ビートルズ全曲歌詞集 曲解説付き

日本語タイトルだけだと判型のせいもあり、写真と英語歌詞だけのように思えてしまうけど、実際は英語副題に"The Stories Behind Every Track"とあるように各曲ごとに詳しい解説あり。

完全版 ビートルズ全曲歌詞集

完全版 ビートルズ全曲歌詞集

ビートルズの面々は初期のロックンロールのサウンドを愛してはいたが、1962年にはチャート入りするにはすでに時代遅れだとわかっていた。(略)
BBCラジオに初登場したとき、聴視者の多くが感じたのは「また変なのが出てきたな」というものだった。(略)
「ほかからアイデアを拝借するのは、別に悪いことじゃない」。1966年のポールの発言だ。「みんなやってるよ――あのヘンデルもね。

I Saw Her Standing There

[ジョンが提案した you know what I mean という]言い回しは単なる間投句だが、実は性的なほのめかしとして使われることがあり、ポールもそのことは知っていた。(1969年、モンティ・パイソンは(略)「ちょんちょん」という少し卑猥なコントを披露している。(略)
[ポールは後にベース・リフは]チャック・ベリーの「アイム・トーキング・アバウト・ユー」を使ったと話している。(略)ディクスンとまったく同じリフを弾いたよ。このナンバーにぴったりだったからね(略)そう言っても、いまだになかなか信じてもらえないんだ。だから、ベース・リフは必ずしもオリジナルである必要はない、というのが僕の持論さ」

I'm Talking About You

I'm Talking About You

Misery

はじめてレコードになったポールの曲は「きっと彼女をものにする」と信じて疑わない少年の前向きな気持ちを高らかに歌ったものだが、ジョンは恋人を失い、孤独になることがわかっている男が心の痛みに耐える曲を作った

Please Please Me

暗にセックスのギブ・アンド・テイクを要求している――僕はきみを喜ばせただろう?今度はきみの番だ――[と見るむきもある](略)
[『ヴィレッジ・ヴォイス』誌の]ロバート・クリストガウは、これはオーラル・セックスの曲だと明言している。

Do You Want To Know A Secret

[母ジュリアによく歌ってもらったディズニー映画『白雪姫』の挿入歌がヒントに]
井戸のそばで鳩に歌いかける曲がこれだ。「秘密を知りたい?誰にも言ってはだめよ。この井戸は願いが叶う井戸なの」

『白雪姫』挿入歌

I'm Wishing (from 'Snow White and the Seven Dwarfs')

I'm Wishing (from 'Snow White and the Seven Dwarfs')

There's A Place

年を追うごとにジョンの作品の中核をなしていく「一時的に非日常の世界に入り込むのは良いことだ」「《現実》だと誰もが思っているものを意のままに操る精神力が必要だ」という考えをほのめかす内容にもなっている。
(略)
後年、ジョンはこの曲を一から自分で作ったように話しているが、ポールはもともとアイディアを出したのは自分であり、曲のタイトルは(略)『ウエストサイド物語』のレコードにあった「きっとどこかに」から採ったと話している。

She Loves You

 この曲は1963年6月2日、ニューキャッスルで催されたマジェスティック・ボールルームでの演奏後に生まれた。ポールの話では、彼とジョンはニューキャッスルのホテルでツインのベッドにそれぞれ座って、アコースティック・ギターを弾きながら作ったという。 1988年にそのときのことを聞かれ、ポールは「まったく、立派としか言いようがないね!」と答えた。「こんな働き者がいるかい? 午後になって時間が空いたっていうのに、ジョンと僕はホテルのベッドに座りこんで曲を書いてたんだから。でも、それがすごく楽しかったんだ。仕事って感じじゃなくてね」

It Won't Be Long

 ジョンは1958年7月に母親を亡くし、その1ヵ月後にテルマ・マッゴーと付き合いだした。拒絶をテーマにしたジョンの曲は失恋の経験を元にしているのではない、とテルマは話す。元になっているのは、子どものとき父親が蒸発し、母親は実質的に育児放棄して自分の姉夫婦にジョンを預けたという事実だ。(略)
 「彼の人生は拒絶と裏切りの連続よ」とテルマは言う。「ジョンとはじめて会話らしい会話をしたときも、そのことを話したわ。私の父も蒸発したの。だからお互い同じ境遇なんだって気がして親近感を抱いたの。しかも彼の母親は車にひかれて亡くなったわ。冷静に受け止めているように見えても、内心はとても傷ついていたはずよ。ジョンも私も、裏切られ、見捨てられたように感じていた。

