私たちはどこまで資本主義に従うのか

法人を警戒したリンカーン

 アメリカ社会のアンバランスの種子は、独立革命時にすでに蒔かれていた。アメリカ独立革命は、民主主義を生んだというより、きわめて個人主義的な民主主義が生まれるきっかけをつくったというほうが正確だ。(略)
自分たちのつくった憲法に「抑制と均衡」の仕組みを盛り込んだ。そうやって行政府と立法府と司法府を互いに牽制させることにより、政府の力は抑制されたが、私人と民間組織の力を抑制する仕組みは設けられなかった。
 そのおかげでアメリカは繁栄を遂げ(略)[他の国も]アメリカを模倣するようになった。
 しかし、このモデルは、社会のバランスがどうにか維持されてはじめて機能するものだった。私人と民間組織の力が暴走しないことが前提だったのだ。そのための歯止め役を担ってきたのが、法律や規制をつくる政府と、社会規範を維持するコミュニティだった。
 近年のアメリカでは、政府と地域コミュニティが弱体化し、社会のバランスが失われている
(略)
トーマス・ジェファーソンエイブラハム・リンカーンは、法人を非常に警戒していた。ジェファーソンは、「豊富な資金をもつ法人が君臨する貴族政が出現しないように……その芽を摘まなくてはならない。法人はすでに、わが政府の力を試そうと挑みはじめている」と警告した。リンカーンは、南北戦争により「法人が王座に就き」「一部の人の手に(富が)集中し……共和国が破壊されるのではないか」と恐れ、「神よ、私の不安が的はずれなものであると立証してください」と祈った。しかし、祈りは聞き入れられなかったようだ。連邦最高裁判所が法人に自然人と同等の権利を認める判決をくだしたのは、この22年後のことである。

「グローバル企業のための民営化された司法制度」

 近年締結される二国間貿易協定では、民間企業が主権国家を特別の仲裁裁判所に提訴できる制度を盛り込むケースが多い。
(略)
大手たばこメーカーはこの制度を利用して、貧しい国々を脅したり脅迫したりすることで、国民の喫煙を抑制するための法規制を撤回させてきた。
(略)
ある製薬企業にいたっては、「カナダの特許法の修正まで求めてきた」という。
(略)
[ジョージ・モンビオットはガーディアン紙の記事で]
 裁定をくだす裁判所には、通常の裁判所のような権利保護の仕組みがまったくない。審理は非公開。裁判官はビジネス専門の弁護士で、多くの場合、訴訟を提起した企業と同種の企業を顧客にもっている。裁定によって影響を受ける市民とコミュニティに発言の権利はない。上訴の制度も存在しない。
 ある非政府組織(NGO)は、この仕組みを「グローバル企業のための民営化された司法制度」と呼んだ。この種の仲裁裁判所で裁判官を務める人物の一人も、「どうして主権国家がこのような仲裁裁判制度を受け入れたのか、いまだに理解に苦しむ」と言っている。

「代表あって課税なし」

1952年のアメリカでは、すべての税収の32%を企業が納めていたが、2010年、その割合は9%まで減っている。独立革命のとき、独立派は「代表なくして課税なし」というスローガンを掲げた。今日のアメリカでは、大企業に「代表あって課税なし」が認められている。
 アンブローズ・ピアスは1906年、有名な『悪魔の辞典』の原形となる書籍を出版したとき、「企業」をこう定義した――「個人が責任を負わずに、利益だけ手にするために考案された独創的な仕組み」。

自由企業が自由な人々の民主主義を乗っ取っている

 経済学者の論理では、コストを負担できるなら、誰がなにをしようと自由だとされる。大量のガソリンを消費する車に乗ってもよいし、使いもしない品物を買い込んでもよい。近くに飢えている人がいるのに、暴飲暴食を繰り返してもよい。需要と供給の法則に任せておけば、問題はおのずとすべて解決すると考えるのだ(空腹に苦しんでいる隣人に面と向かって、そんなことが言えるのだろうか)。
(略)
経済学理論の二つの大きな礎石――コストを負担できるなら、なんでも消費してよいという考え方と、外部性の害を他人に押しつけてもよいという考え方――の下の地中で、実際になにが起きているのかを直視したほうがよい。
(略)
ゴールドマン・サックスは、再生アルミニウムを倉庫に蓄え、それを倉庫間で移動させるだけで、3年間に50億ドルを儲けたとされる。こうした行為を合法的な腐敗と片づけるのではなく、明確に詐欺や窃盗と位置づけるべきではないか。
(略)
資本主義が勝利し、「歴史の終わり」が訪れたとされている。しかし、共産主義体制のロシアで共産党官僚たちが「プロレタリアート独裁」を乗っ取ったように、今日の資本主義体制では、自由企業が自由な人々の民主主義を乗っ取っている。共産主義も資本主義も、一部の人や組織に不当な特権を与える仕組みでしかないのだ。

「バランスの取れた文明的な自由」の重要性

 カナダの法律家ポール・ビジオーニは、2005年に辛辣なエッセーを発表し、今日のアメリカの状況と、1930年代にドイツとイタリアでファシズムが台頭した状況の類似点を指摘している。
 ビジオーニは当時のドイツとイタリアについて、「市民の犠牲の上で大企業が好き放題振る舞っていた」こと、ファシズムが登場する前に(経済的な)自由民主主義が存在し、経済的な力が一部の層に集中して、それが政治権力に転換していたこと、実効性のある反トラスト法が存在しなかったこと(「経済学者と産業界が法規制ではなく自己規制を主張し続けた点は、奇妙にも今日とよく似ている」と、ビジオーニは指摘している)、大企業の税が軽減されたこと、中流階級が「激しく痛めつけ」られたこと(ヒトラー中流階級を「容赦なく打ちのめす」一方で、この層から熱烈な支持を受けていた)
(略)
 今日の社会は、民主主義が発展しているので、このようなことは起こらないと考える人は多い。しかし、ビジオーニはそうした楽観論に異を唱えた。楽観が自己満足を生めば、社会のシステムがいつの間にか歪んでいく危険があるというのだ。
 ファシスト独裁体制が生まれる道を開いたのは、20世紀はじめの自由放任型資本主義の時代に、誤った自由の概念が絶大な影響力をもったことだった。当時の(経済に関する)自由主義者たちは、無制約の個人的自由と経済的自由を要求し、それが社会にどれだけコストを生み出そうと頓着しなかったのである。そうした無制約の自由は、文明的な人間にふさわしいものではない。それは、野生のジャングルの世界における自由だ。……このような自由の概念は、すでに力をもっている人たちがさらに富と力を増やすことを全面的に肯定し、それ以外の人たちがどんなに悲惨な状況に身を置くことになっても問題にしない。国家の力を使ってその「自由」を制約しようとすれば、20世紀はじめの自由放任型の自由主義者たちから非難された。
 ビジオーニは、「バランスの取れた文明的な自由」の重要性を訴えて、このエッセーを締めくくっている。