ジブリの文学 鈴木敏夫

ジブリの文学

ジブリの文学

悲観論者

 宮崎駿は、一般の印象とは随分と違う人かもしれない。(略)
宮さんはぼくが出会った時から悲観論者だった。それも、並の悲観論者ではない。実際、悲観すると、肉体が壊れんばかりに支障を来す。眠れない夜が続き、挙句は目が腫れたり歩けなくなったりする人なのだ。『もののけ姫』に登場した乙事主の最期を思い出して欲しい。(略)齢五百歳の巨大イノシシの王だ。あれが、宮さんそのものなのだ。しかし、その悲観の深さが作品を生む。

ナウシカ』のブルーレイ化

今回の話が持ち上がる前から、宮さんは、デジタル処理に関して、否定的な意見を吐いていた。過去の名作が、デジタル処理を施すことで、色にざらつきのある、品のない作品になってしまっている。ああだったはずがない。あれは、作った人に対する冒瀆ですよ。年数が経てば、作品が古ぼけて見えるのは当たり前。ぼくにしても、そうやって過去の名作を見てきた。それをいくら技術の進歩があったからといって、新品にしてしまう権利がだれにあるのか。それが宮さんの意見だった。
 それを整理すると、こうだった。基本は、公開時のものを尊重して欲しい。それ以上には綺麗にしない。プリントを焼く過程でついた傷は取る。色パカ(塗り残し)は、そのままにする等々。

宮崎駿の「自白」

[30年ほど前]C・W・ニコルさんと対談することになり、珍しく宮さんがぼくにビデオを貨してほしいと頼んできた。タイトルを聞いて驚いた。『わが谷は緑なりき』。ジョン・フォードの名作だ。
 なぜ驚いたかというと、この作品については、宮さんは事あるごとに人に語ってきたので、今さらなぜもう一度見るのかという疑問が湧いたからだ。(略)
 宮さんが言いにくそうに、小さな声で「自白」を始めた。「……いや、実は映画を見たことがない」。宮さんはあらぬ方を見ている。
 真相を確かめるべく問いただすと、宮さんが見たことがあったのは、『わが谷は緑なりき』のスチール一枚のみ。その一枚から、想像を膨らませ、映画の内容についてこういう映画に違いないと、勝手に決めていたのだ。
 たぶん、何度も話しているうちに、自分でも映画を見たと信じ込んでいたのだろう。で、これまでは何とかなってきたが、今回ばかりはそうはいかない。
 なにしろ、C・W・ニコルさんは、『わが谷は緑なりき』の舞台になったウェールズで生まれ育った人だ。

奥田誠治

[氏家により左遷された奥田誠治が『ポニョ』完成後のジブリを訪れた。二人で]
宮さんのアトリエを訪ねた。そして、事情を説明した。こういうときの宮さんは忍耐強くじ〜っと話を開く。聞き終わると、一切意見を口にしない。それが宮さんのやり方だ。
 そして、第一声を忘れない。
 「奥田さん、零戦の映画を作らない? 企画はぼくが考えるから」
 奥田さんは戦争に開する本や映画に詳しくて、宮さんと一緒によく雑談をしていた。(略)
[それから数ヶ月後宮崎は「風立ちぬ」の連載を開始]
(略)
 映画『風立ちぬ』の公開がスタートして一週間が過ぎたころ(略)ぼくがこの話題を持ち出した。奥田さんは、そのことを絶対、覚えてないに違いない。その確信の下に。案の定、奥田さんが表情を変えた。
 「あ、あのときの!」
 どうやら記憶がよみがえったらしい。零戦の漫画は、マニアの奥田さんも毎号、期待して読んでいたが、まったく気付かなかったそうだ。
(略)
 ちなみに、『千と千尋の神隠し』は、奥田一家のことをモデルにして作った映画だ。ジブリは、奥田さんに随分と世話になっている。
 あれから五年。氏家さんが亡くなった後、奥田さんは部長に復帰して元気に働いている。

宮崎駿はどういう人なのか?

テレビの映像だけでは、なかなか伝わらない。『風立ちぬ』に登場した主人公二郎の先輩技術者で黒川という人物を思い出してほしい。これが宮さんの自画像だ。
 短足胴長の典型的な日本人。そして、顔はベートーベン。宮さんは、こういう漫画っぽいキャラクターを描かせたら天下一品だが、今回は特別だ。挙措動作、しゃべり方、表情を含め、カリカチュア(誇張)はあるがすべてが宮さんそのものだった。

[メイの]「顔がでかくて悪かったなあ!」
 宮さんがなぜ、声を荒らげたのか? その理由について、その場に居合わせたぼくは、一瞬ですべてを理解した。でかい顔のメイちゃんのモデルは、誰あろう、宮さん本人だった。
 宮さんの顔は、横に長い。そのことを揶揄されたと宮さんは勝手に誤解した。(略)
 映画の企画段階で、宮さんは、サツキとメイのお父さんのキャラクターを二種類作った。ひとつは、実際に映画で使うことになる面長タイプ。もうひとつが、横に長い顔だ。そのふたつの絵を持って、宮さんはスタジオを回った。どっちがいいと思うのか、スタッフに聞いて回ったのだ。結果、面長タイプが圧倒的な支持を得て、そっちに決まった。そのときの宮さんの落胆ぶりをぼくはよーく憶えている。

引退撤回

[スタッフがモニターで『レッドタートル』をチェックしていたら、後ろで宮崎が見入っていた]
午前中にチェックしてOKを出した[『毛虫のボロ』の]カットの全リテークを指示した。
 『レッドタートル』が宮さんに火をつけた。刺激を受けた。スタッフの間に緊張が走った。『レッドタートル』は全編手描き。しかも、芝居が素晴らしい。同時にこうも思ったに違いない。『レッドタートル』がジブリの最後の作品として公開される、それは我慢がならない、と。
 数日後、ぼくとの雑談の中で宮さんが唐突にこう言い出した。
 「あのスタッフがいれば、長編を作ることが出来る」(略)
 「ヨーロッパ中の手描きのアニメーターが集まったんですよ。それをもう一度集めるのは至難の業です」
 むろん、宮さんは映画を見たとは口が裂けても言わない。ぼくにしても、いつ見たのかなどと野暮なことは口にしない。
(略)
 それから数ヶ月経った。宮さんが一冊の本をぼくに提示した。
 「読んでみて下さい」
 アイルランド人が書いた児童文学だった。(略)面白いと思ったし、いまこの時代に長編映画とするに相応しい内容だと判断した。翌朝、そのことを伝えると、宮さんは満足の表情だった。
 「しかし、どういう内容にするかが難しい。原作のままでは映画にならない」
 そして、付け加えた。
 「ジブリは映画を作るべきだ」
 それは正論だ。やれるものならやりたい。しかし、いったい、誰が作るのか。この時点で、宮さんにしても自分が作るとは言い出していない。
 季節は梅雨になった。宮さんが別の企画を持ち出した。今度も外国の児童書だった。ぼくは再び、一晩で読んだ。宮さんが質問してきた。
 「どちらをやるべきか」
 ぼくに迷いは無かった。
 「もちろん、最初の本でしょう」
七月に入ったばかりのころだった。宮さんが企画書を書いた。そこには三つのことが書かれていた。
一つ目。「引退宣言」の撤回。
二つ目。この本には刺激を受けたけど原作にはしない。オリジナルで作る。そして、舞台は日本にする。
三つ目。全編、手描きでやる。
 むろん、監督は宮さんだった。このあと、ふたりが交わした会話は、去年の秋に放映されたNHKスペシャルの「終わらない人 宮崎駿」に詳しい。

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