大きな魚をつかまえよう デヴィッド・リンチ

人生の始まり

 私の人生は、アメリカの北西部で育ったごく普通の人間として始まった。父は農務省の研究員で樹木を調べていた。だから私は森にいることが多かった。子どもにとって、森は神秘的だ。私はスモール・タウンと呼ばれる場所に住んでいた。世界は家の一ブロック先か、せいぜいニブロック先までだと思っていた。あらゆることをその小さな空間で体験したんだ。あらゆる夢、あらゆる友だちがその小さな世界にあった。それでも私には、すべてがとても巨大で謎めいていた。夢を見たり、友だちと遊んだりする時間がたっぷりあった。(略)

夜の庭園

 そう、私はかつて画家だった。絵を描いてアート・スクールに進学した。映画には興味がなかった。たまに映画を見に出かけたけど、ほんとうは絵だけを描いていたかった。(略)
[午後三時、学校のアトリエで]夜の庭園を描いていたら――これは黒い絵の具を多用し、暗闇に緑葉植物が浮かびあがるものだったが――その植物群が突然動きだし、風の音が聞こえてきた。ドラッグもやっていないのに。「ああ、なんて素晴らしいんだろう!」と息を呑んだ。そして、映画なら絵を動かせるかもしれないと考えるようになった。(略)
[学校のコンクールで]動く絵画を制作しようと思った。私は縦六フィート、横八フィート大のスクリーンに彫刻を施し、そこにストップモーションを連ねた拙いアニメを映写した。『病気になった6人の男』というタイトルだった。(略)
[制作に200ドルを費やしてしまったが]
年上の学生がこの作品を見て、自分のためにもう一本作ってほしいと注文してくれた。
 こうして私はうまい具合に仕事を始めることができた。それからというもの、ずっと前途洋々の道を歩んできた。そして徐々に――というよりは一足飛びに――映画に恋していった。

イデア

(略)映画一本まるまる一度に浮かんできたら、どんなにすごいことだろう。でも私にはばらばらにしか、アイデアが浮かんでこない。(略)
ブルーベルベット』では真っ赤な唇、緑の芝生、ボビー・ヴィントンの歌う「ブルーベルベット」がその各片だった。次に野原に捨てられた耳。そして、あの映画ができあがった。(略)

アンジェロ・バダラメンティ

 アンジェロ・バダラメンティとは、『ブルーベルベット』の時に初めて知り合った。以来、ずっと映画の曲を書いてもらっている。もう兄弟みたいなものだ。
 われわれはこんなふうに仕事をする。まず、ピアノの前に座ったアンジェロの横に、私が腰を降ろす。私が語りかけると、アンジェロは演奏を始める。言葉を音楽にしていくんだ。言わんとすることが理解できない時には、何ともひどい演奏になる。そんな時は「そうじゃないよ」と声をかけ、少しばかり言葉を変えてみせる。すると違う演奏が始まる。(略)
そして私が「そう、それだ」と言うと、アンジェロは魔法を使い始めて、正しい道筋をたどっていく。
 これがほんとうに楽しいんだ。家が隣だったら、もう毎日でもやりたいぐらいさ。でも彼はニュージャージーで、私はロサンジェルスだからなあ。

配役

 名優かどうかはたいして重要じゃない。配役を選ぶ際は、役柄と深い結びつきがもてる、役になりきれる人物を選はなければならない。
 俳優に脚本を渡していきなり読ませるなんて、私は一度もやったことがない。それは俳優にとって苦痛だろうし、私としても得られるものは何もない。(略)
私は俳優と話し、彼らが話すのを観察する。頭の中で脚本どおりに彼らを動かしながら、話すんだ。途中まで演じられるが、止まってしまう者もいる。そのうち一人が最後まで演じ、私は役にふさわしい人物を知る。(略)
[『ブルーベルベット』でデニス・ホッパーを起用したかったが]
「(略)かなり体調が悪いしトラブルの種になるだけだ」と誰もが言っていた。そこであらたな人材を探すことにしたんだ。ところがある日、エージェントが電話を寄こして、「デニスはドラッグと酒を断ち、もう別の映画にも出演してるから撮った監督に確認してみればいい」と言ってきた。続けざまに、デニス・ホッパー本人が電話をかけてきてこう言った。「俺がフランクを演じねばならん。フランクは俺だ」もう身震いするほど怖かったよ。(略)

