天才ジミヘンドリックス ギター革命児の真実

 

訪英前

[ロンドン随一のモデル、リンダ・キースはボーイフレンドのキース・リチャーズについて訪米、偶然耳にしたジミの虜になる]
 「ヴィレッジの街角で演奏するのが大好きだったのよ。歌も歌ってほしいって、ずっと思ってたんだけど、彼は歌おうとしないの。だから、あたしが自分で歌ったわ。私の歌声が耐えがたかったからだろうと思うんだけど、結局彼も折れて、『よし、わかった、ぼくが歌ってやるよ!』って言ってくれたの。自分には歌えないんだって、心から信じ込んでたのね」
 ところが、リンダの激励もそれで済んだわけではなかったのだ。彼女は次から次へと、ボブ・ディランの歌を聞かせた。大事なのは実際の声質などではなく、歌いっぷりに備わった抑揚や感情であることを巧みに伝えていたのである。(略)
 「あたしたちはカップルなんかじゃなかったのよ。あたしは彼のガールフレンドじゃなかったの。まだキース・リチャーズとデートしてたんだから。ただジミの音楽に関心を抱いて、それが花開くことを切に願うようになったってことなのよ。あの人にはモティヴェーションと指示が必要だった。(略)
自分の民族上のルーツにも悩んでたわね。だから、自分の音楽的なルーツを踏まえてブルースを演りたいという欲求と、中堅のポップ・スターになりたいという欲求の間で葛藤にずいぶんさいなまれてたわけ。あたしはいつだって、ブルースを演って、とお尻を叩いてたんだけど、彼はそれを拒んでたわ。ひとつには彼がバディ・ガイやオーティス・ラッシュにすごい影響を受けていて、あの人たちにはとてもかなわない、ことに歌は話にならないって感じてたことがあるわね。(略)
[リンダはキースの新品のストラトをこっそり拝借して与え、ストーンズのマネージャー、アンドリュー・オールダムに売り込んだが失敗。シーモア・スタインにも売り込んだが失敗]
 二度までも肘てつを食らわされたヘンドリックスは、拒絶されることを宿命として甘受するようになると同時に、そうした拒絶にわが身をさらさせるリンダにいささかむっとしつつあった。(略)
[ロンドンへの帰還が迫ったリンダは、微々たる印税収入と、赤字ばかりのツアーに疲れたチャス・チャンドラーがレコード制作に興味を抱いてると知り最後のチャンスと売り込む。ショウ終了後、パブに誘われた]
ヘンドリックスははにかみがちで、おごってもらったビールや親切な言葉に感謝してはいたが、一方でチャンドラーにイギリスのミュージシャンに関する質問をぶつけてきた。特に、エリック・クラプトンを知っているかどうか聞いたのである。ここにいたって共通の基盤を見出したと感じたチャンドラーは、クラプトンに紹介することをヘンドリックスに約束したばかりか、クラプトンも少なくとも彼の技量には感心するだろうとまで言い切ったのだった。(略)
チャンドラーとマクヴェイはふたりとも、ジミの用心深いオプティミズムに注目していた。(略)ヘンドリックスは歓喜に舞い上がるどころか、自身の感情を抑制し、機材が不十分であることへの懸念や(略)
自分の声についてチャンドラーに釘を刺すことも忘れなかった。簡単に言えば、自分が「歌えない」ことを伝えたのだ。だが、チャンドラーとしては引き下がるわけにはいかなかった。(略)
 プロデュースしたいと思えるアーティストをようやく手中にしたチャンドラーは、自身のプランを実行しようと躍起になっていた。(略)
[ジミ]自身はチャンドラーの申し出をクールに受け止めていたのだった。「ここじゃロクなことがないから、(イギリスに)行ったほうがいいかなってとこだったよ」と後に当時の気分を振り返っている。
(略)
パスポートを取得するには、出生証明を手に入れないとどうにもならなかったんですが、当局によれば、そんな人物は生まれていないというんです。(略)[結局]証明書はあるにはあったんですが、ジョン・アレン・ヘンドリックスという姓名で登録されていたんです。父親が兵役に出ている間に母親がつけた名前ですよ」
(略)
[フライト中にまたも不安を訴えだしたジミのために、チャンドラーは友人のズート・マネー宅をアポなし訪問]
マネーが強くせがんだこともあって、ヘンドリックスはこのフラットで、彼のビッグ・ロール・バンドに混じってジャムった(このバンドのメンバーには、後にポリスを結成する若き日のアンディ・サマーズも含まれていた)。三時間近くブルースの古典や当時ヒットしたソウル・ナンバーを演奏するうちに、その場に居合わせた者たちのすべてはノックアウトされてしまった。
 その後、ふたりでロンドンに向かう道すがら、チャンドラーはヘンドリックスが安堵していることを感じ取っていた。

