土方巽全集 1 『病める舞姫』『美貌の青空』

土方巽の単行本『病める舞姫』『美貌の青空』『慈悲心鳥〜』を収録した全集の新装版。

土方巽全集 1

土方巽全集 1

 

『病める舞姫

私は魚の目玉に指を通したり、ゴムの鳩を抱いた少女に言い寄ったりして、それからそれと生きてきたが、いつも実のところ脈をとられているような気分で発育してきた。私は雪にしょっちゅう食べられかかっていたし、秋になればばったにも噛まれた。梅雨どきには鯰に切られ、春先にはざくらっと川に呑まれたりして、自然に視線が、そういうものに傾いていったのであろう。
(略)
梅雨どきの台所にある赤錆びた包丁の暗さを探っては、そういう所に立って、涙の拭き具合いを真剣に練習したりしていた。からだの中に単調で不安なものが乱入してくるから、からだに霞をかけて、かすかに事物を捏造する機会を狙っていたのかもしれない。
(略)
 それにしても、昔の電球はよく震えていた。その下で泣く女がどこにでも見受けられ、女のまわりに泣く物象も見受けられ、泣いている女がその物象を絞っているのではないかと案じられもした。脳はいつも私の頭から四センチばかり離れたところで浮いていたが、この脳は白魚や錆びた鼠取りを恐ろしがっていたのだ。道端には、頭や額に太い皺がたくさん寄っている力の強そうな馬鹿がいつも歩いていた。「しかし、相撲をとるとふにゃふにゃだそうだ。」と、大人は子供に語るように教えていた。
(略)
 人間、追いつめられれば、からだだけで密談するようになる。芥子菜のような物腰で口のなかから変わり玉を出したり、お尻の辺りから無臭の煙玉を手に載せて見せたりする婆さんが近所にいて、よく私はからかわれた。私が流しに立って、みみずを眺めているような子供だったからかもしれない。子供は誰でも、都合よく機会を逃したいという期待に綿々たる恋慕をもち、それにそった息遣いで生きているものだ。
(略)
 ある日、家の中で着物の着付けをしている女の人が(略)恐ろしい顔になって帯のうしろに手を廻し、きっとした目付きで私の方を睨んだことがあった。私はすうっと裏口から出て行って、もさっとした静かな家裏の廂に立て掛けてある変哲もない棒を見ていたことがあった。いつの間にか私は棒になって遊んでいた。
(略)
めりめり怒って飯を喰らう大人や、からだを道具にして骨身を削って働く人が多かったので、私は感情が哀れな陰影と化すような抽象的なところに棲みつくようになっていた。あんまり遠くへは行けないのだからという表情がそのなかに隠れていて、私に話しかけるような気配を感じさせるのだった。
(略)
からだは、いつも出てゆくようにして、からだに帰ってきていた。額はいつも開かれていたが、何も目に入らないかのようになっていた。
(略)
 塗り箸を齧っている少年の退屈さや、電気が通っているような髪の毛を逆立てて座敷に上がってくる女の人などに、私は不安と怖れを感じていた。みんな爆発のなかを通ってああなっていたのだろうか。
(略)
私は白く汚れて、もたっと泣いている子供達の方へいつも近づいて行った。喰えなくなるほど育った葱の方へも吼えに行った。私は何者かによってすでに踊らされてしまったような感じにとらわれた。
(略)
私は濡れた紙が黄ばんで乾き、その上に蝶々が止まっていたのを、小半時も眺めるようなところに立っていたのだ。そのゆえか、今でも私は鰻重を食べるときの箸の滑りを不安がるのだろう。夕方になると急に元気がなくなったり、元気が出たりする移ろい易い感情の行方は、私のからだに融け込んでしまって、捜すことも、精密にその行方をたどることも難しくなってしまっている。
(略)
 絹の糸を恐がらぬようになるまで私は長い年月をかけたし、水屋に立って荒い息を吐きながら、使いものにもならない二つの乳房をたらしていた女を、美しいものだと認めるのには、これもまた、さまざまな屈折を重ねてきたのである。
 いろいろなものが、輪郭をはずされたからだに纏いつき、それを剥がすと新しい風が印刷されるように感じられたが、風の方でもまちがいを起こし、私もまたあやまちを重ねただけにすぎなかったのだろう。
(略)
 石川五右衛門が出て来そうな空模様の下でコトコトと煮物の音が聞こえていた。むしろ、聞こえてほしいと願っていたのだろう。聞こえるには聞こえているが、畳の目にあまり目玉を貸しすぎて、考えの糸が切れていたのかもしれない。余りにも放って置かれたからだのことに、ついつい考えが及ぶようになっていた。私は恨んではいなかったが、よくもまあ、湯気ばっかり喰わせるものだと思っていた。
(略)
いまにして思えば、濡れ雑巾に刺さっている魚の骨を懐かしがっているようなところにしか、たどりつけぬ行方がひそんでいたのかもしれない。私だけが踊られてしまっていたのではなかった。ぼわっとした子供を眺める豚を、じっと見つめ返していたこともあるし、鶏が空を見上げているようなうすら寒い日の下に立ったこともある。そういうとき私は、柱に喘みついて歯形をつけたり、畑の苦い胡瓜のことなど忘れようとしたりしていた。家の中で皺くちゃな紙を延ばしている人から、誰も知らない音の中に棲んでいる生きものの姿が覗かれたであろうに、私の若いからだは無理もない方へ、つまり飴色のゴムの靴下止めを迂回したり、恐がったりしている方へ、堕ちていったのだ。
 日暮れまで表で遊んでいて、声帯が黒砂糖のように甘く潰れかかっていた。昼間のほてりが夕方になっても抜け落ちないほどに、上着のボタンも潰れていた。
(略)
泣いているものと溶けているものの区別がつかなくなり、「ああ、助けてくれーっ。」と叫んでいる子供の声も何かしら芝居じみて聞こえてきて、私は水底に降りていけなくなる。
(略)
喰いたい菓子や飴が本当に口に入らないということが解ると、平べったい犬や、紐のように延びた猫が頭のまわりに浮かんでくるのであった。犬も猫も飴なのだからというような奇妙な決め方をしていた。空に迅速な異変でも起こらぬ限り、このからだは、こうして喰われ続けていくのだろうということばかり考えていた。
 どこの家へ行ってもズタズタに引き裂かれた神様の一人や二人はいたし、どこの家の中にも魂の激情をもう抑えきれない人が坐っていて、あの懐かしい金火箸を握って金切声を出して叫んでいた。俯抜けになる寸前のありったけの精密さを味わっているこれらの人々を、私は理解できるような気がして、眺めていたのだろう。
 確かに、めざとく見つけ出したものなどは、こういう状態に較べれば、おおかたは破損され、型の亡骸でしかないものだろう。人間である根拠はもうまわりの方からも崩れていたから、私が考えなくてもいいことのように眺められたのだろう。
 茄子をもいでいる静かでひょろらっとした人や、ぶぁぶぁ飛んでいる蝶や、あの確かな太さを持っている醤油瓶や、豆炭の重さや金鎚の重さだって、寒いところから帰って来たような浴衣だって、みな人間の激情をそそのかしているものなのだった。こういうわずかばかりの道具類に接した解剖の場で、疑わしいような惑わされているような不透明なからだはヒステリーを起こしていたのだろう。
(略)
 寝たり起きたりの病弱な人が、家の中の暗いところでいつも唸っていた。畳にからだを魚のように放してやるような習慣は、この病弱な舞姫のレッスンから習い覚えたものと言えるだろう。彼女のからだは願いごとをしているような輪郭でできているかに眺められたが、それとてどこかで破裂して実ったもののような暗さに捉えられてしまうのだった。誰もが知らない向こう側の冥さ、この暗い甦りめいた始まりを覚えていなかっただろう。だから教わって習うなどできないようなところで、私も息をついて育っていったのである。
(略)
 ぐったりした心持ちにつながっていなければ、人の行き交いはつかめぬものかもしれない。鯰、泥鰌、寒鮒などを神品として大事にすることも、じゃらじゃら顔を撫でるようにして飴をくれる人を追っ駆けていって丁寧に頭を下げていた仕草も、ぼんやりした心のこの薄暗がりに放してやれるものだ。この暗がりのなかに隠れることを好んだり、そこで壊されたがったりしているものがなければ、どうして目をあけて視ることなどできるだろう。

