内村剛介インタビュー・その2 ロシアのヤクザ

前回の続き。

「ブラトノイ」とは

[「ブラトノイ」は普通日本風に「ヤクザ」と訳されているが]
先ず語源的に言いますと、「ブラート」、いわゆる「袖の下」ということから来ています。(略)賄賂ですね。もともとの起こりはそこからなんで、「ブラトノイ」とは、したがって、「非合法な力によるところの絡めとり」と言いますか、「非合法な手段でもって権力を手に入れる」ということを意味しています。しかしながら、そこに篭められた彼らの意図というのは、最終的に麗しい世の中を作りたい、アナーキックな世界を実現したいという願いであって、「ブラトノイ」とはだからこの手段と意図とをいわばドッキングした存在にほかならないと言えると思います。つまり、権力に向かってはたしかにそれを「絡めとる」「掠めとる」わけですが、しかし、その後に目指すところのものは権力の無い世界であるということですね。(略)ここに見られる無頼性、そのアナーキズム的性格というものは、広くロシアの芸術や政治とも密接に繋がっていると言えるわけです。(略)
このロシア的無頼性というやつはどこから来たかと言いますと、そもそもロシアのように余りにも広大な土地に対して、人間の数が極めて少ない(略)
[強力なパワーによる]強制的な力をもってして人間を狩り集め[労働させるという発想になる](略)
中央集権的な力によって、その広い土地と人間とをドッキングさせるというのが唯一の方法だったわけです。
(略)
[16世紀ロシアでエンクロージャーが始まり権力者が「ここは俺の土地だ」と宣言した時に大人しく降伏したのが「クレポスノイ」(農奴)、それは我慢できん、ここを出て新しい土地を探すと逃亡したのが「コザック」]
こうして彼らは山野を開拓してそこに定着していくわけですが(略)そうすると、今度は彼らコザックの内部で「階級化現象」が生じてくるんですね。そして、この階級化したコザック社会のリーダーたちは、やがて寝返りを打ってモスクワの皇帝権力と癒着を始めるのです。(略)
すると、また息苦しくなった「コザック」の本流は、再びそこを逃げ出して外へ向かうんですよ。(略)
こうして彼ら不満分子が外へ向かって逃亡すればするほど、彼ら逃亡者によって開拓された土地、フロンティアは、最終的には全部ツァーリの財産として追認、回収されて、結果として帝政ロシアの領土が広がっていくという、非常によくできた円環的システムになっているわけですね。
(略)
 そして最後に第三の対応があります。つまり「ここは俺の土地だ。それを認めよ。いやならここから出ていけ」という強者の命令に対して、「そんなことは嫌だね。俺は頭を下げないし、逃亡もしない。俺は一匹狼で暮らすよ」と宣言し、これを実行した者たちです。つまり、屈服して土地に止まったような農奴にもならないし、また生まれ故郷を捨て、徒党を組んで外へ出て行ったコザックの道をも選択しない。しかし、そうかといって新しい領主にも従わない。自分はあくまでここに止まり、独りの力で立って見せるという誇り高い立場ですね。これがつまり「ブラトノイ」であって、いわゆるロシア・ヤクザの系譜の始まりもここにあると言われています。