人柄、SF趣味

 当初は物静かで痛々しいほど内気だったヘンドリックスも、機転の早さとユーモアのセンスを徐々に表わしつつあった。チャスはこう語っている。
「今日、彼について流布している伝説といえは.悲劇的人物といった類いのものばかりでしょう。私の記憶しているジミは、いつも微笑をたたえていましたよ。いつもふたりで大笑いしていたんですから。ジミに関して悲劇的なことといったらただひとつ、彼の死だけです。生前は大変に懐が深かったし、一緒にいて本当に楽しい男だったんですよ。」
(略)
チャンドラーとの同居は、ヘンドリックスの作る歌詞や詩にもはっきりと影響を及ぼし始めていた。ジミは、チャンドラーのSF趣味にたちまちハマってしまったのである。チャンドラーは語る。
 「家には何十冊もSFの本がありました。ジミが最初に読んだのは『アース・アバイズ』でした。『フラッシュ・ゴードン』みたいなタイプの作品ではなくて、世界に終末が訪れ、新しい世界が生まれるという、天変地異ものの話ですよ。読み始めたと思ったら、全部読み終えてましたね。“Third Stone From The Sun”とか“Up From The Skies”なんかは、あの本から生まれたんです。彼が詞を作って、私がなんとかして少しばかりごまかすっていう調子でしたよ」
(略)
「何日もぶっつづけでリスクで遊んだものです。(略)
[グラハム・ナッシュ談]「ジミはリスクに関しては名人だったし――モノポリーにしてもばかにできない腕だったよ!」

LSD、カミングスの詩

[“Purple Haze”ができたのはドラッグ洗礼前だったとチャンドラーはLSD影響説を否定]
[まだ]自身の精神性を表明することにさほど自信を持てなかったヘンドリックスは、「紫のけむり、イエスは救ってくれる」といったフレーズに関して、あまりにひとりよがりだという理由で削っていた。
(略)
数年後、長期間にわたるエレクトリック・レディ・スタジオの建設中に、ヘンドリックスはこのスタジオの責任者となるジム・マーロンを相手に、詩人のe・e・カミングスヘの憧れを語っている。ヘンドリックスも彼の作品を飽くことなく読むというほどではなかったのだが、カミングスの詩のスタイルやエキゾティックな心象、自由な色彩の使い方が彼の心の琴線に触れたのである。

カミングズ詩集 (海外詩文庫)

カミングズ詩集 (海外詩文庫)

 

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作戦

「ジミと私はよく夜中にむっくり起き上がっては、見出しになるためには誰を怒らせるべきか、思いめぐらせていたものですよ」――チャス・チャンドラー

“Like A Rolling Stone”

