XTCソング・ストーリーズ・その2

前回の続き。

XTCソング・ストーリーズ

XTCソング・ストーリーズ

 

精神崩壊

『イングリッシュ・セトゥルメント』は世界的に大好評だった。アルバムの歌を背負ってツアーしていたら、スターの座まで一歩近づいていただろう。義理を大切にする気持ちは彼にそのまま進めと命じたが、直感は彼にツアーをやめろと指図した。精神的に彼は自分をバラバラにしつつあり、『イングリッシュ・セトゥルメント』ツアーの最中に、彼はズタズタになった。それはXTCのキャリアを完全に変えた。
(略)
アンディ ツアーにはもう耐えられなかった。本当にイライラしてきていたんだ。俺は自分の小さな脳味噌の中で、『イングリッシュ・セトゥルメント』はツアーには持って行かないことに決めていたんだ。何か所かで一回きりのギグをやる以外はね。俺は普通の暮らしがしたかった。(略)
いつも同じオレンジ色のホテルの部屋で目を覚まして、「どこの町にいるんだっけ?」って思うんだ。俺は実際、二つのツアーでフロントに電話をかけなけりゃならなかった。(略)
フロントは「はい、ここはネブラスカ州ラクーン・パンクリアスでございます」って言うけど、前の晩のワイオミング州ムースノブと全く同じなんだ。俺は菜食主義者だった。菜食主義者が巡業するということは、食べるものがないのと同じだ。バーでお通しのピーナッツをつまむかチーズサンドイッチをかじるぐらいさ。
(略)
 パリに行くまでに、俺は本当におかしな気分になっていた。すべてのことが夢の中のように感じられた。ある日の午後にテレビ番組のインタヴューを受けたことを覚えている。理由は知らないけど、あのおばあさんの家に連れて行かれた。彼女のそばに座ってインタヴューを受けた。テーブル掛けとカゴに入った鳥とコーヒーがあって、俺は思った――いったい俺はこんなところで何をしてるんだ?なんて馬鹿げているんだろう。とっても気味の悪い夢みたいだった。(略)
その夜、ステージに出てから、「リスペクタブル・ストリート」のイントロで、俺はパニック状態になった。死ぬんじゃないかと思ったよ。会場がグルグルと回り始めて、恐くて仕方がなかった。自分がすごくマヌケのような気がして、気が狂ってきたかな、って思った。(略)
デイヴ アンディがステージから走っていなくなるとプロモーターが出てきて、客に今夜の代償として明日の晩にあらためてコンサートをやると約束した。アンディはこれを聞いて逃げ出した。
(略)
アンディ (略)誰かが救急車を呼んだんだけど、そしたらまた誰かが「道路がすごく渋滞しているから消防車に誘導してもらわなきゃ駄目だ」って言った。だから俺が隅っこに胎児のように丸くなって横たわっていると、そばでイアン・リードが「ほら!しっかりしろ!」って怒鳴っていた。それこそがまさに俺が一番したくないことだった。するといきなり消防士たちが部屋になだれ込んできた。(略)
[プロモーターはギグをやらせる気だったので、翌朝、こっそり飛行機に乗って逃亡]
すごく緊張したよ。もし誰かが「あ、見ーつけた!」って言ったら、もう、ぎゃあああ、だったんだから。俺は完全に……。
