デヴィッド・ボウイ――気高きアーティストの軌跡

「気高きアーティストの軌跡」という副題の割に、著者の主な興味はセレブゴシップにあるようで、音楽本として読むと肩透かしを食います。そういう視点だからこそわかる、ボウイの交友関係というのもあるし、下記のような描写は音楽本では出てこないから、それはそれで意味があるのかもしれないが、音楽そっちのけで延々そんな話ばかりだと……。それにしてもニーナ・シモンティナ・ターナー、ルル、ロニー・スペクターから友人の女(マリアンヌ・フェイスフル、ビアンカジャガー)と華麗な性遍歴。男女問わず、手当たり次第で、リンゼイ・ケンプとその舞台装置衣装デザイナーのナターシャ・コルニロフ、両方とできちゃって、二人を自殺未遂に追い込んだり。

[チェリー・ヴァニラ回想]
 「彼はいつでも気のあるようなそぶりを見せていたわ。目をまっすぐに見つめてくるんだけど、決して押し付けがましくはないのよ。彼の女性の扱いは、男性に対するものと完全に同等だった。そして、その人のセクシュアリティだけでなく、知性も見ていたの。(略)
彼が服を脱ぎ始めた。わたしはなんてきれいなんだろうと思ったわ。まるでサテュロスみたいだった。彼の体は、上の方がかなり痩せっぽちで、上半身や腕、胸は細いのに、脚だけは筋肉ががっしりしていた。お尻から太ももにかけてが大きくて、まるでギリシャ彫刻みたいだったわ。(略)
セックスは普通に、いやらしくて荒っぽくて、激しかった。だけど単にセックスしてるだけっていう気持ちにはまったくならないの。本当に、愛の営みをしているんだって感じがしたわ(略)
キスが本当に上手で、いっぱいキスしてくれた。全身にそっと触れたり、首筋に息を吹きかけたりしてくれて、すごく優しいの。しかも彼、すごく男らしくてたくましくて、ずっと立ちっぱなしでいられるのよ。あの瞬間は、いかにも愛しあってるって感じがしたわ。

デヴィッド・ボウイ――気高きアーティストの軌跡

デヴィッド・ボウイ――気高きアーティストの軌跡

 ペギーはいつも、勇敢で恐れを知らないパイオニアであった。1940年代のイギリスで、ズボンが女性の服装として受け入れられるずっと前からそれを履いていたような人だ。(略)
婚姻関係のない男性との間に子どもをひとりでも産もうものなら村八分にされたような時代に、デヴィッド含む3人の非嫡出子をもうけている。彼女はわが道を突き進み、決して恐れなかったのだ。(略)
 ペギーは、短期間ながら、オズワルド・モズレー率いるイギリス・ファシスト連合に入れ込んでいた。
(略)
だがそれから10年もしないうちに、ペギーは裕福なユダヤ人毛皮商の息子ジャック・アイザック・ローゼンバーグと関係を持ち、彼との間に息子のテリーをもうけている。デヴィッドの9歳上の義兄である。
(略)
[ペギーは読書家で、死ぬまでずっと凝った内省的な詩を書き、息子を抱くこともキスすることもなかった]
息子との親密な関係を構築する能力の欠如から判断するに、彼女にも妹のウナ、ノラ、ヴィヴィエンヌも患った統合失調症の兆候がわずかに現れていた可能性が非常に高い。
[ボウイの発狂への恐怖の防波堤となったのはレイン『引き裂かれた自己』であった。一方、父の方はステージパパとしてボウイのデビューのために奔走]

