圧縮
ブランデンブルクはツビッカーの発見した4つの音響心理学のトリックを使って、このオーディオ版のピクセルをコンピュータでさらに簡素化した。
まず、人間の聴覚は一定の周波数をもっともよく聞き分け、それは人間の声の周波数帯に近い。その範囲を超えるとだんだん聞こえなくなり、特に高くなると聞こえにくくなる。ということは、その周波数帯の両極にはあまりビットを割り当てる必要がない。
次に、ピッチの近い音はお互いを打ち消し合いがちだ。特に低い音は高い音を消すので、複数の楽器が重なる音楽をデジタル化する場合には、たとえばバイオリンとチェロの音が同時に響く場合には、バイオリンにビットを少なく配分すればいい。
3つ目に、大きなバンという音のあとの雑音はかき消される。そこで、たとえば決まった間隔でシンバルが鳴るような音楽をデジタル化する時には、そのシンバル音の直後の数ミリ秒へのビット配分は少なくていい。
4番目に、そして奇妙なことに、大きな音の前にくる雑音も打ち消されることがわかった。なぜなら、耳が知覚を処理するのに数ミリ秒かかり、突然大きな音が入ってくると、この処理が邪魔されてしまうからだ。シンバル音の場合には、シンバルが鳴る前の数ミリ秒も、ビットの割り当ては少なくてすむ。
数十年分の実験データに基づいて、ブランデンブルクはビットの配分を決めた。だがこれは第一歩に過ぎなかった。彼の本当の業績は、このプロセスを反復する方法を見つけたことだ。言い換えると、彼のビット配分のアルゴリズムから生まれたアウトプットをまたアルゴリズムに戻し、もう一度それを走らせることができるようになったのだ。そしてこれを何度でも好きなだけ繰り返し、そのたびに使うビット数を減らして(略)
ちょうといいバランスを見つけられれば、人間の耳で実際に聞き取れるだけのビット数を使って、音質を保ちながらファイルを圧縮できる。
[だが無伴奏のバイオリンは]純粋なトーンだけで、隠れる場所がない。ここでブランデンブルクにできるのは、自分のメソッドで圧縮したあと、まったく別の手法を使うことだった。
「ハフマン符号」と呼ばれるこの手法は、コンピュータ科学者の草分けとして知られるMITのデビッド・ハフマンによって1950年代に開発された。情報時代の夜明けにいたハフマンは、ビットを節約したければ、パターンを探さなければならないことに気づいていた。パターンがあれば、反復できるからだ。そうすれば、パターンが起きるたびにいちいちビットを配分しなくても、一度配分してしまえば、必要な時に同じことを繰り返せばいい。彼の情報理論に、無伴奏のバイオリン曲はぴたりと当てはまった。振動する弦、予想できる切れ目、反復される音のパターン。
ふたつの手法はお互いを完璧に補い合っていた。複雑に重なり合う雑音を処理するブランデンブルクのアルゴリズム。純粋でシンプルな音を処理するハフマン符号。そのふたつの組み合わせは、数十年にわたる音響心理学の研究と、情報理論の基本的な原則を結び付けた。
MPEG規格競争
1990年6月にこのMPEGがストックホルムでコンテストを開き、競合する規格の正式なリスニング実験を行った。(略)
MPEGが規格を承認すれば、巨額のライセンス料が入ることになるが、それが難しいこともブランデンブルクは知っていた。ストックホルムのコンテストでは、10種類の音声について評価されることになっていた。オーネット・コールマンのソロ演奏。トレーシー・チャップマンの歌う「ファスト・カー」。トランペットのソロ。鉄琴。花火の録音。2種類のベースのソロ。10秒のカスタネットのサンプル。ニュース放送の一部。そしてスザンヌ・ヴェガの歌う「トムズ・ダイナー」(略)
[14グループがエントリー]
