世界の辺境とハードボイルド室町時代

『謎の独立国家ソマリランド』の高野秀行と『喧嘩両成敗の誕生』の清水克行の対談。

世界の辺境とハードボイルド室町時代

世界の辺境とハードボイルド室町時代

「なぜ人を殺してはいけないの?」という愚問

清水 日本の中世もまさにそうだったんですよ。盗みの現行犯は殺していいっていうルールが庶民の間にはありました。
 支配者層である荘園領主は、自分の領内で盗みが起きると、それによって生じるケガレを除去するために犯人を荘園の外に追い出していました。犯人を逮捕したり牢屋に入れたりすると、ケガレが領内に閉じ込められてしまうし、まして犯人の首を斬るとなると、それによってまた新たなケガレが発生してしまうから、犯人を外に追い出して、荘園が形式上、清浄な空間に再生されればいいというふうに領主は考えていたんです。
 だけどその一方で、住民の側には、自分の大事な物を盗んだ人物が荘園の外でのうのうと生きているのは納得できないという論理もあって、現行犯殺害を容認する過酷なルールが定められていたんですよね。領主の論理と住民の論理が、矛盾しつつ併存していたんです。
 あれはなんなんでしょうね、盗みという行為を人々が激しく憎むのは。日本の中世は「一銭斬り」という言葉があるくらいで「銭一文盗んでも首が飛ぶ」みたいな社会だったんですけど、盗みを単なる財産上の損害とはとらえていなかったみたいなんですよね。(略)
中世の人たちは、人の物を取るという行為そのものが倫理的に許せなかったんでしょうね。ただ、それは、「物が足りないから」というのとも、また少し違う理由なんですよね。
高野 アフリカでもそうだと思います。(略)
でも、住民の間にそういう意識があるからこそ、治安が保たれているんだと思うんですよ。(略)
辺境って危なくないんですよね、意外に。どこでも一番危ないのは都市なんですよ。そこから離れて、辺境に行けば行くほど安全になっていく。というのは、顔が見える社会になって、お互いに監視が利いている状態になるからですよね。だから、旅行者とか外国人に対してうかつなことを仕掛けてこないんです。
(略)
清水 田舎には自前のルールができている。そこが都市とは違うんでしょうね。
 室町時代の本を書いていると、「あの時代は殺伐としていたんですね」とよく言われるんですよ。確かに殺伐とした時代ではあったんですが、東京で電車に乗っていると、現代の都市の方が危ないんじゃないかと思うんですよ。(略)
ちょっと肩が触れ合っただけで、相手を威嚇するなんてこと、同じ共同体に生きる室町の人同士はやらなかったんじゃないかなと思うんですよね。暴力の本当の怖さを知っていたから。(略)
暴力の怖さを知っている人は制御していて、そうでない人は限度を知らないところがある。東京で起きる暴力の方が、よほど脈絡がなくて怖いなって思いますよね。
高野 あと、東京で僕が怖いと思うのは、仲裁する人がいないですよね。(略)
アジア・アフリカなんて、何かトラブルがあると、必ず誰かが中に割って入りますからね。まったく関係なくても。
(略)
清水 (略)以前、神戸市で中学生が子どもを殺傷する事件が起きたとき、子どもたちに「なぜ人を殺してはいけないの?」と聞かれたら、親はどう答えたらいいんだっていうことが、ひとしきり話題になりましたよね。あれは愚問だなって僕は思っていて、中世の日本人なら明確に、「人を殺したら、自分や家族も同じ目に遭うからだ」って答えるでしょう。そのことが肌でわかっているから、そもそも「なぜ殺してはいけないのか」という問いが生じる余地がないんですよね。ソマリの人もたぶん同じでしょうけど。今の日本は、殺し殺されっていうことを肌身で感じない社会、死と離れている社会になってるから、そういうのんきなことを言っていられるんだろうなあと思いますね。