(略)
[英ツアーはキャンセルしたが、これは舞台恐怖症だからもう大丈夫かもとアメリカ・ツアーに出発]
アンディ (略)俺はホテルのベッドに横たわって、そこから一歩も動けなくなった。脚が動かなかった。ゼリーみたいになってしまって、まるで言うことを聞かない。(略)
デイヴ (略)アンディが実際に口に出した時、俺たちはそこに座ったまま、“ああ、いよいよこれまでか”って思った。“ちくしょう!機材の運搬に何千ポンドもかかったっていうのに。でっかいPAにローディーの賃金、バス、照明――全部無駄になっちまった。いったいどうやって金を返せばいいんだ”。
アンディ チェインバーズは俺を睨みつけたよ。あいつは何か悪いことを考えているナイフ投げみたいな目つきで俺を見た。イアン・リードは「まあ、これまでだな。お前はプロモーターに脚を折られるぞ。本物の病気になった方がいい。お前を病院に連れていかないとな。さもないとここを生きて出て行くことはできないぞ。」
(略)
[どうにか家に戻り]
ひどい状態だったよ。長いこと庭に座って詩を書いたり、曲を作ったり、アコースティック・ギターを弾いたりして過ごした。結構沢山の曲ができた――「ビーティング・オヴ・ハート」、「レイディバード」、「デザート・アイランド」。でも俺は明らかに精神状態がまともじゃなくて、外に出ることができなかった。玄関の掛け金に触っただけで体が震えて、気分が悪くなって働くことができなかった。人に会うと、見せ物になって、パフォーマンスみたいなことを期待されるからね。
(略)
コリン 皮肉なのは、あのお流れになったツアーで、俺たちは初めて専用バスを使ってたってことだ。とうとう俺たちもここまできたか、って感じだった。豪華さから言えばね。
(略)
アンディ (略)そのうちに気分が良くなって、家を出ることができるようになった。催眠治療に通いながら、曲を作っていた。でも俺は本当の犠牲者のような気がしていた。“あー!これで俺はシド・バレットみたいに堕ちていくんだあ!”って思った。口からよだれを垂らしたロックの犠牲者になるんだ、って。
(略)
デイヴ PA代を払えなかったもんで、エンテックが俺たちの機材を差し押さえたんだ。それで俺たちはヴァージンに頭を下げて支払いを立て替えてもらわなければならなかった。
コリン それからプロモーターたちが俺たちのことを訴えるとかいう話があった。結局何も起こらなかったけどね。でももっと大きな問題は、レコード会社が関心をなくしてしまったことだった。この頃ジェレミィ・ラッセルズが後を継いだ。
アンディ そしてそれは俺たちにとって最悪だった。あいつは応援してくれるどころか、いつも批判的だった。
コリン このめちゃくちゃな状態から抜け出すたったひとつの方法は、まともな曲を作ることだと気付いた。
アンディ とにかくレコードを作らなきゃならなかった。それがすべてを解決するわけじゃなかったけど、たったひとつやれることは、自分たちが一番得意なことをやることだった。それはレコードを作ることだ。

