野戦郵便から読み解く「ふつうのドイツ兵」・その2

 前回の続き。

戦場の恐怖

納屋や家屋の後ろへと飛び込んだ五秒後に、元々立っていた場所に爆弾が直撃して一気に恐ろしくなってきたものの、どこに行けばいいのかもわからない「真の死の恐怖」や、「スターリンオルガン」と呼ばれるロケット砲の猛攻撃を、掩壕で小さく縮こまって必死に耐える「地上の地獄」。ロシア兵から百メートル程度しか離れていないところで、穴のなかにうずくまり昼も夜も見張っているなかで、「あらゆる種類の砲撃によって精神的な錯乱をきたし、暖をとるために火をおこすこともできず、命の危険を冒さなければ這い出すこともできない」歩兵。うっかり動くこともできないそうした前線の状況で、敵から「見られているかと思うと、身も凍るような気分に襲われ」るし、たとえ戦友が助けを求めて叫んでいたとしても、「助けようとしてそこに急行すると捕虜になってしまう」という敵の罠を恐れ、助けに行けない状況。そして、実際に捕虜になったらどうなるのか、という恐怖。
 私は今、きわめて短時間ではあっても戦争をこの目で見ました。もう十分です。残忍なものです。「そこにいたことがある人」でなければまったくわからないでしょう。(略)
爆弾が投下される様子を目の当たりにする。爆弾を見る。ちっぽけな点々が降ってきて、直接自分の上へとやってくる。縮こまりながら轟音を立てて過ぎ去っていく音を聞く。もう何も考えられない。思考の停止した空間。そして爆裂音と地面の震動。すさまじい雷鳴。泥と埃が顔に飛び散る。そして死の静謐さ。そう見える。航空機は陣地に対して集中砲火を浴びせ、高射砲は狂ったように音を立てているにもかかわらず、何も聞こえない。爆弾が落ちてくる。まだ生きている。傷も負っていない。他のすべてのことは遮断されている。そして再び徐々に。手探り状態で気を取り戻す。何が起こったんだ。何が起きたんだ?。

 そしてそれに加えて再び、素晴らしい風景。私はすべてを受け止め、自分なりに咀嚼しようと試みました。不思議だったのは、私がそこに見たのは人間の残酷さでも戦争の恐ろしさでもなく、何か美しく、ロマンティックなものだったということです。多分、この機械の怪物が粉々、ぐしゃぐしゃになって奈落の底へと転落しているのを目にするのは喜ばしいことだからなのでしょう。この航空機や車両はなんといっても我々の敵なのですし、彼らは我々を不幸にし、安らぎを奪い、我々から文化を奪うのです。そして今彼らは惨めな形でぐしゃぐしゃになっています。誇らしい気分です。そこに見えるのは、すべてを組み立てるためにあくせく働いている人間ではなく……、ぐしゃぐしゃになって生命力を奪われた敵なのです。
(略)
 暴力をめぐる兵士たちの記述を見ていて気づかされるのは、少なくとも個人のレベルでは、そうした「粗暴化」を問題視し批判する観点、少なくともそれを冷静に見つめる視点が少なからず見られるということである。大々的に喧伝された「報復兵器」=Vロケットについての、「事実ともかく人類は新しい殺戮の手段を見つけたのです。「洗練された」人類の歴史へと足を踏み入れるようになるのです」という皮肉混じりの記述。あるいは、「この流血をやめなければなりません。この大量殺戮は耐えがたいものです」「戦争はどんどん恐ろしいものになってきています。すべての人類が理性を失ったように思われます」という強い批判。さらには、「戦争が終わる頃には、全ヨーロッパが廃墟となっていることでしょう」「かつては戦争であっても、幾分は騎士道精神のようなものがありました。今あるのはただ絶滅、死、涙だけです。ヨーロッパが誇りにしてきたもの、つまり文明(私は笑いません)はどこへ吹き飛ばされてしまったのでしょう。それはかつても、そして今でも見せかけであって、その背後では古くからの絶滅という悪魔的な顔がにやついているのです。ヨーロッパの人間が何百年もの間あまりにも錯覚してきたこと、誇りにしてきたことが、銃床による一撃で崩壊するのを目の当たりにするというのは、ショッキングなことです」と、ヨーロッパ規模にまで思索をめぐらせるものなど。
 また最末期になってからも、「無意味な殺戮にいつ終止符が打たれるのでしょうか」「私のなかでは、なぜ今日のような馬鹿げたことが、という決して応えることのできない問いがくすぶっています。なぜ人間はこれほどまでに、恐ろしいほどまでに愚かで残酷なのでしょう」「20世紀の進歩というのは爆弾のトン数によってのみ表現できます。それこそが、20世紀がその前半に人類へともたらしたすべてなのです。全世界が破裂してしまえばいいのにと思うことがときどきあります。そうすれば、馬鹿げたことも、嘘いつわりも、殺戮もみななくなるでしょうから」