門番・ココ

親友であり、1974年から公私あらゆる側面にわたって彼に仕えてきた忠実な従者でもある彼女の名は、コリーン・“ココ”・シュワブ。(略)
彼の門番として、また庇護者としてのココは、伝説に残るすさまじさであった。デヴィッドの先妻アンジーを含め、彼女が望ましくないと考えるあらゆる人間を彼の領域から追い出し、自分自身の生活や存在を犠牲にしてまで24時間休みなく彼を保護するのである。デヴィッドに対するココの献身ぶりは、彼が麻薬に溺れた時期をはじめ、アンジーとの離婚を経て2013年に至るまで常に完璧であった。この年、英国でもっとも栄誉あるミュージック・アワードと言われるマーキュリー・プライズの受賞式で初披露された「Love is Lost」のプロモーション・ビデオを制作する際も、ココがそばに控えてサポートに徹している。
(略)
 高僧の用命に応ずるウェスタの処女だったのか?それとも彼を欲する生身の女性だったのか?
(略)
 真実がどうあれ、ココは40年にもわたってデヴィッドの人生に存在している。1987年にデヴィッドが書いた「ネヴァー・レット・ミー・ダウン」は、ココの彼に対する友情や忠誠心にインスピレーションを得た歌である。また、ココの60歳の誕生日には、バラ色のダイヤモンドがちりばめられた指輪を贈り、彼女の並々ならぬ尽力を称えている。
 しかしながら、ココの忠誠心はときに、他人からは威圧的とも感じられるような猛烈さにつながってしまうことがある。よくボウイと一緒に仕事をしていた人物が明かすところでは、もう数十年にわたってボウイの広報分野で中心的役割を果たしている尊敬すべきイギリス人広報マン、アラン・エドワーズでさえ、ココがロンドン入りするといまだに恐れをなすのだという。そして、彼女に応対するすべての人間に「間違ってもココを怒らせるなよ……」と念を押すのだそうだ。

リトル・リチャード、サックス

[他の子供とは違い]デヴィッドには幸運にも、無料で手に入れられる特権があった。父親がドクター・バーナード・ホームの広報主任だったため、支援者たちが寄付してくれた最新のレコードを定期的に持ち帰っていたからである。
(略)
 「子どものころは熱狂的なアメリカファンだった」とデヴィッドは言う。
 「でもぼくは、アメリカが拒絶するものばかり好きだったんだ。ブラック・ミュージックとか、ビート・ジェネレーションの詩人とか(略)
 リトル・リチャードのレコード盤をはじめて父親から与えられて以来、アメリカはデヴィッドの夢のふるさとになった。そしてそのころから、夜になると布団にもぐりこんで、AFNラジオでレコードのトップテンや、アメリカのスプリングタウンを舞台にした放送劇を聞くようになった。
 「ぼくは登場人物のひとりになって、そこで生活しているところを空想していたんだ。ソーダを飲んだり、キャデラックを運耘したり、リトル・リチャードのバンドでサクソフォンを吹いたりしてね」(略)
中途半端が嫌いだったデヴィッドは、サクソフォンの演奏もしていたリチャードの足跡をたどることにした。
(略)
[地元のサクソフォン奏者ロニー・ロスから毎週土曜三ヶ月間レッスンを受けた]
[のちにルー・リード『ワイルド・サイドを歩け』でサックスが欲しくなり]
ロニー・ロスを押さえてもらったんだよ」
 ロニーはたった1回のテイクでソロパートを完璧にきめた。親切にしてもらった恩を忘れることのないデヴィッドは、にっこり笑って言った。
 「ありがとう、ロン。土曜の朝、ご自宅に伺いましょうか」
 「おいまさか、ウソだろう?」
ロニー・ロスは驚きの声を上げた。

ミック・ジャガー

 「オリバー!」の製作者でミュージカル界の巨匠、ライオネル・バートもデヴィッドに惹かれたひとりである。(略)
[だが彼の美少年好きを利用していたのはボウイだけではない]
ほかならぬミック・ジャガーも、ロック界のスーパースターに上り詰める過程でバートと親密な関係を築いていたらしいからだ。(略)
[65年住む家がなかったミックとそのガールフレンド・クリッシーを自宅アパートに置いてやっている]
「クリッシーは、ミックが引き寄せるほかの新しい友人たちに悩まされるようになった。(略)
アパートのあちこちに潤滑ゼリーのチューブが堂々と置かれており、純真なクリッシーがヘアジェルと勘違いしていた」

ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、巨根

 ファーストアルバムのリリースから10日後、デヴィッドは重大な決定を下した。実家を出て、ロンドンのエレガントなマンチェスター・スクエアにある、本で埋め尽くされたケン・ピットの4階建てアパートに引っ越したのである。
(略)
[ピットはアメリカから持ち帰ったVU1stのデモテープを]「悪趣味なアルバムだけど、たぶんこういうの好きだと思うよ」と言ってデヴィッドに渡した。デヴィッドは語る。
 「ぼくはそれがものすごく気に入った。そして、これがおかしな話でね、そのアルバムの何曲かを、ステージでやり始めた。つまりぼくは、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの曲を、アルバムが出る前にカバーしていたんだよ」
(略)
[ケン・ピット証言]
 「時々、部屋の中を裸で小走りしているときなど、彼の長くて重そうなペニスが振り子時計の振り子のように右へ左へと揺れていた」
 デヴィッドはその立派な生まれ持っての恵みに気後れするどころか、ことあるごとに嬉々としてひけらかした。
(略)
リサ・ロビンソンは、雑誌『After Dark』で「彼の顔以上に浮世離れしているのは股の部分だ。けたはずれに大きくて、およそ人間のものとは思えない」とコメントしている。