All I've Got To Do

『ウーマン』のヴォーカル収録をしたとき、ヨーコは「ビートルズ時代の歌い方そのものね」と感想を述べた。「いや、本当はスモーキーの真似をしているんだよ」とジョンは答えたという。「だって、ビートルズはいつだってスモーキーになったつもりで歌ってたんだ」

I'm A Loser

 1964年、ジョンの曲作りに重要な影響を及ぼすふたつの出来事が起こる。ひとつは、パリ滞在中にポールが地元のラジオ局の司会者にもらったアルバム『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』を聴いたことだ。ポールはリヴァプールの学生時代の友人に教えてもらいディランを聴いたことがあったが、ジョンはこのときがはじめてだった。(略)メンバーはデビュー・アルバム『ボブ・ディラン』を買い、ジョンによれば「パリでの3週間、ずっとディランをかけっぱなしだった。4人ともディランに夢中になったんだ」
 ジョンに影響を与えたふたつ目の出来事は、『デイリー・メール』紙のジャーナリスト、ケネス・オルソップと出会ったことだ。(略)『絵本ジョン・レノンセンス』についてインタビューを受けたのだ。(略)
オルソップはジョンに曲作りについて尋ね、またポップ音楽という概念の奥にある自分の心情を隠す必要はないと話した。(略)
 数年後、ジョンは親友のエリオット・ミンツに、このオルソップとの出会いは彼がものを書く上で大きな転機となった、と話している。(略)オルソップはジョンに、抽象的なイメージではなく、個人の経験をもとにした自伝的なものを書くように勧めたんだ。ジョンはその言葉がとても強く印象に残ったんだよ」
 5ヵ月後にレコーディングされた「アイム・ア・ルーザー」は、ジョンの変化を感じさせる最初の曲だ。

フリーホイーリン・ボブ・ディラン

フリーホイーリン・ボブ・ディラン

Baby's In Black

1年前の「抱きしめたい」以来、久々の完全な共作だ。ケンウッドにあるジョンの自宅で、膝を突き合わせて作ったのである。イアン・マクドナルドの記憶では、彼がふたりと『ジョニーは市へいったきり』という童謡をふざけて演奏するうちにセッションが始まったという。その歌には「まあ、どうしましょう!いったいなにがあったのか/ジョニーは市にいったきり」という繰り返しがある。「いつもよりちょっと暗めの、ブルースっぽい曲」を作りたくて書いたのがこの曲だ、とポールは語った。

Oh Dear, What Can the Matter Be

Oh Dear, What Can the Matter Be

  • テリー・キャリアー
  • シンガーソングライター
  • ¥250
Dear Dear! What Can the Matter Be

Dear Dear! What Can the Matter Be

  • Wow Kidz
  • チルドレン・ミュージック
  • ¥150
Help!

ジョンが最も誇りに思う楽曲のひとつで、生涯「お気に入りの曲」と呼んでいた。「真実を歌った」曲として、ほかに「イン・マイ・ライフ」や「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」も挙げている。(略)
当時はこの曲が自分の心情を表しているとは考えていなかったという。「映画のための曲が必要だと言われて書いたんだ。でもあとになって、あのとき自分は切実に助けを求めていたんだと気づいた。だから、あれは僕の《太ったエルヴィス》時代さ。彼の映画を見てごらんよ。エルヴィスは――ってことはつまり僕もだけど――とても太っていて、不安定で、自分を完全に見失っている。そして、《僕は今よりずっと若かった》とか何とか歌ってるんだ。昔は何の苦労もなかったなあ、と思いながら」

Ticket To Ride

[芸能ジャーナリスト:ドン・ショート談]
「1966年6月にビートルズが再びハンブルクに行ったとき(略)ジョンが《Ticket To Ride》は、[病気持ちじゃないことを医者に証明してもらった]娼婦たちの健康証明書のことでもある、と言ったのさ。まあ、ジョークかもしれないけどね。
(略)
《Ticket To Ride》は、黒人霊歌やゴスペル・ソングでよく使われるフレーズだ。有名な黒人霊歌に「 If I Got My Ticket Lord, Can I Ride?」がある。