アジールとしての寺院

[日本で道に迷ったタイ女性が近くにあった寺に入ったら警察に通報されてショックを受けた]
高野 タイではお寺は二十四時間開いていて、困った人は誰でも入っていい場所、食べ物ももらえるし、寝てもいい、とりあえず面倒を見てもらえる場所なんです。だから、そのタイ人女性は日本でもきっとそうだろうと思って、お寺に入って助けてもらおうとしたら、逆に不法侵入で捕まりそうになった。日本のお寺って、ほら、私有地じゃないですか。(略)
なんか変な外国人の女の人が入り込んでいるっていうんで。
(略)
[タイではまだお寺がアジールとして機能しており、警察権が及ばないため、犯罪者の巣窟になってしまう面もある]
清水 そういう意味では、パラダイスではないんですよね。戦国大名たちが「悪い奴が来たら、かくまわずに追い出せ」といった法令を出して、お寺の治外法権を認めない方向に舵を切ったのは、自由への侵犯だったと理解されてきたんですけど、お寺の方もそれを求めていたふしがあるんです。おかしな人がいっぱい来ちゃったら、お寺も困るから。(略)
宗教側は自ら望んで国の管理下に入ったとも考えられるんですね。
(略)
[2012年、韓国でストライキを起こして逮捕状が出た労働組合のリーダー達が寺に逃げ込んだ]
清水 (略)警察は機動隊を出してお寺を取り巻いているんだけど、宗教施設への強制突入には慎重で、立てこもりは長引く可能性がある、と記事にありました。(略)
韓国の宗教界ではキリスト教の影響力が強いじゃないですか。だから、警察は教会の牧師さんを間に立ててお寺に入って、労働組合員とその代理人であるお坊さんとで、四者会談を開いているというんですよ。(略)
日本ではありえないでしょう。
高野 日本ではお寺は単なる私有地ですからね(笑)。逃げ込んだ時点で、通報されて捕まっちゃう。

離合集散が激しいタイでは庶民に徴税できない

高野 (略)タイ人って、離合集散がすごく激しいんですよ。家族や親せきでも、すぐにどこかへいなくなっちゃう。で、連絡が取れなくなっちゃって、どこにいるのかわかんない。友人関係もぜんぜん長く続かないんですよ。研究者は「水の文化」と言ったりもしているんですけど、本当に水が流れるように人々がバーッと流れていってとどまらないみたいなね、感じがあるんですよね。
 家督相続も、ふつう決まりがあるじゃないですか。それがないんですよ。母系でも父系でもなく、一応、末子相続が多いんですけど、それも末っ子は最後まで家にいるからっていう、すごく適当な理由なんですよね。
(略)
タイでは伝統的に農民からいくらも年貢を取っていないって言うんですよ。今でも農民は基本的に所得税を払わない。政府が税金を多く取ろうとすると、農民はすぐにどこかへいなくなっちゃうんです。「逃散」をする。(略)
土地が豊かで、どこに行っても田んぼなんかすぐにできるから、支配者がちょっと過酷なことをやると、すぐにいなくなっちゃって、とてもじゃないけど税なんて取れない。(略)
今でも庶民は税金を払わないのがふつうで、政府が取っているのは、企業の法人税とか、個人で所得の高い人の所得税、あとは関税とかなんですよね。個人の所得税をちまちま取ろうとすると、コストが合わないわけです。
[では先祖崇拝はどうするか]
上座部仏教では死後は輪廻するって考えますから、墓はつくらないんですよ。何かに生まれ変わる者のために墓をつくる理由はないですよね。だから、遺体を埋める場所があったり、川に骨をまいたりはするけど、墓はないんです。墓をつくるのは儒教の祖霊崇拝の思想なわけですよ。それが日本には中国から入ってきている。大乗仏教ブータンでも墓はつくらないですよ。
清水 じゃあ、タイでは家観念がますます希薄になりますよね。
高野 祭祀をする必要がないんですよ。

