デヴィッド・ボウイ──変幻するカルト・スター

父ヘイウッドの来歴にも少々触れておこう。デイヴィーが生まれてからは「慈善団体に雇用されている郊外家庭の父親」となっていたヘイウッドだが、戦前の若き日にはロンドン都心部の繁華街ソーホーでジャズ・クラブの経営に携わっていた時期があった。この事業はうまくいかず、ヘイウッドは相続した遺産を失う結果となった。また彼はこの頃に女優ヒルダ・サリヴァンと結婚しており(略)
 表面上は「郊外の典型的な核家族」に見えるかもしれないジョーンズ家だが、その歴史には入り組んだ人間関係があり、華やかなショウビジネスヘのあこがれと苦い挫折の記憶が積み重ねられていたわけだ。エンタテインメントの世界にどんどん惹きつけられていく息子を、両親、特に父親は、複雑な想いを抱きつつ静かに応援していたようにみえる。

1stアルバム、アンソニー・ニューリー

「あちこちにルーツがあるね、ロックにヴォードヴィルにミュージック・ホール。自分がマックス・ミラーなのかエルヴィス・プレスリーなのかわかっていなかった」と振り返っている。マックス・ミラーは30年代から40年代に映画や舞台やラジオで大人気を博したイギリスのスタンダップ・コメディアン
(略)
このアルバムではロック以前、テレビ以前の時代に人々を夢中にさせたエンタテインメントの型を借りたひとくせあるポップスを聴かせている。(略)
 なにしろ一曲目から「32歳になってもマンガが好きで『バットマン』を読んでいるマザコンのおじさん」の歌である(「アンクル・アーサー」)。
(略)
全体の芝居がかった歌唱と語りのスタイルには、アンソニー・ニューリーからの影響が指摘されている。(略)
歌って踊ってお笑いもこなすマルチタレントであり大スターだった。音楽評論家のポール・モーリーは50年代末から放映されていた彼のテレビ番組について、「ジャック・タチ的かつカフカ的」「フィリップ・K・ディック脚本のディック・ヴァン・ダイク・ショウ」「テレビであんなふうにリアリティを歪ませたものはその後『ツイン・ピークス』まで出なかった」と評している。

『世界を売った男』

 このアルバムを覆う圧迫感や不安感は、ドラッグとセックスを過剰摂取する生活に加え、兄テリー・バーンズにまつわる苦悩に起因するものと言われている。少年時代のデヴィッドにジャズやビートを教えた10歳年上の兄はいつしか心を病み、60年代後半から精神病院に入っていた。この時期、テリーは時折、病院からハドン・ホールを訪れて過ごすこともあったという。デヴィッドは変わってしまった兄を見て、自分もいつか自分でなくなるのではないかと不安を覚えた。70年11月にマーキュリーからリリースされたアメリカ盤のジャケットには、テリーが入院していたケイン・ヒル精神病院の前にカウボーイが立っているイラストが使用されている。しかしデヴィッドは、イギリス盤のジャケットには別のイメージを用意することにした。

「ライフ・オン・マーズ?」

この曲はフランク・シナトラの「マイ・ウェイ」に似たコード進行で、歌唱も[シナトラ・スタイル](略)
これには因縁がある。「マイ・ウェイ」はフランスの大スター、クロード・フランソワの「いつものように」にポール・アンカが英語詞をつけた曲なのだが、実はデヴィッドもソングライターとしてこまごまとした仕事を手掛けていた68年頃に英語詞を提出していたのだ。彼はコンペには敗れたものの、数年の時を経て「マイ・ウェイ」を下敷きに「ライフ・オン・マーズ?」を生んだ。

ジギー・スターダスト

 ジギー・スターダストというキャラクターを考案するにあたってデヴィッドの頭の中にあったのは、50年代に活躍していたロカビリー歌手ヴィンス・テイラーの存在だ。デヴィッドは60年代半ば、ドラッグとアルコールの影響で精神に不調をきたし、UFOやエイリアンの話をしながらソーホーあたりをうろついていたヴィンスを見かけていた。ヴィンスは自分が異星の救世主だと信じ込んでいたという。
 加えて、「スターダスト」の姓は、テキサス出身のノーマン・カール・オダム、別名ザ・レジェンダリー・スターダスト・カウボーイがヒントになった。デヴィッドは70年にアメリカを訪れた際、シカゴで彼の68年のシングル「パラライズド」を入手し、この宇宙を夢見るワイルドな(支離滅裂とも言う)カウボーイの大騒ぎにおおいに刺激を受けていた。オダムは90年代に「アウトサイダー・ミュージック」の文脈で再評価されたりもしている。そしてもちろん、「ジギー」の名にはイギー・ポップの「イギー」が埋め込まれている。

Jet Black Leather Machine

Jet Black Leather Machine

PARALYZED! His Vintage Recordings 1968-81

PARALYZED! His Vintage Recordings 1968-81

ナイル・ロジャース

[シックやプロデュースで大成功していたが]
82年には彼曰く「世界でいちばんクールな男だったのが電話を折り返してすらもらえなくなっていた」。つまり、よく「ボウイは売れ線を狙ってロジャースを起用した」と言われているのは確かにその通りなのだが、彼に決めた時点では、その選択はボウイにとっても賭けに違いなかったのだ。
 ふたりは82年の秋のある日、ニューヨークのクラブ、ザ・コンチネンタルで偶然に顔を合わせた。ロジャースの連れのビリー・アイドルが、デヴィッドがいることに最初に気づいた。酔いつぶれたビリーをよそにデヴィッドとロジャースは古いジャズの話で意気投合し、後日改めてホテル・カーライルのバーで会うことにした。このとき、待ち合わせの相手が隣にいながらも20分間お互いに気がつかなかったというエピソードは、彼らの「ちっともグラマラスじゃない」普段の姿が偲ばれてほほえましい。
 デヴィッドは『戦場のメリークリスマス』の撮影に入る前の休暇に、50年代から60年代の古いR&B、ジャズ、ブルース、ロックンロールのテープを持って行って聴き込んでいた。社会の周縁にある者の痛みが根底に流れてはいるものの、基本的には元気いっぱい跳ねるような、楽しい時間を過ごすための音楽。表面上の響きはまったく異なるが、その精神は今日のディスコにも一直線に通じている。(略)
 デヴィッドとロジャースは新作をどんなふうにするべきか、二週間ほどニューヨークの図書館やレコード店を回りながら話し合った。そんなある日のこと、デヴィッドが「次のレコードはこれで決まり!」と一枚の写真をロジャースに見せた。赤いスーツで赤いキャデラックに乗ったリトル・リチャードだった。単純に「リトル・リチャード風」という話ではないと、ロジャースにはすぐにピンときた。「どう見ても50年代から60年代はじめの写真なんだけど、それはモダンに見えた。キャデラックは宇宙船みたいでリトル・リチャードは全身真っ赤の格好。それが後に全身黄色で黄色い髪のデヴィッド・ボウイになるんだ」。ロックンロールを基盤に、白と黒が混ざり合って目が覚めるような色彩を発するのだ。

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