TOKYO ROCK BEGINNINGS 細野晴臣 松本隆

順番を飛ばして細野晴臣のインタビューから。

TOKYO ROCK BEGINNINGS

TOKYO ROCK BEGINNINGS

 

細野晴臣

キリスト教

[青山中学から何故、立教高校へ?]
キリスト教の学校に行こうと決めていたんです。(略)僕は子供の頃から、病気に対する感受性が異常だったんです。(略)[教師から病気の話をされると]例えば自分はガンじゃないかと思い込んじゃう。敏感というか、思い込む質なんです。そんな時にハリウッド映画の『ベン・ハー』を観たんです。この映画はキリストの物語で、キリストのお陰で病気が治る場面があるんです。それを観て僕にはキリスト教が必要だと思ったんですよ(笑)。(略)
当時は真剣でしたね。入学してみるとチャペルがあって、毎週月曜日に早朝礼拝があるんです。そこで真剣に祈ったら、確かに病気が治った気がしました(笑)。神頼みが好きなんですよ。(略)
スピリチュアルな現象とかにも興味を持つようになって。それは高校、大学の時じゃなくて、だいぶ先の話ですけれど。調子が悪くなった時などは、神頼みが復活するんです。(略)
[立教高校は]親が個人事業主の子供達が多くて、お金も持っていたりするんです。僕はサラリーマンの息子なので、少し浮いていたんじゃないかな。友達になる人は、わりと似たような境遇でしたね。区立の青山中学は、非常にバンカラな校風だったんですよ。みんなラッパ・ズボンをはいてね、とんがった靴を履いて(笑)。先生を閉じ込めたり、青山墓地で殴り込みがあるとか、そんな話が多くて。

学生運動

[大学時代は盛んな時期だったが]
立教はノンポリなんで、あまり騒ぎはなかったですね。僕自身も音楽三昧だったんで、遠い出来事のように考えていました。でも、カッコいいものではないなと思っていました。(略)あのファッションが好きじゃなかったですね。ヘルメットにゲバ棒というのが、なんかダサイと。(略)[政治的なことも]さっぱり分からなかったですね。

ディラン以降の「サムシング・エルス」

ラジオで音楽を聴いていると、音楽の質が変わっていくのを肌で感じるわけです。ビートルズが出てくるまでは、ニューヨークの音楽出版社が雇ったソングライター・チームのヒット曲がチャートの主流だったわけですよね。キャロル・キングとかね。それが一気にロック・バンドが増えてきて、シングル盤をかけていたラジオ番組が、アルバムごとに曲を紹介する内容に変わっていく。そんなことの連続で、僕は毎日驚いていた。
(略)
実はこの時期に一番影響されたのは、ボブ・ディランなんです。ディランの曲は、洗練されたアレンジにすると、とてもいいヒット曲になりますよね。(略)当時気に入ったヒット曲を調べると、結構ディランの作が多かった。(略)
[それが]ディラン本人の歌だとまた印象が変わるじゃないですか。(略)
[友人がアメリカで買ってきたアルバムを聴いて]
あの声とギター一本。これが原型なんだと。そこから僕はちょっとディランをコピーし始めたんです。(略)
カッコいいとか表面的なものじゃなくて、もっとディープな気持ちでしょうね。音楽にある種の発見と驚きがあったということじゃないかな。どこか聴いたことあるけど、どこかが違う。ああ、ここが新しいんだと分かる。そういう発見をすると感覚が刺激されて、興奮するわけです。あの当時は本当にゾクゾクッとして聴いていたんですよ、音楽を。ビートのある曲は、聴いているとジッとしていられないし。ポップ・ミュージックとは、そういうものだと思うんですよね。
(略)
音楽の聴き方もどんどん変わっていくんです。それまでは聴いてすぐ反応できたんですよ、ホップ・ミュージックは。聴いた瞬間に「いい」「悪い」の判断ができた。でも、ボブ・ディラン以降は、聴いてもすぐに分からないものになった。分からないものの中にこそ、何かがあるんだと。当時「サムシング・エルス」という表現がありましたが、その「何か」にみんな惹かれていったわけです。
(略)
おそらく僕はボブ・ディランを聴いて、曲をつくることの深みに触れたんだと思います。

バーンズ

 バーンズは僕が入る前から、演奏はうまかったという印象があるんです。(略)シャドウズのコピーをやっていた頃から。それが突然、僕のところに松本から連絡が来て、「メンバーになってもらいたいから、オーディションをしたい」と。
●他校とはいえ、2つ年下の後輩から(笑)。
最初はちょっとムカッときましたよ(笑)。今考えると、本当に松本はよく声をかけてきたなと思いますね。「どんな曲をやりたいの?」と聞いたら「ジミ・ヘンドリックスだ」というんでね、ホッホーと思って。「ああ、シャドウズじゃないんだね」とかいったりしてね(笑)。それで伊藤剛光の家に行って、オーディションを受けたんです。「パープル・ヘイズ」と「ファイアー」を演奏して。