独裁者は平和を要求する

高野 ミャンマーに行って思ったのは、独裁者というか、権力者、あるいは権力というものは平和を要求するものだなっていうことなんです。平和とか秩序とか、そういうものを求める。日本にいると、独裁的な権力っていうのはとにかく暴力的で、倫理的によくないものだっていう刷り込みがされるじゃないですか。でも、実際のところは必ずしもそうではない。
 僕はミャンマーの山奥の村に住んでいたことがあったんですが、そこはアヘン地帯だったんですよ。(略)そこのゲリラっていうのはマフィアと同じで、集めたアヘンをへロインに精製して外国に売っているんです。僕もアヘンをつくってたんですよ。
 でも、そこはどんなにすごい所かといったら、すごくないんですね。農村なんですよ、ちゃんとした。すごくちゃんとしているわけですよ。ゲリラはアヘンをつくらせているくせに、とにかくアヘン吸うなって村人に言うんですね。なんでかっていうと、商品だから。それを吸われたら困るわけですよ。
 で、アヘン吸うと働かなくなるから、それもやっぱり嫌なんです。要するに、麻薬やって中毒になるような人が出てくると困るという点では、日本政府とまったく同じ態度なんですよね。ぜんぜん変わりがないんですよ。それからトラブルもすごく嫌がるわけですよね。(略)
支配する側にとっては、みんなが平和でしあわせにのほほんと暮らしている状態がいいんですよね。
(略)
だから、独裁権力がね、日本でも徳川綱吉とかが平和を志向したと聞くと、なんかそれ、偽善なんじゃないかとか、あと、研究者が勝手なイメージを抱いているんじゃないかみたいな、そういう解釈をしてしまいがちですけど、そうじゃなくて。
清水 彼ら自身のためになるんですよね。(略)

ちょっといい話:いつ歴史学者を志したか

清水 [実家のそば屋を継ぐつもりだったが](略)
一年生のときに藤木久志さんの授業を受けて、やっぱり面白かったんですよ。印象的だったのは、何回目かの授業のときに、藤木さんが領主と百姓の関係について話されてたんですね。従来の研究では、領主が百姓から収奪するというふうにマルキシズム的に考えるのが主流だったんですけど、藤木さんは、そうじゃなくてギブ・アンド・テイクの関係だったと。領主はやらずぶったくりで百姓から年貢を取っていたんじゃなくて、百姓に対して一定の保護を与えていて、百姓はその見返りとして領主に年貢を納めていた。つまり両者は契約関係にあったんじゃないかっていう話をしたんです。(略)
で、それに僕は疑問を感じて、授業が終わった後で質問しに行って。契約という以上は、破棄できなければいけない。百姓が領主との関係を維持したくないと思って、破棄を通告するということは現実的にありえるんですか、それができないんだったら契約とは言えないんじゃないでしょうかって、生意気なことを言ったんですよ(笑)。(略)
そうしたら、藤木さんは黙っちゃって、「ちょっと、君、お時間ありますか」って言うんです。(略)「ちょっと歩きませんか」って言われて。
 立教のキャンパスをとぼとぼ歩きながら、藤木さんは、「確かに君のおっしゃる通り、契約は近代的な概念で、それを領主と百姓の関係に当てはめるのは不適切かもしれない。しかし、今の研究状況では……」というふうにしゃべり始めて。途中から明らかに僕に向かってしゃべってない(笑)。自分の頭の整理をしていたんだと思います。
 それでキャンパスの中庭をぐるっと一周すると、「もう一周しますか」って言って。結局、三周したんですよ。三周したところで藤木さんは用事を思い出したらしくて、「わかります?」と言われて。僕にはとても理解できない話ばかりだったんですけど、わからないとは言えない雰囲気だったので、「よくわかりました。ありがとうございました」と答えて、藤木さんは去っていたんですけど。
 そのとき、藤木さんは五十代半ばぐらいで、もう著名な先生だったんですけど、大学の先生というのはこんなにも真摯で誠実なのかと思ったんですよね。適当な思いつきの質問をした学生に対して、こんなにまじめに答えてくれて、しかも自分も悩んでいるんだということを吐露している。研究者って格好いいなあと思っちゃって。それが間違いの始まりですかね(笑)。

ちょっといい話:講談社選書メチエ編集者

[三年間の東大研究員が終わっても就職口がなく、妻子を抱え、講師を掛け持ち]
清水 博士論文を出版したんですよ。『室町社会の騒擾と秩序』という九千円以上もする本で、六百部しか刷ってない、誰が読むんだっていう硬い本なんですけど。それを読んでくれてたんですよ、講談社選書メチエの山崎比呂志さんという方が。で、「何かもっと書きたいものがあるんじゃないですか」って言ってくれて。やっぱりアンテナの張り方が半端じゃなくて、清水さんが書いたような話は、ビザンツ帝国でもありますよ、とか、ビザンツの研究者にはこんな人がいますよ、とか、そういう話が出てくるんです。メチエの編集者の方って、わりとそういう感じで、ブレイク手前の著者を探すのに命をかけているみたいですよ。(略)
あんな論文、よく読んだなと思います。発売して数週間後に連絡をくれて、企画をもちかけてくれたんです。あのときが人生で一番うれしかったかもしれない。誰からも僕は必要とされていないかもしれない、僕の未来はどうなるんだろうって不安に駆られていたときに、一般向けの本の依頼をいただいて。
 それで、生涯で一冊一般向けの本が書ければいいな、これで研究活動は店じまいにしてもいいやという気持ちで書いたのが『喧嘩両成敗の誕生』(こちらで紹介→kingfish.hatenablog.com)なんです。半年間をひたすら書くのに費やして。昼間は女子高の講師をやって、夜は予備校の講師をやって、家に帰ってから毎晩寝る前の二時間ぐらい、あれを書いていたっていう。

