通過者の視線 森山大道 宮本常一

通過者の視線

通過者の視線

宮本常一『写真・日記集成』

(略)とにかく圧倒されました。
 まず宮本さんが歩いた物理的な距離、写真を撮った物質的な量。ぼくももう五十年ぐらい路上を歩いて撮ってきて、北海道や東北も結構うろうろした時期があるけど、その場所の選び方歩き方はじつに勝手気ままで、系統立ててきちんと写してきたわけではない。そういう意味を含めても、宮本さんの軌跡というのはすごいなと圧倒されました。そこにはもちろん民俗学という背骨があるんですけども、この人ちょっと半端ではない、かなわないとそのころから本当に思っているんです。(略)
ここまで徹底して日本を緻密に歩いて見た人はいない。(略)
目に映る全部が自分の民俗学の世界だとはっきり思っていた人ですね。この人ほど一種物狂いというか撮り狂った人は、プロカメラマンでもいないんじゃないかなおそらく。(略)
[自分なら]踏み込めない所まで宮本さんはニコニコ入っていってしれっと写してしまっている。そこに凄みを感じるんです。宮本さんの写真を見ていると、写す対象に過多な心情を入れたりしていないし情緒的な深入りもしていない。ぼくはそれを通過者の視線と言うんだけど、民俗学者としての宮本さんの場合、単なる通過者では済まないわけです。(略)
そうした学者としての使命もありながら、あれだけ撮ったというのは脱帽です。(略)
トータルに見るとそういう情緒に語りかけている部分が見事にない。
 というのは貪欲に何でもかんでも見たら撮っちゃうからでしょうね。ここはちょっと絵になるからとか情緒的でいいなどといちいち思わないで、とにかくまずシャッターを押す。やっぱりそれですね。
 そのことは写真の本質と実はとても大きくかかわっている。(略)
ぼくは基本的に、写真という装置の根幹はアマチュアリズムとアノニマス(匿名性)だと思っているわけですが、宮本さんはこれを図らずも見事に体現している。ぼくら写真家も「何でも感じたものを撮ればいい」と言いながら、それこそ構図にこだわるとか、どこかで表現意識というものに否応なく捉われてしまうんです。(略)
だからそこのところを、手もなくっていうのはおかしいけどあっさりやっちゃってるわけで、宮本さんには勝てないよね、という感じがある。(略)
通過者の視線でさらっと撮ってはいるけれど写した写真のどれも構図がいい。(略)先天的なセンスがありますね。
(略)
[子供や働く女性を撮っても目線が対等。都会人的な節度があり振る舞いがスマート]
 要するに魅力的な人だったと思う。だって撮られている人との関係性は写真に表れますからね。振りかぶってないし、さらりと撮ってるしさ。
 こういう言い方は失礼だけど、宮本さんっておそらく人たらしなんですね。さりげなく人たらし。
(略)
撮るという行為をぼくの言葉で言うと「日常の裂け目」を見るということですね。流動する日常にはスリットが無数にあって、そこを見たい写したいっていうのがある。それは言い換えると異界という言葉にもなるんだけど、宮本さんがフィールドワークで歩かれたすごい領域の写真を見ると、それもまたもうひとつの異界なんです。しかもこれだけの量を見せられると、相対する異界を感じてしまう。そこには、歴史的な時間の在りようとかそこに生きた人の在りようとかいろんなことが映って、風俗とか、土俗とか、民俗とかを全部含めたうえのトータルで見ると、宮本さんが写した人々と風土には強靭な実存性が露われています。

