中央銀行が終わる日: ビットコインと通貨の未来

中央銀行が終わる日: ビットコインと通貨の未来 (新潮選書)

中央銀行が終わる日: ビットコインと通貨の未来 (新潮選書)

  • 作者:岩村 充
  • 発売日: 2016/03/25
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

「良貨が悪貨を駆逐する」のか

「悪貨が良貨を駆逐する」のか

[サミットでの首脳集合写真を見ながら]
 そう考えると、中央銀行首脳たちの笑顔の理由も納得できたことになります。一国だけで金融緩和に突き進むと「失業の輸出」という批判を受けやすいわけですが、歩調を合わせて緩和に進めばその心配はありません。(略)
 でも、それだけで良いのでしょうか。政策当局の協調はいつも美しいのでしょうか。
(略)
ハイエクが通貨のあり方について主張したのが、通貨を国家のコントロール下に置くな、通貨の発行と流通に「競争」を導入すべきであるということでした。(略)彼の1978年の文章です。「あまりにも危険でありやめなければならないのは、政府の貨幣発行権ではなくその排他的な権利であり、人びとにその貨幣を使わせ、特定の価格で受領させる政府の権力である」(ハイエク「通貨の選択」)とあり、続けて「責任ある金融政策をとる国の通貨は、次第に信頼できない通貨にとって代わるようになるだろう、というのがおそらく結論である。
(略)
ハイエクは何よりも貨幣価値の持続的減価つまり[1970年代の]世界的なインフレに対する根本的な処方箋として、貨幣に関する選択を人々に委ねることを提案していたわけです。人々自身が通貨の選択を行うとしたら、わざわざ減価していく貨幣つまりインフレの進行している国の通貨を持つはずがない、それがハイエクの考えた当時の高インフレヘの処方箋だったわけです。(略)
[えっ、じゃあグレシャムの「悪貨は良貨を駆逐する」はどうなるの?]
どちらが正しいのでしょうか。
 実はどちらも正しいのです。ただし、現実の中でどちらが正しくなるかは、人々が自身の使う通貨を「選択」することの自由を認めるかどうかにより決まります。どの通貨を使うかの選択が自由に委ねられている世界では、人々は減価が予想される貨幣を受け取ろうとはしないでしょう。(略)市場原理あるいは自然淘汰の原則が働いて、良い貨幣だけが残っていくはずです。つまり、「良貨が悪貨を駆逐する」ことになります。
 しかし、政府により特定の貨幣の受け取りを強制される世界ではそうはいきません。権力による強制から自衛しようとする人々は良貨を退蔵し、できる限り悪貨を先に使おうとするはずでしょう。今度は「悪貨が良貨を駆逐する」ことになってしまうのです。

1990年代に入ると世界のインフレは急速に終息へと向かいます。通貨を人々の選択に委ねればインフレは解決するとしたハイエクの主張はここで実現したわけです。もっとも、それは世界がハイエクの主張に賛同したからではありませんでした。そうなったのは、固定相場制維持の主役である米国が金準備の流出に耐えられなくなったからなのですが、結果から言えばハイエクの提言を受け入れたのと同じことが起こったわけです。
 でも、それは世界に別の問題を突きつけることにもなりました。インフレなき世界が実現するとしばらくして、世界あるいは世界の中央銀行たちは、再びインフレが欲しくなったのです。良きことだったはずのインフレ克服が、ここで悪いことに転じてしまったわけです。では、なぜ、そんな逆転が起こったのか、それを振り返っておきたいと思います。

