社会的目標に科学を直接的に奉仕させるといったことではないという点だ。より良い社会を目指すことと、より良い知識を得るための方策を探るという目標とが結びつくのは、どちらにとってもプラスになる、というのが彼の考えなのである。
(略)
 ブラウンの言う、戦うべき状況について、もう少し具体的に考えてみよう。身の回りを眺めていても、科学的な知識だと言われているものが、じつは暗黙のうちに欠陥のある形而上学に乗っかっていたり、それをさらに薄めた安っぽい思想と結びついていることはめずらしくもない。DNAなり、脳なりのことがわかると、その都度、これで人間のことはわかった、もう哲学は要らない、哲学の役割は済んだ、といった主張をする科学者がでてくる。あるいは、あれこれの社会現象を科学的に説明できたと称する科学者がでてくる。しかしそういう科学者が描きだすものは、科学者本人がもっている安っぽい人間観・男女観・社会観などを、そのときどきに発見された科学的知識と結びつけているだけにすぎないことがあまりにも多い(男脳・女脳、○○する脳、貧乏人の遺伝子、人種的に劣ったIQ……)。科学の権威のもとで説かれる人間理解が、じつは、安っぽい思想を取りこんでいるだけだとしたら?それが広く人気を得て、政策にまでも影響を及ぼすとしたら?
(略)
第一章のなかほどにまとめられている正統的科学観や、第二章に描出される科学者の経験、そしてケプラーのエピソードに見られるような、科学研究に課される厳しいスタンダードは、科学的知識の力の根幹であり、ブラウンはそれを支持している。科学者個人はそういう科学の方法論に忠実であろうと努めなければならない。そのうえでなお、「科学理論は自然に対してだけでなく、対抗理論に対して検証される」という相対評価の観点から、科学において価値は積極的な役割を果たしうる、とブラウンは言っているのである。

  • 第四章

ポストモダンの言葉づかい

 ポストモダン主義者たちは、言葉の使いかたをきびしく批判されてきた。よくある苦情は、彼らの使う言葉はひどくあいまいだというものだ。(略)
 一般に、どんな学問領域にも専門用語はあるし、その分野に特有の概念を表すためにひじょうに役立つのはたしかだ。(略)
たしかに、くりかえしでてくる専門用語には慣れるしかないものが多い。「差異」「言説」「本質主義」「断片化されたアイデンティティー」といった専門用語は、古典電気力学を理解するために必要な「ベクトル場の発散」などと同様、勉強して理解するしかない。ポストモダン主義者たちがこういう専門用語を使っても、非難されるべきではない。もしもこういう点で彼らが批判されているなら、それはアンフェアというものだ。
 だが、ふつうの読者がいらだちを覚えるのは、こうしたジャーゴンにたいしてだけではない。ポストモダン主義者が書いたものを読むと、言語の使いかたに過剰なまでに意識的だという印象を受ける。(略)
科学者たちが専門用語を使うのは、正確さと経済性のためだが、ポストモダン主義者たちは、言葉そのものに注意を向けさせようとするのだ。そうすることに価値がある場合もあるだろう。(略)
その目的は、あたりまえのように受けいれられている概念について、あらゆる思いこみに揺さぶりをかけることだ。(略)
決まりきった直観的で具象的な考えかたに、読む者の頭を安住させないように書かれているのである。
(略)
 しかし、それが問題のすべてなのだろうか?(略)[その目的を考慮しても]彼らの書いたものは、実質的な中身のわりに、饒舌すぎるケースが少なくない。