ジャパン

 ある日、エア・スタジオでのミキシング中に、アンディが外に出ようとドアを開けると、ジャパンがなだれこんできた(国ではない、バンドのジャパンである)。彼らは隣のスタジオでレコーディングをしていたのだが、彼らのヒーローであるXTCが彼らの前のプロデューサーであるスティーヴ・ナイとレコーディングしていると聞き、ドアの前で聴いていたのだ。スティーヴがミキシングしていたのは「ヒューマン・アルケミィ」――難しい歌である。

ZEP

 アンディは盗むよりも敬意を表する方を好む。「ブルー・オーヴァーオール」はレッド・ゼッペリンがブルースを大袈裟に低俗化したことからアイディアを得たものだ。「『フィジカル・グラフィティ』がすごく好きなんだ。あれはおそらく、一丸になって素晴らしい演奏をするバンドが到達する頂点だったんだろうね。あのファンキーさとカッコよさには太刀打ちできないよ」

SKYLARKING

SKYLARKING

 

『スカイラーキング』

 トッド・ラングレンを『スカイラーキング』のプロデューサーに選んだのは、一部やけくそなアイディアだった。『ザ・ビッグ・エクスプレス』が商業的に失敗し、アメリカのレーベルであるゲフィンがヒットをせがむので、アメリカ人のプロデューサーを試してみようという話が持ち上がっていた。ジェレミィ・ラッセルズがリストアップした者のうち、彼らが名前を聞いたことがあるのはトッドだけだった。デイヴは大喜びだった。他の二人は彼のことをほとんど知らなかったが、デイヴの熱心さに引き込まれていった。とにかくトッド自身がやる気満々だった。彼は飛行機代、宿代、テープ代、ミュージシャンに払うギャラなど、すべて込みのパッケージ契約で仕事を引き受けた。
(略)
彼は失敗に厳しく、自分がボスであると決め込み、XTCにどの順番で曲がアルバムに収まるべきかを教え、その順番でレコーディングさせた。さらに彼は、使うテープの量をトラック毎に“予約”してから彼らに演奏させた。始める位置と終わる位置に印をつけ、彼らに即興の余地をほとんど与えなかった。アルバム全体がたった二本のリールに収まった。予算とスケジュールは、彼の性格と同じくらいキツかった。
 トッドの自宅とスタジオは世界一ロックンロールで有名な村、ウッドストックのそばにあった。ユートピア・スタジオは、彼の敷地内にある木造の建物で、風変わりな録音機器と楽器でいっぱいだった。彼は豪勢な家に住んでいたが、客の泊まる場所は山を降りて森を抜けたところにある、古くて飾り気のない、植民地時代の板張りの家だった。そこは毎週ポリッシュを使って掃除されたが、そのひどい臭いに勝てるのは、床下を這いずり回ったあげくに死んで腐っていく、毒を盛られたネズミの悪臭だけだった。
 権力を奪われたように感じたアンディとトッドの関係もまた、あっという間に腐っていった。アンディがこれまで一度も脇役を演じたことがなかったのに対し、トッドは彼にプロデューサーの権威を揺るがせようとしなかった。アンディはトッドの音楽の才能を尊敬したが、彼の態度と皮肉な言動が大嫌いだった。敵に囲まれた気分になったアンディは、コリンとデイヴに八つ当たりを始めた。(略)コリンは爆発寸前になっていた。トッドは彼にドラムなしでベースのパートを弾かせるつもりだった。(略)アンディとトッドがコリンの演奏の細かい点をめぐって議論を始めると、コリンは飛び出して行き、一日姿を見せなかった。トッドの説得で戻ってはきたが、彼は今日までバンドからの辞意を取り消していない。
 ウッドストックに戻ると事態は悪化した。トッドは彼らにミックスに立ち合ってもらいたくないと言い、バンドはこれ以上彼と一緒にいたくなかった。
(略)
ジェレミィ・ラッセルズが、トッドがアルバムには合わないと考えた「アナザー・サテライト」を復活させることを主張した。曲がひとつ増えることに決まると、アンディはすかさず、自分をイライラさせていた曲をひとつ、アルバムから外すことを提案した。彼は不満を持っていた「ディア・ゴッド」をB面に格下げしたのだ。アンディは歌のメッセージにまとまりが欠けていると考え、それが注目を浴びるのを避けたかったのだ。
  1986年にアルバムがリリースされた時、「ディア・ゴッド」はコリンのシングル「グラス」のB面だった。だが、アメリカのDJたちがそれを発見すると、ほんの数日のうちに「ディア・ゴッド」はラジオで爆発的なヒットとなり、べた褒めのレヴューと死の脅迫を受け始めた。米国南部の信仰の厚い地域は激怒し、カレッジ・ラジオは賛美した。ゲフィンはアルバムを回収し、「ディア・ゴッド」を入れて再リリースした。こうしてアンディの努力とはまるで逆に、XTCはアメリカでカルトと化したのである。