Yesterday

[64年後半にメロディを思いつき、「スクランブル・エッグ、ミュエンスタ・チーズをかけたオムレツもどうぞ、食べた皿は洗面器にどうぞ、皿についたスクランブル・エッグはあとで洗うよ。一緒に食べよう、卵は十分にある、ハムにチーズ、ベーコンも。だから二人分用意して、一緒に食べよう」といったインチキ歌詞をつけ歌っていた。《ヘルプ!》を撮影していた四週間、ポールはずっと《スクランブル・エッグ》を弾いていたが、ディック・スレーターは]
とうとう我慢できなくなって、こう言った。《これ以上そのくだらない曲を弾いたら、ステージからピアノを撤去するぞ。(略)》
[今の歌詞を完成させたのは65年6月]
(略)
 この曲は暗にポールの母親のことが歌われ、当時きちんと悲しみを表現できなかったことを「後悔」している、という考え方がある。「《なぜ彼女は行ってしまう必要があったのだろう。僕にはわからない。彼女は教えてくれなかったから》とか、《僕は明日を信じている》という歌詞は、無意識のうちに母親の死のことを書いたのかもしれないね」とポールも認めている。

Day Tripper

「デイ・トリッパー」はジョンの造語で(略)彼とは違い、四六時中トリップできる境遇にない人間をを歌ったものだ。(略)この曲は……つまり、週末だけヒッピーになるってことなんだ。わかるかい?」[とジョン]
(略)
歌詞に出てくる「思わせぶりな女(big teaser)」は「prick teaser」の婉曲表現で、「男をその気にさせながら最後までは許さない女」を指す言葉としてイギリスでよく使われる。

We Can Work It Out

[女優を優先しようとしたジェーン・アッシャーと初の大喧嘩をしたポールが作った]
「《きっと解決できる》ってフレーズは、いかにもポールだね」とジョンは言った。「実に楽観的だ。対して僕はまったく我慢強くない。僕が作った部分はこうさ。《人生は短い。ねえ、ケンカしていがみ合ってる時間はないんだよ》

Michelle

 完成した曲をポールがジョンに聞かせたところ、ジョンは中間部に「I love you」というフレーズを入れ[ニーナ・シモンの「アイ・プット・ア・スペル・オン・ユー」風に「love」を強調して歌うことを提案](略)
「僕がポールの曲に手を貸す利点は、ブルースっぽい雰囲気が加わるってことさ」
(略)
「僕とジョージが楽器店にいたとき、ジム・グレッティがギターを弾いたんだ」とポール。「《すごい、その音は何だい?》と聞くと、グレッティはこう教えてくれた。《基本的にはFコードだ。ただ、第4フレットの上の2弦を小指で押さえてるのさ》。僕らは早速やり方を習ったよ。しばらくの間、それが僕らの弾ける唯一のジャズ・コード[F7#9]だった」(略)
「この曲にベースを入れたことはずっと忘れないだろう。だって、そのおかげでビゼー風の曲になったんだからね。本当に、入れる前とがらりと雰囲気が変わったよ」

I Put a Spell On You

I Put a Spell On You

Girl

[ジョンによると、「苦しみを与えられれば救われる」というキリスト教の教えを意識した曲]
当時はキリスト教の教えに反発していたからね」(略)
[このころ、彼は宗教に関する本を熱心に読んでいた。録音から4ヶ月後、例のキリスト発言が飛び出す]

I'm Looking Through You

 ポールはいまだに、ジェーン・アッシャーブリストルへ移ったショックから立ち直れないでいた。(略)
労働者階級出身のポールにとって、恋よりも仕事を優先する女性を理解するのは難しかった。

In My Life

最初はさまざまな場所を羅列していた――ペニー・レイン、チャーチ・ロード、時計台、アビー・シネマ、トラムの車庫、ダッチ・カフェ、セント・コロンバス・チャーチ、ドッカーズ・アンブレラ、カルダーストーンズ・パーク。(略)
「《休みの日にここに行きました》っていう、何の変哲もないバス旅行の歌みたいで、どうにもうまくいかなかったんだ……」とジョン。「そこでいったん休憩して、ごろりと横になった。すると、僕の記憶に残るいろんな場所にまつわる歌詞が浮かんできたんだ」
 ジョンは特定の場所の名前をすべて削除し、消え去った子ども時代や若さを嘆く歌詞を考えた。こうして、リヴァプールの街並みの変化を歌った曲は、死や崩壊についての普遍的な曲になったのだ。
(略)
ジョンは自分が行き詰った部分をポールが手伝ったと話しているが
[ポールはジョンの詩に、ミラクルズの「ユーヴ・リアリー・ゴッタ・ホールド・オン・ミー」を意識して、自分がメロトロンで全部メロディをつけたと主張]