[ブランデンブルクのいる]フラウンホーファーがここまで強いとは、だれも予想していなかった。彼らはダークホースだった。研究機関のお抱え院生グループが大企業を相手に張り合っていたのだから。MUSICAMはこの手のコンテストの典型的な勝者だった。ヨーロッパの4つの大学からの潤沢な資金を受け、オランダの家電メーカーでCDの特許を持つフィリップスとの強力なつながりがあった。(略)
フラウンホーファー方式は少ないデータでより良い音質を出せるが、MUSICAM方式は処理能力が低くて済む。この差は自分たちに有利だとブランデンブルクは感じていた。新しいチップの登場ごとにコンピュータの処理速度は上が[っているから](略)
やっとMPEGがフラウンホーファーに妥協案を打診してきた。複数の規格を承認するというその中にフラウンホーファーも含まれるが、MUSICAMが定めたルールに従えば、という条件付きだった。特に、「多相直交フィルタバンク」という特許で守られた醜悪な技術を使えという。ここまで醜い技術も珍しかった。(略)
[自前のフィルタバンクがあるし]別のフィルタバンクを加えればアルゴリズムがますます複雑になるだけで、音質は上がらない。しかも[フィリップスに特許料を払うことになる。それでも仕方なく妥協]
1991年4月、MPEGは規格の承認を発表した。14グループのうち3方式だけが残った。最初の規格は、MPEGオーディオレイヤー1で、デジタルカセットテープ用の圧縮方式だったが、発表された時点でデジタルカセットテープ自体が時代遅れになっていた。それからほかのふたつの方式が発表された。規格名はMPEGの委員会が付けると決まっていた。ひとつはMUSICAMの方式で、MPEGオーディオレイヤーIIと名付けられたが、今ではmp2と言った方がわかりやすい。そしてブランデンブルクの方式はMPEGオーディオレイヤーIIIとされた。これが今のmp3だ。(略)
mp3は技術的に優れていたが、mp2は知名度が高く、資金力豊富な企業からの支援があった。MUSICAMを操っているのはフィリップスで
(略)
この頃までに、グランデンブルクとグリルは、フィリップスが背後でMPEGに手を回し、決定に影響を与えているに違いないと疑いはじめていた。(略)
若くて世間知らずな学者の集団だったフラウンホーファー組には、そんな戦いへの備えがなかった。その後数年間、mp3は一対一の対決に5回連続で負けた。規格標準化委員会は、デジタルFMラジオ、インタラクティブCD−ROM、ビデオCD、デジタルオーディオテープ、無線HDTV放送のサウンドトラックにmp2を選んだ。mp3はだれにも選ばれなかった。(略)
[mp3は「複雑すぎる」]音質の割に処理能力がかかりすぎるということだ。問題の根っこは、あのフィリップスのフィルタバンクにあった。あれを迂回するために処理能力の半分がとられていた。(略)
フラウンホーファー組は、自分たちが罠にはめられたことにやっと気づきはじめた。フィリップスは非効率な方式をフラウンホーファーに押し付け、まさにその効率の悪さを規格委員会に指摘して、mp3を蹴落としていた。そのうえ、あちら側のエンジニアはささやき作戦を展開し、mp3の失敗の噂を音響コミュニティ全体に広めていた。見事な妨害工作だった。(略)
[さらに改良を重ねたが]
規格決定委員会は、表面的には安定性を優先させるという名目で採択を下し、mp3を永遠に葬った。
逆襲
最後に彼らを救ったのは、スティーブ・チャーチだった。(略)
チャーチもMPEGを信用していなかった。標準規格を決めるグループがえこひいきで決定を下すのを以前に見ていたからだ。(略)[実際に聴き比べテストをし]
mp3が断然いい![チャーチはNHLに売り込んだ]
1995年1月20日だった。その日が北米でのmp3革命の始まりの日になった。氷上の最速バトルがデジタル音声の幕開けになるとはだれも予想していなかったけれど、その年初めてアリーナの真ん中にパックが落とされると、ブラックホークスとレッドウィングスのファンたちは、思いがけず最先端のオーディオ技術を耳にすることになったのだ。(略)