アンディ 彼はむちゃくちゃ皮肉屋だった。アメリカ人にしては珍しいよ。極度に残酷な芸術の域に達していたね。(略)
喉の調子を整えるために一回通して歌うと、「なんてひどいんだ。そっちに行って俺が歌ってやるよ。録音するからそれをヘッドフォンで聞きながら合わせて歌え」って言うんだ。俺はもう、なんて侮辱だと思ったよ。「レッツ・メイク・ア・デン」では、あまりにも沢山の欠点を指摘されたために、俺はすっかり自信をなくして、とうとうレコーディングしないことになった。ヴォーカルを録音してて、三分の二ぐらいまでやったところで、「おい、お前にもっと楽しくやるつもりがないなら、俺は次の飛行機で家に帰るからな!」って言ってやったよ。
コリン あれはただ彼のやり方がお前のやり方と違っただけの話さ。
アンディ 死ぬほど議論したよ! あいつはすごく恩着せがましかった。
(略)
アンディ A面が一本のリール、B面がもう一本のリールに入った。編集は一切なし。「どうやって『サマーズ・コールドロン』から『グラス』につなげるんだ?」って聞いたら、「お前たちが弾いている楽器の弦を手で押さえて鳴らないようにするんだ。そしたらそこで『グラス』の頭をパンチインするから」って言った。こいつはテープがもったいないからこんなこと言ってるんじゃないか、って思ったよ。
(略)
[アルバムタイトルについて]
父さんに昔よく言われたんだ――「こら、いいかげんにしろ。馬鹿騒ぎ(スカイラーキング)はそれくらいにして学校に行け」。
コリン 前世紀の言葉であることは間違いないね。
アンディ 海軍から持ち帰った言葉じゃないかな。遊んでばかりいるんじゃない、っていう。夏のイメージもあるよね。野原でヒバリが鳴いているっていうのは、間違いなくイギリスの夏の音だよ。
ネヴィル トッドにだってひとつくらいいいところがあるだろう?
デイヴ 俺は今でも『スカイラーキング』のサウンドが好きだ。それに天才音楽家からインプットを得たということ。それはあれがレコーディングされた環境を補って余りある。俺はアンディじゃなくてトッドの言うことなら何でも聞いたよ。
アンディ 彼は音楽的にすごいことをした。アレンジは素晴しかった。どうやって思い付いたんだろう。彼はある晩、正味二時間くらいで弦楽器のアレンジをひとつ考えてきたよ。これがキーボードを二本の指でしか弾けない男のやることかい。あいつは「サクリフィシャル・ボンファイヤー」をほとんど一晩で作ったんだぜ。あれにはビックリしたな。特定のことをやらせると、あいつは馬鹿馬鹿しいほど頭がいいよ。

ORANGES & LEMONS

ORANGES & LEMONS

 

リヴァー・フェニックス

アンディ 俺たちにはすごい数の取り巻き連中がいて、しょっちゅうスタジオに遊びに来ていたよ。スタジオの裏の坂道にローガンという女の子が住んでいて、窓に「XTC KISS KISS KISS」って書いてた。最後には犬と訪ねてくるようになった。
 俺たちの新しいマネージャー、タークィン・ゴッチが「リヴァー・フェニックスっていう若い俳優が君たちのすごいファンで、会いたがってるんだけど」って言うんだ。俺は全然そいつの顔を知らなかった。ある日、小汚い格好したガキをロビーで見かけて、通りから入ってきたんだろうと思ってたら、五分後にそのガキが自分はリヴァー・フェニックスだと自己紹介したよ。“本当かよ!有名な俳優だったら、シャツにアイロンくらいかけろ”って思った。それからはしょっちゅうやってくるようになって、そこらへんにいて何時間もおしゃべりしてたよ。本当にすごいファンだった。
コリン あいつはすごくいい奴だった。俺に仕事を斡旋してくれたしね。あいつはハリウッドのTボーン・バーネットの家の隣に住んでたんだ。バーネットはカミさんのアルバムでベーシストを探していた。で、リヴァーが「XTCのコリン・モールディングって聞いたことあるかい?」って言ったんだ。そしたら俺のところに電話がかかってきた。
アンディ 「自分の友達に大ファンがいるんだけど、そいつとちょっと話をしてもらえないか」って言うんで、「いいよ」って答えたんだ。そしたら電話の向こう側からすごく緊張した声で「えっ、わあ!すげえ、わお!すげえ!わあ!」って言うのが聞こえた。そいつ、それしか言えなかった。それから、自分は今バンドのリハーサル中で、名前はキアヌ・リーヴスだ、と教えてくれた。

メイヤー・オブ・シンプルト

 この歌は当初テンポの遅いレゲエ調の船乗り歌で、あやうく捨てられかけたところをあのリフに教われた。デイヴはバーズっぽい十二弦を弾き、コリンは明るい音のウォル・ベースで速いベース・ラインを一音ずつはっきり出すのにふんばった。「アンディがあの鈴みたいな“学生風”のベース・ラインを作ってきた。テンポがとても速かったから、あまり低音が強いと音がぼやけてしまうと思ったんだ」と彼は言う。残りのベースラインはコリンが作った。XTCのトラックの中で最もよくできた、最も速いベースのひとつである。しかし複雑な演奏に対し、内容は単純そのものだった。「あの単純さにはむしろ恥ずかしさを感じるよ」とアンディは言う。

NONSUCH / CD+DVD-A

NONSUCH / CD+DVD-A

 


XTC Nonsuch - A Gus Dugeon's Home Movie- Chipping Norton Studios, England,-July-August 1991