 なんの音だろうと走り出ていくと、いかにも情がこもっているみたいな響きをたてて、棒が転がっていた。その棒をからかっているような笑い声は、もう消えてなかった。聞こえたものは、聴きわけていたものであったのか、自分の中に立て掛けていた棒だったのか、その内容はどのようにして語られればよいのか、私にはたどれなかったが、何かを憚るようなまわりの雰囲気が私を困らせてもいた。からだが吊り上げられ、運ばれ、置かれるところまで、目を閉じていたが、そんな記億のそばには、いろいろの物体が横になっていた。そこには尋ね求めるようなものはなかったし、死にたがらなかったり、もう死ぬしかないと決めるようなものも、棲息していなかった。椀ぎたての青いトマトにかぶりついた私は、心の使い方については少ししかもらっていないと気付いたりした。
(略)
 魔力が足りないものにはかまっていられない。もう人間なぞに害を与える暇がない、というような空模様の下で、半殺しの蛇を囲んでいる天童めいた奴らのところから毛のように逃げ帰って、首をかしげている私の化繊の小学服には、病気を重くしている狒狒のようなものも取り憑いていた。
(略)
 なんだか全体であることをやめたように寄りかかって、太陽を眩しがっているひしゃげた顔で、ぐちゃぐちゃと口の中で捩れ、絡み合っているものを掻き混ぜている私のガムは、泥の中をゆく荷車引きのふんばりを思い出させた。なるほどそれは合成された記憶のようなものであったろう。一ミリ程出ている小猫の桃色の舌から昇る薄い蒸気に、たぐり寄せられ、絡まり、引っ掻き廻されたあげく、宙吊りにされたような気分になりながら私はその蒸気を摘みとっていた。
(略)
からだに飛びついて来たものがすぐには解けない謎にはなっても、動けなくなるようなことはなかった。「わかっているぞ。」そう言いながら、耳という耳から指という指から棘を出して、蝶々がそこに成立している世界を掴まえようとしていたのだろう。(略)
明かるく死んだあとのエコーを掴まえようとしていたのか。いまいるところから始まっているとは誰も思えないような会釈が、そこいらに漂っていた。
(略)
 透けたハトロン紙に唇をあててビビッた音色を出していると、体毛がさあっと毛羽だってくるのだった。この懐かしさには、相当の歳月が後退し、秘められているはずであった。にらめっこや影踏みなどの衝突から離れたところに自分を隠しに行ったり、空地や野原で自分を作ったりして遊んでいた。木にぶら下がったり、それに飽きると垂れ下がって休息した。脛が落とした小空間を拾ったりするひまもないように垂れ下がったまま、やっていることが外側から見わけがつかないように、さらに足を伸ばしたりしていたのだ。
(略)
 私はたかだか影一匁なのだ。そう決めてしまうと、空を鉋で削るような気持ちにもなり力も形も鉋屑のように翻って気持ちも乾いてくるのだった。木槌で叩かれたように踝が急に軽くなって、表へ出ていっては飛ぶ影の練習をするのだった。いろいろなだぶった表情をぶら下げて、それを切断するように「飛ぶ影」などと言った呪文をとなえて、刃物の影に似せて飛んでいた。