ユダヤ人迫害

 1942年末から43年初頭にはすでに、ユダヤ人の大量殺戮がおこなわれていることは多くのドイツ人にとって「公然たる秘密」となっていた。(略)
敗北の可能性が現実的になるなかで書かれた次の二つの手紙からは、ユダヤ人迫害が現実に「公然たる秘密」となっており、兵士たちの間で良心の呵責を生まずにはおれなかったこと、それに対する報復に怯えていたことだけでなく、それらは一部のナチの仕業であって自分たち「ふつうのドイツ人」には責任はなく、ドイツ人・ドイツ民族自体は「悪魔的な誘惑の技術」や「洗練された大衆陶酔のシステム」にいわば騙された、無実な存在であって「我々はそれについて何も知らなかった」のだという、戦後西ドイツ社会の決り文句へと繋がっていく認識枠組みが見て取れる。
 戦争に負けてしまうのでしょうか。それはじつに恐ろしいことです。そうなれば、神の思し召しなど疑うほかないでしょう。我々ドイツ人はそのような犯罪者であったことは今までありません。ナチどもはユダヤ人に対して少々馬鹿げたことをしたかもしれませんが。だから、強制労働のためにロシアに行かなければいけないのなら、その前に斃れるほうがましです。そうすればこのクソみたいなことも少なくとも終りを告げるでしょうから。
(略)
 ユダヤ人とポーランド人の扱いは(略)致命的な政治的誤りであっただけでなく、人道的にも正しくないことであり、ドイツ民族の良心に次第に負荷をかけるようになってきています。(略)
「もし彼らが解放されたら、仕返しをしてくるに違いない」「あまりにもひどいことをやりすぎた。もはや人間的ではなかった」。こういった言葉が今日党員からも聞かれます。一、二年前にはそのような感情が襲ってきても、一蹴してきた人びとなのですが。ドイツ民族はこの点、10年にわたる教育や、その反対を証明するようなあらゆる証拠にもかかわらず、圧倒的多数はいまだ道徳的に敏感な民族のままなのです!すでになされたこと、黙認されたこと、そしてそのことに現在の不幸な状況が恐ろしいまでに見て取れるわけですが、そこまで人びとを熱狂させるためには、悪魔的な誘惑の技術と、洗練された大衆陶酔のシステム、そして国民的な過剰な興奮が必要だったのです。人道的な正義や不正義を感じる力は、その身体の奥深くに今でもしっかりと根付いているのです。

ロシア

 ロシア軍やボルシェヴィキに関する記述で特徴的なのは、肯定的な記述がほぼ皆無なことである。かわりに見られるのが、「東部の高潮」「東部からの洪水」「雑多な群れ」「ボルシェヴィキの洪水」「赤い人殺しの群れ」といったネガティブな集合的メタファーである。文明的に劣った人びとの「洪水」が襲いかかってくる以上、自分たちは「ダム」を構築して防衛しなければいけないという表象は、ドイツ人がスラヴ人に対して伝統的に抱いてきたものである
(略)
[終戦間際でも]「我々に対峙している悪臭のひどいロシア人やポーランド野郎とは、じきに決着をつけることになるでしょう」と蔑視や敵愾心を鮮明にする兵士もいた
(略)
ロシアの捕虜になりシベリアで働いて命を失うほうがいいのか、それとも〔捕虜にならずに〕死ぬほうがいいのか、私はどうすればいいのでしょうか。……イギリス軍ならすぐに〔捕虜に〕なります。兵士たちはきちんと規則に従って扱われますし、郵便も受け取れます。ロシアではすべてがそうではなく、音信不通なままです。それでは人間は精神的にも道徳的にも破綻してしまいます」
(略)
[一方で、現地住民と触れ合うことで肯定的な印象を残すことも]
ポーランドについてある兵士は、人柄は素朴で善良、幾分ナイーブではあるが、素晴らしく清潔であり人びとの服装もカラフルであること、編み物の質も高いことをなどを挙げて、「すべてを自分自身で創り出す人びとは羨むほかありません」と感嘆の念を示している。
(略)
ベルの場合にはロシア文学を通じて得た知識が「素地」となっていた。
 しかしもっとも幻想的なのが家屋で、汚れた黄色の正面。黄色から黒まで。茫漠として心を打つ。平らな屋根。長い長い通り。汚い。そしてこの黄色の正面。すべてが同じで、しかしながら互いに感動的なまでに違う。これらの家屋を見て最初に思い浮かんだのは、ドストエフスキーでした! すべてのものが生き生きと、私のなかによみがえってきたのです。シャートフとスタヴローギン、ラスコーリニコフ、そしてカラマーゾフ兄弟、ああ、家屋を見たときすべてが思い浮かびました。これが彼らの家だったのです。ああ、私には理解できます。そのような家屋で一日中、ああ一日中お茶やタバコ、シュナプスをたしなみながらひたすら議論し、計画を練り、仕事を忘れる。私の心を動かしたものについて、それを表現するだけの力はまだありませんが、私には次のことはわかっています。つまり、私は西欧から来た人間であるということ、そして私はまだ「思慮、分別」のある西欧が恋しい、とても恋しいということを。
(略)
[その一方でベルは]
ロシア軍とその凶悪な重火器には、戦争本来の戦慄や恐怖に加えて、真の戦慄と恐怖があります。それはロシア的な本質におけるアジア的な異質性であり、それが戦争のような原始的な出来事によって現実のものとなるのです。すなわち、ある民族の本質をめぐる可能性がそこで現実のものとなるのです。