[「ノンサッチ」録音風景]

 マネージャーを雇わずに自分たちだけでやっていくことに決めたXTCは、電話帳とレコード・コレクションをひっくり返して新しいプロデューサーを探した。(略)
 彼らが最初に選んだプロデューサーは、ティアーズ・フォー・フィアーズのヒットメーカー、クリス・ヒューズだった。彼はすごく乗り気だったが、話はまとまらなかった。そこで彼らはスティーヴ・リリホワイトに近づいた。彼はヒュー・パジャムとのコンビを復活させることを提案した。楽しいことになりそうだった。おまけにスーパー・プロデューサーのヒュー・パジャムは、彼のいつもの
(略)
リハーサルが始まったが、スティーヴ・リリホワイトは約束した通りに現われなかった。XTCは彼が[妻の]カースティ・マッコールと仲直りすることを優先して、この仕事から手を引いてしまっていたことを知らなかった。チーム再結成の話がなくなるとヒューも約束を取り消した。いきなりXTCは、スタジオあり、歌あり、プロデューサーなしのバンドになった。念のために言っておくが、デイヴもコリンも、アンディにだけはプロデュースして欲しくなかった。
 デイヴ・マタックスがガス・ダッジョンを提案した。ダッジョンは、エルトン・ジョンの偉業、デイヴィッド・ボウイのシングル「スペイス・オディティ」、クラプトン在籍時のブルーズブレイカーズ、ボンゾ・ドッグ・バンドらを手掛けたヴェテラン・プロデューサーだ。デイヴはその提案に大賛成だった。アンディは彼がボンゾのプロデューサーだったことに気を引かれた。
(略)
ガスがキュウキュウ鳴るズボンと、ド派手なシャツと、耳が聞こえなくなりそうなコロンを身に付けて、カスタマイズした青いアストン・マーティンから降りて来た瞬間、彼がこの仕事に向いていないことがアンディにはすぐ分かった。だが彼は、あとで私にこう話したくれた――「彼はあまりにも場違いだったから、きっと大丈夫に違いない」。アンディは間違っていた。
(略)
彼がプロデュースしたレコードはこれまで一億枚売れており、彼の何がすごいかというと、ほとんどのエンジニアが一生かけて学ぶよりも多くの技術をもう忘れてしまっているくらいにすごいのだ。だが彼には彼のやり方があり、アンディにはアンディのやり方があった。ガスには父親とか学校の先生みたいなところがある。アンディは怠惰な学生だったし、三十八歳の今では、ますます意固地になっている。(略)
間もなくガスとアンディはお互いをチクチクと刺し始めた。ガスはアンディが面倒な奴だということをどこかで読んで知っており、生意気なアーティストとの駆け引きは一切しないことに決めていた。アンディはセッションにトッド主義が忍び込んできているようなデジャ・ヴを感じた。ガスが、「ルック」なんかで苦労するよりは歌そのものを捨てた方がいい、と言うと、アンディは自分のアイディアが無視されていると思うようになった。スタジオに怪しい暗雲が垂れ込めてきた。(略)
ガスがアンディにロックフィールド・スタジオでのミキシング・セッションに立ち合って欲しくないと言った時、アンディはキレた。コリンとデイヴは、『スカイラーキング』のようなアルバムがもう一枚できることを期待して、アンディはいない方がいいという意見に賛成だった。(略)
[結局、アンディも、ヴァージンもミックスが気に入らず]
XTCの歴史で初めて――恐らくガスにとっても初めて――プロデューサーが追い出されることになった。

