高橋源一郎ゼミで岩波新書をよむ

半分高橋源一郎ゼミの発表会なので、ハッキリ言って……。結局、生身の話より、本の方が面白いのだなあ。

長谷部恭男 憲法教室

憲法九条

憲法九条は、特に第二項を文字通り普通の日本語として受け取りますと、今の自衛隊憲法違反です。自衛のための武力を持ってはいけません。外国に武力で攻撃されたら、そのまま攻撃され放題ということを言っているかのように見えますね。それで本当にいいのかということです。
(略)
[自衛すらしないという]決断が仮に正当化出来る、支える理由付けがあるとすると、それはそういう生き方が人としての唯一正しい生き方だからという、そういう想定しかあり得ないのではないかと私は考えるわけです。それはまさに特定の価値観・世界観を、そういう価値観を信じない人も含めて、全ての国民に押しつけていることになるのではないかということで、そうだとすると、ここはテクストの解釈が必要だということになる。(略)
 解釈が必要になってくる条文は、憲法九条だけではありません。憲法の第三章の、「国民の権利及び義務」に並んでいる条項は大体そうです。例えば憲法二一条。表現の自由を保障すると。(略)だとすると人の名誉を毀損するのもやり放題。わいせつ表現もし放題。人のプライバシーも暴き放題ということに本当になっているのか。そうはなっていないわけです。(略)
[これらを取り締まる法律が憲法違反だと言われないのは、テクスト通りではなく解釈が必要だとみな分かっているから]
それと同じことが憲法九条についても言えるであろうと。これは私がそう言っているという話です。個別的自衛権はあるはずです。(略)
そういう解釈が必要になってくるのではないかということです。
(略)
憲法学者の中には、日本語の普通の言葉の意味通りに受け取るべきだと言っている人たちが結構います。(略)
ですから、自衛隊憲法違反ですということなのですが
(略)
普通の条文の意味通りに実現できないのなら九条を憲法から削除するべきだと言う人もいますが、そういう人たちは、道路交通法や手形・小切手法のような、日々の日常的な活動を規律する法律と憲法の区別が分かっていないのでしょう。(略)
戦力(war potential)と言えるようなものを持つべきではないという、そういう普遍性はあると思います。一項が言っている戦争なんてそもそもすべきではないし、武力の行使だって、これは国連憲章にもそう書いてありますが、武力の行使は原則禁止だと。それは正しい普遍性のある議論だと思います。
(略)
そもそも憲法とは一体何かということになると思うのです。憲法は何のために必要かというと、民法とか刑法とか、皆さんが日常生活で触れるはずの、日常生活を支えているはずのいろいろな法令があります。で、普通はそれで十分なんです。そういう法令さえあれば。憲法なんてよく分からないものがなくても。特に憲法の中でも、基本権条項ですよね。国民の権利及び義務に関する条項とか。何のために必要なのかというと、そういう通常の法令通りに裁判所に来た紛争を解決していると、良識に反する結論になってしまう時とか、どう考えてもこれはおかしいという結果になってしまうという時に、初めて出番が来るのが憲法です。
 何のために出番があるかというと、良識に戻れというためです。
(略)
だとすると、憲法九条についても同じではないとおかしい。良識に反する答えで良いのだ、憲法のテクスト通りなのだから、というのは、おかしいのではないかという話です。

解釈改憲

私の見方は、自衛隊の存在を認めることは解釈改憲しているんじゃない。というのは、自衛隊の存在を認めないこと自体が、日本国憲法の基本原理たる立憲主義に反しているから。これこそがまっとうな憲法九条の解釈だと私は思っています。改憲はしていない。日本国憲法の基本原理に忠実に考えているだけで。
(略)
ちょっと別のレベルでよく言われるのが、政府は憲法九条の下で、解釈改憲を繰り返すことによって自衛隊の活動範囲を広げてきたと言われることがありますが、これは私は、事実の認識として間違っていると思います。というのは政府は二〇一四年の七月の例の集団的自衛権行使容認の時点に至るまでは、ということですが、解釈は変えていないんですね。個別的自衛権は行使出来ますと。必要最低限で。集団的自衛権は行使出来ません。(略)
[行使するなら憲法改正が必要と一貫して言い続けている。じゃあPKO法とかはなんなのか、それには別の理由がある]
憲法九条があるということは、自衛隊の活動範囲の出発点はゼロです。出発点がゼロなので、自衛隊を置きますということについても、自衛隊はこういうことが出来ますということについても、一つひとつポジティブリストで法律を特別に作らないことには自衛隊は活動が出来ない。
(略)
でも憲法の解釈としては、個別的自衛権の範囲内でしか武力は行使出来ません。個別的自衛権としての武力の行使しか出来ないのであって、集団的自衛権の行使は出来ませんという外側の枠の解釈は変わっていない。首尾一貫して変わっていません。そういう意味では政府が解釈改憲を今まで繰り返してきたことはないと。(略)
[それが今回]
二〇一四年の七月に、いきなり違うことをしてしまったということです。

どーでもいいけど、長谷部恭男が「掟上今日子の備忘録」と「ドS刑事」を観て、学生時代はベース担当で、ドゥービーズやスティーリー・ダンのコピバンをやっていたというのが意外w