ゼファー変換機のおかげでラジオ局は1時間に何干ドルもの衛星放送の費用を節約できたので、北米のプロリーグのすべてのアリーナにこれが設置されることになった。(略)
[だがチャーチとのライセンス契約では]フラウンホーファーの取り分はわずかだった。(略)
家庭用のユーザーにもっと積極的に売り込む必要があったのだ。(略)パソコン向けのmp3ファイルの圧縮と再生アプリケーションの開発を(略)終えたグリルは、それを「レベル3エンコーダ」、略して「L3enc」と名付けた。(略)
[ブランデンブルクはmp3を広めるため無料で配布することに]
AAC
1995年2月にパリで開かれた展示会で、フラウンホーファーのブースは音楽流通の未来をありありと見せていた。(略)エンコーダは無料で、PC市場は急拡大し、どんな家電メーカーでも最低限のライセンス料金で携帯プレーヤーを製造できた。(略)
それなのに、興味を持ってくれる人はほとんどいなかった。音楽産業の協力がなければ、どんな役に立つんだ?業界規格はmp2で固まっていたし、それで決まりだった。(略)
フィリップスの幹部はグリルに向かってズバリと言い切った。「mp3プレーヤーの発売は絶対にない」
mp3は八方ふさがりだった。mp3プレーヤーが広く一般に普及しなければ、音楽産業は楽曲を提供しないし、mp3のユーザーがクリティカルマスに達しなければ家電業界はプレーヤーを製造しない。つっぱって独立を通すのは楽しくても利益にならないことにフラウンホーファーは気づきはじめていた。企業の後ろ盾が必要だった。(略)
[そこで]mp3に代わるような、より速く、使いやすく、くそみたいなMUSICAMのフィルタバンクを使わなくていい、次世代のエンコーダを開発することにした。
ブランデンブルクは当初これをNBCと呼んでいた。ノット・バックワード・コンパティブル、つまり「下位互換性がない」という意味の略語だ。この名前はMPEGへの痛烈な批判だった。もう美人コンテストには参加しないという意思表明だ。でもそのうちに怒りも静まって、プロジェクト名も対立色のないものになった。アドバンスト・オーディオ・コーディング、略してAACだ。
このプロジェクトには、開始直後から企業スポンサーが名を連ねた。ソニー、AT&T、ドルビーが大株主になり
海賊エリート「シーン」
それが「シーン」で、ドッカリーはIRCの中でも精鋭が集まるエリートグループに参加していた。ラビッド・ニューロシス[RNS]だ。(略)
RNSは1曲ずつコピーするのではなく、アルバムごと盗み、アンダーグラウンドのエリートとして「ゼロデー」精神をソフトウェアから音楽に持ち込んだ。できるかぎり公式の発売目前にネットに流すことが彼らの目標で、そのためには大手レコード会社を出し抜く必要があった。
(略)
[新たにリーダーに選ばれた]カリの指導によってグループに軍隊のような規律がもたらされた。彼は生まれつきのスパイ管理者で、監視と侵入のプロで、音楽海賊界の陰の仕掛け人だった。競馬新聞を読むようにビルボードに目を通し、絡まった糸のような企業買収の網を読みほどき、どのCDがいつどこで作られるかを予想した。販売網を解明すると、積極的に人材を勧誘し、辛抱強くスパイ網を作り上げ、その後8年にわたってすべての大手レコード会社のサプライチェーンに潜伏させていた。
セント・ジェームズのハンドル名で通っていたドッカリーは、カリにとって最初の突破口だった。彼らはチャットのチャンネルで知り合い、ドッカリーは発売前のCDを自慢しはじめた。疑ったカリが証拠を見せろと言うと、ドッカリーは曲を送ってきた。大きな魚を釣りあてたことに気づいたカリは、すぐにドッカリーを仲間に引き入れた。最初はあまり重要な存在でなかったドッカリーは、ユニバーサルの買収後にRNSでもっとも大切な入手先になった。だが今度は、新しい防犯体制のせいでドッカリーはCDを入手できなくなり、その仕事をグローバーに頼みたいと提案していた。