クルーグマンの提案について日銀の反応

 クルーグマンは、当時の日本の状況を整理して、これは大恐慌の経験から遠ざかるにつれて経済学者たちから忘れ去られていた「流動性の罠」が再び現れてきているのだと診断し、自身のホームページでのエッセイとして発表しました。1998年のことです。
(略)
戦後の繁栄とインフレの共存の時代が進むにつれ、彼らが書く教科書でもIS曲線とLM曲線とか「流動性の罠」などというのは片隅に押しやられてしまっていたからです。1960年代あるいは70年代の米国に学んだ経済学者が主流だった日本ではともかく、米国の大学や大学院教育ではIS曲線もLM曲線も死語に近くなっていたのです。しかし、さすがはクルーグマンです。スーパースターの一言は世界の状況認識を変えたと言っても良いと思います。
(略)
 こうしたクルーグマンの提案について日銀の反応はどうだったかというと、その説明の仕方はともかく、やったことは提案に近いものだったと思います。日銀はクルーグマンのエッセイが出た翌年の1999年の4月には、その年初に開始したゼロ金利政策について、これを「デフレ懸念の払拭が展望できるような情勢になるまで続ける」と宣言し、いわゆる「時間軸政策」を開始します。時間軸政策は、要するに「流動性の罠」にかかって動きが取れない状態にある金融政策の運営において、今では不足している緩和の効果を将来から借りて来る政策のようなものですから、これはクルーグマンの提言に近いものだったと私は思っています。でも、それは大した効果を待ちませんでした。(略)
日本が経験したようなデフレに対しては、いくらやり方を工夫しても金融政策では事態を変えるのは基本的に難しいということが根本的な原因だと考えています。
(略)
私が気になるのは、異次元緩和という決断が拍手をもって迎えられたということ、そうした拍手を生み出した「時代の雰囲気」の方です。

閉じた選択肢からビットコイン

 今までの世界であれば、中央銀行のやることに不安を覚えた人が選択する行動は、もう一つありました。(略)他の中央銀行の船に乗り換えればよいのです。要するに、円の将来に不安を覚えたらドルに、ドルにも不安を覚えたらマルクに、などと通貨を乗り換えればよかったのです。(略)
 ところが、この章の冒頭で示した[サミットでの]協調の風景は、そうした選択肢が閉じてしまっていることを示す風景でもあります。(略)中央銀行首脳たちが仲良くカメラの前に並び、政策の歩調を揃えるのだと声高に宣言し始めたら、もはや通貨の乗り換えは意味を持ちません。選択肢は事実上閉じてしまっている、しかも、異次元緩和とか量的緩和などという非伝統的金融政策を続けるという方向で、選択肢が閉じてしまっているのです。そのとき不安を覚える人は何をするでしょう。(略)
そうした不安の行き先になったのが、今までとは違う種類の貨幣、中央銀行たちが提供するのではない新しい貨幣だったように私は思っています。