バイセクシャル

[トニー・ザネッタ談]
 デヴィッドがゲイではないのは確かだね。ゲイの世界ってのが好きなんだよ。一緒にベッドにいるときの彼は、ますますみだらでナルシスト的だった。彼は崇拝されればそれでいいんだ。本当のところはバイセクシャルだと思うよ。彼にとって性別なんてたいして重要なことではないんじゃないかな。
 でも、ぼくたちは一夜を共にしたことで、ある種ほんものの一体感を築くことができた。そしてぼくは、ぼくたちの間には特別な何かがあると感じたんだ。デヴィッドは根っからの色男だよ。まるで、彼の宇宙の中心に、自分ひとりだけが存在しているような気分にさせられるんだ。そうなったらもう、いわば彼の独檀場さ。でもそのあとで、もう一歩関係を進めるんだよ」
 翌晩も、デヴィッドはトニーのまわりに甘い網を張りめぐらせ、アンジーも入れて寝てみるのはどうかと提案してきた。
 「ハードコアなセックスではなくて、むしろロマンティックなものだった」と、トニーは言う。「抱き合ったり、ひたすら舌を使ったりという感じだったね。だけどそしたらアンジーがむくれちゃって、不機嫌になってしまったんだ。嫉妬したのかなんなのか、わからないんだが」
 メインマンのオフィスマネージャー兼広報担当となったチェリー・ヴァニラは、「アンジーは、セックスとワイルドさに関しては口だけなのよ」と言う。

ミック・ジャガー・その2

[デヴィッドと関係があったアマンダ・レアは]デヴィッドとミックの関係は性的なものではないと断固主張していたが、あとになってミックの伝記作家であるローラ・ジャクソンに「わたしが知っている時期について言えば、デヴィッドはジャガーにぞっこんだったと思う」と話している。(略)
「デヴィッドは、何かというとミックの真似ばかりしていたわ」とアマンダ・レアは言う。(略)
 ミックに対するデヴィッドのライバル心があからさまに頭をもたげた例としては、こんな顕著な出来事がある。ミックを訪問中、デヴィッドはミックが次作アルバムのジャケットのデザインを、ベルギー人のデザイナー、ガイ・ピラートに任せる予定であることを知った。デヴィッドはさっそく受話器を取り上げると、自身のアルバム『ダイヤモンドの犬』のジャケットデザインもガイに依頼した。
 「ミックがばかだったんだよ」後にデヴィッドが話している。
 「ぼくに新しいものを見せたりしちゃいけないってことさ。もうこりごりだろうね。この業界では嫌なやつでなくちゃやっていけないんだよ」
デヴィッドは少し得意げに、ミックは今では新しいアイデアがあるときは怖くて一緒の部屋に入ってこないのだと付け加えた。なぜなら「ぼくがそれを盗むって知っているから」だ。
 後にミック自身も、わざわざコメントを発表しているようだ。
 「デヴィッドがいるときは、履いている靴に気をつけることだ。次に会ったとき、あいつは同じものを履いているはずさ。しかもあいつの方がかっこよく履きこなしてるときた!」
 しかし、ミックとデヴィッドは明らかにお互いの素性を知っていたにもかかわらず、長年の間、ずっと不思議な縁でつながっていて、ハリウッドの男の友情を描いた映画『ペテン師とサギ師/だまされてリビエラ』や『イシュタール』のオーディションを一緒に受けに行き、どちらも不合格に終わっている。
(略)
 ブライアン・フェリーが『愚かなり、わが恋』という全曲オールディーズをカバーしたソロアルバムのレコーディングを控えていることを知ると、デヴィッドはすぐにこれに倣い、60年代オールディーズのカバー・アルバム『ピンナップス』を作ることにした。これはブライアン・フェリーもおもしろくなかったようだ。将来的に、彼らはアマンダ・レアという恋人を共有し(ただし同時期ではない)、またデヴィッドと同じく、ブライアンもコカイン問題に悩まされることになる。

ダイアモンドの犬

ダイアモンドの犬

愚かなり、わが恋(紙ジャケット仕様)

愚かなり、わが恋(紙ジャケット仕様)