[チャス談]
「私はいつだって、“Like A Rolling Stone”のスタジオ・ヴァージョンを手がけたいと考えつづけてたんです。何度かやってみたことはあるんですが、どういうわけか、ミッチがタイムをうまくキープできないんですよ。(略)
どうしてあの曲に頭を悩ませたかといえば、私がグリニッチ・ヴィレッジのカフェ・ホワァ?でヘンドリックスを初めて見たとき、彼が最初に演奏したのは“Hey Joe”でしたが、二曲めは“Like A Rolling Stone”だったんです。そしてジミの歌を聴いているうちに、あの歌詞がどんなことを言おうとしているのか、初めてわかったんですよ。私はディランのファンだったんですが、彼が“Like A Rolling Stone”を書いた時点から彼に対する熱が冷め始めていたんです。ディランの曲がうまく飲み込めないというのは、あの曲が初めてでしたね。そんなわけであの曲をレコーディングしたいとふたりとも思っていたんですが、とうとううまくいきませんでした。何度も何度も頑張ってみたんですが」

ブルースの衰退とモータウン

 ヘンドリックスが愛してやまなかったブルース・ミュージックは、人気の面では確実に衰退の道をたどり始めていた。(略)
クロスオーヴァー指向のモータウンの勢いにはたじたじというのが実情だった。(略)
風雪のドサ回りを耐え抜いた多くのミュージシャンと同様、ヘンドリックスも相変わらずブルースを愛するとともに、モータウンに対しては穏やかならざる感情を抱いていた。(略)
 「まあ、ウケるのかも知れないけどさ、俺から見れば作り物だしえらくコマーシャルで、ムチャクチャにエレクトロニックな造りだよね……ソウル・サウンドの代用品って感じなんだ。黒人アーティストの本物の音じゃないんだよ。まるでコマーシャルなもんでさ、こぎれいにまとまってるわけだけど、俺が感じるものなんて何もないよ。まあ、アイズレー・ブラザーズは別だけど。彼らだけはね。あとはフォー・トップスあたりかな。あのレーベルがやってることといったら、どえらくハードなビートを盛り込むってことだろ――ほら、千人もの連中がタンバリンやらベルやらぶっ叩いて、ホーンも千人、ヴァイオリンも千人てな具合でさ――それで歌手はどうしてるかって言ったら、百万回もオーヴァーダブをやらかしたり、なんだかんだと装置がくっついてるエコー・チェンバーで歌ったりでね。なんでそんな作り物にするんだって感じだよ。ビートも最高だし、聴き心地もいいし、若い連中にも売れまくる。だけど、ソウルとしては代用品――俺ならモータウンのことはそう呼ぶね」
 ヘンドリックスは「Red House」で、今日的なブルースを創りたいと考えていた。

  • 悪徳マネージャー

ジミを食い物にしたマイケル・ジェフリーはエジプト従軍中、カイロで二日遅れの英字新聞を仕入れ故郷のニュースに飢えた同僚達に一部2ドルで売って週に8千ドル稼ぎ、その儲けでニューカッスルでクラブ・ア・ゴー・ゴーを開いた。そこで知り合ったアニマルズのマネージャーに。

 アニマルズの歴史を通じて、ジェフリーは常にこのグループの収入を隠匿し(略)
海外に設けたタックス・シェルター、隠れ投資、現金取り引きといった手口が、彼の創造力に富む心をとりこにしていたのだ。アニマルズは彼にとっての実験台だった。(略)ヤメタという会社は彼の創造力の産物であり(略)
ジェフリーは再三にわたり、アーティストが稼いでくれるピークといったら二年程度の期間しかないということをヒルマンに口を酸っぱくして言い聞かせていた。
(略)
ヘンドリックスも、ミッチェルもレディングも契約書にサインすることはなかった。レコーディングやマネージメント、出版に関してヤメタと独占契約を給んでいる以上、彼らにはサインする必要がなかったのである。(略)
ヤメタは著作権使用料として、返却する必要のない四万ドルという前払い金にありついた。著作権使用料の配分としては、合衆国内で発売されるすべてのレコードの小売り価格の10%、さらにはカナダで発売されるあらゆるレコード及びテープの売り上げがもたらすワーナー・ブラザースの純利益の50%が転がり込むことになっていた。そのうえヤメタは合意事項のなかで、「あらゆるマスター・テープを独占的かつ永続的に所有する権利」まで保持していた。(略)
ワーナーから支払われた四万ドルのうち八千ドルがヘンドリックスに渡された。ジェフリー、そしてとりわけチャンドラー――ポケット・マネーでヘンドリックスのために莫大な費用を肩替わりした人物――は、残りの三万二千ドルで当初つぎ込んだ費用を補てんしたのだった。