サトシ・ナカモトの「コロンブスの卵」

ビットコインを面白くしているのは、こうしたP2Pネットワークにおける共有台帳、つまりは街角掲示板のような仮想台帳を、特定の管理者を置かずに運用できているという点にあります。それが可能になっているというところが、ビットコインの本当に面白いところであり、またサトシ・ナカモトの「コロンブスの卵」なのです。
(略)
[50BTCしか持ってないのに、Aに40BTC送るというメモを貼り、しばらくしてBに30BTC送るメモを貼る人がいても、「もう10BTC以下しか送れないよ」と阻止する「管理人」はいない]
これが、P2P型のネットワークで台帳を管理するということの困難さ、つまり二重使用防止の困難さなのです。(略)
「正直者の有志」がチェックして、二重使用の問題がないと確認できたメモだけを有効なメモとして認めることにすれば良いはずです。(略)
[問題は「正直者の有志」をどう選ぶのか]
 誰か偉い人が指名するのは良くありません。それでは「中央集権型決済システム」つまり銀行がやっているシステムと同じになってしまいます。どうしたら良いでしょう。
 それに対するサトシ・ナカモトの答は、確かに人の意表を突いたものでした。それは、参加者たちによる「競争的なチェック」という解決だったからです。
(略)
[取引の正当性を保証する]マイナーたちの役割を、ビットコインでは「マイニング」と呼びます。
 もっとも、マイナーたちは、博愛心や義務感から「正直者」になるわけではありません。(略)
彼らがブロック毎の確認競争に成功すると、一定量ビットコインを手に入れる権利を獲得するのですが、それが権利として生きるためには、他のマイナーたちからマイニングが正しくできていると認められ、フォローを得ることが必要になるからです。要するに、マイナーたちにとっての最も合理的な戦略は「正直者」として行動することなのです。ちなみに、マイナーというのは「採掘者」という意味、マイニングは「採掘」です。(略)
彼らは、各々にボードに貼られた取引メモを見て、その内容を点検します。そして二重使用などの問題がなさそうだと思えたメモの記載全体を大きな数字列だとみなして、ボードに貼られた全部の取引内容を通算したハッシュ値を計算してボードに書き込んでしまうのです。
 いったんハッシュ値が書き込まれると、ボードに貼られたメモの改ざん[は不可能に](略)
これでブロックが閉じてしまい、あとは書き換えできず閲覧だけができるデータ群としてP2Pの世界で共有されることになります。
 ところで、ビットコインは、この消印付与をしようとする者つまりマイナーたちに対して、原理的には非常に簡単だが、実際に充足させるには相当の計算が必要になるよう、微妙に意地悪な条件を付けています。その条件とは、「ブロックの空いているところに『適当な値』を書き込んで、その値まで含めて計算したハッシュ値が、一定の大きさ(これを「ターゲット」と言います)以下になるようにせよ」という要求です。
(略)
[マイナーは送金者からの手数料という第一の利益と]
第二の利益は、ブロックを閉じる権利を得たマイナーが、誰のアドレスのビットコインを減額することもなく、新しいビットコイン、いわば空中から作り出したビットコインを、マイナー自身のアドレス宛に送ることができることから生じます。(略)[2015年晩秋の時点で]世の中には約1500万BTCのビットコインが存在しますが、これらのほぼ全部は、過去のこうしたマイニングにより生み出されたものです(略)
 こうした「貨幣」の生み出し方が可能だ、プロトコルで決めれば可能だ、そう考え付いたところに、ビットコインにおける最大の「コロンブスの卵」があると私は考えています。貨幣の流通を確認し証明するための作業そのものが、同時に新しい貨幣を生み出す、ビットコインはそうした仕組みになっているのです。
(略)
採掘などと言うが、やっていることは空中から黄金を生み出すと言うのに近い、これは錬金術まがいのトリックではないかと気にする人もいそうです。
(略)
空中黄金が胡散臭いというのなら、前著『貨幣進化論』で取り上げたSDRなどはどうでしょう。あれは、IMFという国際機関が、何の対価も払わせないで加盟国に一方的に分配した空中黄金、それこそ「空中黄金のなかの空中黄金」です。それに比べれば、ビットコインを作り出すマイナーたちはブロックを閉じるための作業という対価を払っています。ですから、およそ空中黄金作りという点なら、SDRの方がビットコインよりも錬金術に近いような気もします。

『貨幣進化論』で、1944年の夏のブレトンウッズ会議でケインズが提案した為替不均衡を調整するための勘定であるバンコールと、1969年にIMFに集う「識者」たちによって作られたSDRとを比較して、二つが「似て非なるもの」と書いたのは、この点にあります。
 私は、バンコールはさすがにケインズの提案だと思っています。ケインズはバンコールが生み出されるシナリオと消え去るシナリオをきちんと考えています。SDRには生み出すシナリオだけがあって、消え去るシナリオがありません。その意味では、消え去るシナリオが用意されているXRPはSDRよりも正統的に考えられた「通貨」だと思っています。そして、こう整理すると、XRPはビットコインとは完全に別ものと位置付けた方がよさそうにも思えて来るでしょう。リップルの本質的な部分は、ブロックチェーンに類似する決済のネットワークであって、マイニングによる貨幣の生成ではないからです。

次回に続く。