 耳から入った音が、口から旅に出ていくようなことはなかった。浮かぶ女、飛ぶ男、ガラリと障子を開ける大人、こうしたいくらか予診めいた動作には、答えようもない質問が匂っているのだった。そんな人達には、あまりにも、やさしい皮膜がついていたから、視覚だけではとらえられないのだった。その人達はみんな、くるりと裏返しされたばかりの人で、裏返されたばかりの世界に住んでいたから、あのようにはっきりと配列されていたのかもしれない。欲していることが、抱きすくめられるような暗がりにさしかかって、ようやく動きが少なくなくなっていることに私は気付いた。この暗がりに、しぼしぼした老婆がもぐり込んできて「どこの兄ちゃかね。」と聞かれたりもするのだった。私のからだが、私と重なって模倣しているような、ちらちらしたサインにとらえられていた。そこでくびれた私はひとまず雲の形でそこに潜んでいた。

『美貌の青空』

「犬の静脈に嫉妬することから」

 五体が満足でありながら、しかも、不具者でありたい、いっそのこと俺は不具者に生まれついていた方が良かったのだ、という願いを持つようになりますと、ようやく舞踏の第一歩が始まります。
(略)
 犬に打ち負かされる人間の裸体を、私は見ることができます。これはやはり、舞踏の必須課目で、舞踏家は一体何の先祖なのかということに、それはつながってゆきます。
 わたくしはあばらの骨が大好きですが、それも犬の方が、わたくしのそれよりも勝っているように思われます。これも古い心象なのでしょうか。雨の降る日など、犬のあばらを見て敗北感を味わってしまうことがあります。それにわたくしの舞踏には、もともと邪魔な脂肪と曲線の過剰は必要ではないのです。骨と皮、それにぎりぎりの必要量の筋肉が理想です。もし犬に青い静脈が浮いているのなら、おなごの体など金輪際要らなくなると思います。
(略)
わたくしが、老人の枯木のような肉体や濡れた動物を大切にするのは、もしかしたら、そのような憧れに近付けると思うからなのです。わたくしの体には、バラバラにされて何処か寒い所に身を隠したいという願望があります。そこがやはりわたくしの帰る所であると思うのですが、そこでカチカチに凍って、今にも転倒しそうにまでなって、この目で見て来たものは、やはり、死ということを死に続けるものたちへの親近感に尽きることだ、と納得しているわけです。
(略)
かじかんで何の祖先かもわからなくなっている遠いわたくしを、近くに息づいているこのわたくしは、一個の童貞体として自覚させるでしょう。そこでわたくしが踊ることは経験の舞踏化でもなく、ましてや舞踏上の熟練でも、すでにないのです。尊厳な風景との間に、バシッと折れるような緊張関係を持って、ただ目を見開いている肉体にわたくしはなり、いたいと思うのです。その時わたくしは、わたくしの体を見ない方が優れているとは考えません。見てしまったという悔恨もかじかんで、不幸な肉の芽を吹き出すことは出来ません。
 舞踏が表現の手段であるところでは、常に嘆願や平伏の姿となっていますし、従順と嫉妬の全音階に基づいて熱い舞踏の形を整えているだけです。

土方巽夏の嵐燔犠大踏鑑

土方巽夏の嵐燔犠大踏鑑