偶像破壊者ファイヤアーベント

 ニヒリスト陣営に属する人たちのほとんどは、科学の訓練はほとんど受けたことがなく、科学の理解となるとさらに乏しい。しかし、何人か重要な例外がいる。第一級の偶像破壊者パウル・ファイヤアーベントもその一人である。
(略)
 ファイヤアーベントとクーンは、1960年代のバークレー時代には仲のいい同僚だった。二人は数かぎりなく対話を重ねるなかで、広く受けいれられた科学観にたいし、よく似た懐疑的な見解を育んでいった。当然のなりゆきとして、クーンはこの時期に、かの有名な著書を執筆することになった。クーンの著作ほど有名ではないものの、質のうえではけっしてそれに引けをとらないのが、ファイヤアーベントがこの時期に著した論文「説明、還元、経験主義」である。彼には優れた論考がたくさんあるが、とくにこの作品には、「証拠」という概念が、いかに油断のならないものであるかが示されている。
 あなたがガンにかんする理論をつくったとしよう。それは、ガン細胞がいかに発生し、どのように腫瘍が大きくなり、どうすればそれを破壊できるかにかんする理論である。さてそこで、わたしがこんなことをいったとしたらどうだろう。「しかしあなたの理論では、空が青い理由も、昨日株式市場が急落した理由も説明できないではないか」。あなたはわたしのばかばかしい発言に腹を立てるかもしれない。なぜなら、わたしがあなたの理論に要求していることは、その理論があつかっている問題とはまったく関係がないからだ。(略)
 これはまったくもっともな反応だ。
(略)
[しかし]ファイヤアーベントはその才能を発揮して、ここで説明した「関係がある証拠」という考えかたは、じつは大間違いであることを示したのだ。彼がとりあげた例は、古典熱力学と、物質と熱にかんする気体分子運動論との対立関係だった。その例は、ぜひともここでくわしく見ておきたい。
 古典熱力学では、圧力、体積、温度などの概念が必要とされる。これらはすべて多かれ少なかれ観測可能な量である
(略)
 対する分子運動論は、小さな物質粒子からなる目に見えない世界があるものと仮定する。(略)
古典熱力学の支持者にしてみれば、絶対に破られてはならないように思われる熱力学第二法則を近似的にしか説明できないのだから、完璧な理論を捨てて、この新理論に乗りかえる理由はなかった。
 十九世紀のはじめ、スコットランド生物学者ロバート・ブラウンが驚くべき現象に気づいた。
(略)
 古典熱力学を支持する人たちは、ブラウン運動のことで頭を痛めるべきだったのだろうか? 彼らがブラウン運動について考えなかったのは、株式市場の動向や、オーストラリアのウサギの個体数について考えないのと同じことだった。もちろん、ブラウン運動は興味深い現象だから、古典熱力学の支持者たちとしても、その連動のメカニズムが解明されれば喜んだだろうが、この現象が自分たちに関係があると考える理由はなかった。ブラウン運動は、古典力学の世界の話ではなかったのだ。
 しかし二十世紀に入り、状況は大きく変わった。アインシュタインが――1905年の時点では、彼はブラウン運動のことを知らなかった――気体分子運動論によれば、観測可能なサイズをもつ小粒子が、猛スピードで動きまわる多数の分子に衝突された結果として、ランダムな運動をすることになり、その運動径路は見て取れるはずだと指摘したのだ。すぐさま何人かの人たちが、アインシュタインが予測した現象は、まさしくブラウン運動にほかならないことに気がついた。その後、ペランらの仕事により、気体分子運動論による予測はきわめて正確であることが示された。(略)
[古典熱力学の支持者たちも]こうなっては、この現象を無視するわけにはいかなくなった。突如としてブラウン運動は熱力学によって説明されるべき課題となり、「明らかに無関係な現象」から、「ひじょうに関係の深い現象」になったのだ。
 ここから引きだされる哲学的教訓は明快だ。すなわち、理論の検証は相対的だということだ。ある理論が正しいかどうかを検証するとき、わたしたちはその理論を直接自然と比較するのではなく、自然とライバル理論の両方に目を向ける。なんらかの現象がはっきりと理論に関係してくるのは、ライバル理論がその現象を説明したときなのだ。
 ポパーらの説との違いは明白だろう。ポパーによれば、理論の検証にどんな証拠が関係するかを教えてくれるのは、理論それ自体である。
(略)