You've Really Got a Hold on Me

You've Really Got a Hold on Me

Paperback Writer

 シングルとしては、愛以外をテーマにしたはじめての曲(略)
 当時、ポールはこう語っている。「何か変わったことがやりたいんだ。新しいアイデアを試したい。数年前にリル叔母さんから《なぜいつもラヴ・ソングなの?馬とかサミットとか、何かおもしろい歌はないの?》と言われた。《わかったよ、叔母さん》――だから最近はラヴ・ソングを書いていない」(略)
トニー・ブラムウェルは歌詞について、アイデアの大半は実際にポールに届いた小説家志望の人物からの手紙だったと考えている。

Yellow Submarine

ポールは子どもでもすぐ覚えて歌えるように、短い単語ばかりを使って詞を書いた。(略)
「僕らは時々お互いの家に立ち寄る仲だった」とドノヴァンは言う。「僕は自分のアルバム『サンシャイン・スーパーマン』の発売前で、お互いの最新の曲を聴かせ合った。(略)
[歌詞が1、2行できてないから手伝ってと言われ]
《青い空、緑の海、黄色い潜水艦に乗った僕ら》というのを考えた。

サンシャイン・スーパーマン

サンシャイン・スーパーマン

She Said She Said

[1965年8月、ビートルズはロスに部屋を1週間借り、自らの意志で初LSD体験]
経験豊富なピーター・フォンダがガイド役を買って出た。「[死にそうだというジョージに]何も心配しなくていい、リラックスしていればいいんだと言った。気持ちはわかるよ。僕は10歳のときに事故で自分の腹を銃で撃って、出血が止まらず手術中に心臓が3回も止まったんだ。その話をしているときにジョンが通りかかった。僕が《死ぬのがどんな気持ちか知ってる》というのを聞いて《こっちはまるで生まれてもいないような気になるぜ。いったいどこで、そんなくだらない考えを仕入れてきたんだ?》とかみついてきたよ」(略)
 もともとこの曲(当初は『He Said He Said』というタイトルだった)はもっと過激な内容だった。「いいかい、誰がそんな戯言をきみの頭に詰めこんだんだ?/発狂するのがどんな気分か知ってる/まったく、最低の気分さ(And it’s making me feel like my trousers are torn)」。だが、これでは曲にならないと考えたジョンはこれをボツにした。(略)
数日後に再び曲に取り組み、ミドルエイトを考え始めた。「最初に思いついたやつを入れてみたんだ」とジョン。「《僕が子どものころ(when I was a boy)》の部分さ。前とは違うビートでね。今度はリアルになった。つい最近起こったばかりの、本当の話にね」

And Your Bird Can Sing

 これはジョンが嫌いなタイプについて歌った曲だ。もともとそんなタイプではないのに、流行に敏感な人間のやることを片っ端から真似る人物。ジョンは折に触れ、ポールのことをそう言って非難していた。そう考えると、「世界の7不思議を全部見ただって?」という歌詞は、ビートルズがニューヨークではじめてマリファナを吸ったときのことがもとになっているのかもしれない。このときポールは、人生の重要な問題の答えがすべてわかったと言って、その気持ちを紙に書き留めたのだ。翌朝、ジョンがそのメモを見ると、そこには「7段階ある」とだけ書いてあった。
 『リボルバー』制作中、ポールはさまざまなジャンルのアートに強い関心を示していたが、それを見るとジョンは少し落ち着かない気分になった。そういうことは、アートスクール出身のジョンの担当だったからだ。 1966年4月、ポールは自分が興味を持っている音楽(インド音楽、クラシック、電子音楽)についてコメントし、ゆっくり聴く暇がないと嘆いている。「やるべきことはひとつだけだ。全部聴いて、好きか嫌いか決めるのさ」。このようなポールの発言に刺激され、ジョンはこの歌詞を書いたのではないだろうか?「世の中の音楽を全部聴いたって?」

次回に続く。