グレン・ヒューズ

ディープパープルのグレン・ヒューズが、デヴィッドの薬物はびこる幸薄き世界に足を踏み入れることになった。(略)
 「デヴィッドがぼくを誘ってくることはいちどもなかった。でもぼくはいつも、ぼくたちって一体何がどうなっているんだろうと思っていたものさ。彼とアンジーはかなりオープンな結婚生活を送っていた。(略)
 突然、デヴィッドがぼくに、アンジーと一緒にプラザ・ホテルに帰ったら、と持ちかけてきた。(略)
 いろいろとあって、気づくと彼女がぼくの上に乗っていた。ぼくはただ、なされるがままだった。すごく悲しくて腹立たしくて、もう少しで泣き出してしまいそうだった。デヴィッドはこうなってほしかったわけだけど、ぼくは彼を裏切っているのが申し訳なくてね」
 だがアンジーと夜をともにしたあとも、グレンはデヴィッドと過ごし、一緒にコカインをやった。
 「コカインに強かったのはぼくより彼の方だよ」とグレンは言う。
 「だって、ナチスのことやなんかを考えたり長々と話したりできたんだからね。だけど、デヴィッドはぼくのガールフレンドや、そのあとはぼくの妻にも目をつけていたんだ。何かあったかどうかは知らないけど、とにかくコカインを中心に生活が回っていたね」
(略)
「わたしは、コカインをやっているときの彼を愛していたの。彼は本当におもしろかった。魔術とか幻想の話をよくしていたわ。それから、陰謀説とかまともとは思えない持論もよく展開してた。トニー・デフリーズはヒトラーの、ルー・リードは悪魔の生まれ変わりで、やつらは一緒になってぼくをやっつけようとしているんだ、とかね」とチェリー・ヴァニラは言う。(略)
ミック・ジャガーがわたしの家までやって来て、デヴィッドとわたしがベッドルームでセックスしている間、リビングで音楽を聴いてたってことも一回あったな。

地球に落ちてきた男[完全版] [DVD]

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『地球に落ちて来た男』、8歳のスラッシュ

ドキュメンタリー番組『Cracked Actor』がデヴィッドを特集し、BBCで75年1月に放送されたときの印象はさらに強烈だった。彼は見るからに薬のせいで判断力が低下しており、まさに綱渡りという状態だった。(略)
痛々しいほどにやせ細り、頬骨とあごはナイフの刃のようにとがり、やつれて疲れきった顔をしている。そして、直近にやったコカインの名残だろうか、本番中もしきりに鼻をすすっているのである。
(略)
彼がドラッグに溺れていることは世間に知れ渡ってしまったが(略)この番組をきっかけに、彼は『地球に落ちて来た男』の役を得たのである。
(略)
ピーター・オトゥールが別の映画の撮影中であることを知らされ、そこで名前が挙がったのがミック・ジャガーだった。だがニコラス・ローグ監督が彼では強すぎると判断する。
 「ニックが言ったの。『弱々しくて、細身で、青白い感じの役者が欲しいんだよ。まるで骨がないぐらいに見えなくちゃいけないんだ』って」
 このことばを聞いたマギー・アボットは、デヴィット・ボウイはどうかと口を挟んでみた。(略)
 ところが、ニックとドナルドは、ふたりともデヴィッド・ボウイが何者なのかを知らなかった。そこでマギーは(略)[BBCの]映像を見せた。それを見た瞬間、ドナルドとニックは探し求めていたトーマス・ジェロームニュートン、すなわち地球に落ちて来た男を見つけたことを即座に確信
(略)
[ボウイは]撮影の合間の多くを、無声映画スターのバスター・キートンの伝記を読んで過ごした。(略)
衣装デザイナー兼モデルをしていたオラ・ハドソンという美しい黒人女性と情事を重ねていた。彼女の息子は、のちのガンズ・アンド・ローゼズのスラッシュである。
 スラッシュが、自宅の部屋に入り、そこにデヴィッドが自分の母親と素っ裸でいるところを目撃したのは、8歳のときだった。

