ポピュリズム化する世界 国末憲人 ルペン父娘

国民戦線、ルペン

[ルペンの「国民戦線」と思われているが]
 結党にあたって実際に中心となったのは、ネオ・ファシスト的傾向の強い極右指導者フランソワ・デュプラが率いる団体「新秩序」(オルドル・ヌーヴォー)だった。ただ、組織の暴力的な側面をカムフラージュするために、国民議会議員(下院議員)の経験を持つ右翼志向の男を見つけてきて、党首に据えた。彼は、有力な支持基盤を持たなかったが、なかなか演説がうまく、名目上のトップとして座りがよさそうだった。
 その男がジャン=マリー・ルペンである。
(略)
 しかし、いったん党首の地位を手に入れると、ルペンは巧みに立ち回った。「新秩序」の力を削ぎ、党内の各潮流を競わせ、自らを標的としたテロをかわして生き延びつつ、主導権を確立した。
(略)
[80年代、左翼の退潮で一気に伸長したが、87年のガス室発言の]
反発は極めて大きく、国民戦線に擦り寄りかけていた右派は一気に離れてしまった。以後二十年以上にわたって、国民戦線は他の政党から徹底的なボイコットを受けることになった。(略)
[88年の]総選挙で、孤立した国民戦線はすべての議席を失った。
 以後、行き詰まりの打開を図る改革派の活動が党内で目立ち始めた。その役割を担ったのが、党内の新右翼団体「大時計クラブ」と、中心人物のブルノ・メグレである。低所得低学歴が争い国民戦線の中にあって、メグレは[名門校出の高級官僚、入党したのは88年だったが、瞬く間にNo2に](略)彼の周囲には、右翼に近いエリート官僚らが結集した。
 彼らは、右翼思想家団体「欧州文明調査研究集団」(GRECE)の影響を受けていた。(略)
[GRECEは学者組織で]「右翼グラムシ主義」を標榜し、政治的なヘゲモニーを握るにはまず自分たちの思想や文化を普及させる必要がある、などといった戦略論を展開した。(略)
[略称のとおり]ギリシャ文明に端を発するヘレニズムのうち、ヘブライズムを排してヘレニズムに特化するべきだと考えた。そのうえで、世界各地の文明が持つアイデンティティーとその多様性を重視する理論を構築した。それまでの右翼には、「優秀な欧州が他の地域を指導してやる」といった植民地主義譲りの優越感、差別意識が露骨だった。GRECEはそうでなく、「欧州には欧州の、中東には中東の、アフリカにはアフリカの文明があって平等だ」との立場を取った。
 これは一見、開明的で、あまり右翼らしくない。その実は、「欧州は自分たちでやるから、そっちはそっちでやってくれ」という突き放しの論理である。

ルペンの娘


[右翼の枠にこだわらず右派政党と連携をはかるメグレらはルペンと対立、98年分裂。だがエリートのメグレらの新党はすぐにポシャり、若手たちはは国民戦線に出戻った。「裏切り者」と罵られながら雑巾がけしていたが、右翼でもなく単に法律顧問として出入りしていただけのルペンの娘に目をつけた]
理論家ぞろいの彼らの支援を受けて、マリーヌは党内改革派としてのイメージを確立した。急速に高まった人気を背景に、2011年の党首選で勝利を収め、第二代党首に就任した。
 新党首マリーヌとその取り巻きは、新右翼の理念に沿って差別的な言説や極右的行動を排除した。「反移民」一辺倒だった方針を改め、経済や外交、福祉など多岐の分野にわたる政策を練った。メグレの元スタッフらがマリーヌの名の下で進める改革は「メグレのレシピにルペンという名のスタンプを押している」などと揶揄された。(略)
不寛容な右翼政党は、より普遍的な理念とより広い支持を備えるポピュリズム政党に成長したのだった。
(略)
[2015年、過去のガス室発言やペタンを擁護した父を娘が除名。これがマリーヌの開明的なイメージアップに。代わって登場したのがルペンの孫でマリーヌの姪、右翼思想を体現し、強硬派から期待を集めるマリオン。]
[マリーヌの下でNo2となったのが30歳の]フロリアン・フィリポである。官僚養成機関「国立行政学院」(ENA)を出たエリートで、もともとは左翼に近く、社会党内閣で国防相や内相を務めた左派の大物政治家ジャン=ピエール・シュヴェヌマンの選挙運動に携わったこともある。シュヴェヌマンは左派ながらナショナリスト的な傾向が強く、グローバル化阻止と国家による保護主義を主張し、欧州統合にも懐疑的だ。フィリポはその精神を受け継ぎつつも、自らの理想を左翼では実現でさないと考え、国民戦線に可能性を求めて入党したのである。(略)
[父ルペンは自由貿易を重視していたが、フィリポはマリーヌを説得]
保護主義と反グローバル化を党の方針の中心に据えた(略)
ガス室」発言を巡って父と娘が対立した際、双方の手打ちを試みる古参幹部らに反対して「父ルペンは党を出るべきだ」と強く主張したのがフィリポだったという。父ルペンが持つ差別体質を払拭し、国民戦線を反グローバル化政党につくり替え
(略)
[カトリック強硬派が主流だったが、マリーヌは政教分離に方針転換。不寛容なイスラム教に蹂躙されるのではと不安に思う層を狙い]
「自由や平等といった理念をイスラム過激派から守れ」と主張し、支持を拡大した。
 その結果、やや奇妙な状況が出現した。かつて差別的で偏見に満ちていたはずの右翼ポピュリズムが、こともあろうか人権や民主主義、法秩序といった欧州の基本理念を擁護する存在として立ち現れてきたのである。
 彼らはおおむね、以下のような論理を展開した。