喧嘩両成敗の誕生 (講談社選書メチエ)

喧嘩両成敗の誕生 (講談社選書メチエ)

「多数決は暴力的な手続きなんだ」

高野 [コンゴで]湖に行くには許可がいるというんで、村の人たちに頼むと、延々と話をしてるんだけど、ちゃんとした議論になってないんですよね、ぜんぜん。
清水 ああ、でもそれが大事なんでしょ。
高野 そうそう。休み時間になると、長老に促されて軒下に連れていかれて、いくらだとかって値段を提示されて、「それは高い」って言うと、また戻って議論して。あれ、本当に似てるなって思ったんですよ。
清水 学生によく「多数決は暴力的な手続きなんだ」って言うと、キョトンとするんですね。小学生の頃から、多数決は民主主義の基本だって習ってるから。でも、多数決は実は非民主的で、それをやってしまうことによって少数意見が切り捨てられる。
 中世の人も滅多なことでは多数決をやらないんですよね。だらだら話し合うことによって、白黒つけない。白黒つけちゃうと、少数派のメンツをつぶしちゃうことになるから。だから中を取るというか、ストレートな対立を生まないようにするというか。
高野 みんなになじませていくという感じですよね。
清水 根回しですよね。それってたぶん、狭い世界で生きていくための一つの知恵なんですよね。前近代社会の意思決定の仕方としては、一番ポピュラーな形かもしれないですよ

空気を読む、タイ、エチオピア

高野 (略)日本人が空気を読むばっかりで自分の思っていることをはっきり言わないとか、議論が苦手というのは、やっぱり異民族に支配されたことがないからじゃないですかね。(略)
日本人以外でそういうのがすごく強いのがタイ人なんですよ。タイも植民地支配を受けた経験がないですからね。(略)
宮廷政治みたいなんですよね。みんなニコニコして、けっして声を荒げたり怒ったりしない。日本人は、ときには人を糾弾したり追い詰めたりするでしょ(略)
タイ人はそういうこともやらないんですよ。人を追い詰めるような行為自体が下品でよくないこととされているんですよね。だから、言葉で相手を論破するっていうことがまったくないんです。で、誰かのことが気に入らないときは、陰でその人の悪いうわさを流したりとか、足を引っ張ったりとか(笑)。(略)
表面的にはみんなニコニコしている国なんです、日本よりもっと貴族的な。(略)
それからエチオピア人も面白い。あそこも宮廷みたいですね。イエスもノーもぜんぜんはっきり言わない。知り合いを食事に誘っても答えないで、他の話題に移ったりしてはぐらかされるし、タクシーの運転手に値段を聞いても答えなかったりする。「俺に言わせるな、察しろ」っていうことなんです。

お国のために

高野 思考を停止させる言葉なんでしょうね。
清水 戦国大名も言うんですよ。「お国のために」 って。(略)
武田領国とか北条領国のことなんです。ただ、それ、ほとんど滅びる寸前のときに言うんですよ。(略)
敵がいよいよ領国に攻め込んでくるというときに、彼らは百姓を兵隊に動員するんですよ。百姓は協力したがらないんですよ。ふつう戦争っていうのは武士だけでやるものなので、百姓の動員ってなかなか難しいんですよ。で、最後に泣きの涙で言う口説き文句が、「お国のために」なんです。「今まで平和を享受できたのは誰のおかげか。こういうときに働かなきゃダメだろう、お国のために」という論法を使うんですよ。(略)
近代の国民国家と決定的に違うのは、どうもその説得が功を奏していなくて、誰もついてこないんですよ。で、その大名は滅んじゃうんです。

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