ファイヤアーベントがその第二の教訓を力説するようになるのは、後年になってからのことだった。その教訓とは、多元論の重要性である。つまり、わたしたちはライバル理論の育成に努めなければならないということだ。なぜなら、ライバル理論が登場すれば、最初の理論に関係のある証拠が増えるからだ。気体分子運動論が登場しなかったなら、古典熱力学の弱点に気づくことはできなかったろう。古典熱力学の問題点を明らかにするためには、直接的な検証を積み重ねるだけではだめなのだ。ふつう、科学研究のプロセスは次のようなものとイメージされている。「自分の理論の間違いに気づいたなら、はじめからやりなおせ」。しかし、このルールは逆転させたほうがいいのかもしれない。「自分の理論がどれほど成功しているように見えても、はじめからやりなおして代替理論をつくりだせ」。はじめの理論の間違いに気づくためには、そうするしかないのかもしれないからだ。
 ファイヤアーベントがこの例で示した分析は(彼がそこから引きだした教訓まで含めて)、科学哲学における最高の仕事のひとつである。それはまた、彼が過激な方向に進むための大きな一歩ともなった。
(略)
 さて、1970年代にはいるころには、ファイヤアーベントはかなり過激になっていた。彼の過激さは、いま示した彼の説に暗に含まれていた多元主義から芽生えたものだった。彼は、「認識論的無政府主義者」や「ダダイスト」を自称するようになり、科学的方法にかんするかぎりは、「なんでもあり」だと宣言した。ファイヤアーベントは、科学的方法は(それはあらかじめ与えられたルールの集合である)、科学の発展にとってはせいぜいよくて不毛であり、あからさまに有害であることも多いと考えるようになった。そして彼は、偉大な科学研究はしばしばルール破りをしているという歴史上の例を挙げ、ガリレオらは修辞的に優れていた――つまり嘘つきの詐欺師だった――といった。しかしファイヤアーベントは、それを咎めているのではなく、良い科学にはそれが不可欠だというのである。厳密な方法を用いるのは、創造的な科学研究を妨げることだという理由により、彼は無政府主義をとるのだ――そんな彼の立場は、もっとも有名な著作である『方法への挑戦』のタイトルにも反映されている。
 ファイヤアーベントは多元主義から性急に政治的教訓を引きだした。「自由な社会とは、すべての伝統が、権力中枢にたいして、同等の権利と機会を有するものである」。後年の著作では、これがメインテーマになっていく。ファイヤアーベントは、競合する理論は、正統的科学(たとえばふつうの古典力学)から生じたものであれ、いわゆるニセ科学の流れ(たとえば占星術)から生じたものであれ、人びとの暮らしを豊かにし、自らの見解に疑問を投げかけるという健全な行為のために役だつと信じた。真に重要なのは、「真理」という思いあがった概念ではなく、人間の幸福だ、と。
 無政府主義を擁護するファイヤアーベントの意見は、さまざまな考察にもとづいて導かれたものだった――しかしいずれの考察も、かなり脆弱だといわなければならない。彼は、ごくありふれた方法論的立場を例に挙げ、科学史上には、そういう立場から示されたルールを破った例が、いくらでも転がっているという。(略)
もしもガリレオダーウィンアインシュタインが正統的なルールにしがみついていたなら、わたしたちにとってはありがたくない結果になっていただろう、というのである。
 ファイヤアーベントの主張には多くの難点があるが、そのひとつは、彼が破られているルールとして選んだものは、方法論をあつかっているまともな研究者なら、どのみち問題にしそうにないルールだということだ。
(略)
 量子電気力学はうってつけの例になってくれる。この理論は、現在はともかく過去においては、間違いなく深刻な矛盾を抱えていた。電子の自己エネルギーとよばれる量を計算してみると、その値が無限大になってしまったのだ。しかしこの理論は、それ以外のいくつもの点で、いい線をいっているように見えた。そして最終的には、実際に遂行可能な修正方法(「くりこみ」とよばれるプロセス)が発見されて、論理的な問題がなくなり、今日ではQEDという名前で知られるこの理論は、みごとなサクセス・ストーリーになっている。当初QEDは、信じてはいけないような理論だった。しかし、この理論には見込みがあるから、もう少し頑張ってみようと考えることには十分意味があったのだ。この理論の抱える矛盾が、そのまま宇宙のありようを反映していると考えた者はいなかった(略)
したがって、「矛盾する理論を受けいれてはならない」というルールを捨てたとみなせる人間は、じつは一人もいなかったのだ。ファイヤアーベントには、科学者が矛盾を受けいれたかに見えるこうした話をして、人を誤解に導くようなところがある。
(略)
 後年のファイヤアーベントによる無政府主義的な考えは行きすぎだとしても、初期に彼が得た結論の多くは健全なものだった。そこから得られる教訓は、ファイヤアーベント自身が、「理論の多元主義」について引きだしている――「人多ければ楽しみ多し」と。

次回に続く。