イタリア

 別の兵士も、「イタリアは怠け者とジプシーの地であり、感情に飢えた人びとのたまり場であり、できるだけ努力しないで金を得て、できるだけ自由に生きるというのが彼らの本来の生き方なのです」と、きわめて否定的な判断をくだす。
(略)
これらの言辞には、第一次・第二次世界大戦と二度にわたってドイツに対する「裏切り」をおこない、同盟を結ぶ相手として信用ならない存在であるという不信感、イタリア人はそもそも戦闘に向かない民族であるという考えなど、ドイツにおいて支配的であったイタリア人イメージも色濃くにじみ出ている。ただここで重要なのは、「義務観念と秩序意識に満ち」「直線的で原則を重んじ」るというドイツ人としての自己認識と、そのネガとしてのイタリア人とが表裏一体で表象されるという点である。

本書を通して明らかなように、

ナチ・イデオロギーの中核的要素である人種主義は兵士たちの手紙において記されることがほとんどない。(略)むしろ伝統的な蔑視や偏見、ステレオタイプと見なしたほうがよいような記述が支配的である。
(略)
大戦末期の絶望的な戦況にあっても敵に対して徹底的に戦うという意志は、人種主義や反ユダヤ主義、反共産主義といった「典型的」なナチ・イデオロギーの経路を経ずとも調達可能であった。たとえば、スラヴ人やイタリア人に対する伝統的な蔑視、喧伝されるロシア軍の「残虐行為」、家族がその犠牲になるのではないか、自分も戦争が終わったらシベリアで強制労働させられるのではないかという恐怖心、そして、数多くの戦友たちが命を落とした「忌々しいロシア」という敵愾心。ロシア軍の恐怖を煽るプロパガンダがその際に重要な役割を果たしていたことも想像に難くないが、それだけでなく、兵士たちが現場で見聞きし、あるいは伝聞情報によって(おそらくは恐怖が増幅された形で)知った敵の残虐行為や、避難民たちの悲惨な姿が家族と二重写しになり、それが恐怖心と、何が何でも戦い統けなければならないという意志を強めた。また現地の人びとからの物質的な収奪や、パルチザンに対する容赦ない報復措置を、蔑視が下支えしていた。さらにそうした蔑視は、現地住民との交流によって肯定的な印象を得たとしても、何らそれと矛盾することなく両立しうるものであった。なぜなら蔑視は、文化的・精神的であり生活水準が高く清潔で、義務観念や秩序意識を大事にするという「ドイツ人らしさ」のネガとして、自己認識とつねに表裏一体の関係にあり、そうした認識枠組みのなかにしっかりと根付いていたからである。
(略)
徹底的に戦い続けるという意志を調達するうえでは、敵や他者に対する蔑視、敵愾心、恐怖感だけでなく、肯定的な自己イメージと、そうした「素晴らしい何か」が存亡の危機にさらされているという強い被害者意識も決定的に重要であった。そもそもこうした戦争を無責任に始め、ドイツに次々と破壊がもたらされてもなおも戦争を続けるお偉方や、私利私欲にふけり当座しのぎに汲々とするナチ党員などにすべての責任があるとされ、「ドイツ民族」自体には何ら責任がないという、純粋無垢の「可哀想なドイツ人」というイメージが兵士たちの心を捉えた。超歴史的な存在としての「ドイツ民族」から、ナチ党や指導者たちを切り離し、自分たちは純枠無垢であろうとするなかで、第二の「背後からの一突き」伝説のポテンシャルすら見られた。
 多くのドイツ人に見られるドイツ人としての自己認識は、「文化国民」「文化民族」という伝統的なものではあったが、無事に生き残るためには戦い続けるしかないという「運命共同体」的な諦念、「平和を愛し」「何も罪を犯していない」自分たちを理解しようとしない「他者」への憤りや被害者意識、肯定的な自己イメージの裏返しとしての他者への蔑視、「ハード」に戦い続ける「ドイツ」という集合的主体への自己同一化など、歴史主体のさまざまな思いを吸収していった結果、戦闘を継続させるモチベーションとして十分な機能を果たすことになった。義務や犠牲それ自体に肯定的な意味を見出すという「典型ドイツ的」な副次的道徳も、今までの犠牲が無駄であってよいはずがなく、無駄にしたくなければ戦い続けるほかないという心情や、この犠牲は家族のため、子孫のためであるという「読替え」といった思いを吸収することで、無視できない役割を果たした。