シン・ホワイト・デューク

[このころのボウイは]自身最後のペルソナとなる“シン・ホワイト・デューク”の役に入りきっているところだった。これは明らかにコカインによる妄想症から生まれたものだ。(略)
凍てつくような不安感としゃれ男の冷笑(略)薬物乱用と無関係とはいえない極度の自己嫌悪も手伝って、彼はシン・ホワイト・デュークを「まさにアーリア人ファシストタイプ。感情をいっさい持たない似非ロマンチスト」とみなしていた。
(略)
 「80年代半ばまで、完全にはやめられなかったね。ぼくは中毒になりやすい性格で、それがぼくの人生を支配していたんだ。今は、よかったとも悪かったとも言い切れないな。あんな思いを味わうことになるなんて、ただごとじゃないよ。またあの経験をしたいとはまったく思わないけど、経験しておいてよかったんじゃないかとは思うよ」
[キャメロン・クロウはこの時期にしばしば取材しており](略)
 「(デヴィッドが)あるとき寝室のシェードを引き下ろしたら、妙な記号が書いてあった。自分の尿を瓶に保存していた時期もある」
 「妙な信念体系を持っていた――白魔術みたいなものに取り組んでいた」とクロウは記している。
 30年後、デヴィッドはクロウの記事を読もうとしたものの、とても最後まで読むことができなかったという。
 「たぶん、ぼくの人生で最悪な時期のひとつだね」と彼は言う。

イギー・ポップ、デボラ・ハリー

[77年、イギーのソロのバックを目立たぬように務めたが]
一部のハードコア・パンクのファンにはこれがおもしろくなかった。ジョニー・サンダースなどは、「ジム[イギーの本名はジェイムズ]なんか、いまやただのボウイの女じゃないか」ととげのある言い方をした。
(略)
[イディオット・ツアーに途中参加したデボラ・ハリーをイギーとデヴィッドは口説いたが]
「全然なびかなかったよ。彼女、さらりとかわすのが上手でね。いつも、『そうねえ、またこんど、クリスがいないときにね』って感じで、クールにあしらわれちまうんだよ」[とイギー]

ワンダーウーマン

[アンジーはTVドラマのオーディションを受けたが]
ブラジャー姿での出演を断固拒否したために、結果的にその配役につくことはできなかった。

ベルリン

彼が住んでいたのは、ナチスドイツの生存者や東ドイツからの亡命者など、愛する者から引き離された者たちが暮らす町だった。こういったことすべてが(略)厭世観につながっていった。それによってデヴィッドがベルリンで極限状態まで追い詰められていったことは驚くにあたらない。彼はそれまでよりも、わざと自滅的な行動をとるようになる。“誰か”と言い争ったあと、ガレージから自分の車を出してきて、地下駐車場をぐるぐると回り続け(略)
 「ぼくはコーナーを回りながら、時速40マイルから50マイルぐらいまでスピードを上げていった。ダッシュボードを見ながら『ちくしょう!まだ衝突しないのか?』って考えてたのを覚えているよ」と彼は言う。
(略)
 ただ一方で、ベルリンに住んでいたことによって、常にクラフトワークのテクノロックを耳にすることになり、彼のクリエイティビティはたきつけられた。

ちょっといい話

 マーク・ボランが亡くなったのは、彼の息子ローランの誕生日の直前だった。マークはローランの母親にあたる女性と籍を入れていなかったため、少年は路頭に迷うことになってしまった。しかしローランの名付け親だったデヴィッドが、彼の学費やその他の費用を支払い続けたのである。
 「懐の深いデヴィッドのおかげで、ぼくと母親は生きていくことができたんだ」ローラン・ボランは言う。
 「経済的な支援だけじゃない。時間も使ってくれたし親身にもなってくれた。彼はしょっちゅう電話で連絡してきて、そのたびに、最初と最後に『ぼくにできることがあったら遠慮せずに連絡してくれ』って言ってくれたんだ。ぼくたちが感謝しても、盟友の家族のためならこのくらいなんでもないよ、ってさらりと流されたものさ」

インターネット

[1999年のインタビュー]
 「オンラインで音楽が聴けるとなると、配信システムにも影響を及ぼしうるところが楽しみだね。消費者にとってもよいニュースになるはずだよ。個別に曲を選ぶもよし、いろいろなアーティストのコンピレーションを作るもよし。ある意味、プロデューサーになるってことさ
(略)
レコード会社はぎりぎりのところに追い込まれるまでウェブに抵抗するかもしれない。(略)
もし、今ぼくが音楽の仕事を始めるとしたら、ロックはもう新鮮味のない退屈な形式だとみなすと思う。でも、インターネットはこれからを感じさせるものだよ」

  • 遺産

1億ドルの遺産をイマン、ダンカン、レクシーが相続したが、ボウイはダンカンの乳母だったマリオン・スキーンに100万ドル、忠実なるココに200万ドルを残している
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