モンタレー・ポップ・フェスティバル

 ヘンドリックスは、リハーサルの最中に昔馴染みと遭遇していた。バディ・マイルスである。マイルスもこのときにはエレクトリック・フラッグのドラマーに収まっていたが、ふたりが初めて会ったのはマイルスが16歳の頃で、当時のマイルスはモントリオールで、ルビー&ザ・ロマンティックスのメンバーだった。そしてヘンドリックスは、アイズレー・ブラザーズの前座を務めるI・B・スペシャルズの一員としてこの町にやって来たのだった。ふたりはここで急速に親交を深めていった。
(略)
コイン・トスに負けたヘンドリックスは椅子に飛び上がり、ザ・フーの後で演奏しなければならないのならありとあらゆる手段を駆使してやると宣言した。(略)
もうもうたるスモークが充満するなか、ロジャー・ダルトリーはマイクを宙に舞わせ、ピート・タウンゼンドはギターを叩きつけ始め、まもなくキース・ムーンはドラム・セットを蹴りつけ破壊したのである。スモークと、破壊されたアンプが発するノイズが満ちるなか、ザ・フーは、仰天したモンタレーの「ピース・ラヴ&フラワーズ」を奉じる観客の熱狂的な喝采を浴びながら、ゆうゆうとステージを下りていった。(略)
ジミ・ヘンドリックスも、ザ・フーの狂騒的なステージを見逃しはしていなかった。(略)
ハンドペインティングをほどこした自分のストラトキャスターを犠牲にすることを即座に決意していた。(略)
 派手な音とともに「Foxy Lady」が終了すると、ヘンドリックスはマイクに歩み寄り、観客に向かって、「ちゃんと仕事ができるように」少しだけ時間をくれと大胆にも要求する。そしてベストとスカーフを脱ぎながら、ヘンドリックスは観客の気分をさらに和らげている。ピンクのスカーフを手にしたまま、「やっぱり……似合わないよね。素直にならなきゃな」と、うまい言い抜けをしているのだ。ジョニー・アリデイや、自分がバックを務めたR&Bの古つわものたちから学んだどおり、照れたようなユーモアは群衆をリラックスさせてくれるのである。
 このヘンドリックスの科白は、次の曲にうってつけだった。ディランの「Like A Rolling Stone」を堂々とアレンジしてみせたヴァージョンである。またしても、ヘンドリックスは完璧に時宜を得た曲を選んでいた。ディランの影響力はビートルズに等しく、ローリング・ストーンズを上回るほどにモンタレーの観客に浸透していた。
(略)
ヘンドリックスは床を転げ回り、あらん限りの力でアンプを揺さぶり、体の前面で強烈な攻撃を加えるべく、アンプの縁に立ちはだかる。(略)そのサウンドは、ザ・フーピート・タウンゼンドがギターを叩きつけていた際には聞くことのできなかった不気味な音楽的クオリティをたたえていた。タウンゼンドの場合、アクションは乱暴に見えた。唇をきっと結び、怒りに顔をひきつらせた彼にとって、楽器を破壊することは演奏のしめくくりだった。ヘンドリックスのアクションは明らかに性的だったし、たえまなく腰をグラインドさせ、舌を動かしてアピールするそのステージぶりは、モンタレーの観客をあ然とさせていた。
 レディングとミッチェルが狂ったようにプレイをつづけるなか、ヘンドリックスはアンプの前に戻り、ロンソンのライター用オイルの缶をつかんだ。

次回に続く。