宮本常一 写真・日記集成  全2巻・別巻1

宮本常一 写真・日記集成 全2巻・別巻1

パントマイム

 ムカシムカシの話である。ヤツらは、人の親指ほどの沢山の小さなビンの中の液に浸ってそれぞれ眠っていた。それぞれがカキの皮膚をしてその形はほとんどエビだった。(略)産婦人科病院の、暗い廊下に立ち並んだ標本棚の片隅で、ガラスケースの棚に、フォルマリン液に漬けられた無数の胎児たちが皆ひっそりと肩を寄せ合って陽の当る中庭を眺めていた。
 その頃ぼくは二十五歳で、フリー・カメラマンになったばかり
(略)
 初期の段階で掻爬された人間の胎児は二センチにも充たず、形状としては鳥や魚や兎や亀などのそれらとほとんど変わらず、ぼくは小学生の頃に理科の図鑑で見た、ダーウィン進化説の図解イラストを思い出していた。いわば生物の原質、人間の種子とでも言うべきか、じいっと見ていると限りなく愛しかった。
(略)
 この、「パントマイム」の写真のことで言えば、結局ぼくの若さだけが唯一のテーマだったと思う。別に、芸術であるとか創造であるとかの意識などではなく、もっと未分化で不確かで単純な衝動だったはずだ。
(略)
 極めて好意的な老院長の厚意で、ぼくは胎児の入ったビンを沢山手にして、もう使わなくなっていた旧い分娩室をスタジオ代わりに撮影を始めた。持参したケント紙の上にビンから取り出した胎児たちを置いて、そこに多少のドラマティックな要素を加えて、ぼくは胎児たちと言葉にならない対話に熱中した。二、三ヵ月目くらいの胎児は、まるで小エビのように小ちゃくて可愛くて、教科書の挿絵と同じだった。(略)部屋には、フォルマリンの強い匂いと、フラット・ランプによる照明の温気、そしてぼくの汗やなにやかやの匂いが混然となって異様な臭気が充満し、ぼくはその中で、さながらラプラスの鬼と化して、日の落ちるまで粘り写していた。(略)
ぼくにとっての、“青春の写真”の時であり、ぼく自身の、パントマイムの時であった。
 そして、それらの写真は、それから半年後に、「現代の眼」という月刊誌に掲載された。(略)