ツイン・ピークス

(略)『ツイン・ピークス』のパイロット版を撮影している時、フランク・シルヴァという名のセット・ドレッサーに美術を担当してもらった。(略)
[ローラ・パーマーの家の場面を撮影中、女性スタッフの声が]
「フランク、そんなふうに、ドアの前に化粧台を置いたりしちゃダメじゃない。部屋から出られなくなるわよ」
 部屋にいるフランクの映像が思い浮かんだ。私は部屋に駆け込むと、「きみは俳優かね?」と尋ねた。「ええ、まあ偶然にね」というのが彼の答えだった。ロサンジェルスでは誰もが俳優だ。ひょっとしたら、世界中のみんなが俳優なのかもしれない。そこで私はこう言った。「フランク、きみはこの場面に出演するんだ」
 われわれはカメラをパンさせながら、部屋の場面を撮影した。フランクを入れずに二回、ベッドの足下で凍りつくフランクを入れて一回。でも、その場面にどんな意味があるのかはわからなかった。
 その晩は、階下でローラ・パーマーの母親を撮影していた。彼女は娘を亡くした悲しみと苦悩に耐えられず、カウチに横たわる。突然、彼女は心の中で何かを目の当たりにし、跳ね起きて悲鳴をあげる。(略)私は「カット――パーフェクトだ。素晴らしい!」と言った。ところがショーンは、「いや、ダメですよ。これじゃあね」と言う。
「何かあったのかね」
「鏡にある人が映ってたんです」
「誰が映ってたって?」
「フランクです」
 そう、物事はこんなふうに起きて、きみを夢見心地にさせるんだ。ひとつのことが別の何かを導いてくれる。この流れに身を委ねていけば、全体が切り拓けるよ。

赤い部屋

 ある夏の日、私はロサンジェルスのCFIにいた。『ツイン・ピークス』のパイロット版を編集していて、その日の作業を終えたところだ。夕方の六時半に建物を出ると、駐車場にずらりと車が並んでいた。ふとある車の屋根に両手を押し当てると、たいそう温かい――熱くはなく、程よい温かさだった。そこで車に寄りかかると――スーッと赤い部屋が浮かんできた。そして、続けざまに、場面といくつかのセリフが思い浮かんだ。
(略)
「待てよ、壁は赤いけど、硬くはないよな」(略)
「一面はカーテンだ。不透明ではなく半透明の」(略)
「床はどうすればいい?……何か必要だろう」最初のアイデアを思い返すと、床にも何かあったことに気づく――一面にね。そして床もアイデアどおりにしてみる。こうして最初のアイデアをもっとたくさん思いだすんだ。いろんなことを試行錯誤するが、整理したり、別の材料をつけ加えたりするうちに、アイデアどおりだと感じられるようになる。

一般化

 映画の中の女性をすべての女性の象徴として、男性をすべての男性の象徴として語るのは、危険なことだ。批評家は何でも一般化したがる。でもこの特別な物語の、あの特別な登場人物が、その特別な道筋をたどっていくんだ。こうした具体性のある設定のおかげで、固有の世界ができあがる。時に人は、そんな世界に入り込んで体験したくなるんだ。

ロスト・ハイウェイ

 バリー・ギフォードと一緒に『ロスト・ハイウェイ』の脚本を書いている時は、当時公判中だったO・J・シンプソンの裁判のことが頭から離れなかった。ギフォードには一度も話さなかったが、この映画は、あの事件と何らかの関連性がある。
 O・J・シンプソンがニコニコと笑みを絶やさないでいることに、私は打ちのめされた。事件について何ら問題ないと言わんばかりに、その後、喜々とゴルフに興じていたのだ。なぜこんなにニコニコしていられるのか。あんな事件を起こしたら、生きていくのは大変なのに。(略)
[そんな時「心因性遁走」という精神医学用語を発見]
計り知れない恐怖から抜け出そうとして、心そのものが事実を虚偽の出来事に書き換えてしまう。言ってみれば、『ロスト・ハイウェイ』はその病理についての映画だ。それと、何ひとつ永遠に隠し通せるものはないという真実を物語っている。

家を吹き飛ばす

 制約があるから、心を羽ばたかせることもできる。(略)
 友だちのゲイリー・ダミーコは特殊効果の仕事をしている。姿あるものを爆破させるのが大好きだ。『ロスト・ハイウェイ』で家を吹き飛ばしたのもゲイリーだ。(略)
[製作マネージャーに家を撤去しますかと訊かれ]私の頭はぐるぐる回り始めた。(略)
「ある物を吹き飛ばしたいんだけどできるかな?」ゲイリーの顔が輝いたので、「この家を木端微塵にしてほしいんだ」と口にした。
 すると彼は、「事前に言ってくれたらよかったのに。機材があったかなあ」それでも「そうさね。まあやってみるかね」と言ってセットヘ入り、持っていたあらゆる配線を括りつけた。それは最も美しい光景だった。もし彼が機材を用意していたら、事前に爆破するという情報を得ていたら、これほど美しい眺めにならなかっただろう。ギラギラしないソフトな爆発で、建物を数百フィート四方に飛び散らせた。何ともソフトな輝きだった。われわれはフィルムを逆回転させて、この瞬間を撮影した。こうして信じられない場面が生まれた。