アンディ あのでっかい車から出て来たのを見た途端、こりゃ駄目だ、って思ったよ。でももうその頃には後戻りできない状況だったんだ。
コリン すごく派手な格好をしてたよね。
アンディ 胸にボリューム調整のつまみをつけとくべきだよ。
コリン 彼とは俺たちの家の近くのパブで会うことになった。そしたら、「GUS92」っていうナンバープレートが付いた大きな車でやってきた。あんなに狭い通りにあんなどでかい車を停めて、中から白と黒だけで身を固めたのが出て来た。『バットマン』に出て来る悪人みたいだったよ。パブの中から見ていて、“俺はどの面下げて村に帰りゃいいんだ?”って思った。
アンディ このパブにあいつを入れるな。あんな格好で入ってきたら袋叩きにあうぞ。
コリン ちょっとしたざわめきが起こったよ。
アンディ それに彼には校長先生みたいな雰囲気があった。
(略)
アンディ ガスと俺は我慢しながらうまくやってたよ。そしたらセッションが終わる頃になって、俺を隅っこに呼んで、金の飾りを俺に向かってチャラチャラさせながら言ったんだ――「残念だがミキシングには来られないぞ。お前にはその場にいて欲しくないんだ。お前なしでやりたいからな。」
(略)
俺は「ガス、頼むよ!これは俺たちの歌なんだぜ!自分たちの赤ん坊が生まれるところを見たいんだ」って言ったよ。でも彼は承知しなかった。セッションが終わる一ヶ月ぐらい前のことだった。そのせいで関係がすごくまずくなったよ。結局俺たちはウマが合わなかったのさ。
(略)
コリン 俺は下がっていろと言われたんで下がっていた。トッド・ラングレンの時はそれでうまくいったから、今度もうまくいかないわけがないと思ったんだ。
アンディ でももちろん自分の歌のミックスをやる時ぐらいはそばにいたいさ。お前だって意見を言いたいだろう?
コリン ミックスが一度完成してしまってから意見を言った方が合理的だよ。でもやっぱり一人の人間が考えてやるのが一番だと思うね。
アンディ そうかい。まあ、そのやり方はニック・デイヴィスとはうまくいったな。

エピローグ

ライヴ活動を退く前、アンディの歌を演奏する時は、彼が歌うことに専念できるように、デイヴが複雑な方のギターのパートを受け持っていた。今はデイヴが最も複雑な部分を担当することが争い。なぜなら彼はものすごく高度なテクニックを持った、きわめて多芸なギタリストだからだ。だが彼は、アンディのギターに対する直観的な才能を真っ先に認める者でもある。
(略)
 デイヴはチームの中でソングライターでないことを今でも残念に感じている。彼はBBCテレビのマンチェスター局のために作曲をしたことはあるものの、アンディはデイヴが一曲まるごとのアイディアをバンドに提示したことが一度もないと言い、デイヴはアンディの厳しい審査の前に何かを差し出すことは勇気が要る、と言う。
(略)
アンディはボス――気まぐれだが強情。デイヴは理性の声、コリンは静かなる声だ。コリンはアンディの斬新的な面の引き立て役である。デイヴは彼らの音楽の視野を広げた。アンディはバンドを本能で運営する。デイヴは厄介事を片付ける。コリンは彼らの勝手にさせておく。彼らはお互いが本当に大好きだ。

デイヴ脱退

アルバム制作が進行するにつれて、デイヴはだんだん自分が仲間外れにされているような気持ちになっていった。アンディがオーケストラのアレンジにコンピューターを使い始めたため、デイヴには創造的な仕事がほとんど残されていなかった。多くのトラックがギターとキーボードの代わりにオーケストラの楽器で占められた。少なくともアンディとコリンには歌うという役割があった。アンディの歌の方向性にろくに口出しすることもできず、デイヴは次第にプロジェクトに対して悲観的になっていった。
 1998年の初め、デイヴ、コリン、ヘイドンはアンディがニューヨークに行って不在の間に、コリンの曲の大部分を仕上げた。だがアンディが帰ってきた途端、緊張は高まった。三月、デイヴの悲観的な態度にうんざりしたアンディは、自分がヴォーカルをレコーディングする間、何日か休みを取ってはどうか、とデイヴに言った。するとデイヴは自分の荷物を片付け姶めた。しばらくすると、彼はドアの隙間から頭を突き出して、「じゃあな!」と言って出ていった。彼が二度と戻ってくるつもりがないことに残った者たちが気付いた時、彼はもうバンドにはいなかった。次の日彼はコリンの家を訪ね、彼とアンディにあてた辞表をコリンに渡した。
 デイヴは自分がどうするつもりなのか分からなかったし、アンディも十九年来の仕事仲間を失いはしたが、実際はどちらも救われた気持ちになった。XTCでただ一人オーケストラのスコアが書けるメンバーの望みは、ギター・バンドでプレイすることだった。

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