面影記

(略)ぼくは二十六歳、S子は二つ年上の二十八歳で、東京の洋装メーカーの秘書室勤務だった。(略)
 S子は肉が好きだった。高校卒業と同時に北九州のOという小さな炭鉱町の炭住街から八歳上の姉を頼って上京し、当時もM区、K町のアパートで姉と二人きりで住んでいた。子供の頃から生活の苦労を舐めたようなふうであった。ぼくと一緒に街で食事をするときなど、必ず肉っ気のある品を注文した。だって、肉なんか食べさせてもらえなかったし、と言って、まず最初に肉片からおいしそうに口に入れた。(略)
それほど高給を取っているわけもないのに、二人で遊ぶ金はいつもS子が、いいからいいからあなた子持ちでしょ、と必ず支払った。(略)
三十六歳で独身の姉を思いやって、どんなに夜遅くなっても必ずアパートに帰っていった。(略)
 ぼくも酒には弱かったが、S子はさらに弱かった。(略)
[酔うと]女学生が持つような部厚い布製の財布兼定期入れ[から](略)一枚の古い名刺版の風景写真を抜き出して、遠い目つきで眺めるのがつねであった。(略)
茶ばんで、周辺がボロけ、無数の折れシワの入ったその小さな写真には、O町のひなびた停車場が写っていた。少し引いたアングルの風景だった。土塁のように盛り上がった細い一本のプラットホーム、まっ黒な蒸気機関車が煤煙を吐いて停っていて、こちらに光り伸びてくるレールは、途中から手前におい茂る秋の草花やセイタカアワダチ草に隠されて断ち消えている。碍子をいっぱい並べた電信柱が無数の電線を引いて遠くの林間に紛れ込んでいき、その背景はボタ山とおぼしき三角形に突んがった黯い小山が重なって写っている。不思議と人っ気もなんにもなく、風景全体が晩秋の薄日のなかでまどろんでいるような懐かしい構図であった。写真の裏には、ペン字で小さく昭和二十九年十一月十四日と記されてあった。
(略)
 S子とは、ほんのささいなことで別れることになってしまった。(略)三年におよぶツキアイであった。別れることになる半年まえ、ぼくはある賞の新人賞を取った。日ごろ、一貫した金欠病患者であったぼくは、よくS子からフィルム代や印画紙代を出してもらっていた。S子はイヤな顔もせずいつも気前よく購ってくれた。賞をもらったあと、ぼくは少々照れ良かったが、やや改まった感じでひとことS子にお礼を言った。別れてしばらくたった頃S子から最後の手紙が届き、いろいろと気持ちの整理を済ませたなどと書いてあり、終わりの方に、アナタから賞のお礼を言われたときが二人の時間のなかでいちばんうれしく、もうあれで充分でした、といった意味のことが記されていた。今度はぼくがジーンとする番であった。そのとき、S子は三十一歳、ぼくは二十九歳になっていた。S子は秘書室長になり、ぼくも賞をきっかけに忙しくなっていった。以来十八年間、二人はそれぞれべつべつの地図のなかに紛れこんでしまい、ふたたび顔を合わせることもないままである。
 今年の夏(略)ある街を撮った帰りに乗換駅で渋谷行きを待っていると、となりのホームにたまたまD線の電車が入ってきた。まだ帰るには陽も高かったし、あまりに暑かったせいもあって、ぼくはとっさにその電車に飛び乗ってしまった。(略)フト停った駅名を眺めるとK駅だった。かつて、S子との逢瀬のたびに乗り降りした駅名であった。前後の判断もなく、引き込まれるようにホームに降りてしまった。まったく何の気持ちの用意もなく、その日突然、ぼくは十八年ぶりに記憶の駅頭に立つことになった。夏の、遅い午後の夕日が強く街区を染め上げていた。まぎれもなく、あの夕日だった。
(略)
意志とはべつに、細胞がなびくままに、むかしS子が住んでいたアパートヘの道を辿っていた。(略)そのアパートは小さなモルタルのアパートだったので、まさかもう在るはずもなかろうと思い込んでいたが、銭湯の角を曲がったとたんに、在った。ぼくは瞬間、もはや懐かしさなどを通り越した、名状しがたく眩惑に似た感覚とともに、ジリジリと西日に焦がされる眼前の風景をまえに立ちつくすばかりであった。よもや住んでいるわけもないだろう。気をとりなおしてアパートに近づいた。
(略)
階段下に錆びて並ぶ郵便受けのひとつに、まぎれもないS子の名前があった。見覚えのある筆跡で小さく記されていた。(略)
ウチはみんな縁遠いのよ、と寂しそうに笑っていた面影が目に浮かんだ。次にぼくは、衝動というほかなく見さかいもなく、二階への鉄の階段を昇っていき、ためらいなくいちばん奥の部屋のまえに立った。狭い通路に洗たく物が整然と干してあった。ぼくはドアをノックした。もう一度ノックして五秒待ち、次いで素早くドアを離れて急いで階段を下りて路上に戻った。留守であったのだろうか。待っている五秒の間に、ぼくはさっと我に帰ったのである。胸が鳴り汗がどっと吹き出した。よかった、留守でよかったと思った。もし留守でなかったとしたら、四十六歳のぼくが五十歳に近いS子と再会していたことになる。それでいったいぼくはどうしていたというのだろうか(略)
ぼくはその夜仕事場で、S子とのかつての時間を回想した。そして、ぼくの仕事場から車に乗って三十分とはかからないところで、毎夜S子が眠っていたことに思い至り、人間同士のつながりの、生の仕方のなさを知って撫然たる思いであった。そして、いちばん最後に、遠い日の暮れがた、湘南の小さな漁村の浜辺で、黄色いワンピースの背を見せて笑っていたS子を思い描いた。(略)

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