  • イスラム主義は自由や人権を軽視し、民主主義を尊重しない。これらの理念を守るのが愛国者の責務だ
  • イスラム過激派は、政教一致の社会を築こうと狙っている。これを阻止して政教分離を明確にすべきだ
  • イスラム教は女性の権利を認めない。我々はこれを守る

(略)
[マリーヌはインタビューで]
 「国籍へのもっと厳しい条件を課さなければなりません。ハードルが低すぎるから、移民も殺到し、フランス人から雇用などの権利を奪うようになる。二重国籍も廃止すべきです。祖国は一つしかあり得ない。どちらか選ばなければなりません(略)
生地主義の廃止です。フランス人は、フランス人の親から生まれるか、フランスに帰化するかだけに限るべきです。帰化自体は否定しませんが、そのためには罪を犯さず、規則と価値観を尊重し、フランス文化を共有し、運命をともにする意思を持つ必要があります」
 興昧深かったのは、内と外、味方と敵、「我々」と「彼ら」を明確に分けるポピュリスト特有の発想を彼女は正当化する一方で、その区別が人種や民族、宗教によるものであってはならない、との原則を述べたことだった。
 「私たちの活動の基本は愛国主義です。だから、『私たち』と『彼ら』を分けるのです。ただ、『私たち』の中身は多様です。肌の色や宗教がどうであろうとも、フランス人はフランス人であり、私たちが守る対象です」
 つまり、フランス人であることが重要なのであって、キリスト教徒だとかイスラム教徒だとか無神論者だとかは重要でない。イスラム教徒であっても、宗教を盾に共和国の理念に立ち向かわない限り問題にしない。これは、「肌の色や宗教」によって露骨な差別を続けてきたかつての右翼の発想との決別を掲げたといえる。(略)
 ただ、彼女が「フランス人」と考えるのが本当にすべてのフランス人なのかは、気にかかる。(略)
いいフランス人ならいいが、悪い人はフランス人でないと考えているように見える。
 これはやはり、「結集」よりも「分断」なのではないか(略)差別の基準を[肌の色や宗教から]「よきフランス人」と「悪人」とに変えただけではないだろうか。
(略)
パリ政治学院教授のパスカル・ペリノーは、国民戦線の現状をこう語る。
 「父ルペンは政権獲得を本気に考えず、抵抗者としての地位に満足していました。娘は違います。抵抗者であることに満足せず、権力を視野に入れ、フィリポをはじめとする若い世代の支えを受けつつ、党の悪評判を払拭しようと努めてきました。抵抗者の地位から脱しようとする意図は、欧州各国の右翼政党に共通しています」
(略)
[オーストリア自由党の主張は]フランスの国民戦線やオランダの自由党と重なっている。すなわち、自分たちこそ女性や性的少数者の権利、言論の自由政教分離といった西欧文明の守り手であり、これらの概念を受け入れないイスラム教と対峙するのだ、といった意識である。
 こうした発想は、欧州社会で広く共有されつつある。欧州は、米国に比べ自由よりも規律や秩序を重んじる傾向が強く、多くの市民は「不寛容を認める寛容さは必要ない」と考えているからだ。
 これは、「自由を制限する自由は認められるか」といった、普遍的な問いかけとも結びつく。認めるのが米国流であり、認めないのが欧州流である。たとえば、暴力的なカルト集団を、米国では信教の自由の一環として認める場合が多い。欧州はこれを厳しく規制する。原理主義的なイスラム教についても、米欧で対応が異なるのは同様である。
 ただ、では実際にイスラム教徒はそれほど不寛容なのか、疑問は拭えない。もちろん、テロリストや過激派は論外だが、難民もそうなのか。むしろ、欧州の寛容さに憧れて海を渡ってきたのでないか。それに右翼側が過敏に反応して、単なるスローガンとして「反イスラム」を打ち上げているだけではないか。

次回に続く。
[関連記事]
kingfish.hatenablog.com
kingfish.hatenablog.com
kingfish.hatenablog.com
kingfish.hatenablog.com