松本隆

比較のためにここから松本隆のインタビューに戻る。

僕はストライプのスーツにレイバンのサングラスで行ったんです。細野さんからは未だに「松本はレイバンで現れた」とからかわれていますけどね(笑)。僕はおそらく熱くバンドのことを語ったと思うんです。音楽性の話というより、「こういう仕事が来ているし、こういう話もある。結構、儲かると思いますよ」とか、そういうことを(笑)。これもね、未だに細野さんから「全然、儲からなかった。話が違った」といわれています(笑)。
 そのうち「じゃあ、渋谷のヤマハ行って、楽器を弾きながら話そうよ」となって、ヤマハまで2人で歩いた。これは何度もインタビューで話したけれど、ヤマハの楽器売場で「何を弾けばいいの?」と聞かれて、「じゃあ、ビートルズの『デイ・トリッパー』のイントロ」ってリクエストしたら、細野さんは何回やってもつっかえるわけ(笑)。この人で大丈夫だろうかと思って、最終的には伊藤の家でオーディションをやることにして、加入してもらうことになったというわけです。こっちはオーディションをする側だから、最初は精神的に優位に立っていたんだけれど、まあすぐに逆転されましたね(笑)。

テクニック

バーンズやエイプリル・フールの時までは、練習するのが嫌じゃなかったんですよ。はっぴいえんどになると、作詞のほうに意識がいっちゃって、だんだん面倒になってきた(笑)。[青山のクラブ]コッチでもね、ハコバンですから1ステージで4時間とか演奏し続けるわけです。だからスキル的にはかなり上がる。海外のバンドの最先端のテクニックも一応知ってはいるし、グルーヴもあったと思うんですよね。
 テクニックということでいえば、ビートルズの「レディ・マドンナ」で、リンゴ・スターがキックにアクセントのあるリズムをやっていて、僕はうまくできなかった。細野さんには「それが叩けなきゃダメだ」といわれていて、そんな時にコッチにチト河内さんが遊びにきたんです。細野さんに「あの人はできるから、松本、教えてもらえよ」っていわれて……いや、別に細野さんが紹介してくれるわけじゃないよ、僕の背中を押すだけで。僕は勇気を出して話しかけたんです。(略)休憩時間だからドラムが空いていて、やってみせてくれたんです。「君ちょっとやってみて」「こうですか?」って、10分間くらいかな。それではっぴいえんどの時に使ったキックのテクニックを習得したんです。チトさんに習った話は、今までインタビューでもほとんど話したことがない真実(笑)。

すべての原型

[高叡華からイイノホールでオリジナル曲でバーンズがメインでやってほしいと言われ]
 曲づくりのために、わざわざ芝の増上寺のマンションを借りてくれてね。そこにバーンズのメンバーが集まって、風林火山のメンバーも10人くらいいるところで、徹夜で曲をつくったんですよ。僕が「めざめ」と「暗い日曜日」という詞を書いて、細野さんがそれに曲をつけて。その他にも3曲くらいあったと思うんだけど(略)
ここでつくった曲というのは、エイプリル・フールで少し羽化して、はっぴいえんどで羽ばたくようになる、すべての原型なんですよ。芽というか種がここで生まれたわけです。
(略)
細野さんは忘れていると思うから、僕が証言しないとこの事実は残りませんから(笑)。細野さんがすごかったのは、マンションでの曲づくりの時。僕はある程度詞を書いた上でマンションに行ったんですが、細野さんはギターを持ってきて、その場でつくったんですよ。それがなかなかできなくてね、切羽詰まった状態で、並み居る風林火山の先輩達を待たせて何をいったかというと、「お風呂に入ってくる」(笑)。それで出てきたらさ、「松本、ひらめいた」って。豪傑なんですよ、細野さんは(笑)。

伸びるきっかけ

最初はみんなアマチュアですから、ドングリの背比べだったと思うんです。その中にいる誰かの才能が、何かのきっかけでヒュッと伸びる。伸びた才能が、細野晴臣であり、鈴木茂であり、もしかすると僕だったかもしれない。
(略)
[伸びたきっかけは?と]
今いわれて思い出すのは、エイプリル・フールのデビュー時に、メンバーそれぞれがコメントを求められて、僕は「知的なロックがやりたい」といったんです。それをね、周りの友達からは大笑いされた。「知的なロックなんてあるわけないじゃないか」と。確かにその当時の日本で、知的なロックがあったかといえば、まあなかったんですよ。でも、その半年後には、僕らははっぴいえんどをやり始めたわけだから、その時に笑われたことを、僕はひっくり返せたと思っている。つまり、ドングリの背比べでも、やっぱり火花を散らす瞬間はあるわけ。バカにされながら「いつか見てろよ」と内心思う瞬間が。そういうことの積み重ねじゃないかな。

エイプリルフール(紙ジャケット仕様)

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風街図鑑 街編

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