(略)
グローバーは迷った。俺にとってなんの得になる?(略)
[RNSの秘密のサーバーは]あらゆる種類の海賊コンテンツをテラバイト単位で保管していた。映画、ゲーム、テレビ番組、本、ポルノ、ソフトウェア、フォントなど、著作権で守られたコンテンツならほぼなんでも揃っていた。暗号化されたシーンのサーバーはだれにもわからないように隠され、パスワードがかけられて、事前に許可を受けたアドレスからしかログインできなかった。足跡が残らないようにログインのソフトウェアはすべて無効になった。ユニバーサルと同じで、シーンもまた独自の在庫を管理していた。おそらくユニバーサルよりうまく管理できていた。
この「ダークネット」と名付けた秘密のサーバーヘのアクセスには、なにかの見返りが必要だった。盗んだコンテンツをアップロードしなければここに入れない。それも自宅にある懐メロCDなんかじゃだめだ。なにか新しくて、人気のあるものでなければならない。(略)
ソフトウェアのテスト管理者や、DVDのチェック係や倉庫の従業員もいた。どのサプライチェーンでも、どこかでグローバーのようなだれかがコンテンツを盗んでいた。コンテンツが店頭に出る数週間前でも、ネットのどこにもない時でさえ、サーバーにはそれがあった。サーバーからの拡散は注意深く管理されていた。(略)
グローバーが工場から盗んだCDをアップロードすれば、今後いっさいコンテンツにお金を払わなくて済む。小売価格が数千ドルもするAutoCADソフトがただで手に入る。だれよりも早く発売前のアウトキャストのアルバムも聞ける。店頭に出る1か月も前にマッデンNFLをプレイステーションでプレーできる。ドッカリーが持っていて自分にはなかったリリース前の映画も手に入れることができる。それってすごくないか?
孤立した音楽業界
ローゼンと海賊対策チームは司法省と定期的に話し合い、mp3ドットコムやナップスターのような厚かましいベンチャーを追いかけるように説得した。だが、これは難しかった。音楽業界は政治家にあまり好かれていなかった。レコード会社の幹部たちはティッパー・ゴアやビル・ベネットに歯向かって勝ちを収めていたが、そのせいで政治家やその妻をユーモアのないガミガミ屋のように仕立ててしまった。リベラル派でさえも、音楽レーベルに同情的な人はいなかった。(略)
[一方映画産業はアメリカ映画協会会長ジャック・バレンティ]が自主規制するためのレーティング制度を導入した。バレンティの作ったレーティング制度は穴だらけだったし、時にはまったく理屈に合わなかったが、政界といい関係を保つのには役立ち、少なくともハリウッドにとっては芸術性を犠牲にする価値があった。
レコード業界は妥協しなかったし、それは褒められていい。レーティング制度は文化にかならず影響し、どんな種類の曲をいくらでだれが作るかを決めることになる。面白みのない官僚の集団がビートルズを、または2ライブ・クルーを聞いてもよい年齢を決めると考えただけで、モリスは吐きそうだった。モリスはアーティストの表現の自由を強く支持し、そのための犠牲をいとわなかった。(略)
だがその信条のせいでモリスは苦しむことになった。議会は音楽業界によるモラルの破壊から若者を守れなかった。だから若者によるファイル共有から音楽業界を守ろうという気にはなれなかった。議員たちはこの点について率直だった。モリスの部下との話し合いで、議員たちは地元の選挙民の多くはファイル共有を支持していて、著作権法の厳格な運用に反対しているとはっきり言っていた。同性愛を禁じる「道徳法」と同じで、著作権保護法は時代遅れになりつつあり、原則はあっても取り締まらないものだった。(略)