「ロシア地理学協会」

ロシアにおける民俗学研究は、そもそも1840年代から60年代にいたる20年間くらいがその勃興期で、前にも話しましたが、そのときに「ロシア地理学協会」というのが出来ます。そして、この協会はロシア全土の地理や民情を調査するわけですが、中でも遠い辺境を調査するということは、中央権力の膨張政策という政治上の要請がその裏側にあったわけですね。しかし、そういう現場を具体的に調査することは、これは「官」ではなく、やはり「民」でもってやらなきゃならんのですよ。でも、当時そういうサーヴェイを担う民間組織などなかったのです。そして、どうしたか。これがいかにもロシアらしいんですが、実際にその仕事を進めたのは囚人なんてすね。囚人と言いましても、要するにインテリの囚人。
 ――流刑囚ですね。それからアナキストクロポトキンなんかも、彼の『自伝』を読みますと若い頃この地理学協会の会員であって、相当な学問的貢献を果たしています。
 遠い辺境に追放になっているインテリ、学者囚人たちが、ひたすら自分の学問的関心から発してその仕事を積極的に行ったわけで、彼らは率先して地図など未だ無い奥地へ入って行き、その調査結果は書きものとして定期的に集約されていったのです。そして、この「果実」は地理学協会によって吸い上げられ、それがさらに政府の政策決定に影響を与えて行ったという構図があるわけです。要するに、権力は、自分が弾圧した連中を使って辺境調査を積み上げ、その支配と拡張のために役立てた(略)
学問的良心に従い、民衆のためにということで推進されたサーヴェイが、回りまわって今度は民衆弾圧の道具にされるというパラドックスがここにあるわけです。このロシア民俗学における逆説は、ソ連邦という政治体制が完成する以前に、すでに19世紀の半ばに出来上がっていたということになります。この地理学協会は地方にそれぞれ各支部を持っていましたから非常に大きな力がありました。今でもその伝統はロシアに生きています。
(略)
例えば日露戦争の前、ウイッテは北満調査団を派遣し、膨大な実地調査を敢行しています。例えば、何故ハルビン満洲の拠点を置くか。それを決める前に全部ちゃんと学問的サーヴェイを行っています。もちろん武力をもって入って来たという事実は明らかなんてすが、その前にちゃんと学問的な裏づけを行っているわけで、しかもそれには民間の力が大いにあずかっていて、車の両輪のように並行していたわけです。
(略)
 こうしたロシアのやり方を知った初代満鉄総裁の後藤新平が言い出したことがあるんですよ。彼曰く。図書館は大学に付けるな、と。図書館を大学附属としてしまっては使い物にならん。そうではなく、調査機関にこそ図書館を設置し、有効に活用させるべしと。つまり、図書館をもっと調査の現場に直結させろ、そしてアカデミーはアカデミーの仕事をやれと言ったのです。だから満鉄調査部の図書館というのは、建物が調査部と並行して隣り合わせにありました。それが一番大きな図書館で、その点はやっぱり卓抜だったと思いますね。これはやっぱりロシア的な伝統を真似していると思うんですよ。

逃亡は美徳である

この巨大な、無制限の、何ものにも制約されないところの権限とは――これは「権限」というよりももう「暴力」そのものですが――およそ制御というものを受けない力なんだから、それは民衆の側からすれば何処へどういう風に向かってくるかもう見当がつかないわけですね。しかもその圧力をまともに受けたら、自分の方が吹っ飛んでしまうしかない。ですからその暴風を受ける側に立ってみれば、ここは理屈を言わず、「いかにしてこの暴虐な権力から逃げるか」という発想になります。勇者なるが故に圧制から逃亡する。つまり、圧制から逃亡する者は、なべて「勇者」なんですね。だからそれに対しては敬意を払うというのがロシアです。ロシア語で「ベジャーチ」と言いまして、これは「逃げる」ということ、「走り去る」ということです。日本では「逃亡兵」とか「敗残兵」とかいうのは不名誉ですが、ロシアでは「英雄」なんですよ。(略)
 つまり、真正面に反抗できないような強大な権力と対峙したとき、それに反抗は出来ないとしても、しかし自分は「逃げる力」だけはもっていると。そこで、彼は断固として決断し、そこから逃亡する。つまり、権力に背を向けて走る。権力のない世界を求めて走るわけです。これは言わばアナーキズム、しかもアナーキズムの権化です。極端な無制限な権力の集中に対する、無制限な権力からの解放です。したがって、「逃亡する」とは、自分の自由を守るための英雄的な行為なんですよ。ロシアでは今でも「逃亡した」というのは肯定的な意味に使われています。
(略)
 要するにロシアでは「逃亡は美徳」であり、その伝統はロシアの精神的背骨であったということ。そして、その源泉は「ブラトノイ」にあったことをはっきりさせておこうということです。だから、自分の力以外は何ものも信じないという人間――ただし、それは「集団」とはならない――そういう人間たちが、ソビエト時代をも通じてロシアには一貫してあったということです。