質感

 腐乱死体が好きなわけじゃないが、朽ちていく肉体には驚くべき質感がある。腐乱した小動物の遺骸を見たことがあるかい? こうしたものを見るのは楽しい。樹皮や、小さな昆虫や、カップに注いだコーヒーや、一切れのパイをクローズアップで見るのと同じくらい好きだなあ。近づいて見てごらん。その質感たるや見事だから。

大工の手仕事

 木はモノを作るうえで、恰好のマテリアルだ。柔らかい木もあれば硬い木もある。木を用いて作業していると、いずれの木にも固有の美が備わっているのがわかる。新鮮な松の木の切れ端を見つめていると、いい香りがして、天国にでもいるような心地になる。松の葉の香りも同じように素晴らしい。子どもの頃、私はポンデローサ松の松脂が染みついた樹皮をよく噛んでいた。分泌された樹液が表面にこびりついてるんだ。もしきみが新鮮な松脂を噛んでみたかったら、シロップのようなものだと覚えておくといい。(略)古い蜂蜜のように固まっているものもある。これを噛むと、松脂の味でクレイジーな気分になる。ほどよい加減にね。
松は軽軟材だから作業しやすく、簡単に手に入る。若い頃はこれを使っていろんなモノを作った。でもある時、私は米松のモミ材に惚れ込んでしまった。縦目のものだ。これにニスを塗ると、目を見張るほど美しい深みが出る。切れ端を二片組み合わせるだけでも、無数の可能性を感じてしまう。そうして作業するうちに、コツのようなものを学んでいくんだ。
 ギュンターというドイツ人の大工がいるが、彼は決して電動工具を使わない。取っ手のついた美しい木箱に、手仕事用の道具類を詰め込んで現場にやってくる。どこへ行くにもこれだけ持参する。ギュンターは(略)米松のモミ材に小さな細工を施した。切れ端を二片組み合わせ、その継ぎ目を年老いたつぶれた親指でこすると、継ぎ目を消してしまったんだ。魔法にかかったように、二つの切れ端は完全に一体となった。ギュンターこそ木物の大工だ。

映画の偉人たち

 私はビリー・ワイルダーの熱狂的なファンだ。好きなのは、独自の作品世界を築いた二作品――『サンセット大通り』と『アパートの鍵貸します』だ。
 次にフェリーニが来る。彼はとてつもないインスピレーションの持ち主だ。私が好きなのは『道』と『81/2』だが、実を言えば、どの作品を選んでもいいくらいだ。いずれも独自の世界、登場人物、ムードがある。(略)
 ヒッチコックも大好きだ。『裏窓』は私を映画に狂わせた一作だ。むろんいい意味でね。ワン・ルームにいるジェームズ・スチュワートの居心地のよさと言ったら。何て涼しげな部屋だろう。(略)
一遍のミステリーの中で集い、窓から見える謎を解き明かしていくのは最高だ。これこそ魔法だと、映画を見た誰もが感じるはずだ。暇を見つけて、あの部屋を訪ねるのはとても心地いい。

フェリーニ

 ローマでコマーシャルを撮影している時[クルーに元フェリーニ組の人がいたので、入院中のフェリーニに挨拶できることに](略)
夏の夜の午後六時。美しくも暖かい晩に、私はフェリーニ組だった一人の人物と受付を通り抜け、彼のいる病室に入った。(略)
 フェリーニは座るように私を促した。彼は二台のベッドの間に置かれた小さな車椅子に腰をかけ、私の手を取った。そうして半時間話をした。あまり質問をしようとは思わなかった。ただ彼の言葉に耳を傾けた。フェリーニは過ぎ去りし日のことを話してくれた――さまざまな出来事を。いろんな話をしてくれた。名残り惜しかったが、われわれは退出した。金曜の夜のことで、日曜にフェリーニは昏睡状態となり、帰らぬ人となった。

キューブリック

[ジョージ・ルーカスのスタッフがキューブリックに遭遇、お気に入りの映画を観に来ないかと誘われ家に行くと、彼は『イレイザーヘッド』を上映したと聞かされ]
私はもう死にたくなるほど穏やかで幸福な気持ちに包まれた。
 キューブリックの映画は全部好きだが、私のお気に入りは『ロリータ』だ。あの作品世界が好きだ。登場人物と演技も好きだ。あの映画のジェームズ・メイスンは、超然とした存在感を放っている。

デジタル・ビデオのクオリティ

 現在使っているデジタル・ビデオのカメラはソニーのPD−150で、これはHDカメラよりも画質が悪い。でも私はこの劣悪な画質が好きだ。カメラが小振りなのも気に入っている。
 その質感は、1930年代に作られた映画を思わせる。当時は感光乳剤の質が良くなかったので、スクリーンで再現できる情報に限度があった。ソニーのPDの画質は、それにちょっと近いところがある。高解像度とはかけ離れてるんだ。ある画面で何が見えてるのか疑問だったり、隅っこに暗闇があったりしたほうが、精神は夢見ることができる。(略)
 高解像度のカメラは残念ながら明瞭すぎる。(略)

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