「政治家は票になることしかしない」あとになってゲラーは当時をそう語っていた。「それに、音楽を盗んでいる有権者の数は売っている人間より多い」
ほかの業界には、この問題はなかった。映画業界ではすべてのビデオにFBIによる違法コピー禁止の警告が貼られているし、バレンティの存在もあった。出版業界は少なくとも音楽業界と同じくらい汚物をまき散らしていたが、引退した政治家に自伝の手付金を気前よく支払っていた。ソフトウェアメーカーは司法省の反海賊キャンペーンの恩恵に預かってたし、彼らの多くは国家安全保障局に密かに協力していた。けんか腰で協力を拒んできた音楽業界だけが孤立し、今や国に見捨てられていた。著作権の取り締まりを望むなら、自力でやれというわけだ。
共謀罪
RIAAは2005年の終わりにお灸を据えるつもりで1万6837人を訴えた。被告のほとんどは普通の市民で、RNSやピンクパレスのエリート海賊グループとは無縁だった。どこにでもあるサイトから音楽をダウンロードしていたらある日突然裁判所に呼ばれてしまったのだ。
(略)
海賊行為にすべてをかけているエリートたちはまったく動じなかった。本来ならシーンのメンバーやトレント参加者を牢屋に入れるべきで、そのためにはFBIとRIAAが引き続き力を合わせるしかない。(略)
共謀罪の捜査のほとんどは組織の下っ端から始まる。今回はトップから始まった。シューメイカーの協力を得て、FBIはバッカニア作戦の時と同じようなおとりサーバーを仕掛けた。(略)FBIはAPCのメンバー18人を逮捕した。罠にかかったのはみんな、それほど内部へのコネのない一般人だった。ブルース・ハックフェルドとジェイコブ・ストーラーは、その典型だ。22歳のふたりはルームメイトで、趣味はビールと格闘技と音楽の海賊行為だ。(略)
前科のないふたりは共謀罪に問われ、執行猶予なしの5年の実刑を求刑された。ほかのメンバーと同じように、有罪を認め、減刑と引き換えにFBIへの協力を約束した。彼らはバージニアの郊外に連れて行かれて、司法省のコンピュータ犯罪部門で政府案件を扱っていたジェイ・プラブーに引き合わされた。
音楽の不正コピーで逮捕されるなんて、わけのわからない体験だった。ハックフェルドもストーラーも犯罪者の自覚はない。少なくとも深刻な犯罪に関わったつもりはなかった。理論的には違法だとわかっていても、犯罪ではなくいたずらくらいに考えていた。APCが狙われたことにふたりとも驚いていた。もっと目立つ悪質なグループがほかにたくさんあったからだ。
しかも、ますますわけがわからなかったのは、バージニアで訴えられたことだ。バージニアに住んでいるメンバーはいないし、そこから流出したCDもなく、FBIのおとりサーバーはフロリダにあった。それは犯罪の性質のせいだとプラブーは説明した。ふたりの罪が詐欺でも窃盗でもなく、「著作権侵害の共謀罪」だったからだ。キーワードは「共謀罪」だ。ニューヨークで銀行強盗をすれば、ニューヨークで罪に問われる。(略)だがニューヨークの銀行強盗についてモンタナで話し合ったとしたら、検察はどちらの州で起訴してもいい。共謀罪の場合には、共謀が行われた場所ならどこでも、罪に問うことができる。
それでもまだふたりは混乱していた。だって、バージニアまで出かけていって、アイオワでリークしようと話し合ったわけじゃない。いったいなんでバージニアなんだ?理由は、プラブーがバージニアにいたからだ。(略)
それに、ふたりは何年か前に一度だけ、AOLのインスタントメッセンジャーでおしゃべりしたことがあり、それがバージニア州フォールズチャーチにあったAOLのサーバーをほんの一瞬だけ経由していたからだ。その「ほんの一瞬」があれば、法的に「共謀」は成り立つ。つまり、デジタルな海賊行為に関して言えば、司法省はどこでも好きな場所で起訴できた。
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