ブラトノイ「働く奴は食うべからず」

「ブラトノイ」は仲間を作りますけれども、本来は一匹狼だから団体的な行動はしないわけです。だから彼らはあくまで一人で事に処し、「ヴォール・ヴ・ザコーネ」と称されてきました。この呼び名は要するに「律法に則ったところの」「正統派の」ブラトノイという意味です。「律法(ザコン)」とは彼らの「掟」ということですが、これは、仲間を決して裏切らないことをはじめとして、国家権力を認めず、したがってその法にも従わないところの自分たちだけが「人間(ヴォール)」であるという、彼らなりのあり方を不文律として示したものです。
(略)
 ですから、彼らはラーゲリや監獄の中でも決して働かないし、まして兵隊にも行きません。あの独ソ戦のときでも、「お前たち共産主義者は、労働者は祖国を持たない、と常日頃言ってるじゃないか。だったら『大祖国戦争』なんて嘘っぱちじゃないか。ソ連邦が祖国であるならば、それは共産主義じゃない。そんなウソで固めたロクでもない『祖国』に、なんでこの俺様が仕えなきゃならんのだ」というのが彼らの言い分でした。
(略)
[ブラトノイが「一家」なさない理由]
「一家」を成した途端、今度はそれに縛られるわけだから。したがって、彼らは決して〈家〉をなさないし、また妻もなく子も持たないんです。そこが日本ヤクザと原理的に違いますね。(略)
彼ら「ブラトノイ」は何人であっても決して集団を成しません。しかも生涯独身を貫いて、絶対に結婚はしない。女はすべて軽蔑し、自分の生理的要求を満たせばあとは踏み潰していいという考えです。ただし、母親だけは別で、これを神のように崇拝しています。(略)
 そして彼らの場合、「働かざる者は食うべからず」じゃなくて、「働く奴は食うべからず」なんです。そもそも「働く」ということは権力におべっかを使っていることだから、そんな奴は生きてる資格はない――という、そういう論理ですね。じゃあ彼らはどうやって食っていくのか。だって、彼らは働かないんですから。そこで、ラーゲリでは「おい、そいつを寄越せ」と。つまり、彼ら以外の連中が働いたものを掠め取って食う、ということになるわけです。こうして自分たち仲間以外の連中の上前をはね、同様に娑婆に出ればもっぱら一般人から脅し取ることで生きのびるわけです。(略)
「ブラトノイ」の世界では彼ら自由人(娑婆の人間)は、いくらでも絞り取っていい相手となるわけなんです。日本語で言えば「トーシロー」です。(略)要するに、収奪されっ放しの人間ということになるんです。甘っちょろい、素寒貧のトーシローは「ブラトノイ」にとって人間じゃないんですよ。
(略)
彼らにはもうひとつ別な敵対するグループがありました。これを「スーカ」と言いまして、直訳すると「雌犬」という意味で、権力と通謀した連中のことです。つまり「裏切り者」、「崩れブラトノイ」です。この「スーカ」の後ろには権力が付いているわけで、彼らは正統派を叩きのめし、それを引っ下げてますます権力におべっかを使うようになっていったわけです。ですから「掟」に生きる「真のブラトノイ」にとってはもう彼らが憎くてたまらない。両者は不倶戴天の敵同士ですから、会えば直ぐ殺し合いを始めるわけです。
 しかし、その後の状況としては「スーカ」側が圧倒的に優勢になっていくんですね。すなわち、ソ連が対ドイツ戦争に勝利していきますと、権力と通謀した「スーカ」もまた勝ち戦の勢いに乗じてその勢力を伸ばしていくわけです。そして、権力と手を組んで、猛烈な「ブラトノイ」征伐にかかり、その結果、ほぼそれを達成するんですね。ですから、ラーゲリに生き延びていたところの、16世紀以来の一匹狼の伝統はここに消滅したわけです。
 こうして、「ブラトノイ」は滅び、今やまさにマフィア――これは「スーカ」の流れを汲んでいます――ロシアン・マフィア全盛の時代になったというわけです。